ラムネジャムのポップキャンディ【神】

文字数 2,829文字

「……はぁ。早く終わらないかな……」
 経典にペンを走らせながらぼやく少女─ロッティ。薄く砂糖漬けにしたマロンのような髪を左右の端でまとめ、少し眠たそうな瞳。控えめなフリルのスカートにレザーブーツを履いている足を小刻みに揺らしている。就業してまだそんなに時間が経っていないというのに、ロッティは早くも帰りたい衝動に駆られていた。
 生まれつきロッティには不思議な力を持っていた。それは気持ちが昂ると写した本から様々な力を引き出すというものだった。その力を才能だという父と母のすすめで近くの図書の管理事務局へ(勝手に)応募した。応募して数日後、採用の通知を受け取ったロッティは両親に半ば引きずられるように管理事務の中へと入っていった。あまり他の人と話すことに慣れていないロッティにとっては、いきなり大人数の中へと放り込まどうしたらいいかわからずにもじもじしていると、管理事務局の男性に声をかけられた。
「おや。君だね。今日から一緒に働くことになったという子は。初めまして。慣れないことが多いかもしれないけど、わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」
 春風のように爽やかに微笑む男性にロッティは小さく頷くと、男性は小さな本とスクロールを手渡した。まずは慣れることが大事だということで、スクロールに書かれている文字を小さな本に書き写す作業を言い渡された。
「焦らないでいいからね。ゆっくり、君のペースでいいからお願いできるかな」
「あ……は、ははい……」
 ようやく出せた声はとてつもなくか細く、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際であったが男性はロッティの声を確認すると再び春が訪れそうな爽やかな笑顔をして作業場から出て行った。
「……よし。やるわよ」
 手渡された本とスクロール、それとインクと羽ペンを持ち自分のデスクで文字との対決を始めた。いくら自分に不思議な力があるからって、これが役に立つのかが未だにわからなかった。

 でも……

 ロッティはふと思い出していた。さっき、自分に優しくしてくれたあの男性。ふわりと甘い香りを残して去っていく姿を思い出したロッティの中で何かが弾けた。瞬間、ロッティの頭の中で色々なものが全力疾走し始めた。そうなるとロッティはペンを止めることができない。いや、止まらないで欲しいとおもうくらい。しかし、それは仕事ではなくロッティの別の顔の方面であった。
 ロッティの別の顔。それは架空の世界のお話を書くこと。それもとびきり甘くてとろけそうなお話だった。ロッティはそういうお話が好きな界隈ではちょっとした有名人で、今は個人趣味で書いているのだが、プロとしてスカウトされるのも時間の問題だとか。そしてそのスイッチが入ったロッティが書く文字には魔力が宿り、様々な場面で役立つことになる。日常生活や戦闘にも活用されることもあるし、目の不自由な人へ向けた本にもなり得る。
 仕事中だということも忘れ、ロッティは頭に浮かぶものを手当たり次第にペンを走らせた。甘いクリームをたっぷり使ったスイーツ、薄桃色の風、大きな木の下。甘酸っぱい果物、ちょっぴり強めの炭酸。単語ではあるが、ロッティの頭の中では登場人物が右往左往しはちゃめちゃ楽しい展開になっているらしく、ペンを走らせているときのロッティの顔は嬉しそうに笑っていた。

 そんなロッティの妄想が大暴走しているのを止めたのは、さっきの春風のような男性だった。何度かロッティの肩を叩き、こっちの世界へと引き戻すことに成功した男性はほっと胸を撫でおろしていた。
「よかったぁ。何度も声をかけたのに全然気が付かないから驚いちゃったよ」
「あ……あああたし……??」
「なにか物凄い勢いで書いていたみたいだけど……その本、ちょっと貸してもらえるかな」
 そういって男性はロッティの魔力の籠った文字で書かれた本を取ろうとしたのだが、ロッティは急に大声を出し男性の手に渡るのを阻止した。まさかの出来事に職場内には静寂が訪れ、全員ロッティを見て動かなかった。
「あ……あの……どうかしたのかな……?」
 最初に静寂を破ったのは男性だった。その声にはっとしたロッティは顔を赤らめながら何度も何度も謝り、その本だけはどうしてもだめだと言い、別の本に書き写すことをお願いした。男性は何か特別な事情があるのかもと思ったのか、ロッティの申し出を受け入れ新しい本を手渡した。
「なにか訳がありそうだね。それじゃあ……はい。今度はこれに書き写してくれると嬉しいな」
 今度こそきちんと書き写すと約束し、ロッティは新しい本を受け取り真剣に書き写しを始めた。

 ロッティはなぜスクロールから本へ書き写すのかという疑問があり、新しい本を受け取ったときに質問をしてみた。すると、小さく頷き簡単に説明をしてくれた。
「スクロールというのは、一度使うとその文字はなくなってしまうんだ。仮に消えない加工をしても、どこまで発動したかまではわからないんだ。途中から読んだスクロールというのは効力を存分に発揮しないで終わってしまうからあまり実用性とは言えないんだ。簡単に言えば、一つのスクロールにつき一つの魔法といったらわかりやすいかな。それに比べて特別なインクで書き写された本というのは、一度にいくつもの魔法を書き込むことができるから冒険に行くのはもちろんだし、急遽追加で使いたくなったときにすぐ使えるから便利なんだ。一ページにひとつの魔法があればその厚さ分、魔法を使うことができるということさ。それに、特別なインクで書かれた魔法というのは一回使って消えるということがないんだ。書き写した人の魔力にもよるんだけど、魔力が強ければ強いほど書き写された文字が綻びにくいんだ。そこで、君の魔力をこの本に込めて欲しいんだ。君の素晴らしい魔力は数多くの冒険者や魔法が使えなくて困っている人たちの手助けになるんだ。ぼくたちには君の力が必要なんだ。だから、ぜひともここで働いてくれないかな」
 熱の籠った真っ直ぐな瞳でロッティを見つめる男性。まさか自分が持っている不思議な力がそういった役割があるだなんて思ってもみなかったロッティは、顔を赤らめながら小さく頷いた。
「あ……あああ……あたしの魔力が役に立つのなら……がんばります」
「あぁ……ありがとう! これからの活躍に期待しているよ!」
 そういって男性は優雅に去っていった。自分が持っている魔力が他の人の役に立つ……にわかには信じられないけど、それで誰かの支えになるのもいいかなと思ったロッティは新しく手渡された本に丁寧にスクロールの文字を書き写していった。そしてこれはロッティにとっても悪くない話でもあった。ここで働けばお金を稼ぐことになるし、ほかの人の手助けにもなるというのとは別に理由がある。
 それは、ここにいれば新しい甘々なお話のネタには困らないということだった。気を抜くと頬が緩んでしまう癖を何とか抑え込み、ロッティは初めてのお仕事に集中した。
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