田舎牡丹餅

文字数 1,775文字

 その老婆は縁側で茶を啜っていた。いつもならこの時間は作業場で暗器を研いでいるのだが、なぜか今日はそれをほっぽりだしてでもこうして縁側でのんびりしたいと思った。
「……年かね」
 誰もいない縁側で老婆の独り言がぽつり。別に寒くもないのだが老婆は湯飲みを両手でしっかりと持ち、空を仰いだ。茜色の空を緋色のとんぼが横切り、その後ろから心地よい秋風が背中を押していた。
 老婆─梅蝶(ばいちょう)は裏の世界においては暗殺のプロとして、またあるときは暗器の製造までと様々な顔を持っている。老婆といっても暗殺時の動きはとても機敏で、見た目で油断をしているとあっという間に目の前が真っ暗になるということで有名だそうな。そんなことを知ってか知らずか、梅蝶の作る暗器を盗もうとする盗賊たちを瞬き数回分で全滅させてしまうほどの力を持っている。製作者はやれやれまたかとぼやきながら、後始末を進めていた。

「……はぁ。たまにはこういうのも悪くないね」
 秋風が梅蝶の髪を掬い上げ、豊かな銀色の髪がふわりと舞い上がる。思えば、ずっとこの仕事に手を出してからこうして一人のんびりすることもなかったと思い返し、梅蝶は湯呑の中に映る自分の顔を見て小さく溜息を吐いた。
「でもまぁ、これも自分で選んだ道だから仕方のないこと……だけど……」
 梅蝶は時々、なんのためにこうして暗器を作っているのだろうと考えてしまうときがある。身を守るため、それとも趣味……はたまた商売のため……思いつくものを挙げてみたものの、どれもしっくりする答えにはならず梅蝶は肩を落とし食べかけの櫛団子に手を出した。少しだけ甘味を抑えたたれの団子が口の中に広がると、なんとなくではあるがそのたれの甘味に救われたようなほっとした顔をした。
「わたしだってそう長くはないんだ。そんなこと考えなくったって……」
「あら。お邪魔だったかしら」
「……ヘイラン」
 気配を感じたときには、もう梅蝶の背後に立っていた暗器使い─ヘイラン。まるで闇を纏っているかと錯覚する位暗い色のぴったりとした服に身を包み、頭のてっぺんから足先まで所狭しと暗器を仕込んでいる。例えば、たっぷりとした黒髪を結い上げている一見かんざしのようなものも、彼女にかかれば一撃必殺の暗器へと変わる。そんな彼女もこの世界に長く携わり、その関係で梅蝶と知り合い梅蝶の暗器を使うようになった。梅蝶の暗器はヘイランの好みにぴったりらしく、どれも自分の手にしっくりと馴染んで使いやすいという理由で愛用しているらしい。そんなヘイランの顔を見た梅蝶の目から一筋の雫が流れた。
「……あ」
「どうしたの? 梅蝶。なにかあったのかしら」
「いやいや……あっはは。そういうことかい。まったく……情けないったらありゃしないよ」
「……?? なにかあったのかしら」
「なぁんでもないよ。どれ、ヘイランの分も用意しようかね」
 どっこいしょと言いながら梅蝶は台所へ行き、茶箪笥から湯呑と茶菓子を用意し縁側へと戻ると、ヘイランも茜色に染まった空を眺めていた。
「きれいね……」
「だろう? 今の季節、この空を眺めるのが楽しみってんだ」
「ええ。ほんの僅かだけれど、時間を忘れさせてくれる……そんな空模様ね」
「……茶、淹れたよ」
「ありがとう。いただくわ」
 湯気が漂う湯呑を手に取り、一口すすったヘイランは安堵の息を漏らしまた空を仰いだ。少し冷えた秋風が庭先の薄をさわさわと揺らし、秋の雰囲気を一層引き立てる。そして、間もなく空には大きな月が浮かび二人はその白々しく浮かぶ月を見て微笑んでいた。
「……きれいね」
「あぁ……秋の名月だね」
「ねぇ……梅蝶」
「……なんだい」
「……また、ここに来てもいいかしら?」
「……好きにしな。どうせここにはわたししかいないんだ。いつでも来な」
「ありがとう。私、梅蝶の淹れるお茶、大好きなの。またこうして一緒に飲みたいの」
「……勝手にしな」

 あぁ。そうか。わたし、きっとヘイランを娘のように思っていたんだ。

 だからさっき、ヘイランが現れたときに流したのは安心したから……なのかもしれない。

 本当の娘ではないけど、いつの間にかそういった感情を持つなんて……わたしもいよいよだね。

 でもまぁ、こうするのも悪くないんだ。いつでも帰っておいで。ヘイラン。

 あんたの好きなお茶、たくさん用意して待ってるから。
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