彫刻刀風スティックチョコ【神】

文字数 4,525文字

「なんでだよ……なんで君はいつもこっちを振り向いてくれないんだよ」
 満天の星空に浮かぶ月を見ながら男は呟いた。誰も答えてくれないとわかっていても、呟かずにはいられなかった男は愛用の弓を取り、弦をつま弾いた。まるで弓を竪琴に見立て奏でているかのような様は、抵抗力のない人であれば思わず見惚れてしまうくらい月夜に映えていた。
 男─オリオンは長身痩躯でありながら、必要最低限の筋肉はしっかりとついた狩人。情熱的なバラのような赤い髪、流れるような目元は何かを狙っているように鋭く研ぎ澄まされていた。オリオンの持つ弓もそれに見合うような大きさとなっており、その大きさとなれば重量もそれなりにあるのだが、そんな弓を軽々と持ち上げる腕力は優しそうな雰囲気を漂わせているものとは思えなかった。
「はぁ……アルテミス。いつになったらオレに微笑んでくれるんだい。あぁ」
 狩猟の女神─アルテミスの名を口にしたときのオリオンはどこか寂しそうな顔を浮かべながら、再び月を仰いでいた。アルテミスとは太陽神であるアポロンの双子の妹にあたる神である。弓の腕前はアポロンの方が上ではあるが、アルテミスはそれを上回る程の集中力を有していた。兄の弓の腕は百発百中というくらい正確に弱点を打ち抜くのだが、その腕は時間経過とともに落ちていく。対してアルテミスは急所こそ外すことはあっても、確実に獲物を打ち抜くという腕の持ち主。すぐに集中力が欠けるアポロンよりも長時間狩りをしていても途切れることは少なかった。
 そんな狩猟の女神に恋心を抱いているのがオリオン。すれ違う度に思いを伝えても、会う度に気持ちを表現してもアルテミスは振り向いてくれなかった。それどころか、アルテミスを守るかのようにいる鹿の聖獣ケリュネイアがオリオンをぎろりと睨み、まるで「これ以上近付いたら容赦なく蹴り飛ばす」と言っているようだった。オリオンはそんな睨みをきかせているケリュネイアに近付きすぎないよう注意をしながら声掛けを続けているが、すべて空振りに終わっている。
「くっそ……今度こそ。今度こそ、アルテミスを振り向かせてみせる。このオレの弓の腕でな」
 そう意気込んだオリオンは月夜にむかって吠えた。

 翌朝。意気揚々とアルテミスを振り向かせると言ったものの、オリオンは実際にはどうしたらいいものか悩んでいた。しばらくたっぷり悩んだ挙句、同じ場所にいてはだめだという結論に至り歩きながら考え直すことにした。景色が変われば少しは考えも変わるだろうと自分に言い聞かせ、歩き始めた。鬱蒼とした森林を抜け、やがて町へと続く田園風景が見えてきたところでオリオンは気になる看板を見つけた。
「オセロニア学園……? 生徒募集……? なんだこれ」
 こんな田園風景なところに学園があるのかと少し怪しんだのだが、その怪しんだ顔からすぐにぱっと明るい顔へと変わった。学園といえばたくさんの生徒がいると聞いたことがあったオリオンは、そこでならきっとうまくいくのではないかと思い詳細を聞くべく町へと走っていった。そこでいくつか情報をまとめると、その学園では「ぶかつ」という集団でスポーツをする取り組みがあったり、「てすと」という学力が試される時期があるらしい。それらをまとめて「がくえんせいかつ」と呼んでいるらしい。聞いたことのない内容に段々とわくわくしてきたオリオンは、その学園がどこにあるのかを聞き出しすぐに向かった。自慢げに笑うオリオンの笑い声が彼が走り去ったあとの田園地帯に空しく響いていた。

「おお……ここがそのオセロニア学園ってところか。よ、よし。行くか」
 正門を通り、しばらく道なりに進んでいくと下駄箱があった。そしてその下駄箱の横にある部屋に、作業服を着た人物がいたのでオリオンは軽くノックし尋ねることにした。
「あ、すみません。入学希望なんですけど」
「おや。そうかい。なら、この書類を書いた後にまた声をかけてくれるかい」
 そういって作業服を着た人物は何枚か書類を出し、記入する箇所に丸をつけてくれた。ペンを受け取り、早速オリオンは記入を始めていくのだがどうしても詰まってしまう箇所があった。
「ぐっ……!」
 あとは埋めることができたのだが、そこだけが埋まらないことに悶絶していると作業服を着た人物が何事かと思い駆けつけてくれた。
「ど、どうしたんだい。どこか具合が悪くなったのかい?」
「……」
 オリオンは無言で首を振りながら、書類のある一部をとんとんと指で叩いた。そこには「入学理由」と書かれていた。作業服を着た人物が書類を手に取ると、他の部分はしっかり記入ができているのだが、そこだけぽっかりと穴が開いていたのとオリオンが悶絶している理由がなんとなくわかったのか、作業服を着た人物はくすっと笑いながら言った。
「そんなに気に病むことはないさ。オリオン……君かな。オリオン君は何かが得意でこの学園に入学したいって思ったのであれば、それを素直に書いてくれればいいんだ」
「オレが……得意なこと……」
「そう。君が得意なこと。よぉく考えてごらん」
「……!!」
 得意なことと言われ、頭に電流が走ったかのか急にしゃきっとしたオリオンはペンを握り「入学理由」の欄にずらずらと文字を走らせた。そして満足気に笑いながら書類を提出した。作業服を着た人物がその欄を確認すると、「弓が得意!」と力強い字で書かれているのを確認し嬉しそうに笑った。それからの手続きは滞ることなく行われ、無事にオリオンはオセロニア学園に入学することができた。翌日から渡された制服を着て登校することになったオリオンは入学できた喜びに涙していた。
 翌朝は寝坊することなく登校したオリオン。愛用の弓を携え、教室よりも先に向かいたい場所があった。それは「弓道部」の部室だった。昨日、作業服を着た人物に教えてもらった弓が得意な人がたくさんいると言われている「ぶかつ」の部屋はここだというのを信じ、オリオンは大股で向かっていた。そして「弓道部」と書かれた部室の前に辿り着いたオリオンは、一呼吸置き部室の扉を開けた。中は本当に同じ学園内なのかを疑ってしまうような光景が広がっていた。さっきまでオリオンは冷たく無機質な廊下を歩いていたのだが、部室に入ると爽やかな草の匂いに驚いていた。そしてそこでは「靴を脱ぐように」と書かれていた。オリオンはすぐに靴を脱ぎ、その爽やかな草の上に足を出すとふわりと柔らかい感触が足の裏を伝った。
「なんだ……この踏み心地は……ふわふわしてて気持ちがいい」
 今までに感じたことのない感触に一人はしゃぐオリオン。そうこうしている間、自分のロッカーを見つけ、簡単な身支度を済ませて白い紙が貼られた扉を開くとそこには白い砂で埋め尽くされた庭のような場所に出た。その庭の奥には丸い的があり、既に何本かの矢が刺さっていた。
「ほう。これは楽しそうだな」
 そう言い、オリオンは愛用の弓を構え矢を引き絞った。ぎりぎりと音を出すまで引き絞り狙いを定め、手を離した。ひょうと空を切る音が聞こえたあと、すとんという矢が的に中った音が聞こえた。少し遠目で確認すると、初めて放った矢は見事的に中てることができていたようだ。
「初めてでこれってすごくないか」
 オリオンは嬉しさのあまりに自画自賛をしていると、後ろから誰かが入ってきた音が聞こえた。誰だろうと待っていると、そこには狩猟の女神─アルテミスだった。アルテミスはいつもの動きやすい服ではなく、この学園が用意した胴着というものを着ていた。アルテミスとオリオンの目があうと、オリオンはいつもと違う服装のアルテミスを見て歓喜の声を、まさか誰もいないと思っていたらまさか目の前に人がいるだなんて。しかも中にいたのが知っている人ではなくオリオンだという事実に驚いたアルテミスは悲鳴を挙げた。
「おおおー! なんとも新鮮な姿をしているなアルテミス!」
「き……きゃああああああ!!!」
 その声を聞いて真っ先に現れたのは鹿の聖獣ケリュネイアだった。現れたというよりは、アルテミスの前に具現化したといった方が正しいかもしれない。敵意をむき出しにしながらオリオン目掛け牙を見せ威嚇をしていた。だが、どうもいつものケリュネイアなら容赦なく蹴り飛ばすのだが、今回は蹴り飛ばすどころか何か躊躇っているようにも見えた。
「ど、どうしたのですかケリュネイア」
「け……ケリュネイア。どうしたんだ」
 どうやら踏みなれない板の上で行動がし辛かったらしい。それでいつものキレのある踏み出しからの蹴り飛ばしが炸裂しなかったということになった。入学して早々蹴り飛ばされることを免れたオリオンはほっと胸を撫でおろし、アルテミスに声を掛けた。
「オレも今日からここの生徒なんだ。よろしくな」
「え……? 今、何て言いました?」
「だぁかぁらぁ。オレもこの学園の生徒になったんだって」
「……嘘は嫌いです」
「嘘じゃねぇって。ほら、生徒手帳もあるし」
 中々信じてもらえないアルテミスに、オリオンはできたばかりの生徒手帳を見せた。それを凝視したのち、アルテミスからは深い深い溜息が漏れた。
「……まさかあなたと同じ学び舎で過ごすことになるなんて……」
「なんかオレ、ものすごく嫌がられてる?」
「……」
 オリオンの問いにケリュネイアは無言で答えていた。だがそんなケリュネイアからの答えを認めることなく、オリオンはアルテミスにとある勝負を挑んだ。
「なぁアルテミス。オレがあの的にあと四本中てたら学園生活というものを教えてくれ。もし、アルテミスがオレより多い本数をあの的に中てられたらオレはアルテミスを諦める」
「……その発言に二言はないですか?」
 少し冷たい言葉だとは思ったが、オリオンは特に気にした様子なく「おう。二言はないぜ」と答えた。そして矢を矢筒から取り出し、オリオンは狙いを定めて射出。少し軌道がずれてしまい、的まであと少しのところで落ちてしまった。今度は力を調節しながら射出すると、見事中った。結果、五本中四本中てることができた。
「よっし。中々いいんじゃないか」
「わたしの番ですね」
 オリオンと入れ替わるように、アルテミスは弓を構えて矢を引き絞った。神経を集中させ一点を見つめながら自分のタイミングで矢を放つと、矢はきれいに真っすぐに飛び真ん中へと中った。そしてすぐに矢を番えて放つ。真ん中に中った喜びを感じる間もなくすぐに射出された矢はあっという間に全て終わり、結果は全部の矢が命中するというものだった。
「う……嘘だ……」
「これで納得していただきましたか?」
「く……くそおお! オレは……オレは……学園内では諦めたがな、ここを出たら諦めないんだからなぁ!!! 悔しくなんて……悔しくなんかないんだからなぁあ!!」
「……相変わらず賑やかな人ですね。でもこれで、静かに練習ができますね」
 アルテミスは再び弓を構え、心を空っぽにして一本一本大事に狙いを定め射出。その視線はまさに狩猟を司る神様の様に迷いがなく真っすぐに純粋だった。
 一方、勝負に負けたオリオンは入学して早々、授業に出ることなくどこかに行ってしまった。
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