ほっくり艶やか温泉卵♪中はとろぉりカスタードクリーム

文字数 3,234文字

 その戦士は悩んでいた。毎日と言っていいほどの重労働に加え、少なすぎる賃金。それが続けば誰しもが嫌になる。それがきっかけで持ち場から逃げてきたはいいのだが……凛々しき戦士は自慢の髭を撫でながらどうしようかと考えながら歩いていた。鈍色の甲冑に身を包み、髭と同じくらいきりっとした眉、ぱっちりした瞳に楕円形のボディ。どこか卵に見えてしまう戦士を人はこう呼ぶ。卵の戦士─ハンプティと。
「しかし……どうしたものか。ただこうして歩くのも……はぁ……どこかにこう……今までの苦労を綺麗さっぱり流してくれそうな場所はないものだろうか……」
 心もとない財布の中を覗きながら深いため息を吐き、そんな都合のいい場所なんてあるはずが……なんて思っていると目の前に白い煙が立ち上る建物を見つけた。微かに香る硫黄の匂いにピンときたハンプティは目を輝かせた。
「まさか……この近くに温泉があるなんて」
 しかし、その興奮もすぐに冷めてしまう。その原因というのは、さっきハンプティが見ていた財布の中身だった。
「そんな……まさか……無料で入れる温泉だなんて……し、しかし、聞くだけならいいか」
 聞くだけと自分に言い聞かせながら、ハンプティはゆっくりと扉を開けた。

「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました」
 扉を閉めてすぐに柔らかい女性の声が聞こえ、ハンプティは驚いた。そこには和服に身を包み、顔は覆面をつけ素顔を見ることはできないが……声からしてきっと優しい女性なのだろうと感じとったハンプティも深くお辞儀をし、女性に挨拶をした。
「突然お邪魔して申し訳ございません。ここは温泉施設でありますか?」
「はい。皆様にお寛ぎいただける施設となっております。どうぞ日頃のお疲れを癒してください」
 嬉しそうにいう女性に反して、ハンプティの顔はすっきりとせずなにかもじもじとしていた。聞かなきゃわからないとハンプティは恥を承知で女性に尋ねた。
「あ……あの。恥ずかしながらわたし……無一文なのですが……」
 ハンプティの心配をよそに、その女性はお気になさらずと言い、ハンプティに案内をした。
「当館は入浴は無料でご利用いただけますわ。飲食に関しては料金を頂戴しますが……飲食をご利用なさらなければ、すべてのサービスを無料でお楽しみいただけますわ。なので、心配なさらないで、今日はゆっくりお寛ぎくださいませ」
「あ……あなたは……女神か……」
「申し遅れました。わたしはこの温泉施設の女将を務めておりますアイカと申します」
「アイカ殿……かたじけない!」
 ハンプティは嬉しさのあまり、目から大粒の涙を流した。

 アイカの案内を頼りに、男女共に楽しめる足湯へと向かった。がちゃがちゃと音を立てながら鎧を脱ぎ、ハンプティは籠の中にある浴衣に手を伸ばしたのだがふと気が付いた。
「わたしが打たせ湯をしたら浴衣がびしょびしょになってしまうな……ううむ。しかたない」
 ハンプティは大きめの手ぬぐいを片手に浴場へと入り、空を仰いだ。まさかこんな気持ちの良い空の元で温泉を楽しむことができるなんて想像できただろうか。それも持ち場を離れて……。ちょっとだけ背徳感はあるものの、今はこの解放感を楽しむためハンプティはうんと背伸びをした。縁側のような椅子に腰を下ろし、足を浸した。お湯の温かさが足から腰へ伝わり、それが手や顔、頭のてっぺんにまで伝わるとハンプティの顔は次第に緩み、はぁと溜息を漏らす。
「いやはや……疲れが引いていくようだ……温泉はやはりいいものだな……」
 すっかり緊張感が解れ、とろんとした表情になったハンプティは足を小さくばたつかせお湯がはしゃぐ音をしばらく楽しんだあと、ぼたぼたと勢いよく落ちている箇所が気になっていた。
「ほう……あれがアイカ殿の案内にあった打たせ湯というものですな……どれ」
 足湯から離れ、用意されている椅子に腰かけ勢いよく流れるお湯を文字通り、体に打たせていく。適度な衝撃が疲れた体をやさしく解してくれる感覚にハンプティは集中して打たせ湯を楽しもうと、目を閉じて黙想を始めた。



「おや……ここは。わたしは確か打たせ湯にいたはずなのだが……ううむ……思い出せない」
 ハンプティが目を覚ますと、打たせ湯ではなく露天風呂の中だった。ぼたぼたと打ち付けるお湯が心地よく、そのままにしていたのはいいのだが……なぜ自分がここにいるのかがわからなかった。唯一思い出せるのは、何か透き通った音を聞いた……ようなところまでだった。
「あの音は一体……でもまぁ、今はこの絶景を楽しもうではないか」
 ハンプティは風呂場から見える絶景にしばし、酔いしれていた。風も穏やかに吹き寒くのなく暑くもなく素敵な気候だと思っていた。と、そこへ何者かの視線を感じ、ハンプティはその視線のする方を向いた。
「っ!! ……なんだ、気のせいか。誰かに見られたような気がしたのだが……」
 視線のする方へと向くも、そこはただの切り揃えられた植木で誰もいなかった。ハンプティはきっと疲れているせいだとし、再び湯に浸かった。

 その後、やはり何度も誰かの視線を感じたハンプティはさすがに疲れではないということがはっきりわかっていた。視線を感じていても、感じていないふりを続け体をきれいに磨いたりお湯に浸かったり温泉タイムを満喫していた。そろそろ上がろうかと体を拭き、籠の中にある浴衣に袖を通した。
「あ……わたしの鎧はあっちに置きっぱなしだ。あとで取りに行かねば……」
 打たせ湯のある浴場と、ハンプティがいる浴場とは入口が異なるためハンプティは鎧を取りに行こうと暖簾をくぐり、渡り廊下に差し掛かったときだった。小さな竜が真ん中でとおせんぼをしていた。
「む。そこの竜よ。すまぬが通してくれないか」
 言われた竜はすんなり道を開けすれ違ったそのとき、ハンプティは気が付いてしまった。この視線……どこかで感じたことがあると。そして、とてつもなく

がすることに……。振り向いて確認をしたくとも、確認をしてしまってはいけない……そんな葛藤をしながら振り向いたハンプティは戦慄した。その竜の手には食塩が入った大きな容器を持っていた。
「ま……まさか……竜よ……そ……その塩は……まさか……とは思うが……」

 ちゃりちゃり ちゃりちゃり

 振られた容器から聞こえる塩の音、にやつきが止まらない竜……これはまさかでは済まないことが起きようとしていた。じりじりと距離を詰めてきていた竜が飛び立ち、ハンプティに襲い掛かろうとした。少し遅れてハンプティも身の危険を感じ、すぐに逃げ出した。背後から聞こえる塩の音にハンプティは恐怖を感じて叫んだ。
「やめないかー! わたしは食べ物ではないぞーー!!」
 そう訴えても竜は聞かず、ハンプティを追いかけ続ける。追い付けないとわかった竜は容器から塩を取り出し投げつけてきた。何かがぶつかったとハンプティはそれだけを感じながら館内を必死に逃げ惑う。やがて何かがあたらないと感じたハンプティは速度をそのままに首だけを動かし背後を確認した。すると、さっきまで追いかけまわしていた竜の姿はなく、代わりにたくさんのお客がわいわいと賑わっている光景が目に映っていた。
「あ……あの竜は……いなくなったのか……はぁ、よかった……よかったのだが……」
 安心したのもつかの間、さっぱりしたばかりだというのに今は追い掛け回されて汗まみれになってしまっていた。せっかく気持ち良い思いをしていたのがと思いながらも、ハンプティはちょっとだけウキウキしていた。
「普段、二度風呂なんて贅沢はできないからな……。今日はさせてもらおう」
 あの竜に追い掛け回されたせいではあるが、そのおかげで二度風呂という体験ができることに皮肉ではあるがなと小さく呟き、今度こそ自分の鎧を置いた脱衣所に入り無事だということを確認したハンプティはその鎧を持って露天風呂へと移り、壮大な景色を楽しんだのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み