ストリングスモンブラン【魔】

文字数 2,992文字

 漆黒のフリルメイドドレスを身に着けた少女─アヤネは雇い主の元に出来立てのアップルパイと紅茶をワゴンに乗せ、運んでいた。甘酸っぱいりんごをたっぷりと使用し新鮮な卵をこれまたたっぷりと使用したカスタードとシナモンの相性は抜群。これはアヤネの好みなのだが、ホイップクリームを少しのせても美味しいのでそれを雇い主にも是非とも味わって欲しいという思いで別皿に添えた。紅茶はストレートでもミルクでも選べるよう、ダージリンを用意した。ティーポットの中は華やかな香りで満たされ運んでいる最中のアヤネの鼻をこちょこちょとくすぐってくる。
 雇い主の部屋の前でワゴンを止め、アヤネは扉を軽くノックした。中から低い声で「入れ」という声が聞こえ、アヤネは「失礼します」と言った後、雇い主の部屋へとワゴンを押していった。中ではつまらなさそうにデスクで本を読んでいるアヤネの雇い主がいた。常に冷ややかな視線を投げつけてくる目、そしてその目には曇ったモノクルをしている。ぴしっとした礼服を着こなしているのだが、どこか胡散臭さが拭えないのはなぜだろうか。だが、アヤネは雇われている身なのでそこまでは別に気にしていない。今は雇い主の希望であるデザートを用意し、配給して後片付けをすることだけを考えていればいい。アヤネは雇い主の前に出来立てのアップルパイと紅茶、別皿で用意したホイップクリームをデスクの上に並べた。一礼をして出れば終わり……のはずだった。だが、今回は違った。
「おい。誰がこれを持ってこいと言った」
 雇い主の冷酷な眼差しは、アヤネが別皿で用意したホイップクリームに注がれていた。美味しく食べて欲しいというアヤネの思いで添えたのだが、雇い主は「すぐに下げろ」と吐き捨てまた本へと視線を戻した。

 美味しいから一緒に食べて欲しい

 なんて言えるような雰囲気ではないと悟ったアヤネは、ぎゅっと唇を噛みしめながら別皿をワゴンに乗せ、雇い主の部屋を後にした。キッチンへ戻る道すがら、アヤネは静かに涙を零していた。
 涙で視界が霞む中、アヤネは調理で使用した器材を黙々と洗っていた。美味しいものをもっと美味しく食べて貰いたかっただけなのに……あの言い方には普段感情を壊さないアヤネでも堪えることはできなかった。すべての器材を洗い終わり、水気を切るトレーの上に置いたところでキッチンの出入り口にあるベルが鳴った。雇い主から「早く来い」と言いたげに何度も何度もベルが鳴った。急いで雇い主の部屋へ向かうと何か異常な気配にアヤネは驚いていた。おずおずと聞いてみると、顔を真っ赤にして雇い主は怒り出した。
「貴様!! さっきのはなんだ。おれはあんなものを頼んだ覚えはないぞ」
「あ、主様。あれは、その……わたしの個人的な判断でお作りしました。一緒に食べていただけたらと思いまして……その……」
「そんなものは不要だ! ったく、言う通りにもできんのか。このメイドは」
「……も……申し訳ございません」
 雇い主はふんと鼻を鳴らし、手でアヤネを部屋から追い出すとわざと大きなため息を吐いたりと、散々だった。そんな対応にアヤネは限界を感じていた。もう少し日が経ったら話してみようとアヤネは自分に言い聞かせ、片付けものが残っているキッチンへと向かった。


 数日が経ったある日。アヤネは思い切って雇い主に自分の思いを打ち明けることにした。それは、ここを出るということ。アヤネの心は既に修復は難しいところまできており、このままで心は粉々に砕け散ってしまいそうだと感じたからだ。雇い主の部屋の前で呼吸を整え、アヤネは扉をこつこつと叩いた。しばらくして「入れ」という冷たい声の後、アヤネはゆっくりちと扉を開けて中へと入った。
「何の用だ」
 冷やかな視線も合わさり、アヤネは一瞬たじろぐも意を決し口を開いた。
「あ、主様。お話はあります。わたし、今日でここを出ます」
「……あ?」
 表情には思い切り不快感というものを張り付けた雇い主に、アヤネの背筋は凍り付きそうなる。だけど、ここまで来てしまった以上は引き返す訳にはいかない。アヤネは今までの思いを雇い主に伝えた。すると、雇い主は椅子からすっと立ち上がりゆっくりとアヤネに近付いた。そして、ポケットから白い布のようなもを取り出しアヤネの顔に押し当てた。
「んんっ!!!」
「大人しくしてろ」
 アヤネは必死に抵抗してみたものの、白い布からの甘い香りがアヤネの意識を掴んで離さなかった。そしてアヤネはその甘い香りに誘われるように深い深い闇へと落ちていった。


「……がついたか」
 雇い主の声で目が覚めたアヤネは、なぜか仰向けになっていた。両手足が金属で拘束され身動きが取れないでいると雇い主は分厚い本を取り出し何かぶつぶつと言い始めた。
「あ、主様。これはいったい……」
「……静かにしろ。詠唱に支障が出る」
「え……詠唱って……」
 片手で本を閉じると、アヤネの体からは薄暗い光が現れ少しずつアヤネを包み込んでいく。じわりじわりと近付く光がなんとも不気味で、アヤネは悲鳴を上げた。
「おとなしくしろ。これからはおれに忠実な人形になるんだからな」
「人……形……?」
「そうだ。お前はおれの言うことを聞く操り人形になるのだ。おれだけの忠実な人形に……な」
「い……いや……いやあああああっ!!」
 薄暗い光がアヤネ全体を包み込むと、雇い主は声高に笑い始めた。さらに試験管に入った薬品を振りかけると更に光度は増し、思わず目を覆ってしまうほどとなった。
 光が収束し、そこにあったのはアヤネ

もの。正確にはアヤネの恰好をした人形だった。白い光沢のある肌に、関節部分には球体のようなものがありアヤネが人形であるということを実感させられる。そして、アヤネの両手には赤い糸のようなものが巻き付きその先には雇い主の手へと繋がっていた。
「これでお前はおれの言う通りに動く人形だ。さぁ、おれの言うことを聞け」
「……」
 浮かんでいる感情はただ一つしかないのだが、アヤネの心の中では「憎悪」というものが沸き上がっていた。

          

          どうして どうして どうして どうして

   許さない 許さない 許さない 許さない 許さない 許さない 許さない

 憎悪が不気味に具現化し、その負荷に耐えられなくなったのか手首に巻き付いていた糸はあっけなく切れ、アヤネは自由になった。これでアヤネを縛るものは何もない。あるものがあるとすれば、それは今アヤネの目の前にいる雇い主が憎いという感情だ。
「わたしは……あなたを許しません。この糸であなたを一生紡いであげましょう」
「ひ……ひぃいいぃ!!!」
 アヤネが静かに近付くと、雇い主は怖気づき四つん這いのままどこかへと逃げて行ってしまった。それを追いかけようと足を動かすも、人形となった今ではそれらは思い通りには動かず転んでしまった。
「不自由な体になってしまいました。けれど、わたしは許すつもりはありません。わたしは一生、ご主人様を……許しません」
 アヤネはぎこちない動きで体制を立て直すと、自分をこんな体にした

を探すべく、しばらくの間世話になった屋敷を出た。これで空腹などから解放されたのと同時に、憎しみの感情に縛られたまま過ごしていくこととなったアヤネ。その表情は雇い主と同じ、冷めきった顔をしていた。
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