ほろ酔い朧饅頭【魔】

文字数 2,847文字

「……ふん。下賤な視線が嫌になるわ」
 さらさらの流れるような金色の髪を揺らし、その間から覗く黒い角は彼女が悪魔だということを物語っている。きりっとした目元から放たれる鋭い視線。そして幾重にも重ねられた漆黒の布はまるで意思を持っているかのように時折動いては、そんな彼女の視線を遮っていたりしている。
 彼女の名前はエクローシア。普段は魔界で過ごしているのだが、どこかからきれいな花が咲く庭で雰囲気を楽しむことができる行事があると聞き、エクローシアは耳をぴくりとさせた。最近は退屈をしていて、外の世界にでも行こうかと思っていたから丁度いいと思っているのだが、エクローシアにとってひとつ気掛かりがあった。
「……下賤な者たちの視線が気になるわね」
 エクローシアは悪魔の中でも上位にあたる存在であり、かつどこか傲慢な態度をとる傾向にある。触れられるのはもちろん、見られるだけでも嫌という少し難しい性格をしている。そんな彼女が外の世界に出て景色をみたいというのだから、それは覚悟をしなくてはいけない。
「……仕方ないわね」
 自分の住んでいる魔界よりは彩りがあるかもしれないという期待を抱き、エクローシアは意を決し人間の住む世界へと向かった。

「思っていたよりも人通りが少なくて助かるわ。人込みは苦手なの」
 地上に降り立ったエクローシアはまだ人通りの少ない公園を見て呟いた。ピンク色の花─桃の花を見たエクローシアは「まぁ」と声をあげ、その可憐な花の香りを楽しんだ。
「甘くて素敵な香りね。来てよかったわ」
 桃の香りに心を和ませたエクローシアは、ふと周りを見渡した。確か資料には今の季節は「ひなまつり」という催事が行われているだとか。そしてそれは女性をお祝いするものとも書いてあった。
「確かあの本にはきれいな衣装を身に纏っていたわね……えぇっと」
 記憶を頼りにエクローシアは自身が身に着けている布を操り、ひな祭りに相応しい衣装をデザインしてみた。
「こんな感じだったかしら」
 黒を基調としたいわゆる十二単を即興で仕立て上げたエクローシア。その見たことのない色使いに同じ会場で祭りを楽しんでいた人たちからは注目の視線が注がれていた。
「……あまりじろじろ見られるのはいい気持ちはしないわね」
 エクローシアは人目を避けるように公園内を歩いていると、どこかからか男性の元気な声が聞こえた。どうやら写真撮影ができる場所のようで、親子連れが設置されたひな壇に上り記念撮影を行っていた。みんな嬉しそうな笑顔で撮影をしているのを見たエクローシアは、少し鼻を鳴らした。
「……なにがいいのかしら。でも……少しだけなら」
 何かに惹かれたエクローシアは撮影会場へと向かうと、その場にいた人からは歓喜の声があがった。まるでこの日のために作ってきたかのような素敵な衣装を身に着けているのだから。
「ちょっと。わたしもこれにのぼっていいのかしら」
 珍しいこともあるようで、普段は自分から声をかけないエクローシアが今日は撮影会場にいるスタッフに向けて声をかけた。するとスタッフは目を輝かせながら何度も頷き所定の位置へと案内した。鮮やかな金屏風の前には満開の桃の花が生けられ、おまけに雛菓子やなにやら白い飲み物が入った器があった。白い飲み物に鼻を近付け匂いを確かめると、ほんのり甘い香りがエクローシアの鼻孔をくすぐった。飲み物のことはとりあえず頭の片隅にでも置いて、エクローシアは袖から黒い扇子を取り出し口元を覆った。たったそれだけなのだが、会場内からは「素敵だ」とか「美しいわ」などという声が溢れた。それを耳にしたエクローシアは小さく笑いながら呟いた。
「下賤な祭りは騒がしくて嫌ね。でも、この衣装は我ながらいいんじゃないかしら」
 桃の花、背後の金屏風とのバランスもとれているその姿にエクローシアはまんざらではなかった。しばらくその場で雰囲気を楽しんだ後は、もう少し素敵な場所はないかと立ち上がると女性スタッフがエクローシアに近付き、手招きをしていた。
「お姉さん。少しだけいいですか」
「なにかしら」
 女性スタッフはエクローシアを気遣い、人目の少ない穴場スポットを教えてくれた。そしてその穴場スポットには、今も見てきて桃の花が満開だという。
「あら。教えてくれてありがとう」
「いえ。何か言いにくそうな雰囲気でしたのでもしかしたらと思いまして……」
「よく気が付いたわね。あまり人が多いところは得意ではないの」
「でしたら、先ほどの場所はおすすめですよ。それと……これをどうぞ」
 女性スタッフはさっきエクローシアが気になっていた、白い飲み物を手渡した。
「あら……これは」
「桃の花を見ながらお楽しみください♪」
 まさかここまで見透かされるなんて思っていなかったエクローシアは、いつもの自分を忘れ女性スタッフにお礼を言い、さっそくその穴場へと足を運んだ。撮影会場から少し離れていたものの、そんなに苦痛を感じるほどではない場所に教えてもらったお寺があった。門を潜ると、そこにはきれいに咲き誇っている桃の花がお出迎えしてくれた。
「まぁ……」
 公園で見た桃よりも迫力のある桃の花に、思わず声が漏れる。香りも楽しんだあと、奥へと進むと誰もいない縁側があり、その先には白い砂を波に見立てた庭─枯山水があった。見たことのない景色にエクローシアは息をのんだ。
「なんて素敵なの……あぁ、来てよかったわ」
 枯山水を望みながら甘い液体を器に注ぎ、口を近付ける。とろりとした液体は甘みが強く、エクローシアの気持ちを心地よく解していった。
「舞い散る花を見ながらゆったりと過ごす。思っていたより風情があるわね」
 さらさらと流れる風に小さな花弁が舞い落ちる姿に、エクローシアはすっかり心を奪われ時間の許す限りその風景を楽しんだ。

 やがてお寺が閉門する時間となり、エクローシアは「素敵なお庭をありがとう」と言い残しお寺を後にした。そしていざ魔界へ帰ろう……と思ったのだが、その前にやらなくてはいけないことを思い出しエクローシアはさっきの撮影会場へと速足で向かった。
「あ、お姉さん。いかがでしたか?」
「ええ。とっても素敵だったわ。帰る前にどうしても言っておかないといけないと思って」
「わざわざありがとうございます! 喜んでもらえてわたしも嬉しいです」
「あんなにゆったり過ごしたのは久しぶりだったわ。どうもありがとう」
「いえいえ。また来年もすると思うので、よかったらまた遊びにきてください」
「ええ。それじゃあ」
 エクローシアは女性スタッフに別れを告げ、少し離れたところで魔界へと戻る転移魔法を展開した。ものの数秒で自宅へと戻ると、エクローシアは満面の笑顔を浮かべながら十二単から普段の服装へと変えた。
「下賤なものたちばかりかもと思っていたけれど……そうでもなさそうね。あの子が言うなら来年も行ってあげてもいいかしら」
 いつもならどこか刺々しい言葉なのだが、今日はどこか柔らかく感じたのは気のせいだろうか。
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