ブルーベリーのチェッククッキー【魔】

文字数 3,427文字

 オセロニア音楽祭。不定期な演奏会だと思えばしっくりくるだろうか。普段は楽器に触れたことがない人でも、演奏を通じてその楽しさを味わってもらいたいという思いから設立された。なので、楽団員のほとんどは未経験者ばかりで構成されていて誰でも気兼ねなく参加することができる。もちろん、楽器の心得がある人でも参加は可能なので申請書を提出すれば参加することが可能。今日も町の一部で楽し気な演奏が聞こえている中、思わず演奏の手を止めて見てしまう人物が入団の扉を叩いた。
 彼女の名前はアヤネ。黒檀のようなショートヘアーに薄い琥珀色の瞳。ショートヘアーと同じ色のゴシックドレスの裾には、純白でたっぷりのドレープが顔をのぞかせている。頭部には真っ赤なバラの飾りがついたヘッドドレスをつけ、一見どこかのお屋敷の人なのだろうかと思うのだがアヤネの手首や足には真っ赤な糸が見えており、その糸は黄金色の手板はどういう訳か彼女の周りを不規則に浮遊していた。
「ここなら……ご主人様が見つかるかしら」
 誰にも聞こえないようアヤネが呟くと、アヤネは器用にペンを握り入団書類を記入していった。

 アヤネが楽団に入ったのは、かつて自分をこの姿に変えてしまったご主人様に対して復讐をするため。ただ闇雲に探すのがだめなら、こういう催し物に顔を出すかもしれないと思ったアヤネは誰かに入団理由を聞かれても「ご主人様を探すため」といえば、間違ってはいないのですんなり答えることができる。手続きが終わり、アヤネは楽団員に連れられ楽器保管庫へとやってきた。そこには数多くの楽器が収納されていて、アヤネにぴったりなものを探そうと楽団員が手を伸ばすと、それよりも先にアヤネの体を動かしている赤い糸が一つの楽器をくるくると巻いた。
「わたし、これがいいわ」
 選んだのはアヤネの体くらいある大きな弦楽器─チェロだった。楽団員は再度その楽器でいいか尋ねると、アヤネは迷うことなく頷いた。さっそくチェロの弾き方を楽団員が教えると、アヤネは恐る恐る弾いてみた。その音は重低音もあってか、どこか不気味な音色を放ち、楽団員の表情を一気に暗いものへと変えてしまった。
「ま、まぁ、初めてだからしょうがないよね。よし、これから練習してみよう」
 アヤネはチェロを抱きかかえるように持ち、ほかの楽団員がいるホールへと入ると軽く会釈をしてから空いている席へと腰を下ろした。それから簡単な音合わせを始め、各自自主練という流れになり、アヤネはまず音をきちんと出すことから始めてみた。
「この弦……ってやつ……要は糸よね。糸なら問題ないわ。弾く程度ならいくらでも自在にできるから」
 アヤネはさっきの楽団員に教えてもらったように、弓で弦を弾いた。音は出るのだが……何かが物足りない。ではその物足りなさとは一体なんだろうと考えても、その答えは浮かばずただ唸ることしかできなかった。
「……もう少しやってみましょう」
 アヤネは何度も弦を弾いてみるのだが、自分の思ったような音が中々出ない。今度は少し弾く時の力加減を変えてみた。しかし、この音もアヤネの思うような音ではなくどこかぼやけた印象を受けてしまうような音だった。
「だめね。弦の振動が少し強すぎた。もっと調整しないと」
 自分がしっくりくるような音を出すよう練習を重ねていくと、始めたころよりかは幾分ましな音が出るようになってきたアヤネは、今度は楽譜を読みながら演奏してみることにした。
「さっきのことを注意しながら……」
 徐々に演奏ができるようになってきたことはとてもいいことなのだが、楽団員は少し気がかりなことがあった。それは、アヤネの演奏がほんの少しだけ暗さを感じるというのだ。確かに楽譜は少し暗いものではあるが、それ以上になにか暗さが入ってきているという。アヤネが練習をすればするほど、その音色上達半面どんどん暗くなっていくという悲しい結果が出てしまっている。だが、そのことはアヤネもなんとなくわかっていて、それではダメだと思い必死に弦を弾き演奏をしている。次第にアヤネの顔は真剣になり、演奏にも熱が入るようになっていた。
「アヤネちゃん……さっきよりすっごくよくなってる!」
「あ……あら、そう。ありがとう」
 楽団員の一人がアヤネに声をかけると、アヤネは少しだけ恥ずかしそうに顔を背けた。今まで褒められたことなんて少なかったアヤネは、褒められるとどうしていいかわからず言葉が出なかった。それでも楽団員はアヤネの演奏を聴き、「ここはこうするともっと弾きやすい」とか「今の指の動きすごかった」とか「うんうん! 上達するの早い! 滑らかにもなってきたし、すごい!」と、アヤネのことをべた褒め。アヤネもアドバイスを聞きながら何度も何度も挑戦するたび、胸のどこからかじわりと感じるものがあった。
「なにかしら……これ」
 何もないのに何かあるような感覚に戸惑うアヤネ。演奏とはただ糸を振動させればいいだけだと思っていたアヤネは、何か思い違いをしていたのかもしれないと気が付いた。
「ただ糸を振動させるだけではないの……? それじゃあ、ご主人様は届かないの?」
 もやもやとした気持ちがアヤネを蝕み、アヤネは弓を落とし自問自答してしまった。近くで見ていた楽団員が何があったか尋ねてもアヤネはどこか遠い目をしたまま応答しなかった。まるで本物の人形のように。

「……あら。わたし」
「あ……気が付いた。よかったぁ……全然反応しないからびっくりしたよ……」
「……ここは?」
「医務室。アヤネちゃん、突然遠い目しちゃってさ……動かなくなっちゃったんだよ。もしかして、根詰めすぎちゃった?」
「……わからない。ねぇ、あなた。教えてほしいの」
「ん? なぁに?」
「演奏ってどうしたらうまくなれるのかしら。どうしたらご主人様に届けることができるのかしら」
「うーん……あたしは、よく『心を込めて演奏しろー』って師匠に言われたけど……それってどういうことって何度も何度も思ったよ。でね、あるとき思ったの。聞かせたい人を思い浮かべるんだって」
「聞かせたい……人を……思い浮かべる」
「そうすると、なんでか演奏がうまくいくような感じがするんだ。って、偉そうなこといってごめん。なにか参考になればと思ったのだけど……」
「……ううん。ありがとう。次、ご主人様を思い浮かべながらやってみるわ」
「もう……大丈夫なの? もう少し休んでもいいんだよ」
「ありがとう。でも、もう大丈夫」

 アヤネが演奏室に戻り、弓を取り弦を弾いた。すると、さっきまでの少し暗かった演奏がほんの少しだけ丸みを帯びたように聴きやすくなった。それを聴いたほかの楽団員も顔を見合わせ驚いていたが、アヤネはそんなことはお構いなしに演奏の練習を重ねていった。
「あ……弾く位置がほんの数ミリずれたわ。難しい……」
 ほんの数ミリずれただけで音が違ってしまう難しさに苦戦しながらも、アヤネは短時間で今度発表する曲を弾ききってしまった。隣で聴いていた楽団員が目に涙を浮かべながら拍手をすると、それに続いてほかの楽団員もアヤネに拍手を送った。
「え……どうしたの?」
「アヤネちゃん……短時間でこんなに難しい曲演奏できて……すごいよ……やっぱりすごい!」
「アヤネさん……だっけ。その……おれも同じ楽器担当なんだけど、色々教えてほしいなぁ……なんて」
「ねぇ、今度一緒にあわせてみましょ!」
 次々に楽団員に迫られ、対応に困っているアヤネ。そんなアヤネは、演奏を通じて新しい何かを発見できそうな気がしていた。最初は演奏を通じて復讐したい相手をおびき出す予定だったのだが、今は、この演奏を聴いてもらいたいという純粋な思いが生まれていた。そして、これは難しい曲だったよ。それを短時間で弾ききることができたよ。ほかにも色々伝えたいことがあって、それを全部伝えることができたら……あの人は何ていうのだろう。
「よくできたね」
「素敵な演奏だったよ」
「また演奏してほしいな」
 本当にそんなことをいうのかしらと思いながらアヤネは、一回全体練習をしてみることに。そして、弾いている最中にアヤネは胸の中にあるもやもやの正体はこういうことなんだとわかった。
「不思議ね。この演奏を聴いていると変な感情になる。これは……心……なのかしら」
 指揮者の手がピタリと止まり、周りが喜んでいる中、アヤネは生まれて初めて感じた気持ちをじっくりと噛みしめていた。
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