しっとりやわらか黄粉蒸しけぇき

文字数 4,251文字

「まったく……あのバカはどこへ行ったのだ? ちょっと蹴っただけで遠くにまで飛んでいくとは……あいつもまだまだ修行が足りないな……」
 ぶつぶつと独り言を言っている女性は、街の雰囲気に似つかわしくない装いをしていることに気が付いていない。周囲の人は法被にねじり鉢巻きや袴に羽織など異国情緒溢れるものなのだが、その女性は寒い時期だというのに白色のぴったりとした服にマント、たっぷりとした黒髪は鮮やかな装飾が施されたかんざしでまとめあげている。その女性は緑色の植物が斜め切りにされている置物を見ようと立ち止まったとき、周囲の視線が自分に向けられているのに気づき初めて今自分が置かれている状況を把握した。
「……これは場違いというものだな。んー、どこかにいい服はないだろうか」
 特に恥じらう素振りも見せない女性はあたりを見回してみるも、この場に相応しい服を置いてそうなところはない。代わりに映るのはシャッターを下ろしている店や何かの準備に追われている人々だった。その人々の中に混じって何人かは困り果てた様子で立ち尽くしていた。見かねた女性はその人たちに歩み寄り何事か尋ねた。
「あ……あぁ。明日ここで梯子を使った伝統行事をやるんだが、演者が出られなくなってしまって……困っていたんだ。今日のリハーサルはこいつが出るからいいんだが、本番はこいつには荷が重すぎて」
「……面目ない」
 事情を把握した女性は、その梯子を使った伝統行事というのはどんなものかを更に尋ねた。すると、これだよと言いながらすいすいと梯子を登って頂上に到着すると、片足を挙げてみせた。
「ほー。なるほどな。そういうことか」
「高さもあるから、慣れない奴がやるとみっともないものになるもので」
「よしわかった。それ、わたしが引き受けようではないか」
「ああ……そうかい。……って、え?? あ、あなたがですか??」
「そうだ。なにか問題でもあるか? 困っている人がいるのに、ましてや事情を聴いてはいさよならなんてことはしない」
「そ……そうか。そういや、まだ名前を聞いてなかったな。なんていうんだい」
「わたしはダーシェだ。情けない弟子を探していたら、ここに辿り着いていた。それと、勝手で申し訳ないが、服を貸してくれないか。この格好は街の人にとってはあまり良く映ってないようだ」
「あ、ああ。わかった。じゃあ、こっちに事務所があるから来てくれ」

 男性に連れられてやってきたのは、どうやら商店街の一角にある伝統行事の事務所のようだ。法被を着た男の人が何人もいて練習をしていた。不安定な足場で技を決めるのはとても難しいことで、練習している男性みなが苦戦をしていた。中にはバランスを崩して梯子から落ちそうな場面に出くわすも、間一髪難を逃れた。それを見ていたダーシェは胸の内にめらめらと何かが燃えていた。
「なるほど。これは面白そうだ」
「お……面白いか。そう言う人初めてだよ。高いところが苦手な人ばっかりだから……あ、これがその衣装だ。サイズが合うといいんだが……」
「問題ない。カムイ無双流ならサイズの一つや二つ、変えることなんて容易い。では早速……」

「「ちょっ……ちょっ……ちょっと待ったっ!!」」

 その場でマントを脱ぎ棄て、ぴちぴちとした白い衣服を脱ごうとしたとき、男性陣から息ぴったりの「ちょっと待った」が入った。脱ぎ途中のダーシェは何事かと男性陣に問うた。
「なんだ? なんか問題でもあったか?」
「それを男のおれたちに言わせるか……あんたは。中に更衣室あるから使ってくれ」
「? そうか」
 不思議そうに首を傾げ、何が問題だったか全く理解していないダーシェにその場にいた男性陣は大きなため息を吐いた。
 更衣室に入ってものの数秒で着替え終えたダーシェが事務所から出てきた。羽織の袖には青と赤の花びらが描かれた刺繍、左肩は羽織から出して二つの側面を見ることができるよう、ダーシェが独自で考えたアイデアだった。かんざしも紅と白の花をモチーフにしたものを挿し、さっきまで結っていた髪は全て下ろしていた。そして、男性陣を一番困らせたのは……。
「……どうした? そんなに顔を真っ赤にして」
「……っ!!」
「? どうしたというのだ」
 豊かな胸が借りた衣服に収まらず、さらしを巻き調整していた。それも全て巻く予定だったのだが途中で布が足りなくなってしまったという事態になり、男性陣は目のやり場に困っていた。そしてそれに気が付かないダーシェは最後まで首を傾げていた。

「っほん。では、実践の前に実技を見てもらおうと思う」
「わかった」
 だいぶ落ち着いたとはいえ、まだ顔がまだ赤らんでいる男性はごまかすように咳払いをしつつ梯子を登っていく。下で支えている人たちと合図を送りあいながら頂上に着き、まずは手を広げる。それから片方の梯子のくぼみに座ってみせたり、片足を梯子に絡ませてみたりと梯子一つで様々な技が繰り出される光景に、ダーシェはきらきらした表情で拍手を送っていた。最後まで一通り見たダーシェは男性と入れ替わるように梯子を登っていき、あっという間に頂上へ。梯子の頂上からは街をぐるりと見回すことができる高さに、ダーシェは更に胸が熱くなった。しばらく風に吹かれていると、体の奥から何かが漲り頭で考えるよりも体が動き、さっきの技とは全くかけ離れた技を連発した。最後は片足を梯子に引っ掛け、絶妙なバランス感覚を保ち両手を大きく広げた。
「これは……なんとも面白い行事だ」
 一通り満足したダーシェはするすると梯子を下り、男性陣にどうだったかと聞くと皆誰もがまるで魂が抜けたかのような顔で拍手をしていた。
「……なんて技だ……あんなの見たことねぇよ」
「んだな。しっかし、あんた何者なんだ……ぽっと出てきてあんな技連発するなんて……ただもんじゃねぇな」
「わたしか? わたしはカムイ無双流の使い手だ。カムイ無双流にかかれば容易い! 明日は大勢の客を楽しませると約束しよう!」
 すっかり気分がよくなったダーシェは力強く頷くと、商店街を見て回ることにした。

 街のお店が閉まっているのは、異国の休日「正月」だからと店の前を掃除していた男性から聞くことができた。なんでも、新年を祝う行事で新年は家族と過ごしたりのんびりしたりとする家庭が多いだとか。なので、この商店街にも人が少ないということに合点がいったダーシェ。ちなみに、明日はお店は開くのかと尋ねると開きはしないが伝統行事を見に来る人で多くなるかもしれないとの返答だった。だったら、なおのこと張り切らなければと改めてダーシェは胸の奥が熱くなった。
 ちょうど手すきになったその店の人が案内をしてくれたおかげで、街の全体が把握できたダーシェはお礼をいい、リハーサルが始まる会場へと向かった。会場にはまだ始まっていないにも関わらずたくさんの人で賑わっていた。
「この場所からでも十分に見えるな」
 ダーシェは会場から少し離れたところに席を取り、開始を待った。しばらくしてさっき梯子を登っていた男性が一礼し簡単な挨拶をし、さっそく催しへと移った。さっきは見せなかった技を連発し、会場をわかせる様子にダーシェは素直に驚いた。
「あいつ……中々やるではないか。わたしも負けてられないな」
 催しの途中、どこかで聞いたことのある声が聞こえた気がしたダーシェは周りを見た。周りは見たことのない人ばかりで結果は気のせいだったのだが……なんとも複雑な気持ちだった。
「まさか……な。あいつはわたしが蹴っ飛ばしたんだ。そう簡単に戻ることはできまい」
 きっと違うと自分に何度も言い聞かせ、無理やり納得したダーシェは背後から降りてきた演者に盛大な拍手を送った。あっという間にリハーサルが終わり、明日はいよいよダーシェの出番だ。ダーシェは伝統行事の役員の家へと一泊お邪魔することになり、挨拶して早々休養へと入り明日に備えた。

 翌朝。とても気持ちの良い朝を迎えたダーシェはうんと伸びをし、体をほぐしてから事務所へと向かった。既に何人か集まっていて今日の進行の確認をしていた。それにダーシェも加わり一連の流れを再度確認し、催しが行われるまで近辺で待機を命じられた。
 そしていよいよ本番。ダーシェは梯子を担ぎなら入場し一礼。そしてすいすいと登り、まずは挨拶代わりの技を披露。拍手が巻き起こったことをきっかけにダーシェは次々と(並みの人間には到底不可能と思われる)妙技を繰り出した。さっきまで拍手が巻き起こっていたのだが、ダーシェの妙技に驚いたのか、誰も拍手をする者はいなく代わりにダーシェの妙技に釘付けにすることに成功した。それに気分は最高潮に達したダーシェが最後の大技を繰り出し、終了。ぶれることなく、ただそこに固まっているようにも見える絶妙すぎるバランス感覚に誰もが驚き、息を飲んだ。
「決めてやろう!! あ、絶景かな!!」
 固まったかと思われたダーシェがそこから更なる妙技を繰り出し、最後だと思っていた人たちは突然のことに思わず声をあげる。しかし、次第にそれは更なる歓声へと繋がり伝統行事は大成功を収めた。

 あれだけたくさん会場人がいたというのに、今ではすっかり人がいなくなり、今は伝統行事の関係者しか残っていない。 借りていた衣装を返しダーシェは弟子探しに戻るというと関係者の人たちは名残惜しそうに目を細めた。
「行ってしまうか……残念だ」
「あんな素晴らしい演技、初めて見た。考えてはくれないか」
「残りたいのも山々だが、わたしは弟子を探さないといけなくてな。すまない」
 ダーシェの気持ちは揺らぐことなく、弟子探しをすると伝えると関係者の目には涙が溢れた。
「なぜに泣く。男なのにみっともない。それにこれが今生の別れというわけはないだろ」
「そうかもしれませんが……うぅ」
「なに。またふらりと来るかもしれない。そのときはまた世話になる」
「……」
 涙を拭きながら頷いた関係者を見て、ダーシェはやれやれと肩をすくませた。別れの言葉は短く済ませダーシェは商店街を後にした。その道すがら、ダーシェは小さく唸った。
「気のせいか……さっきあいつの声が聞こえたような……これは偶然なのか?」
 二度も声が聞こえたような気がしたダーシェは、考えてみたものの答えは出ず。まぁいいかと気持ちを切り替え、ダーシェは空を見上げた。
「明日もきっといいことがあるぞ」
 普段巡り合えないことに出会えたことに感謝をし、ダーシェの弟子探しは続くのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み