幸多雪餅【魔】

文字数 2,906文字

「はぁっ!」

 ギィイイ

 つんざく悲鳴を残し消えていった妖怪。あとには何も残らず静寂が返ってきた。刀を鞘に納め、辺りに怪しい気配がないかを確認してから銀志郎はようやく空を仰いだ。今にも雨もしくは雪が降りそうな気配に眉をひそめ、長居は無用と判断し早々に依頼主の自宅へと向かった。

 依頼のあった村はひっそりとした山間の中にあった。「夜な夜な化け物の鳴き声が怖くてたまりません」たった一言の依頼が銀志朗をここまで足を動かせたのかはわからない。ただ、銀志郎はいてもたってもいられない気持ちになり、その依頼主の住所を頼りに家を出た。少し時間はかかったもののなんとか依頼主に会い、簡単な挨拶をしたのちに依頼内容を確認すると、間違いないとのことだった。昨晩も「その化け物の鳴き声が聞こえました」と身を震わせながら話す依頼主からは恐怖という色がにじみ出ていた。早速その依頼に取り掛かろうと準備をしようと部屋を出たとき、依頼主から「部屋が空いているから使ってください」と言われ、小さな部屋へと通された。人一人なら過ごせるであろう空間には小さな文机が一つだけあった。
「あまり広くはないですが……自由に使ってください」
「……かたじけない」
 そういい、依頼主は襖を閉め居間へと戻っていった。しばらく経ってから銀志郎は討伐の準備を始めた腰まである長い銀色の髪を結わい、愛刀を脇に差した。あとはその化け物とやらがどのようなものかを確認する必要があるだけとなり、銀志郎は鳴き声の聞こえた方角を教えてもらってから依頼主の家を出た。その化け物は草木も寝静まる夜遅くに表れるとのことで、銀志郎はその化け物に気配を悟られないよう息を殺しながら辺りを探った。

 キィイイ

 まるで当てつけの悪い扉が開くような音が銀志郎の耳に届いた。間違いない。これは妖怪の鳴き声だ。そう判断した銀志郎はさらにその妖怪に近付こうと一歩また一歩と距離を詰め、やがて月明りに照らされたその妖怪は嬉々として鳴いていた。


 キィイイ キィイイ

「あいつか」
 銀志郎は静かに刀を抜き、ぎりぎりの距離まで詰めてから地を蹴った。嬉々として鳴いていた妖怪は銀志郎の存在に気付いていないまま、銀志郎の刀によりばっさりと切られた。
「はぁっ!」

 ギィイイ

 辺りを警戒しても、どうやら妖怪はこの一匹だけだと分かると銀志郎は空を仰いだ。さっきまで月明りが浮かんでいたのだが、いつの間にか空は鈍色に代わり今にも雨もしくは雪が降ろうとしていた。悪天候の中、山を下りるのはという思いもあってか銀志郎は報告を済ませ、すぐに帰ることにした。
 報告を済ませると依頼主の顔は心の底から安心した表情が見て取れた。何度も何度も頭を下げてお礼をいう姿がなによりも証拠だった。頃合いを見て銀志郎がお暇しようとすると、依頼主は「お礼をさせてください」といい、一晩泊めさせてくれるとのことだった。元々そんな予定はなかったのだが……ここまで安心した顔をみると無碍にはできないと思った銀志郎は、一晩厄介になることになった。まずは刀などを下ろそうとさきほど通された部屋へ行くと、既に布団が敷かれていた。敷きたてなのか、布団がふわふわの空気を含んでいるのがわかった。
「準備がいいのだな」
 小さく笑いながら呟く銀志郎。身動きのしやすい服装に着替え居間へと戻ると、小さな円卓の上に出来立ての料理がずらりと並んでいた。
「さぁさ、出来立てを召し上がってください」
「何から何まですまない」
「いえいえ。これはほんの気持ちです」
 そう言った依頼主は銀志郎を手招き、食卓につかせる。村で採れた野菜をふんだんにつかった煮物、ふかふか丁寧に巻かれた卵焼き、じっくりと時間をかけて漬け込んだ漬物など、普段銀志郎がお目にかかれないような贅沢品が並んでいた。
「これは……いいのか?」
「遠慮しないでくださいね。おかわりもたくさん用意してありますので」
「そ、そうか。では、いただきます」
 銀志郎は料理を目の前に両手を合わせ、挨拶をするとゆっくりではあるもののしっかりと料理を口に運んでいく。気が付けばあれだけ山盛りにあった料理は空っぽになっていた。
「うむ。馳走になった」
「お粗末さまでした。いやあ、これだけきれいに食べていただけるなんて……」
 きらきらした笑顔で食器を下げる依頼主。銀志郎は食後の緑茶をすすりながら、空の様子を伺っていた。今は大丈夫そうではあるが明日は……といった具合だった。なんとも判断しにくい天候に肩を竦めながら小さくため息を吐いた。
「そうそう。お湯の準備もできていますので、どうぞごゆっくり」
 何から何まですまないと銀志郎は頭を下げながら、風呂場を借り入浴を済ませた。さっぱりしたところでふかふかの布団に入ると、ものの数分で深い眠りへと入っていった。

「……朝か」
 ふと目が覚めると、窓の外で鳥のさえずりが聞こえていた。
「鳥の声で目が覚めるなんて久方振りだな」
 くすりと笑いながら布団をきれいに畳み、いつでも帰ることができるようしてから居間へと向かうと依頼主が昨日と同じように嬉しそうな顔で迎えてくれた。
「おはようございます。ちょうど朝食の準備ができたところです」
「あ、ああ。済まない」
 昨日の夕飯とまではいかないが、それでもかなりの品数が円卓を華やかに彩る。シンプルな調理をされたものが多く、見た目はもちろん銀志郎の味の好みのものが多かった。出汁の味を利かせた味噌汁、ほんのりカツオ風味のタケノコの煮つけ、ぷりぷりの白身魚の焼き物。シンプルでありながらもどれもが主役になれる品揃えだった。依頼主の料理の腕に舌鼓をうちながら、食を進めていると依頼主が「そうだ」と言い、話題を切り出した。
「うちの近くに小さい神社がありましてね。よかったら初詣に行かれてはどうですか?」
「初詣か……」
 依頼主の壁に張られているカレンダーに目を向けると、そこには「元旦」と書かれていた。そうか、今日は年の始まりの日なのかと改めて感じた銀志郎はせっかくだしお参りにでも行こうと決めた。それと同時に自宅へ帰る旨も伝えると、依頼主は深く深く何度もお辞儀をし「ありがとうございます。本当にありがとうございます」と言い、銀志郎は今回の依頼を無視しないでよかったと思った。
「世話になった。達者でな」
「ありがとうございます」
 依頼主の家を出るときまで、依頼主は何度も何度も頭を下げていた。よほどあの妖怪に悩まされていたのだろうと思い、名残惜しさも感じながらも依頼主の家の扉を閉めた。

 依頼主が話していた神社は、依頼主の家から徒歩で数分のところにあった。こぢんまりとしてはいるものの、建物自体はとてもしっかりとしていて手水鉢や御籤所もあった。まずは手を清めてから本殿にお参りをし、今年一年の祈願を願った。それに破魔矢、御籤も購入しそろそろ帰ろうかとしたとき、ふと銀志郎の頭に小さな冷感が落ちてきた。
「……雪か」
 いつもなら厄介だと思う雪なのだが、この時だけはなぜか特別に感じた銀志郎。懐に少しむず痒さと共に温かい気持ちになった銀志郎は、いつもより少しゆっくりとした足取りで帰路へと就いた。
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