酸味強めのレモンソーダ【神】

文字数 5,854文字

「うーん。どうしましょうか」
 長い長いスクロールを眺め唸っている大天使─ファヌエル。メタリックシルバーのさらさらヘアーに憂いを含んだ瞳、すっと通った鼻筋。物腰柔らかい口調で部下のみならず困っている天使たちに助言をしたりと面倒見の良い天使。しかし、過ちを犯したものには厳しく絶望の中にある希望をつかみ取るまで試練を課すという面も持ち合わせている。
 だがここ最近、天界は非常に穏やかで罪を犯したものが入ってくることがめっきり減り代わりに書類やファヌエルが読んでいるスクロール、事務作業が多くなり不慣れな作業に戸惑いながら過ごしている。長文を読んでいて目の前が少しぼやけたのか、ファヌエルは軽く目元を抑え小さく息を漏らした。そこへ、ファヌエル直属の部下(通称エスペランサーズ)が小休止用のお茶を運んでやってきた。
「失礼します。ファヌエル様。本日は濃いめのダージリンにマロンパイをお持ちしました」
「おや、エスペランサーズですか。いつもありがとうございます。そこへ置いておいてください」
 声が少しか細く聞こえたのか、エスペランサーズの一人が何事かと思い、ファヌエルに尋ねた。するとファヌエルは「大したことはありませんよ。ご心配をかけて逆に申し訳ございません」と丁寧に答えるも、それでも心配になったエスペランサーズの一人がふとファヌエルのデスクにあるスクロールを見てその理由をなんとなく察した。
「もしかして、慣れない事務作業でお疲れとか……ですか?」
 まさかそんなことを言われると思っていなかったファヌエルは、思わずぎくりとしたように肩を震わせた。その反応にエスペランサーズの一人が「なるほど」と納得していた。他のエスペランサーズは頭の上にいくつもの「?」を浮かべ困惑していた。
「おや……気づかれてしまいましたか。本当はこういうことをいうべきではないのですが、確かにこういった業務に慣れていないせいか、すぐに疲れてしまい中々進まないのです。まだまだ書類は残っているので、少し困っています」
 まさか大天使であろう方がそういったことで困っているということに驚いたエスペランサーズは、ファヌエルに聞こえないよう小さく円陣を組みなにやらひそひそと話し始めた。
(これ、お手伝いするチャンスですよね)
(もちろんだが、我々でお力添えできるようなものなのでしょうか)
(でもまずはやってみないとわかりません。……と、その前に)
 エスペランサーズの一人がポケットから一枚の紙きれを取り出し、それをファヌエルに手渡した。ファヌエルは弱々しい手つきでそれを受け取り書かれている内容を読み始めた。そこには「異世界グルメ堪能ツアー」と書かれていた。

 異世界?
 ぐるめ??
 堪能???
 つあー????

 聞きなれない言葉にファヌエルは首を傾げた。すると、手渡したエスペランサーズの一人が嬉しそうに笑いながら説明をした。
「ファヌエル様。ここ最近、働き詰めだと思って、企画致しました。ガイドは私にお任せください。もちろん、この書類の処理をお手伝いさせていただきます。皆さんで素敵な思い出になるよう、力を合わせましょう」
 力強い言葉に思わず胸がじゅんときたファヌエルの瞳から一筋の光が伝った。そしてすぐにきりりとした顔に戻り、ファヌエルは自分がしなければいけない書類と完了した書類、保留などに仕分け終わった書類を保管するもの、依頼主に届けるものに分類し、依頼主に届けるものはエスペランサーズに任せ、とにかくファヌエルは書類をひたすら処理をし、その書類をエスペランサーズが力を合わせてまとめあげていく。
 こうして二日間の時間を要して全ての書類の処理が終わった。デスクの上にあった書類の山はファヌエルとエスペランサーズの手によって崩され、とても清々しい光景へと導かれた。
「エスペランサーズの皆様。お手伝いいただき、本当に有難うございます。おかげで今季の処理を済ませることができました」
 すっかり片付いたデスクを見たエスペランサーズの顔もどこか晴れやかで、ファヌエルと一緒に仕事をできたのが嬉しかったのかがわからないがみんなで終わったことを喜んでいた。
「お疲れ様でございました、ファヌエル様。お茶を飲みながらで結構なのですが、この前の企画について少しお話を伺えればと思いまして」
 エスペランサーズの一人が温かい紅茶を淹れ、ファヌエルに手渡すとファヌエルは難しい顔をしながら答えた。
「実は、その『異世界』というのが未だにはっきりとわかっていないので……」
「そうですよね。では、自分で作って食べられる料理があるというのはどうでしょう」
「ほう……それは面白そうですね」
 普段は給仕が作った料理を口にしているファヌエル。今、エスペランサーズの一人が提案した自分で作って食べられるというのに興味を持ち、少し考えた後「そこへ行ってみたいですね」と返事をした。返事を聞いたエスペランサーズの一人がうんと頷くと、すぐにその料理が食べられる場所を調べ始めた。天界からその店へのアクセスや周辺の観光などもありとあらゆるものを駆使し、すべてが整い次第出発をする旨をファヌエルに伝えるとファヌエルもうんと頷いた。
「わたしも自分で情報を探してみます。当日がとても楽しみです」
 こうして打ち上げ会のような形で異世界グルメ堪能ツアーの準備が進められていった。


 数日後。異世界の服をいくつか購入したファヌエルとエスペランサーズたちは、無事に異世界へと降り立つことができた。天界ではみたことのないたくさんの人が、赤い色のランプがついているときは密集し、時間経過で青色のランプに代わると密集していた人たちはぞろぞろと動き出し一同はその流れに押されるように動いていった。
「あわわわ。ファヌエル様! 大丈夫ですか」
「わ、わたしは大丈夫です。ほかの皆さんは……」
「大丈夫です! このまま流れに身を任せていって、しばらく歩いた先が目的地です!」
 ガイド役のエスペランサーズが元気よく答えると、ファヌエルとほかのエスペランサーズは言われるがまま流れに身を任せて動いていると、ガイド役のエスペランサーズが手を高く挙げ先導を始めた。
「こちらです! ここはすぐにランプが切り替わるので素早くお願いします!」
「て……手慣れてますね。皆さん、遅れないようにしますよ」
 高く挙げられた手を目印に遅れないよう、ファヌエルとエスペランサーズがついていくとさっきまでいたたくさんの人が嘘のようにいなくなり、逆に誰もいない通りへと入っていった。薄暗く少し道幅も狭いので通るのがはばかられるが、それをも気にせずに入っていくガイド役のエスペランサーズ。一体どこへ続いているのか不安になっていると、ガイド役のエスペランサーズがすっとお店に入り何かを話しているのが見えた。しばらくして戻ってくると、にこっと笑いながら「こちらです。ファヌエル様」といい、店内へと案内した。
「ここは……おお……なんとも香ばしい香りが溢れています」
「いらっしゃい! 今日はゆっくりしていきなね」
 白い布を身に着けた女性が元気よく挨拶をした。それにファヌエルたちは小さく会釈をして席へとついた。いくつもの厚紙を束ねて作った本のようなものと、小さな器に入った液体を持ってきた女性はにこっと笑いながら口を開いた。
「ここはお好み焼きの専門店さ。焼くのに自信がなかったらいつでもお呼びなさいな」
 広げられた本には、なにやら読みなれない文字がびっしりと書かれていてファヌエルは読解しようと格闘したのだが、読めずにギブアップ。そこでエスペランサーズの一人が小さな端末を取り出しその本に書かれている文字を読み取りだした。すると、その端末にはファヌエルたちの馴染みのある文字へと変換され、書かれている内容がわかった。
「なんとも……便利なものをお持ちですね」
「たぶんこうだろうなって思っていたので持ってきました。さ、ファヌエル様は何にしますか?」
 端末を受け取り、どれにしようか悩んでいるとエスペランサーズの一人が適当に注文をお願いした。まずはどんなものかを見てからにしようと思ったファヌエルは、エスペランサーズが注文したものを待つことにした。しばらくして運ばれたのは、大きな器に並々と盛られた数々の具材だった。しかも、生の状態で出てきたことに驚いているとさっきの女性がファヌエルたちのいるテーブルをいじりだした。
「この黒いところでその器の中のものを焼いて食べるのさ。最初は、あたしがやってみせるから、よーく見てな」
 そういって女性は器の中の具材を手早くかき混ぜ、黒い板の上へと落とした。先が銀色のへらで形を整え頃合いを見計らって丸く焼かれたものは華麗に宙を舞った。その華麗な手捌きに思わず拍手をするファヌエルたちに、女性は嬉しそうに鼻を鳴らし「あともう少ししたら食べられるからね。あ、火傷しないように気をつけなね」といい席を離れた。エスペランサーズが銀色のへらで慎重に切り分けその内の一枚をファヌエルに手渡した。ファヌエルが自分で調べた情報によると、これに「そーす」という黒い液体と「まよねぇず」という調味料をかけて食べるんだそう。テーブルの隅っこにあるそれらを慣れない手つきでかけ、異世界のカトラリー「はし」というものを使い出来立て焼き立ての「おこのみやき」を口へと運んだ。
「……うん。ぶたたまですね」
 これもファヌエルが事前に調べた情報の中にあったもので、薄く切られた豚肉がはいったものをそう呼ぶのだそう。外はこんがり、中はふっくらと焼きあがった「おこのみやき」は黒い液体の「そーす」との相性もばっちりで、今まで味わったことのない香ばしさに思わずファヌエルも笑みが零れる。
「ファヌエル様。お味はいかがでしょう」
「なんとも……なんとも美味です。エスペランサーズのみなさん、こんな素敵なお店を探していただいて本当にありがとうございます。それと……」
 ファヌエルは急に席を立ち、お店の奥にいるさっきの女性に声をかけた。
「こんなに美味しい食べ物を焼いていただき、本当にありがとうございます。わたし、感激いたしました」
 すると女性は「なぁに言ってんだい。大げさだねぇ」と言いながらファヌエルを叩いた。その行為にはっとしたエスペランサーズだが、ファヌエルはこれには涼しい顔をしていた。実はこれもファヌエルが調べていたことにあったらしく、対応できたのだとか。
「まだまだたくさんメニューあるからね。食べていきなよ。お兄さん」
「はい。ぜひご賞味させていただきます」
 深々とお辞儀をし、席に戻り「めにゅー」と呼ばれる本の中からいくつか注文をした。しばらくしてさきほどと同じように、たくさんの具材がのった器がテーブルに運ばれた。そして、その中から一つを選びさっき女性がしていたように具材を混ぜ始めたファヌエル。慌ててその役目を出ようとしたエスペランサーズだが、それを頑なに拒みファヌエルはこう言った。
「いえ。これはぜひとも自分で焼いてみたいのです」
 女性のようにはうまくできていなくてもいい。「自分で焼いた」ということに意味があるんだとファヌエルは思い、具材をこぼさないように混ぜ混ぜ。ある程度混ざり終えると、狙いを定めて器の中身を黒い板の上へと落としきれいな丸になるよう、銀色のへらで調整をした。
 じゅうじゅうという甘美な音がファヌエルの耳を刺激し、具材が焼けていく匂いがファヌエルの鼻腔をくすぐりながら胃袋を刺激していく。何度かへらで焼き具合を確認し、頃合いだと感じたファヌエルは両手で銀色のへらを持ち、自分の中でタイミングをはかりはじめた。
「い、いきますよ。それっ」
 くるんと返ったお好み焼きは具材が飛び散ることなく、綺麗にひっくり返った。その瞬間、エスペランサーズたちと女性から大きな拍手を貰ったファヌエルはどこか嬉しそうだった。女性が焼き上がりを教えてくれ、それをファヌエル自らカットし、エスペランサーズと女性へと分けていく。女性は「なんであたしまで?」と口にしていたのだが、ファヌエルは穏やかな口調で「教えていただいたお礼をしたかったのです」というと、女性はなぜか顔を赤らめて店の奥へと行ってしまった。その理由がわからないファヌエルは自分で焼いたお好み焼きを口へと運んだ。
「あっつ!!」
 大天使らしからぬ発言に思わずどきりとするエスペランサーズだが、ここは異世界。ファヌエルがどういう人かなんて知ってる人はまずいないだろうと安堵しつつ、すぐさま冷たいお水をファヌエルに差し出した。
「はぁ……みなさん、気を付けてください」
「はい! ファヌエル様、いただきます!」
 こうして異世界グルメ~お好み焼き編~は大成功に終わった。

 お会計を済ませ、お店を出ようとしたとき女性がファヌエルを呼び止めた。
「ちょっとお待ち。これ、よかったら持っていきな」
 そういってファヌエルの手には女性が焼いたお好み焼きが入った袋が握られていた。まだ温かいことから、焼き立てだということがわかった。
「これは……」
「うちにきてくれたお礼だよ。あんなにお美味しそうに、楽しそうに食べる人をどのくらいぶりに見たかな。あんたを見てたらもう少し頑張ってみようかなって思ってさ」
「もう少し……とは?」
「実はね……」
 女性の口から発せられたのは、この店を畳もうかと悩んでいるということだった。客足も途絶えてしまった今、お店を続けていく自信がなくなっていたというのだ。そこへ、ファヌエルたちが来て嬉しそうに食べている姿を見て、元気を貰ったと話す女性は少し照れ臭そうだった。
「大丈夫。あたしはまだ頑張れる。あんたたちがまたここへ来てくれることを思いながら、明日もお店を出すよ。だから、またうちに来てほしい」
「もちろんです。その時はまた素敵なへら捌きを勉強させていただきますね」
「オーバーだね。さて、寒くなってきたから気を付けて帰りなさいね」
「お心遣い、感謝します。お姉さんもお元気で」
「お……お姉さんだなんてそんな」
 一瞬、ファヌエルに背を向けてもじもじする女性が向き直るとそこにはさっきまでいたファヌエルたちはおらず、代わりに純白の羽が落ちていた。それを拾い上げた女性の顔は、嬉しさとやる気で満ちた顔をしていた。そして空を仰ぎ聞こえてるかどうかわからないが、感謝の意を述べた。その日は、星々がよく輝いて見える澄んだ空気の夜空だった。
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