清流の水まんじゅう

文字数 4,792文字

 その女帝は頬杖をついていた。もちろん、その女帝ができうる仕事や雑務は全て終わっている。敵襲もここ数日間、皆無に等しかった。言ってしまえば「暇」なのだ。ただ玉座に腰を下ろしている日々が嫌いではないのだが、こう何もすることがないとなると話は別だ。足を組み替えたり読みかけの本を読んだり、背伸びをしたりとしているものの時間が経過するのが遅く感じてしまう。時々、誰かが時計を遅らせているのではないかと思うのだがそれはあまりに無意味だった。
「……ふぅ」
 女帝が漏らした溜息。それは色々な意味を含んでいた。退屈、寂しさ、息苦しさ……。自ら望んで女帝になってみたはいいものの、さすがにこうも何もないと女帝の気持ちもどんどん下降してしまう。なにかこう刺激のあるできごとはないのだろうかと目を細めた。
「レオノーラ様。失礼します」
「入れ」
 頬杖をついていたのを部下に見られまいと、すぐさま姿勢を正す。入ってきた侍女が嬉しそうになにやら持ってきた。それも大量に。
「おい侍女……それは一体なんだ……」
「え。これはパンフレットですよ。えへへ」
「それは見てわかるのだが……その量は……」
「これはですねぇ、レオノーラ様に決めていただきたくて。あれもこれもって選んでいたらこんな量になってました。あっ!」

 ぐしゃ

 ちょっとした段差に気が付かず、そこへ足を引っかけてしまい盛大に転ぶ侍女。手から解放されたパンフレットの群れが虚しく舞う。そしてその群れは転んだ侍女に降り積もっていくのをレオノーラは静かに見ていた。
「はぁ……仕方ないな」
 パンフレットを集めようと腰を屈めたとき、一枚のパンフレットがレオノーラの目に飛び込んできた。
「なになに……山奥で涼を楽しみませんか……? 美味しいご馳走を用意してお待ちしています……かわ……どこ?」
「いったたたぁ。あ、レオノーラ様。何か気になるものがありましたか」
「おい。侍女……これ……」
「あ! それ、おすすめしたかったところなんです。なんでも都の山奥にある観光スポットらしいんですよ。ちょっと時間はかかってしまうかもしれませんが……」
「それは構わん。行き方を教えてくれるか」
「もちろんです」
 侍女はレオノーラに行き方を丁寧に説明した。それをとても真剣な表情で聞いている反面、レオノーラの心はウキウキしていてしょうがなかった。
「なるほど……これは楽しみだな」
「レオノーラ様。ちょっと早いですけど、夏季休暇をお楽しみいただければと思ってまして」
「……例年より確かに早いが……いいのか?」
「はい。ここのところ、この地域も安定していますし、大丈夫かと思います。なので、この機会に楽しんできてください」
「……そうか。では、そうさせてもらう。感謝する」
「いえいえー。お気をつけて」
 レオノーラは侍女に礼をいい、王室を後にした。自室へ向かう途中、わくわくが止まらなかったのは言うまでもない。

 翌朝。侍女の言う通りに進むレオノーラ。侍女が渡してくれたメモたくさんのおすすめのお店がびっしりと書かれていた。書き足りなかったのか、メモのぎりぎりまで書いてあるところを見ると、あいつらしいなと小さく笑った。
「間もなく、〇番線に○○行の列車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください」
 突然、スピーカーから音声が流れ驚くレオノーラに付近の人はここまで下がってねと優しく教えてくれた。驚いてメモを落とした時、それを笑う人は誰一人いなかった。
(私の国なら間違いなく笑われるのに……ここはなんだか温かいな)
 列車が到着し、扉が開くと順序よく乗っていく人についていくようにレオノーラも乗車をすると、こっちこっちとさっき教えてくれた女性が空いている座席を叩いて教えてくれた。
「あぁ……すまない。助かった」
「気にしないで。もしかして、初めてですか?」
「ああ。その……不慣れで……」
「最初は誰だってそうですよ。どこまで行くのですか?」
 レオノーラはガイドブックを開き、ここに行きたいと指をさすと女性の顔はぱっと明るくなった。
「今の時期、ここはかなりおすすめですよ! ここに行くなら、ここにも寄ってくださいね」
 女性はレオノーラが行きたいと言っていた場所から少し離れた店を指さした。なんでも、ここ付近でしか体験ができないことがあるとか。それを聞いたレオノーラは嬉しそうに頷いた。
「助かる。ぜひ寄ってみよう」
「きっと気に入ると思いますよ」
 その女性と話していると、レオノーラの心に充実感というものが芽生えていた。見ず知らずの私にここまで親切にしてくれる人がいるなんて思うと、とても嬉しかった。次第に話に花が咲き、これもあれもと話しているうちに車内に男性の声が流れ、その声を聞いた女性ははっと顔を上げた。
「あ、私ここで降りますね。楽しんでいってくださいね」
「ああ、世話になった。ありがとう」
 自動で閉まる扉越しにお互い手を振り、別れを告げる。一人になったレオノーラはあることに気が付いた。
(あの娘、私を見てもなんとも思わなかった……)
 レオノーラは普段、ドレスを身に着けているのだがさすがにここでのドレスは気が引けるので、侍女にそれなりの衣装を用意してもらった。それなりといってもそこは侍女。雰囲気も楽しんでもらいたいと気持ちが爆発してか、レオノーラには見慣れないものを用意していた。この世界では「浴衣(ゆかた)」という着物らしい。色彩豊かな花々が描かれたそれを時間かけながらなんとか着ることができたのだが、どうしても隠せないあるものが……。
(角や翼、尾を見ても何も言わなかったな……)
 着ながら驚かれるのではないかと心配をしていたのだが、どうやらこの世界の人はそこまで気にする人はいないようだった。それにほっとしたレオノーラの耳に、侍女から降りる駅の名前が入ってきた。
「おっと。ここで降りるのか。世話になった」
 運賃を支払い、運転手に挨拶を交わし外へと出る。出たとき、レオノーラは未だかつて感じたことのない自然を息吹に驚いた。
「なんと……ここはこんなに空気が澄んでいるのだな……」
 深呼吸をすると、その澄んだ空気がレオノーラの体を包み癒す。レオノーラの国では中々味わうことのできない体験に、胸がじんと熱くなる。
一呼吸ついたところで、侍女が予約をしてくれたお店へと向かう。

 地図を頼りにお店を尋ねると奥から一人の女性が小走りでやってきた。
「おこしやすー」
「ここで合っているか……」
「お名前いいですかぁ?」
「あぁ、レオノーラという」
「レオノーラ様……あぁ、ご予約されてますね。どうぞー」
 独特の言い方がまた新鮮で、レオノーラのワクワク感を増長させていく。お店の人に案内された場所にレオノーラのワクワク感は最大値に達する。
「どうぞ。今日はお客様貸し切り状態どすー」
「なんと……」
 竹でできた足場、そしてその下は山の清らかな恵みが流れている。流れに逆らって視線を動かすとすぐそこには大きな口を開けて大量の水がごうごうと音をたてながら流れているではないか。水が落ちるときの細かな水しぶき、それから流れる音両方で涼しさを感じることができることにレオノーラは静かに興奮していた。
「こちらでお待ちください。今、料理お持ちしますー」
 お店の人が奥に引っ込んでいる間、レオノーラは竹の足場ぎりぎりまで近づき清流に手を入れた。暑い季節だというのに水は正反対で刺すように冷たく、しばらく入れていると痺れてしまいそうなくらいだった。
「これは……いいな」
「お待たせしましたー。鮎の塩焼きとそうめんです」
 お店の人が持ってきてくれたのは、魚を焼いたものと涼し気な器に盛られた白い麺だった。香ばしく焼かれた魚の香りに、レオノーラの食欲が心地よく刺激される。隣にある器には丁寧に盛り付けられた白い麺、それと飾られた薬味が更に刺激を促す。
「この小さな器に、この黒い液体を注いで浸して食べてくださいね」
 説明を受けたレオノーラはその通りに白い麺を黒い液体に浸し、口に運んだ。黒い液体から香る出汁、白い麺の歯ごたえ、薬味の三拍子が揃ったときレオノーラの味覚に大きな雷が走った。
「なんと……爽やかな食べ物なんだ。それからこの魚を……」
 かりかりに焼かれた鮎を頬張る。口いっぱいに鮎の油や腸の苦味、塩加減が絶妙に混じり合い更なる衝撃を受ける。シンプルなものなのだが、そのシンプルさ故の奥深さをも味わったそんな気分だった。
「甘味もありますのでどうぞー」
「かん……み?かんみってなんだ?」
「甘味は甘いもの、スイーツですー」
「甘いものか……ふむ」
 料理の合間に運ばれてきた甘味。黒い器と小さな器、白い器と二つの器が運ばれレオノーラの前に提供される。黒い器は真っ白な塊に白くて丸い塊がぽつぽつ、四角く切られたプルプルと震えるものが入っていてレオノーラの興味を引き付ける。小さな器にはなにやた黒くとろりとした液体が入っていた。一方、白い器には緑色をした液体が入っていて、小さな泡がなんともかわいらしく見えた。
「どうぞごゆっくり」
 特にこれといった説明もなかったので、レオノーラは早速黒い器を手に取り、真っ白な塊を口に運ぶ。キンとした冷たさに濃厚なコク、さっぱりとした後味。あっという間になくなった白い塊を更に掬い、今度は白い丸みを帯びたものと一緒に頬張る。
「……っ!」
 頭がキンと痛む感覚に襲われるも、口の中でもちもちと躍動する丸い塊と真っ白な塊が混じりなんとも不思議な食感を楽しむ。ついつい頬が緩む。
 それと、小さな器に入ったとろりとした液体を全体にかけ、今度は三種類をうまくスプーンにのせて一気に頬張る。さっきとはまた違う上品な甘さに幸せの吐息が漏れる。もう少し味わおうと思ったが、隣で湯気を出して待機している白い器。緑色の液体を初めて見るレオノーラはどんな味がするのか見当もつかないまま、えいと器を傾けた。
「……ほぅ……」
 ふくよかな甘みの中に適度な渋み、こっくりとした飲み口が飲み終わった後に心地よい余韻をもたらす。レオノーラはなんともいえない幸福感に包まれ、しばらくその幸福感に身を委ねた。
 緑色の液体を飲み終えたレオノーラは、店に人を呼び疑問を投げかけた。
「これに足を浸すことは可能か?」
 店の人は柔らかな笑みでそれを許可し、レオノーラはすぐさま清流に片足を浸す。手を浸した時と同様、刺すような冷たさを感じるも構わずもう片方の足も浸した。確かに冷たいのだが、次第に慣れてくると足を静かに動かし涼の流れを足全体で味わう。
「心地よいな……ここは」
「今の時期、特に過ごしやすいですよ」
「いいな……」
 レオノーラはこのままここに住み着いてしまおうかなんて考えていた。自国とは正反対のこの国は実に過ごしやすい。私の知らないなにかがまだたくさんあるかもしれないと思うと、それを求めたくなってしまう。そしてそれを味わいたくなってしまう。しかし……。
「……それはできない……か」
 忘れていた。私は一国の長。国を治めるものだということ。自国に戻ればまたあの生活に戻ってしまう。
「でも、今は……今だけは……それを忘れさせてくれ」
 木々を揺らす風がレオノーラの頬を撫でる。今は時間の許すギリギリまで、この世界を堪能していたい。そして、また機会があればこの世界のことをもっと知りたい。その時はまた侍女に色々聞いてこの世界を存分に楽しむことにしよう。また会うまでの短い別れ。またここに着たいと思えるからきっと頑張れる。
 レオノーラは溶けかかった真っ白な塊を頬張り、静かに決意した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み