時雨納言【竜】

文字数 3,921文字

「……任務完了」
 短刀を腰の鞘に戻し呟くくノ一。今日も闇に紛れ依頼をこなし、速やかに報告へ向かう。走るは風の如く駆け、少し肌寒い夜風が肌を撫でていく。目印を確認したくノ一は音もなく飛び、また音もなく着地をし報告所へ入るとちろちろとしたか細い明りの中で煙管を堪能している男に報告を済ませた。
「相変わらず仕事が早いね。あい、これが今回の報酬だ。とっとけ」
「……」
 無言で報酬を受け取り、報告所を出るとくノ一はまた闇を駆けた。今度は自分の住処に戻るため。

「……ふう」
 自分の住処に着いたくノ一は音もなく戸を開け、静かに中へと入った。月のない夜空のように黒い装束はぴったりと身を包み、顎には鬼のような面をつけ見た目からおどろおどろしい雰囲気を出している。今はその面を外し壁に穿たれた杭に収めている。面の外れたくノ一はどこかほっとした表情を浮かべ髪を結っている紐を外した。軽く伸びをし、たっぷりの黒髪を下ろしながら汚れた体を洗い流すため風呂場へ向かった。熱い湯を全身に浴びながらくノ一は格子状の窓から空の様子を窺った。
「……まるで自分だな」
 一切の音がしない、闇よりも深いその夜空を見てくノ一は呟いた。音もなく依頼をこなすということを掲げているくノ一─朧は小さく笑いながら入浴を済ませ、小さな座椅子に腰を下ろした。髪から滴る雫を丁寧にふき取りながら、今日の出来事について日誌に書き込んだ。筆を置き、だいぶ乾いた髪を振り余計な念を飛ばしながら就寝の準備を進めた。
「……」
 胸の内にある違和感が暴れているせいか、朧はその晩は中々寝付くことができなかった。

「……よし」
 昨晩はあまり眠れなかったが、仕事にそれを出さないよう気を引き締めいつもの装束を手を取った。飾り気のない真っ黒な装束は動きやすさを重視したものになっており、風の抵抗も受け流す効果も有している。愛用の短刀を腰に納め、準備を終わらせ昨日の報告所へと音もなく駆けた。
「おう。今晩もきたね」
「……依頼は」
「あるよ。えっと、これだ。今日はこれしかないみたいだ」
「ないよりはましだ。寄越せ」
 男から依頼書を受け取った朧は眉をひそめた。主に暗殺の依頼を受けている朧だが、今回の依頼はそれとは正反対の依頼だった。
「”わたしに付き合ってください”……だと」
「なんか珍しい依頼だなぁと思ってな。場所はその裏に書かれてるから、行ってきてくれ」
「……承知」
 暗殺の依頼ではないということに違和感を感じながらも、これも任務だと割り切り朧は依頼書の裏に書かれている場所へと向かった。報告所から指定された場所は徒歩数分の距離にあるが、朧にとっては数秒にしかない移動を終え辺りを見回した。すると、朧の背後から殺気を感じ、朧は咄嗟に刃を握った。
「誰だ」
「蛇神様。大丈夫です。落ち着いてください」
「……」
 朧の視線の先にいたのは月のない夜空とは正反対の真っ白な大蛇と、人間だった。朧と同じ黒檀のような黒い髪を頭部で結い、彩り豊かな装束にぴったりとした黒い履物、特徴的な化粧をした女性がいた。凛とした佇まいに朧は油断が生じないよう気配を殺しながら警戒を続けていると、女性は小さく笑った。
「そこまで警戒しなくても結構ですよ。あの依頼を受けていただいた方……ですね」
「そうだ」
 そう言われ、朧は警戒を解き女性に頷いた。すると、女性は嬉しそうに手を合わせながらお辞儀をした。隣では白い大蛇は舌をちろちろと出しながら朧に威嚇を続けていた。
「始めまして。わたしはシノブと申します。こちらはわたしの里の守り神である蛇神様です」
「……要件はなんだ。これには具体的なことまでは書いてなかったからな」
 朧がシノブに問うと、シノブはにこっと笑った。
「ええ。それは、わたしのお買い物に付き合ってくださいというものですもの」
「……なぜだ。なぜ私が……」
「あなたのことは前々から知っておりました。そして、少しお話をしてみたいとも思っていました」
「……どうやって私のことを調べたかはしらんが、依頼ということであればきっちりとこなすだけだ」
「よかった。では、さっそく参りましょうか」
 シノブに手を引かれ、朧はもつれそうな足を直ぐに正し寝静まった町を走った。

「ここはこの時間にしか営業していない、とっておきの呉服屋なんですよ」
「……美しい」
「わかります? よかった! せっかくなので、朧さんのも仕立ててもらいましょう」
 綺麗に巻かれた反物を見て、朧は素直な気持ちを零すとそれを聞き逃さなかったシノブは店主を呼び、朧の採寸をお願いした。
「なっ! なっ!! なんだ!?」
「ほら、じっとしててください。寸法狂ってぶかぶかの着物ができてしまいますよ?」
「…………っ!!」
 これも依頼だとわかっていても、他人がすぐ近くにいる感覚がなんともむずがゆい朧は何度も店主に注意されながら、無事に採寸を終えることができた。店主は満足そうに笑いながら今度は朧に似合いそうな反物を選び始めた。
「これなんか似合いそうだな。これも捨てがたい……お前さんはどれがいいんだい」
「……」
「朧さん。朧さんが一目見たときに感じた感覚を信じて選んでくださいね」
 シノブに言われ数ある反物の中から一際輝いて見えた反物を指さした。それは紛れもなく朧が選んだものであり、朧が欲しているものでもあった。指さす反物を見た店主は「これだね」と言い、反物を持って店の中にある作業場へと走っていった。
「……はっ」
「さすがは朧さんですね。今の時期にぴったりの絵柄です」
「私は一体何をしているのだ……」
 シノブの声で我に返った朧は顔を紅潮させ、自分を叱責していた。私は夜の色しかないというのに、なぜあの色を選んだのだと。ぎりぎりと唇を噛みしめている朧を見たシノブはふっと息を吐き、口を開いた。そこにはシノブの生まれた里での出来事や事情、そしてその事情によってシノブが代行をしていることが語られた。シノブも当時は抵抗をしたそうなのだが、今ではそれを受け入れ自分にしかできないことだと割り切り日々過ごしているのだという。
 だが、その考えに至るまでには苦労もあったという。そしてその役目を担うにあたっては自分を偽る必要があること。そして、その偽りと共に過ごしていかなくてはいけないということも受け入れなくてはいけない。村の人からの視線にも慣れなくてはいけない、口から吐かれる呪いにも近い言葉にも耳を傾けなくてはいけない。次第に気持ちを抑えきれなくなりそうになったとき、シノブの傍に寄り添う蛇神様の存在が唯一自分を落ち着かせてくれる存在だった。そして、どこかで気持ちの切り替えが必要だと感じたシノブは、こっそり里を抜け出しこうして買い物を楽しんでいるという。どこでどうやって朧の存在を調べたかまでは教えてくれなかったが、きっと同じことで悩んでいないかという思いで、今回このような依頼を出したと言い締めた。
「ちょっと生意気言ってごめんなさい。そして、無理矢理にも近い形で巻き込んでしまって申し訳なかったわ」
「……構わない。依頼だからな」
「……ねぇ。今だけ、この時間だけでもいいから依頼って言葉を忘れてお買い物を楽しみましょ?」
「……?」
「ここには小物も揃ってるし、きっとあなたにぴったりな仕立てができるはずよ」
 嬉しそうに話すシノブに、朧は力なく首を横に振った。
「その……買い物というものをあまりしたことなくてな……」
 申し訳なさそうに話す朧に、今度は首を横に振って朧の手を取った。
「なら、ここで思いっきりお買い物を楽しみましょ。これは、わたしたちにしかできないお買い物ってことで……ね?」
 悪戯っぽく笑うシノブに断る気力を奪われた朧は、大きく溜息を吐き覚悟を決めた。今までに見たことのない自分と会うのは怖い。似合わなかったらどうしようという気持ちが勝り、今までずっと無難な色を選び続けていた。だが今日、それが覆ろうとしていた。
「……わかった。だが、わたしはそう詳しくない。だから、指南してくれると助かる」
「もちろん!」


 気が付けば朧とシノブはすっかり買い物を楽しんでいた。朧の着物の生地をシノブが選び、逆にシノブの着物の生地を朧が決めたりとお互いに似合いそうな色合いや柄を選びあった。生地を選び終え、今度は帯や小物を選びあい店主に仕立ててもらった。店主の仕立てる速度は凄まじく、朧が一番最初に選んだ着物はものの数分で出来上がるなど驚異的だった。
 結局お互いに着物を三着新調し、お会計はシノブが持つことに。なんでも「付き合ってもらったのだもの。ここは任せてね」と押し切られてしまい、朧は財布を出す隙を与えてくれなかった。こうして二人だけしか知らない呉服屋を後にし、シノブは満足そうに朧に手を振り、蛇神様は朧にそっと寄り添った。朧は恐る恐る巨大な大蛇に触れると、気持ちよさそうに目を細め舌をちろちろと出した。
「あら、蛇神様も嬉しそう。あぁ、あなたに依頼を出してよかったわぁ。今日は素敵な時間をありがとう。また依頼を出させてもらうわね。それじゃあ」
 シノブはしゃんしゃんと神楽鈴を鳴らしながら舞うと、突風が起こしシノブと蛇神を包み込んだ。凄まじい風量に目を細める朧が次に見たとき、さっきまでそこにいたシノブたちは姿を消していた。
「偽っていた……か」
 シノブとの買い物で出たシノブの心から出た悲鳴。それは自分にも当てはまっているのかもしれないなと思い、シノブが選んでくれた着物を見てふっと頬を緩めた。
「買い物……中々楽しいものだった。シノブ、また会えるだろうか」
 その夜の帰路、朧の胸には今までに感じたことのない充実感で満たされていた。
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