みつみつリンゴたっぷりのトルテ【神】

文字数 1,825文字

 天界。それは天使や精霊、神獣が住まう世界のこと。まばゆい光の中、時すらも時間を忘れるような空間で今日も吟遊詩人が琴を鳴らす。いつもならたくさんの人だかりができているのだが、今日に限って人がまばらだった。その様子を眺めていた天使の中でも上位に座る存在─ファヌエルが声をかけた。
「今日はあまり調子がよろしくないのですか?」
 流れるような目にシルバーブルーの腰まである髪、純白の衣に身を纏い大きな杖を持ちながら歩く姿はなんとも神々しく、誰もが足を止めその威厳ある姿に頭を垂れる。そんなファヌエルに声をかけられた吟遊詩人は慌てて首を横に振り、事情を説明した。なんでも今日は少し内容を変えて歌ってみたのだが、それがどうもあまりよろしくなかったかもしれないとのことだった。いつもなら恋愛や胸が温かくなるような歌なのに対し、今日の歌のテーマは「別れ」。それを雰囲気たっぷりに歌ってみたのだが……結果は今のような状態というわけだった。
「別れ……ですか」
「ええ。やっぱりみんなは恋愛といったものが好きなのでしょうか……」
「そういうときもあります。気を落とさないでくださいね」
 ファヌエルが吟遊詩人の肩にそっと手を置き、励ますと吟遊詩人は「はい!」と元気よく返事をし、竪琴を構えなおし気持ちを込めて歌い始めた。吟遊詩人に背を向け、歩き出すファヌエルの顔はどこか物悲し気だった。

 別れ。それは人間界で言えば「春」を思わせるものだと、どこかで聞いたことがある。出会いがあれば別れもある。逆もまた然りなのだが、わかっていても別れというのはやはり寂しいものである。
 そして今日。ファヌエルにとって大事な日でもある。
「……参りましょうか」
 いつまでこうしていても変わりはしない。今日でお別れであるのなら、胸を張って送り出すのが務めであろうと、ファヌエルはぐずぐずした気持ちを振り払い、会場の裏口の扉を開けた。

 今日。ファヌエル直属の天使たちが巣立つ日だ。天界の平和を守る者、皆を癒す者、知識を生かす者など様々な分野で活躍することを期待されている。天使たちの中には新たな生活へと踏み出すワクワク感、ウキウキ感に満たされている者、不安や恐怖で押しつぶされそうな者など、会場には期待と不安が入り混じった話し声で溢れていた。とそこへ、チリンチリンと鈴が鳴った。鈴が鳴った瞬間、天使たちは一斉に口を閉じ、真正面を見た。壇上には正装に着替えたファヌエルが立っており、今日まで苦難を乗り越えてきた天使たちの顔を見やり、薄く笑みを浮かべた。
「皆さん。巣立ちの日、おめでとうございます。今日という日を迎えられたことを、とても嬉しく思います。さて、今日で皆さんは巣立ち各部署にてその力を奮っていくことでしょう」
 ファヌエルが天使たちに優しい口調は、皆の涙腺をほろほろと崩していった。中には既に涙で前が見えなくなっている天使もいた。たまたまその天使を見つけたファヌエルは、危うくもらい泣きしそうなのをぐっと堪え、言葉を続けた。
「ですが皆さん。別れはまたどこかで出会いを生みます。なので、決して悲観せず一日一日を大事にしていってください。そして、いつでも帰ってきてくださいね。ここは、皆さんたちの家でもあるのですから」
 そう締めくくると、会場からは割れんばかりの拍手と声で溢れた。
「ファヌエル様ぁ!」
「わたしたち、頑張ります!」
「ファヌエル様と出会えてよかったです!」
 壇上から降り、控室に戻ったファヌエルは誰にも気が付かれないよう静かに涙を流した。

 青空の下、巣立つ天使たちはファヌエルから小さな花束を受け取っていた。明るく華やかな色合いの花が詰め込まれた花束は、巣立つことを祝福しているかのように咲き誇っていた。全員に花束を渡し終えると、最後にファヌエルは別の花を一人一人に手渡した。薄桃色の花弁はまるで秋に咲く真っ赤な花と形が似ていたのだが、季節が違うということで違うとわかると天使の一人がファヌエルに尋ねた。
「ファヌエル様。この花は……」
 天使の問いかけに、ファヌエルは真っすぐに天使たちを見て答えた。
「また会える日を楽しみに……この思いを花に託しました。皆さんはわたしにとって、大きな希望の光です。この別れの先に、さらなる大きな光とならんことを……!」
 ファヌエルと握手を交わし、次々に羽ばたく天使たち。最後の一人が羽ばたき見えなくなるまで見つめているファヌエルの顔は、きらきらと輝いていた。
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