優しい甘さのプチパンケーキ【神】

文字数 2,581文字

「そろそろ開店ね」
 そう言った豊穣伸─デメテルは白いエプロンを取り、袖を通した。きつめに結んだリボンは気を引き締めるためなのか、結び目がいつもより小さくなっていた。黄金色に輝く豊かな髪に慈愛に満ちたその表情から女神とも呼ばれ、そう呼ばれるたびにどこかくすぐったそうに頬を緩ませていた。
 ここは神の世界にあるとある喫茶店。豊穣神であるデメテルが丹精込めて育てた小麦で作ったお菓子をはじめ、最近は紅茶やコーヒーなどの栽培も手掛けその味が人気な一方、座席数があまり多くないので苦労するとまで言われている。落ち着いた店内には可愛らしい絵皿や風景画が飾られており、ちょっとした癒しの空間となっている。今日もたくさんのお客さんをもてなす気持ちでいっぱいのデメテルは「よし!」と意気込み、キッチンへと入っていった。
「いらっしゃいませ。本日は……おや」
 従業員である竜の詩人─ケツァルコアトル。真っ白なシャツに黒いギャルソンエプロンを着こなす爽やかなその風貌は、女性のみならず男性からも人気がありこの喫茶店には欠かせない存在となっていた。「ちょっとした暇つぶしに」なんて軽い気持ちで始めたのはいいのだが、抜けるに抜けられない状況となってしまったが、こうやって数多くのお客さんを笑顔にすることが楽しいと気づいてからはここでしばらくお世話になるようになった。そして今、長身のケツァルコアトルの足元には大粒の涙を流して困っている小鳥の天使─ピリカがいた。ケツァルコアトルはピリカの目線になるよう低く屈んで何があったか尋ねた。最初は驚いて言葉を発しなかったピリカだったが、次第に落ち着きを取り戻し少しずつ話すようになった。
「あ……あの。あたしの友達の……ピヨちゃんが……いなくなっちゃんです」
「ピリカちゃんと一緒にいる友達が……一体どこへ?」
「……」
 無言で首を振るピリカ。いつも一緒に来ているのは知っているケツァルコアトルは、なぜそうなってしまったのかを考えていると、キッチンから穏やかな声が店内に広がった。
「あらピリカちゃんじゃない。どうしたの?」
「で……デメテルさぁん……」
 また泣き出しそうになったピリカの代わりにケツァルコアトルが経緯をかいつまんで説明すると、デメテルは困った顔ひとつせず逆に満面の笑顔でピリカに近付いて話した。
「大丈夫よ。今日はこんなに天気がいいんだもの。気持ちよく空をお散歩してるかもしれないわよ?」
「そ……そう……かな」
 うんと大きく頷くデメテルに安心したのか、ピリカは涙を袖でごしごし拭いてからにこっと力なく笑うととてとてと歩きカウンター席に指をさした。運よくまだ誰も来ていない店内でお客はピリカだけ。普段は味わえないちょっと高い席にあがってみたいと訴えるピリカに、ケツァルコアトルはにこっと笑いピリカの両脇を抱えカウンター席につかせた。
「美味しいもの食べて元気だしてね」
 そう言ってデメテルは再びキッチンに入ると、材料を手早く用意しピリカの笑顔のため、腕を振るった。自家製のケーキ用粉に新鮮な卵とミルクを入れて混ぜ合わせ隠し味にブルピアのハチミツを一滴。よく混ぜ合わせたら程よい温度に熱したフライパンに流していく。小さなピリカでも食べやすいよう、小さな円形を何個も作りじっくりと焼いていく。
「そろそろかしらね」
 頃合いを見計らい、ひっくり返すとこんがり焼けた表面から甘くて良い香りを発していた。その香りに癒されながら、もう片面をしっかりと焼いていく。その間に付け合わせのクリームやシロップを用意してあとは運ぶだけの準備を始めた。

「ピリカちゃん。お待たせ!」
「うわぁ……すっごくいいにおい!!」
 デメテル特製プチパンケーキ。普段は大きなパンケーキを二枚用意するのだが、食べやすいようこうしてプチパンケーキとして出す場合がある。そして今回はピリカを元気にしたいという思いから、シロップにもちょっとだけ工夫した。それはさっき隠し味でいれたブルピアのハチミツだ。とても希少で有名なこのハチミツなのだが、ひょんなことから交流しそれから特別にわけてくれるようになった。これは特別なときだけと決めていて、今回はその出番がやってきたのだ。
「飲み物は何がいいかしら」
「えーっと、オレンジジュース!」
「かしこまりました♪」
 飲み物を用意し、これでピリカだけの特別なセットメニューが完成した。目を輝かせながら見ているピリカはひとつ心配事に気が付いた。そしてケツァルコアトルとデメテルを交互に見ると、デメテルは笑顔で首を横に振った。少し申し訳なさそうにしながらも、ピリカはプチパンケーキを口に運んだ。ハチミツの優しい甘さとミルクの甘さが調和し、何もかけないでも十分すぎるほどに甘くてとろけてしまいそうなプチパンケーキは、一瞬でピリカを笑顔にした。
「おいひーーー!!」
 この笑顔を見たデメテルとケツァルコアトルは顔を見合わせ、にこっと笑った。その後もプチパンケーキを食べる手は止まらず、あっという間に一皿を完食してしまった。とそこへ、店の入り口からコツコツという何かをつついている音が聞こえた。何かと思ったケツァルコアトルは扉をゆっくり開けると、ひゅんと空を切りながら何かが中へ入ってきた。入ってきたものを見たピリカは「あっ!」と大きな声を出して喜んだかと思えば、今度は大粒の涙を流して泣き出した。
「うゎあん! ピヨちゃぁあん!! うわぁあん!」
 中に入ってきたのはピリカの友達のピヨちゃんだった。ピヨちゃんもピリカと再会できて嬉しいのか、ピリカの首元で目を細めていた。再会を喜んでいると、今度は耳を塞ぎたくなるような音が聞こえ何事かと思っていると、今度は紫色の羽をした鳥が三羽入ってきた。ここ周辺では見たことのない鳥に首を傾げていると、ピヨちゃんをここまで導いてくれた鳥さんだとピリカに教えていた。
「ルンピピさん。あたしの友達をここまで案内してくれてありがとう!」
「♪♪」
 まるで歌うように鳴くと、ルンピピと呼ばれた鳥たちはさーっと出て行った。すっかり元気を取り戻したピリカはピヨちゃんに何度も謝り、お世話になったデメテルとケツァルコアトルに何度もお礼をしてお店を出て行った。元気な声がなくなった店内には、その声の代わりに二人の満足そうに笑う小さな笑い声だけが聞こえていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み