心安らぐシトラスハーブティー【神】

文字数 3,255文字

 神の世界にある巨大な樹木の麓にある、小さなお店。中には数多くのアロマエッセンスが並んでいた。小さな試験管風の入れ物に注がれたアロマエッセンスは、量こそ少ないもの、たった一滴で気持ちを瞬時にほぐしてしまうほどだと、常連の誰かが言っていた。いつでも買えるもはもちろん、ほかにも期間限定、数量限定のアロマエッセンスを発売するなど来るものを満遍なく癒したいという気持ちで溢れている。
 店主であるハーヴェは、生まれて間もないころからアロマエッセンスのいろはを学んでおりこの近辺では知らない者はいないほど有名なアロマエッセンス調合師である。そしてその師である両親も、ずっとアロマエッセンスについて学んできており自分の娘に余すことなくすべてを伝えた証として、ここのお店を与えたのである。ハーヴェは見た目こそ幼くみえるも、二十歳を超えたちょっとしたお姉さんである。
「今日もいいお天気ね。今日は調合日和? それとも採取日和? うふふ。迷っちゃうわね」
 店の扉を開け、軽く伸びをしたハーヴェ。今日はお店を開けようかそれとも材料を調達しようか迷ってしまう快晴に思わずくすくすと笑った。悩んだ末、午前中は採取活動を行い、午後は調合作業をするということに決め、ハーヴェはさっそく大き目な籠を手に、新緑の眩しい森の中へと駆けていった。

 木漏れ日の中を歩くこと数分、ハーヴェは木の根に咲く小さな白い花を見つけた。それはスノウメリーという花で、主に花はオレンジや柑橘系に近い甘い香りを発することで有名な花。気分の調子を整えたい時に使うアロマエッセンスには欠かせないもので、茎は煎じれば風邪薬にもなるという捨てるところがない万能の素材だ。
「あら、スノウメリーがこんなにたくさん。必要な分だけ採取しておきましょ」
 いくつか摘み、籠に入れると次は湖があるエリアに足を運んだハーヴェ。ここでは湖の水や水草、水辺で咲く花などが採取できる。籠の中には煮沸消毒済みの空き瓶も入っているので、湖の水を少しと花などを採取し終えると籠の中はいつの間にか素材で溢れていた。
「あらあら。夢中になってたくさん採取してたわ。でも、これだけあれば新作のアロマが作れそうだわ。よし、今日の採取はここまで。帰ってアトリエで調合作業してみましょうか」
 出発前の籠より少し重たくなった籠を嬉しそうに持つハーヴェは、鼻歌を歌いながら自分の店兼アトリエへと戻った。

 アトリエに戻ったハーヴェは、アトリエに入り調合釜に火を入れた。中の溶液が沸騰しないよう注意をしながら材料の下準備にとりかかった。まずは、さっき採取したスノウメリーを使ったアロマエッセンスを作ろうと棚から材料を取り出し一つ一つ丁寧に混ぜ合わせていく。オレンジに似た柑橘系の香りは調合しているハーヴェの鼻を優しくくすぐり、ハーヴェの気持ちをぐぐっと持ち上げた。
「なんだか上手くいきそうな気がするわ」
 材料の下準備が終わるのと同時に、調合釜の溶液もちょうどいい温度に上がっていたので手早く溶液と下準備を終えた材料を混ぜ合わせた。

 こぽこぽ こぽこぽ

 フラスコの中で小さく泡ぶくを出しながら混ざっていく溶液の色は、最初こそ無色透明だが香りの基となる素材をいれることにより変化が起きる。どういう原理かはわからないが、これは両親から受け継がれてきた秘伝の溶液が起こしたものだとハーヴェは信じている。
「……うん。爽やかな香りの完成っ」
 スノウメリーの花の香りをたっぷり詰め込んだアロマエッセンスは、きれいな黄色をしておりまるで夏を連想させるかのような爽やかな色合いに変化していた。それを販売用の容器に詰め替え、コルク栓でぎゅぎゅっと閉じ込めたら完成。
「ほかにもある素材で何かできないかな……えっと……」
 安定感のない足場を使いながら材料棚をごそごそと漁り、何かないかと探していると入店を告げるチャイムが鳴った。
「あっ、はーい。今行きまーす。……あ……あわわわわ……ひゃあっ!!」
 ドアチャイムに気を取られ、バランスを崩し足場から転落するハーヴェ。転落した衝撃で作業台に置いてあったレシピブックのいくつかがハーヴェの頭頂部に落ちてきた。目の前に星のようなものが見えたハーヴェは頭を振り、店内で待つお客さんの元へと急いだ。
「いらっしゃいませ。お待たせしましたー」
「待ってないよ。どうしたの? すごい音が聞こえたけど」
「あ……あははは。ちょっと滑っちゃって……き……聞こえた?」
「……うん。ちょっとだけ……ね」
「あ……あははは。恥ずかしい」
 店内にいたのは顔なじみのアンナだった。アンナはエルフ族の少女で見た目は人間であるが、エルフ族の特徴は尖った耳である。あとは人間よりも時の流れが緩やかで、寿命も長い。アンナも見た目は幼く見えるが人間換算にするとハーヴェよりも年上にあたるが、アンナはかしこまったやりとりが苦手だからという理由で親友のように扱ってくれると嬉しいと初めて会ったときに言われた。ハーヴェのアロマエッセンスを気に入っており、必ず一つは買って帰る常連でもある。
「ところで……店内に漂うこの爽やかな香りは……新しいアロマの調合中だった?」
「えへへ。そうなんだ。スノウメリーを使って調合してみたんだけど。ちょっと待ってて」
 ハーヴェはアトリエからできたばかりのスノウメリーの香りをたっぷり詰め込んだ容器をアンナに見せた。黄色く輝くアロマエッセンスを見たアンナは「おお……きれいね……」と息を飲んでいた。
「香りのサンプルだけど、今ならアトリエで試せるけどうどうかな?」
「え? アトリエに入っていいの?」
「もちろん。普段はだめだけど……今は他にいないから特別ね」
「わー。ありがとう。ではでは、失礼して……」
 アトリエに入ったアンナは目を閉じ、静かに呼吸をした。まるで森林浴をするかのように深い深い呼吸だった。何度目かの深呼吸のあと、アンナはゆっくりと目を開き「ほう」と息を漏らした。
「……いいね。なんか新しいことに挑戦したくなる気持ちになれるよ」
「そういってくれると嬉しいな」
 アトリエから出たアンナの顔は、どこか希望に満ちていて目がさっきよりもしゃきっとした印象を受けた。
「そうだ。今度ね、森の案内でナイトツアーをしようか迷ってたんだけど、今なら面白そうな企画ができそうだよ!」
「え、ナイトツアー! 面白そう! アンナの案内ってすっごくわかりやすくて評判だもんね」
「いやあ、噛み砕いて案内してるだけよ」
 アンナは森の案内人として働いていて、アンナの案内なくして森を知ることはできないといわれている。安全な時間帯や危険な時間帯はもちろん、食べられる草や迷ったときの対処法などを学びながら森を見学するというのだが、これが中々に好評でこの先も予約で埋まっているとか。
忙しい仕事の合間、自分を落ち着ける目的でハーヴェの調合したアロマを楽しみ、次の案内に力を入れたり寝る前に楽しんでぐっすり眠ったりとアロマエッセンスを使い分けている。
「ねぇ、新作第一号、買ってもいい?」
「え……? いいの?」
「もっちろん! いくら??」
「えっと……いくらがちょうどいいのかな……」
「使ったのってスノウメリーと湖の水、ハレスイセンの葉だよね?」
「う……うん。スノウメリーは採取できるときできないときがあるから量産できないかも……」
「そっか……じゃあ、数量限定で五百ゴールドでどうかな」
「数量限定か……うん。それならいいかも。値段もちょうどいいかもだけど……いいの?」
「いいの。はい、五百ゴールド」
 アンナは財布から五百ゴールドをハーヴェに手渡すと、そそくさと店を後にした。アンナが店を出てしばらく、もらった金額が多いことに気が付いたハーヴェが追いかけようとしたのだが、アンナは既に森の中へと消えていた。
「もう……。今度来た時に返さないと」
 頬を膨らませながらも、アンナに新作のアロマエッセンスをほめてもらえたことが嬉しかったのか、ハーヴェの目元は緩んでいた。
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