ほろ苦ビターオペラ【魔】

文字数 4,824文字

「今日はここで仕事なんすね」
「そうだ。しっかりな」
「へーい」
 やる気のない声の男が返事をする。反対にもう一人はきびきびと動き、手慣れた様子で舞台装置を起動していく。ここはとある町にある歌劇場。なんでも、ここで舞台をしたいという町長の話でやってきたという。たった二人で機材を回すことができるのか不安だった男だが、実際に見てそこまで複雑そうなものはないとわかると、小さく息を漏らした。
「ほら、いつまでもぼさっとしてないで動け」
「へーい」
 客席上部に位置する機械室で作業を始める二人。荷物を適当に置き、音響機材や舞台装置の機材を確認していく。やる気のない男が装置のレバーを上げ下げすると、緞帳が下りたり上ったり。手元にあるつまみをひねるとスピーカーから耳障りなノイズが聞こえる。
「ん。まぁ、機材に不具合はなさそうっすねぇ」
「そうと分かれば手筈通りに進めるだけだ。ほれ、これが台本だ」
「おおっと」
 台本を受け取ったやる気のない男性はぱらぱらとめくっていくと、少し気になる箇所を見つけ手を止めた。
「……そいえば、なんでこんな薄気味悪い演目をやるんすか? しかも、このおんぼろな歌劇場で……」
 それを聞いた男性は深く溜息を吐くと、やる気のない男性をまっすぐに見て言った。
「そっか。お前は知らないんだな。おれが知っている範囲で良ければ話してやろう。まだ公演には時間があるしな」
 そういって男性は舞台を見ながら話し始めた。


 まだここが華やかな場所だったころの話。そして、誰しもが気軽に観劇を楽しめるものではないときのこと。ここは有名な歌劇団がよく使う舞台として使われていたときのこと。それはもう町に住んでる人は大いに喜んでいた。なぜなら、その舞台というのは、世界では知らないという人がいないといわれる程の知名度を誇っている舞台演目なのだから。演劇に詳しい人であれば、その舞台の美しさや残酷さ、最後の感動というものは涙なしでは語れないといわれるほどだった。そして、その舞台の指揮を執るのが長身の男性─オペリギスという名前の男だった。
 ラズベリーとブルーベリーを混ぜたような色の髪にゆったりとしたアスコットスカーフを首に巻き、ぱりっとした燕尾服を着こなしている。貴族出身ともあり、見た目にはかなり気を遣っているオペリギスは自身で台本を書き、自身で演じながら自身で監督をも行うマルチな才能を持っていた。そしてそんなマルチなオペリギスと一緒に舞台に立ちたいという若者が後を絶たなかった。新しく劇団員となった若者を優しくときには厳しく接するオペリギスの指導は、やがて町中に広まり募集人数を大きく超えた応募人数が集まり、一時騒然となった。
 人員募集を終え、オペリギスが今度の舞台で使う衣装の制作に頭を悩ませているとコンコンとドアを叩く音が聞こえた。「どうぞ」とオペリギスが言うと、ゆっくりとドアが開き現れたのは先日の応募で大人気だった女性役者だった。オーディションのときに見た彼女の躍動感のある演技は誰もが息を飲み、しばらく拍手の雨は止まなかった。そんな彼女が部屋に入ってきたことに少し疑問を持ったオペリギスは何事かと問うた。すると彼女は、今度の舞台のメインヒロインとして出してくれと言い出した。もちろん、彼女の申し出は嬉しかった。だが、ほかにも希望者がいるかを募ってからにしたかったのだ。そうオペリギスがいうと、彼女は少し間をおいてから「わかったわ」と言い、少し寂しそうに部屋を出て行った。少し悪いことをしてしまったのかと思ったが、ここで私情を挟んではいけないともう一人の自分が囁いているにのはっとし自分の判断は間違っていないと何度も頭を縦に動かした。
 新しい舞台演目も衣装も決まり、メインとヒロインを決めるオーディションの日程を廊下に張り出すと、我先にとばかりに応募者が殺到した。それをオペリギスや他の人たちでなだめてから一人ひとりじっくり時間を使ってオーディションを始めた。その中にはもちろん、彼女の姿もあった。彼女は最初に見たときの躍動感の他にもしっとりとした演技を披露し、まさに今回のヒロインに相応しいと思われる演技をした。その迫真の演技にはオペリギスは思わず「おお」と声が漏れた。こうして一週間以上にもわたるオーディションが終わり、選考結果を張り出す日がやってきた。オペリギス自らが決めた演者が書かれた張り紙を見て一喜一憂する役者たち。その中には一喜する彼女の姿があった。もちろん、私情は一切挟まず彼女の表現力豊かな演技を見て決めたものだった。彼女の演技力はこれからももっと向上するだろうというオペリギスの気持ちもあってか、今回はどうしても彼女に軍配があがった。
 こうして新しい演目発表に向けて優しくも厳しいレッスンの日々が続いた。ダンスはもちろん、歌唱力も必要とされる今回の演目は皆歯を食いしばりながらレッスンを行っていた。そんな必死になって喰らいついている団員を見て、オペリギスの指導にも熱が入る。さらに喰らいつき向上心を露わにする団員たちは、演者だけでなく裏で活躍する団員たちにも火をつけた。「次こそはあそこに入ってやる」という強い野心がオーラとなって表れる者や、「全力で団員をサポートしてやる」という補佐に力を注ごうとする者で溢れていた。ぴりぴりとした空気、いや切磋琢磨した雰囲気を嬉しく思いながら、オペリギスはさらに熱の入った指導を続けた。
 公演まであと僅かという日の夜。今日は少し気分を変えて、夜風を楽しみながら紅茶を嗜んでみようとお気に入りのティーポットに茶葉を入れ、お湯を注いだ。カモミールとオレンジピールの華やかな香りはふわりと舞い、オペリギスの心を優しく解した。ベランダに出て紅茶が出来上がるのを待っていると、外で誰かが歩いているような気配を感じた。いくら夜風が気持ちがよいからとはいえ、外はすっかり夜だ。明かりもなしに出歩くのは少し危険なのではないかと思ったオペリギスは人の気配がした方へと向かった。
「確かこの辺りのはずだが……」
 オペリギスが辺りを見回してると、どこからか声が聞こえた。それも一人ではなく、二人いや三人。女性と男性二人の声が聞こえたオペリギスは声を出さないよう静かに近付き、何を話しているのか探った。
「もうすぐ公演だけど、お前はそれでいいのか?」
 男性の声でそう聞こえた。聞かれた問いに答えたのは女性の声だった。その声はオペリギスのよく知る声だった。
「ええ。構わないわよ」
「にしても、あんたも罪な女だね。最初に声をかけたときにヒロインにしてくれなかったからってだけで今度の公演、出ないなんてさ」
 何のことを言っているのだとオペリギスが疑問に思っていると、女性の声はけらけらと笑いながら話した。
「だって、このあたしが最初に声をかけたのに……。あの人、ほかの人を見てから決めるってどういうことよ。節穴かって疑っちゃったわよ」
「けへへ。そこまで言うのか」
「だってそうでしょ。あんな伸び伸びと演技

んだから。そのままずーっとヒロインはあたしでいいってのに。あいつってば……その腹いせに、今度の舞台をボイコットしてやろうって思ってさ。中々面白いアイデアじゃない?」
 まるで悪戯を考えている子供のように無邪気に笑っている彼女を見たオペリギスは、入団オーディションのときから騙されていたということに気が付いた。演技は確かにレベルは高く、これからも伸びしろのある団員だと思っていた。だが、今度の公演が上級貴族も観に来ると言われている舞台なのだ。それをボイコットするだなんて……それに、初めて見たときに感じていた薄桃色の気持ちは夜風に吹かれどこかへと飛んで行ってしまい、代わりに憎悪という毒々しい花が芽吹いてしまった。わなわなと震えるオペリギスを知らずに、けらけらけらけらと笑い続ける彼女に対し、「復讐してやる」と小さく呟きオペリギスは自室へと戻った。
 翌朝。一人舞台で練習する彼女を見つけ、挨拶をした。昨日のことは何も知らないふりをしながら言葉を交わしいき、舞台のことで相談があるといいオペリギスが持参したドレスを彼女に見せた。
「そのドレスが……どうかしたの?」
「ちょっと衣装合わせの時に出すのを忘れていてね。申し訳ないけど身に着けてくれないか」
「もう……公演までそんなに時間がないって言ったのはあなたなのに。仕方ないわね」
 ぶつぶつ言いながら彼女は衣装を受け取り、舞台袖で着替え始めた。数分後、白いドレスに着替えた彼女を見たオペリギスは彼にしかわからない角度でにやりと笑うと、舞台の一節を演じてほしいとお願いをした。それにも難色を見せた彼女だが、仕方ないとばかりに咳払いをしてから体を大きく使って演じ始めた。その間にオペリギスは右手にマッチを用意し、彼女に放り投げた。すると瞬く間に燃え広がり、彼女のしっとりとした声はすぐに絶望に染まった悲鳴へと変わった。
「可燃材を一晩染み込ませたドレスの着心地はどうかな?」
「あぁあ……がが……かあああっぁあ!!」
「あぁ、いい悲鳴だ。その悲鳴を観客全員に聞こえるようにもっと響かせろっ!」
「があぁああっ……!! ……お……えい……いう……!!!」
「いいぞいいぞ。その調子だ。その調子で舞台を盛り上げてくれ」
 高笑いをしながら燃える彼女に指示をするオペリギスの目は既に狂っていた。そしてその目に映るのは悲哀か憎悪かはオペリギス本人にもわからない。ただ、そのときのオペリギスは誰もいない舞台で一人の役を演じているように軽やかなステップを踏んでいた。燃えながら一歩また一歩と近付く彼女に何事かと思い見ていると、その目は憎しみを含みオペリギスの目を真っすぐに見ていた。ちょうどあのオーディションで見ていたときと同じ、真っすぐな視線。その視線に吸い込まれていると、彼女は残っている力を振り絞り左手を動かし、オペリギスの右頬に触れた。燃え盛る彼女の左手がオペリギスの頬をじゅうという耳障りな音と共に焼かれていく。
「あぁぁあぁああ!! 貴様っ!! なんてことをするのだ」
「……おえいいう。あ……あ……いいえ…………」
「貴様の舞台はここで終焉だ!」
 右頬を焼かれながらオペリギスは彼女を振り払い、静かに燃え尽きる彼女を憎しみの眼差しで見つめ続けた。ドレスに残っている火は舞台袖に引火し、更には歌劇場を燃やし始めた。幸い、団員の一人が早めに舞台へ現れたことで全焼せずに済んだものの、所々に焼け焦げた跡が残ってしまった。一番ひどかったのは彼女が倒れた場所で、その場所に折り重なるようにオペリギスも息を引き取っていた。こうして団長がいなくなった歌劇団は大きな公演をする前に解散となり、それ以降行方を知ることはなかった。ただ、燃え残った場所をそのままにはできないという、町の人たちからの強い要望もあってか、歌劇場はきれいになり生まれ変わった。だが、その歌劇場で演目を行うと、見たことのない男性がどこからともなく現れるという噂が後を絶えなかった。
その男性の特徴は、長身で右半分を白い仮面で覆っていたという。


「……ということがあったんだ」
「へぇー。そんなことがあったんすねぇ」
「この場所で公演をするのも本当は不気味なんだが、どうしてもって町長から言われててな。ま、その男の弔いだと思えばってことで引き受けたんだ」
「ふーん。そうなんすねー。ところで」
 やる気のない男がどこかに向かって指をさしていることを不思議に思った男性は、何事かと尋ねた。すると、やる気のない男はそのままの声で呟いた。
「……仮面の男……」
 仮面の男という声に、男性はすぐに舞台へ視線を映すとそこにはさっきまで誰もいなかったはずなのだが、長身の男が深々とお辞儀をしていた。お辞儀を終えると、不敵に笑みを浮かべているその顔には左半分だけ白い仮面をつけていた。
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