夏桜蘭舞【神】

文字数 2,573文字

 カタン カタン カタン カタン

 機織りの音が響く作業部屋。規則正しく動かし、糸を通しカタンカタン。また動かして糸を通してカタンカタン。耳を澄ませているとまるで子守歌のような心地の良い音色は、突然の悲鳴によって破られる。
「あっ! 糸が……」
 機織り機の前で悲鳴を挙げる少女─糸雪(しゆき)。淡い水色の髪を頭頂部でまとめてかんざしを挿し、透き通るような肌には自作の衣を身に纏っている。薄くても丈夫と評判で、糸雪は依頼者からの注文を受けている最中に受けた出来事だった。
「どうしましょう」
 糸雪が使っている糸はどれも希少であり、そう滅多に手に入らない。かつ、大量の注文を一人で製作しているとなれば資材不足に陥るのは当たり前だ。すっかり気を落としてしまった糸雪の作業部屋の扉がこんこんと音をたてた。
「糸雪。いるかしら?」
「あ、はーい。どうぞ」
「お邪魔するわ」
 扉から現れたのは機織りの神─タクハダチヂヒメ。輝く太陽の髪を糸雪と同じように頭頂部でまとめ、かんざしを挿している。穏やかな笑みの裏側には織物に対して妥協は許さないという意外な一面を持っているタクハダチヂヒメは、糸雪からみて師匠のような存在だ。
「調子はどう……って、聞こうとしたのだけれど……」
「はい……」
 タイミングがいいのか悪いのか、タクハダチヂヒメは悲しそうな糸雪の顔を見てすべてを察した。どうしたものかと考えていると、タクハダチヂヒメは「あっ」と言いながら糸雪の作業部屋を出て行った。どうしたのだろうと心配している糸雪はタクハダチヂヒメの戻りを待った。すると、戻ってきたタクハダチヂヒメの手には糸雪が求めている糸があった。
「使おうと思ってとっておいたの忘れていたわ。でも、今はあなたが必要なのだから、遠慮なく使ってちょうだい」
「え……でも」
「いいのよ。あなたの報告があれば……ね」
 そう言い、タクハダチヂヒメは糸雪の頭を優しく撫でると糸雪の作業部屋から出て行った。一人になった糸雪は「よーし!」と気合を入れ、機織りを再開させた。

 こうしてタクハダチヂヒメのおかげで、依頼者には満面の笑顔で織物を手渡すことができたことを伝えると、タクハダチヂヒメはまるで自分のことのように喜んだ。
「よかったじゃない。さすが糸雪ね。あなたの織物の気持ちはいつも素敵よ」
「いえいえ。今回はタクハダチヂヒメ様のおかげです……ありがとうございます」
「んもう。そんなかしこまらなくていいのに。でも、頑張った糸雪にはご褒美が必要ね」
 そういったタクハダチヂヒメは一本の糸筒を手渡した。その糸筒を手に取った糸雪は、まじまじと見てから「えっ」と大きな声をあげた。
「これ……この糸って、とっても希少な糸なのではないですか」
「そうよ。いつもあなたが頑張っているのを見てるから、これでお好きな衣を作りなさいなそれと……あなた、ここ最近、体を休めてないって聞いたわよ」
 それには理由があった。糸雪の作る衣を楽しみにしてくれる人が増えていく一方、糸雪の作業時間が日に日に多くなり、しまいには中々体を休ませる時間がとれなくなるまでになってしまった。一日の大半を織物作業に費やしていることを誰かから聞いたタクハダチヂヒメは心配し、糸雪に尋ねた。すると、糸雪はとてもゆっくり頭を縦に動かした。仕事が大好きな糸雪ではあったが、少しだけ注意力が散漫になっているときもあった。それが、さっきあった資材不足もあった。
「あなたはとっても頑張り屋さんなのは知っているわ。でも、少し休暇も必要よ」
「……はい」
「あなたのお仕事を私が受け持つわ。だから、あなたは休暇を楽しんできなさいな」
「でも……それは悪いです……」
「じゃあ、こうしましょう。あなたがそう思うのなら、思い切り楽しんできなさいな」
「……え?」
「私からの宿題よ。仕事のことは忘れて、思いっきり楽しむこと。これも仕事をする上でもとっても大事なことよ。だから、気にしないで」
 穏やかな笑みに何も言えなくなってしまった糸雪は、小さく返事を返した。確かに今まで織物のことで頭がいっぱいだったと思い返していた。織物は糸や素材によってその表情を変えるのがとっても楽しくて、いつまでもいつまでも機織り機から離れなくて、気が付いたら一つの衣が出来上がっていてというのを繰り返していた。
「思いっきり……楽しむ……か」
 タクハダチヂヒメから受け取った希少の糸をぎゅっと握った糸雪は、再び職人の顔に戻り機織り機の前に腰を下ろした。

 カタン カタン カタン

 カタン カタン カタン


「前から南の海に行ってみたかったのです。なので、その海に合うような織物を作ってみました」
 薄桃色に新緑を思わせる爽やかな緑を合わせた織物は、季節外れに咲く立派な桜を思わせた。そして糸雪が袖を持って舞う度に、はらはらと桜の花弁が水面に浮かんだ。透き通る青色に驚きながら糸雪は楽しい気持ちを踊りで表していた。その度に舞う桜も嬉しいのか、小さく揺れてはその踊りを装飾していた。
「うふふっ。素敵な体験ができました」
 楽しそうに踊る糸雪の顔は、空に浮かぶ太陽に負けないくらいに輝いていた。そして、いつしかたくさんの人が集まり、糸雪の舞いを見て拍手をしていた。たくさんの弾ける音に驚いた糸雪は、海水に足を取られ転びそうなるもなんとか踏みとどまった。
「あなたのその水着、とっても素敵ね」
「なんだか不思議な魔法を見ているようだったよ」
「踊り、どこで覚えたの?」
 色々と質問されたが、糸雪は一つ一つ丁寧に答えると質問者たちはみんな納得した様子で相槌を打っていた。もう何個目かの質問に答えていると、日はとっぷりと暮れていた。時が経つのは早いなぁと思いながら糸雪は帰り支度をしていると、ふと頭の中に浮かんだのは質問者たちの眩しい笑顔だった。
「あんなに喜んでもらえるだなんて……思ってませんでしたわ」
 そしてその笑顔が、また自身の創作意欲を高めているということに気が付いた。タクハダチヂヒメが言っていたのはこういうことかと噛みしめると、糸雪は休暇をくれたタクハダチヂヒメに大きな声で感謝の意を伝えた。
「タクハダチヂヒメ様ー! 教えてくださってありがとうございまーーす!!」
 なんだか心のつっかえが取れたような気がした糸雪の顔は、来た時よりも数倍晴れ渡っていた。
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