★桃花ノ霙舞吹雪(トウカノミゾレマイフブキ)

文字数 3,801文字

 ある日、わたしは知らない人に攫われた。いきなり布を被せられて手首を縛られて……気が付いたときには狭い部屋にいたの。長い長い足枷を付けられて、歩くたびにじゃらじゃらと鳴るその鎖の音に、わたしは寒気を感じた。無機質なその部屋のつくりは冷たくて無慈悲で……そしてなにより、怖かった。わたしはこの先、どうなってしまうのかがわからないという不安がわたしを包み込み、怯えさせる。唯一、無機質な部屋から差し込む日の光だけが、わたしの安らぎだった。今日は天気がいいのねなんて言いながら、自分を勇気づけてくれる日の光だけがわたしの救いだった。
 ここに連れられてどのくらいの月日が流れたかしら。手足もすっかり冷え切ったわたしは自分を抱くようにして熱を逃がさないようにしていたら、目の前が急に白くなって男の人の声が聞こえたの。「外に出ろ」と端的に言ってから、わたしを無機質な部屋から出して……その先には枯れた一本の木があって、そこに座るよう強要されたの。そして、わたしを囲むように大勢の人が集まっていたの。わたしのことを知っているようにその男の人はしゃべり始め、言い終わると「さっさと歌え」ときつく言ってきた。わたしは小さく咳払いをしてから知っている歌を歌った。すると、さっきまで枯れていた木の幹から小さなつぼみが顔を出した。そう、わたしは歌を歌うと木々に力を与えることができるの。季節をまたいで咲かせることも……。
 周りからは驚きの声があがり、拍手をする人までいたわ。わたしは……見世物にされているのだと、このとき思った。歌い終えると、幹から顔を出していたつぼみはもう少しで開花するというところまで元気になっていたけど……この木は本来、春の暖かい季節に芽吹くもの。だけど、今は真逆の冬の寒い寒い時期。水でさえ凍てつく感覚を覚えるときなのに。本来、自分が咲く季節に咲けないこの木に申し訳ないと心の中で小さく謝った。
「どうですかこの力! この木が新しく花を咲かせる日まで毎日開催しますので、是非お誘いあわせのうえ、お越しください」
 この木がまた元気になるまで……歌い続ける。それがわたしの役目。そして、この木が元気になったら……と思うと、わたしは……。不安に押しつぶされそうになっているわたしとは対照的に男の人は何かを貰うと嬉しそうに笑っていた。

「ほら、さっさと戻れ」
 さっきまで笑っていた顔から一変して、怖い顔でわたしをあの無機質な部屋に戻るように言う。まるで腫物を見るようなその目でわたしを追いやると、わたしをまた閉じ込め鍵をかける。そして、にたりと笑いながら壁越しにこう言った。
「お前はいい商売道具だ。いきなり全部の花を咲かすんじゃないかヒヤヒヤしたが……まぁ、そんなことはどうでもいい。お前はあの木をゆっくり……ゆーっくり咲かせてくれればそれでいいんだ。そうすれば続きが気になって仕方ない下民共は毎日足を運んでくれるからな……はっはっは。それと、妙な真似はすんなよ。足枷を外して逃げようなんて甘い考えは捨てろ。いいな」
 男の人の足音が遠くなっていくのがわかり、わたしは一人となったのだと安心する……はずなんだけど。なぜかわたしの胸はずっとざわざわしていてとても気持ちが悪かった。さっきまで天気は良かったのに、外の様子を伺うと今にも泣きだしそうな雲行きに変化していた。これはあの木が思っていることなのか、それともわたしが思っているからなのかは……わからなかった。

 それからというもの、毎日のように出されては歌を歌わされ、花を咲かせての繰り返しだった。それを面白がっている男の人、不思議がっている人たち、拍手をする人たちと様々だった。ただ、わたしは悲しかった。一番はこの木が自分の季節に咲けず、全く違う季節に無理やり咲くということに……それも他ならない、わたしがしていることなのだけど……わたしを許してとは言わないわ。でも、あなたの痛みは知っているということだけはわかって欲しい。
 日が経つに連れてどんどん人が増えているのがわかった。それに伴って笑顔が醜くなる人や哀れみを含んだ目でわたしを見る人、もっと咲かせろと催促する人などが増えてきたわ。わたしは呼吸を整えて歌いだそうとすると、男の人は今日はここまでといい、見ていた人たちをまるで追い出すように頭を何度も下げながら退路へと誘導していった。そして、誰もいなくなったことを確認すると、男の人はものすごい形相でわたしに迫って頬を叩いた。
「余計なことをするな。お前は一曲をゆっくり歌えばいい。また同じことしたら、ただじゃおかないからな。ほら、さっさと戻れ」
 足枷の鎖をぐいと引っ張り、わたしをあの無機質な部屋へと押し込み乱暴に鍵をかけていった。叩かれた頬の痛みだけがわたしに正気を保たせてくれているというなんとも皮肉なことに、泣こうにも泣けない。まるで感情が枯れてしまったかのようだった。じんじんと痛む頬に手を当てていると、こつこつと何か叩いている音が聞こえた。何かと思い、わたしはその音に耳を澄ませると規則的な音がこの壁の向こう側から聞こえてくるのがわかった。わたしは意を決して固い壁に向かって石のかけらで音を出してみた。すると、すぐに反応が返ってきた。それも今度は規則的ではなく不規則にコツコツと聞こえて、時折女の人の声が聞こえてくるのがわかった。
「……に、……るの?」
「誰……なの?」
「……かった……。……たし以外にも……れたん……大丈夫……したまでだから……」
 うまく聞き取れなかったけど、わたしは小さく頷くと、それ以降壁からの音はぴたりと止んだ。また静寂がわたしを包むと、途端に足や手が急速に冷えていく。吐息で両手を温めるもすぐに冷えて消えていくそれは、わたしの心にどこか似ている気がした。

 次の日。今日も無理やり外に引っ張り出された先には昨日とは比較にならないくらいの人でいっぱいだった。人が増えて嬉しそうな男の人はまたすぐに笑顔になりわたしを力をまるで自分のことのように説明をしたあと、目で合図をするとわたしは呼吸を整えて歌いだした。すると、木はわずかながら成長をし、芽からつぼみへ、つぼみだったものは花へと変化していく。その様子を間近で見た人からは感嘆の声が漏れた。初めてその様子を見た人からはもっと深い声が聞こえてきた。見慣れている人からすればそれはもう見飽きたとばかりの小さな鼻息も聞こえてくるくらい……わたしはこのために生きているのではないのに……わたしは……わたしは……。呼吸を整え、次の歌詞へと移る間に遠くからガシャンという何かが壊れる音が聞こえた。だけど、わたしはそれを気にしてはいけない、今は歌うことに専念しないとという気持ちでいっぱいだった。だんだん足音とジャラジャラという音が近づくにつれて、その音はわたしにむかっていることに気が付いた。歌いながら首を動かすと、わたしは驚きのあまり歌うのを止めた。
「は……白梅……雪花?」
 わたしと同じ里に暮らしていて、幼馴染である白梅雪花だった。わたしより先に行方がわからなくなっていたと思っていたら……まさかわたしと同じところにいたなんて……。
「みんな聞いてください! この人は、わたしたちを攫ってここで毎日のように歌うように強制されています。それもお金儲けのためだけに……おねがい! わたしたちを……助けてっ!!」
 白梅雪花の悲鳴にもにた訴えは、すぐに届き最前にいた人はわたしの足枷を手近にあった石で破壊しようとしてくれた。白梅雪花の足枷も壊そうと奮起する人もいるなか、せっかくの見世物が台無しだと言いながら男の人は白梅雪花を無理やり連れ去っていった。白梅雪花も藻掻くも男の人の力があまりにも強く、離してもらえそうにない。見ていた人も男の人に掴みかかっているけど、どれもすべて軽くあしらわれてしまい白梅雪花は涙を浮かべながらわたしの名前を呼んでくれた。
「彩祥名花……あなたは逃げて。どうか……無事で!」
「白梅雪花ぁあ!」
「ほら、嬢ちゃん。逃げるなら今だ!」
 足枷を外してくれた男の人に連れられて、わたしはそこから出ることができた。もう歌を歌うことを強制されることや乱暴をされないで済む……だけど。
「白梅雪花……わたしは、自由になっていいの?」
 わたしは澄み渡る空を仰ぎながらつぶやいた。答えが返ってくるとは思わないけど、わたしだけが自由になってもいいの……本当はあなたと一緒に自由になりたかったのに……わたしだけなんて……。
 そのとき、わたしの頬から温かい何かが伝った。右目からそして左目から……それは止まらずに流れ続ける。それが自分の手に落ちるまで気が付かなかったそれは小さな氷の粒から小さな蝶へと姿を変えてわたしの肩にとまる。やがて生命を宿したかのように自由に飛び回る蝶を見て、わたしははっと顔を上げた。
「……白梅雪花」
 羽を柔らかく開閉する蝶を見て、わたしはいつかきっと白梅雪花と共に生きていけることを信じて、助けてくれた人たちの村へと行くことにした。
「ごめんね……きっと、きっと迎えに行くから……今だけは……」
 わたしの心に張り巡らされたこの糸を解きほぐせるときがくるのかはわからないけど、きっと……きっと……。いつかあなたと一緒に自由というものを共有したい。そして……心から……笑いたい。
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