三種の神器? お食事セット風クレープクッキー【神】

文字数 6,180文字

「らんらららんららー♪」
 陽気な鼻歌を歌いながら竈で調理をしている女性がいた。ふんわりとした髪は熟したストロベリーのような赤色、機能性を重視した素材で編み上げた白いローブを身に纏っている。名前はヘスティアー。炉の女神と言われ、主に食事に対して非常に知識が豊富な女神である。
 そんなヘスティアーは、今日も神の世界にあるとある宮殿でみんなの食事を用意している最中だった。ぐつぐつと竈で調理しているのは、たくさんの野菜を液状になるまで煮込んだスープ。ヘスティアーは好き嫌いをなくして貰えるように考えた末、このメニューを活用している。そうすれば野菜が持つ苦みや渋みもうまい具合に混ざり合い、何も言わなければ美味しく飲んでくれてヘスティアーは歓喜の声をあげるのだ。
「おいしくなぁれ♪うふふ」
 みんなの喜ぶ顔が見たいから、みんなに美味しく食べて貰いたいからという思いを大きなスプーンに込めてぐるぐるとかき混ぜていると、キッチンの扉が開き、誰かが入ってきた。まだ食事の時間ではないのにおかしいなと思いながら、ヘスティアーは振り返った。
「あらあら。メーティスちゃんじゃない。それにとんすけちゃんも。どうしたの?」
「……おなかすいたのです」
「……ぶっひ」
「食事の時間までもう少しだから……我慢できる?」
「……」
 知恵の女神メーティス(と、お供のとんすけ)は静かに首を振った。まるで子供のように目を潤ませながらヘスティアーに何かないかと訴えていると、ヘスティアーは少し考えながら戸棚を開けた。すると、少し前に作ったオニオンキッシュが入っていた。たっぷりのオニオンとニンジン、ピーマンを使いミルクとコショウで味を調えた軽食をメーティスの前に差し出すと、メーティスはオニオンキッシュをじっと見つめ、また小さく首を横に振った。
「メーティス、ニンジンとピーマンが苦手なのです」
「あらあら。好き嫌いはよくないわ。でも大丈夫。このキッシュ、あたしのおまじないがたっくさん詰まっているの。ニンジンさんも、ピーマンさんも美味しくなぁれって」
「……苦くないですか?」
「うん! 苦くないわ。今の季節、ニンジンさんもピーマンさんも甘くって美味しいのよ」
 ヘスティアーは誰でも美味しく食べられるように、素材の下ごしらえには多くの時間をかける性質なのだ。素材のもつ甘味が引き立つように、苦みがないように下処理をしっかり施したあとに調理にとりかかる。そのおかげで数多くの神様が好き嫌いがなくなったとか。このキッシュももちろん、苦みや独特の風味を取り除き美味しい部分だけが引き立つよう工夫を凝らした一品だ。
「さぁ、一口だけでもいいから食べてみて」
「……はいなのです」
 ヘスティアーに促され、メーティスは思い切ってキッシュをがぶりと齧った。しばらくもむもむしていると、メーティスの目はかっと見開き、さっきまで不安で一杯だった表情はどこかにいってしまい、代わりに嬉々とした表情でぴょんぴょんと跳ねて喜んでいた。
「なんですかこれ! とっても、とっても美味しいのです!」
「よかったわぁ~」
「ニンジンもピーマンも……こんなに美味しいなんて、メーティス驚いたのです」
 食べだしたら止まることなく食べているメーティスを見たヘスティアーは、嬉しそうにほほ笑むとメーティスが完食するまで静かに見守っていた。口の端に食べかすを付けたままメーティスは満足そうに息を吐き、手を合わせて「ごちそうさまなのです」と言い、ヘスティアーにお礼を言った。
「お口にあって何よりだわぁ」
「ニンジンの甘さ、ピーマンの独特のあの匂いもすっごく後引く美味しさに驚いたのです!」
「うふふ。それがニンジンさん、ピーマンさんの素敵なところよ♪」
「今まで残してて……ごめんなさいなのです」
「メーティスちゃんの好き嫌いがなくなるのなら、あたしは努力を惜しまないわぁ」
「今日の夜ご飯も楽しみにしているのです! ね、とんすけ♪」
「ぶっひぃ!」
 とんすけも「夜ご飯が待ち遠しい!」とばかりに頷き、お腹が落ち着いたメーティスはとんすけを抱きしめ自分の部屋に戻っていった。

 翌日。昨日と同じように大きな竈で調理をしていると、キッチンの扉が開いて誰かが入ってきた。靴音が重なってきていることから、二人かなと予想したヘスティアーはゆっくりと振り返るとそこには双子のワタリガラス─フギンとムニンがいた。
「ねぇねぇヘスティアー。面白そうな資料を持ってきたよー」
「ねぇねぇヘスティアー。わくわくするチラシを持ってきたよー」
「あらなにかしら」
 そう言い、ヘスティアーはフギンから紙片を受け取るとその内容を静かに読み始めた。なんでも、地上で「学園」という施設の中で職員が不足しているという。そこで誰かきてくれないかというものだった。読み終えたヘスティアーはなんで自分がと不思議に思ったのだが、それを先読みしてムニンが口を開いた。
「ヘスティアーの落ち着いた口調って、先生に向いてると思うんだよね」
「あたしが……?」
 にわかには信じられないけど、自分が講師に……なんて考えていると、紙片の下に追記という形で続きがあった。そこには「給食を作ってくれる人も同時募集します」とあった。
「給食……? 給食ってなぁに?」
「ぼくもよくわからないけど、その学園っていう場所で食べるお昼ご飯って聞いたことがあるよ」
「お昼ご飯か……ねぇ、フギン、ムニン。あたし、挑戦してみようと思うの。美味しいご飯を食べて、その美味しさを学んで欲しいって思うから。だめ……かしら?」
 今、自分の思いを二人に打ち明けると双子は顔を見合わせながら笑った。そしてヘスティアーに手を伸ばし「こっちだよ」といい、手を引いた。
「あぁ! 今晩のご飯がぁ!」
「大丈夫大丈夫♪ キッチンの時間は止めておくよう頼んでおくから」
 こうしてヘスティアーは地上にある「学園」という場所へ赴くことになった。給食担当として、また講師として。

 あっという間に地上へやってきたヘスティアーと双子たち。見慣れない地上の世界では、多くの生徒らしき人物たちが学園内にある広大な広場ではしゃぎ、大きな建物の中からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「……これが、学園という場所なの?」
「そうだよ。遊びながら学び、成長の糧となる場所だよ」
「その門をまっすぐ進んでいくと手続きができるから。頑張って」
「……あたしにできるかしら」
 不安に感じながらもヘスティアーは玄関まで進むと、作業着を着た男性がなにやら雑誌を読んでいた。ヘスティアーは申し訳なさそうに声をかけると、男性ははっと顔をあげガラスの扉をゆっくりと開けた。
「いやすまない。何か御用ですか?」
「あ、あの。こちらの学園で職員募集と聞いてやってきたものです……」
「ああ。ちょっと待ってくださいね」
 男性はそういうと、引き出しから何枚かの用紙を取り出しいくつかに丸をつけてからヘスティアーに差し出した。
「では、この丸をつけた個所を書いてください」
「あ、はい……えっと……」
 ヘスティアーは迷いながらも記入をしていき、書き漏れがないかを確認してから男性に手渡すと、男性は「うん」と頷き職員室へ行く道を教えてくれた。
「ヘスティアー……さんだね。ヘスティアーさんのことはこっちから先生たちに連絡しておくから、ヘスティアーさんは職員室に向かってください。遅くなりましたが、ようこそオセロニア学園へ」
「あ、ありがとうございます! みんなの笑顔のために頑張ります!」
 ようやくほっとしたヘスティアーからは自然な笑顔が溢れ、それを見た男性もつられて柔らかく笑った。職員室へ向かうヘスティアーからはあの可愛らしい鼻歌が廊下に響いていた。

 職員室で挨拶を済ませたヘスティアーは、早速給食室へと案内された。そして指定された着衣に着替え、今日のお昼ご飯を作る準備を任された。
「今日からで申し訳ないけど、よろしくお願いします」
「いえいえ。得意分野よ~♪」
 ヘスティアーは箱に入れられたたくさんの食材を見て、うんと頷き目にもとまらぬ速さで下ごしらえを始めた。野菜はどれも一口大に切りそろえ、食べられる部分ぎりぎりまできれいに切っていく。大きさを切りそろえるのは煮たり焼いたりする時間を均一にするメリットもあるので、それを念頭に置きながらヘスティアーは次から次へと食材を切っていく。
「味付けは……お野菜の味を主役にしたいから薄味にして、お肉はしっかり下味をつけて……と」
 給食まで時間はそんなにないのにも関わらず、ヘスティアーは美味しくするための工夫を忘れなかった。ぐつぐつと野菜を煮ている間にお肉を焼き、弱火にしてから別の調理へと取り掛かる姿を目にした職員はぽかんと口を開いて立っていた。
「……なんて手際が良いんだ……」
 他に給食を作る職員はいるのだが、それを必要としないくらいに手早い行動にみんな驚いていた。そんな職員たちを後目に、ヘスティアーはどんどん給食を完成させていく。
「できたぁ~! お野菜たっぷりスープとボークピカタよ~♪」
 指定された容器に必要数詰め、蓋をして次の容器に詰めてを繰り返しなんと一人で学園内生徒と教師分の給食を作り終えてしまったのだ。詰め終わった容器を配膳カートに乗せて準備を終えると、ヘスティアーは次の日の給食の仕込みを始めた。
「明日はお魚さんがメインなのねぇ。これも美味しく食べてもらえるようにしましょうねぇ」
 楽しそうに仕込みを始めるヘスティアーに、さすがの職員たちはそれを止めた。明日は明日で仕込みをするから平気だと伝えると、ヘスティアーは少しつまらなそうに頬をぷくっと膨らませた。
「残念だわ……」
 その顔は本当に残念という思いを貼り付けたかのような、悲しそうな顔だった。指定された着衣から自分の服に着替え終えると、今度は家庭科の授業を行うとのことでそのまま家庭科室へと案内された。さっきまで物凄い勢いで給食を作ったばかりだというのに、ヘスティアーは嬉しそうにスキップをして家庭科室に入った。そこでは食事の必要性を伝える授業を行うとのことで、調理ではないが自分の得意分野を教えるということでヘスティアーはわくわくしながら生徒が入ってくるのを待っていた。
 しばらくして、家庭科室に続々と生徒たちが入ってきた。初めて見るヘスティアーに驚きながらも次第に慣れてくる生徒たちをヘスティアーは笑顔で迎えた。生徒が全員着席したのを確認してからヘスティアーは簡単に挨拶をした。
「みなさぁん。今日から家庭科の授業を担当になりました、ヘスティアーといいます♪」
 続いて生徒たちからも返事があり、なんだか胸のあたりがくすぐったくなったヘスティアーは自分だけ聞こえるように小さく笑った。そして授業の本題である「食事の必要性」について黒板に書いていく。
「みなさん、食事は毎日きちんと摂っていますかぁ?」
 ヘスティアーの問いに大半の生徒は「摂っている」と答えた。答えを聞いたヘスティアーは嬉しそうにうんうんと頷きながら、続きを書き始めた。
「食事はみなさんの活動源です。しっかり食べて、元気よく動いて規則正しい生活を心がけましょうねぇ。好き嫌いなく食べることが大事ですよぉ」
 その言葉に反応した数人の生徒は、はぁと深い溜息を吐いた。それに気が付いたヘスティアーは振り返ると、数人の生徒が頭を抱えていた。さっきまで元気がよかったのにどうしたのかとその生徒に聞いてみると、好き嫌いがあることがわかった。
「ちなみに、どんな食べ物が苦手なのかしらぁ?」
「……ピーマン」
「……たまねぎ。あの匂いが苦手なんです」
「トマト……かな」
 それぞれが苦手な食材を並べると、ヘスティアーはうんうんと頷きながら手をぽんと叩いた。
「それは食感が苦手だったり、味が苦手だからという理由かしら?」
 するとその生徒たちは揃えて首を縦に動かした。それを見たヘスティアーは困る顔をするどころか、満足そうに笑いながら言った。
「大丈夫よぉ。工夫をすれば、きっと美味しく食べられるから。そのためだったら、あたしは手間を惜しまないわ♪」
 苦手な食べ物をメモし、克服できそうなメニューを考えているとピーマンが苦手な生徒は首をぶんぶんと横に振って拒絶していた。
「ピーマンだけは絶対に嫌だ。あの苦いのがどうしてもだめなんだ」
「確かにぃ、ピーマンさんは苦いお野菜として有名よねぇ。でも、ちょっと工夫をするだけであの苦みがなくなっちゃうのよ♪」
「嘘だ。あの苦みは……ピーマンから取り除くことなんて……」
「じゃあ、これを見てぇ」
 ヘスティアーはメーティスが食べたあのオニオンキッシュを教卓に出した。そして、生徒に見えるように見せて回ると、そこには赤いものや緑色のものがしっかりと入っていることを見た生徒からは「入ってるね」という声が聞こえた。
「この中には、玉ねぎさんとニンジンさん、ピーマンさんがたっぷり入っているの。それとね、このキッシュの中に入っているものが苦手な女の子がいたのだけど、その女の子はこれを食べてどうしたと思うかしら?」
 女の子─メーティスの事例を出して生徒に問いかけると、しばらくして「拒絶したんじゃないの」という声があがった。それを聞いたヘスティアーは首を横に振り「目を輝かせて食べきったわよ」と言った。
「一口だけでいいの。食べてみてくれないかしら?」
 ピーマンが苦手だという生徒の前にオニオンキッシュを出すと、生徒は一瞬考えてから恐る恐るキッシュに手を伸ばし齧った。
「……どう?」
 ごくんという音が聞こえてからしばらく、ピーマンが苦手だという生徒の口から「……美味しい」という言葉が聞こえた。
「先生、これ本当にピーマン入ってるの?」
「入ってるわよぉ。たぁっぷり」
「だけど、苦みが一切ないんだ。どうして?」
「それはね、先生がおまじないをかけてるから……なの。苦手な人も得意な人も美味しく食べてくれますようにって。風味だけがあるという感じだと思うんだけど……食べられそう?」
「……うん。食べられる。これなら食べられそうだよ。先生」
 苦手なものを食べられるようになった生徒を見たヘスティアーは、歓喜の声をあげた。まさかこんな早く食べられるようになるなんてと思うと、喜びもひとしおだった。
「ピーマンさんには大事な栄養がたくさんあるから、みんなにも食べて欲しいの。もし、苦手な食べ物があったら、あとでこっそりあたしに教えてね。みんなが食べられるように工夫してみるから♪」
 好き嫌いなく食べること即ち健康でいられるということを最後にして初めての授業は終わった。家庭科室を出ていく生徒はみんな、どこかすっきりしたような表情でヘスティアーに挨拶をしていった。最後に自分だけになった家庭科室を見て、ヘスティアーは決心した。
「あたしの力で、みんなを元気にしたいわぁ。好き嫌いなく食べて、みんなの笑顔を見れるよう頑張らないと♪」
 生徒たちのあの笑顔を見たヘスティアーは、みんなを元気にしたいという目標を掲げ明日からの給食や家庭科の授業を頑張ろうと意気込んだ。神の世界と地上との行き来にはなるかもしれないが、生徒たちのあの笑顔のためなら……と思うと、ヘスティアーの鼻歌はより軽やかに廊下に響いた。
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