愛醜の落雁

文字数 5,877文字

「うふふ。ねぇ、見て。今日も月が綺麗よ」
 彼女は誰かに話しかけていた。嬉しそうに楽しそうにそして、どこか悲しそうに。白い髪は優に腰辺りまで延びていて菖蒲色の着物、曼殊沙華を思わせる髪飾り、人骨で作られたかと思われる首飾り。そして……鬼のような真っ赤な眼。彼女が話しかけていたのは、だれかの頭蓋骨だった。話しかけても返ってこないというのはわかっているだろうに、それでも彼女は頭蓋骨に優しく話しかけるのだった。
「ねぇ、覚えてる? あの日のことを……」
 さっきまで嬉しそうだった声色が一変、なにか毒々しいものへと変わっていった。

「お父様、お母様。お遣い行ってきます!」
 桜が舞う町に一人の女の子が元気よくお遣いに飛び出していった。彼女の名は籠女─かごめ。町一番の娘として名高い少女だった。絹のような肌に上物の炭のような黒い髪は性別問わず思わず振り返ってしまうほどの美しさだった。親に頼まれたものを取りに薬屋へと向かうときもすれ違う町人がその美しさに振り返っていた。そんなことが自分の背後で起こっていることなんて知らない籠女は元気に薬屋に挨拶をし、頼まれた薬を受け取り自宅へと帰っていく。
 そこへ、籠女が前から気になっていた男の子とばったり会うと、籠女は顔を真っ赤にしながら速足でその場から去ろうとする。真っ赤にしながらどこへ行くのかとその男の子に腕を捕まれ、振り払うも男の子は離そうとせずただ籠女が落ち着くのを待っていた。やがて暴れ疲れた籠女は男の子に離してとせがむと、男の子はそれには応じずぐいと腕を引っ張られて町の外にある茂みに連れていかれた。
「な……なんなのよ!」
「籠女……ぼくはきみのことが好きなんだ……前から」
「え……。わ、わたしが?」
「うん」
 籠女が前から気になっていた男の子も、前から籠女が気になっていた様子らしく声を絞り出すように思いを告げると今度は男の子が顔を真っ赤にしてそのまま固まってしまった。籠女は町一番の娘とは知っていた。けれど、自分は身分が下であるが故に中々声をかけることもできなかった。しかし、今日。たまたまとはいえ気になっていた子に自分の思いを伝えることができた男の子は顔を赤らめながらもどこか嬉しそうだった。
「……わ……わたしで……よければ……だけど」
「よかった。実は断られるんじゃないかって……ほら、ぼくときみとでは身分が違いすぎるから………」
 ほっとした男の子は弱気になっていたことを話すと、籠女はううんと首を横に振り自分の思いを口にする。
「好きな気持ちに身分は関係ないわ。ありがとう。わたしもあなたが大好き」
 籠女も自分の思いをまっすぐに伝えると、男の子の唇にそっと自分の唇を重ねた。どこか春色を思わせるなんとも甘酸っぱい味が二人を包み込んだ。

「ただいま戻りました。お父様、お母様」
「おお、帰ったか。籠女」
 帰宅の挨拶を済ませ、この薬を必要としている母親のいる部屋へと駆けていく。籠女の住んでいる家は大きく、知らない人が入れば迷路ではないかと疑うくらいの規模だった。それを迷わずに籠女は自分の目的地までをしっかりと把握をしている。滑るようにして止まり、先ず襖を少し開け中に入っていいかと尋ねてから中へと入る。そこには床に伏している母は上体を起こし、食事を摂っていた。部屋の中は出汁の優しい香りが広がっていて、思わず籠女はお腹をさすった。
「籠女。おかえりなさい。お薬、取ってきてくれたのね。ありがとう」
「はい! お母様。これで早く良くなってほしいです!」
「あらあら。今日も籠女は元気ね」
 母親に頭を撫でてもらい、嬉しそうにしている籠女。そこで籠女ははっとし、さっきあった素敵な出来事を思い出し、母親に話した。
「あ……あのねお母様。さっき、わたしが前から気になっているあの子に告白……されちゃった」
「え? そうなの? おめでとう籠女。お母さん嬉しいわ」
 母親は籠女を優しく抱きしめると、何度も何度も籠女の頭を撫でた。男の子に告白するよりもなんだか恥ずかしくなってきた籠女は母親の布団に顔をうずめた。
「もう。そんなに恥ずかしがることではないわ」
「……だってぇ……」
「いいこと籠女。恋をするということはあなたがもっと素敵な女性になるための第一歩なのよ。だから、胸を張りなさい」
 優しく語り掛ける母親の言葉を真っ赤にした耳で聞く籠女。やがて小さく頷くと母親は柔和に微笑み、炭のような髪を梳き結った。
「籠女。その人を大事にしなさい。きっと幸せになれるから……ね」
「……うん!」
 大好きな母親に言われ、一層男の子のことが好きになった籠女は大きく頷いた。きれいに結われた髪には母親のお気に入りのかんざしが刺さっていて、籠女の気持ちはなんとも言えない高揚感に包まれていた。
「それはわたしからの贈り物よ。改めて、おめでとう。素敵な報告を励みにわたしも頑張るわね」
「お母様……ありがとう!」
 籠女は母親に抱き着き、感謝の意を述べると一刻も早く母親の病気が快復するよう心の中で祈った。

 桃色の柔風はあっという間に吹き去り、季節は豊穣を告げる鳥の声へと変わっていた。たった数か月とはいえ、少しだけ大人っぽくなった籠女は今日もお遣いを頼まれ薬屋に足を運んでいた。
「こんにちはー!」
「おや、籠女ちゃん。いつものだね。……はいよ」
 薬を受け取り、嬉しそうに笑う籠女をみた旦那も思わず笑顔が移る。気を付けて帰るんだよと加え、去っていく籠女を見やる。
 今日も帰り際に男の子に会い、挨拶を交わす。男の子も少しだけ大人っぽくなり互いが惹かれあうそんな存在になっていた。今日は挨拶を交わすだけで済ませ、取り急ぎ薬を持ち帰ることにした籠女は小さく頭を下げて帰路へとつく。
「ただいま戻りました。お父様、お母様」
 いつもなら玄関にいるはずの父親なのだが、今日は姿が見えず何かあったのかと首を捻るも今はこの薬を母親に届けることが優先だとし、屋敷の中を元気に駆ける。そして母親のいる部屋の襖を開けようと手を伸ばしたとき、中から話し声が聞こえた。
「……今、何と言った」
「……ですから、あの子にも思い人ができたと申しました。これは親がとやかく言う問題ではないかと思います」
「何を言うか。うちは代々歴史を受け継ぐ名家だぞ。それをどこかの下級民に思いを寄せるとは……」
「あなた……言っていいことと悪いことがあります」
 聞こえてきたのは母親と父親の会話だった。内容は籠女と男の子についてだった。父親はとにかく厳格で周りの目を気にする。今回の件も、町一番の娘として名高いことは父親は知っているし、町のうわさなんて広まるのもそう時間がかかるわけではない。籠女にも好きな人がというところまでは認めても、その相手が自分たちよりも下級の町人となれば話は別だと父親はおかんむりなのだ。
「わしは断じて許さん。今すぐに解消するように言ってくる」
「ちょっとあなた! いくらなんでもやりすぎです!」
「うるさい! 離せ!」
 まだ容体が芳しくない母親が父親を止めに入るも、それを父親は乱暴に振り払いのける。その様子を襖の間から見ていた籠女はショックで頭が真っ白になっていた。
(わたしが……あの子を好きになったから……お母様が……わたしが悪い……)
 ぎゅっと目をつむり、必死に涙が出るのを堪えていると足音が近づいてくるのに気付いた。慌てて物置の中に隠れ、足音が遠ざかるのを静かに待った。その間も籠女は悪いのは自分だと呪文のように繰り返していた。足音が聞こえなくなっていてもなお、籠女はショックからか物置から出ることができずにうわ言を繰り返していた。
「……籠女。そこにいるのよね」
 物置の扉から聞こえた優しい声。母親のものだと判断するのに少し時間がかかったが、そうとわかると籠女はゆっくりと物置の扉を開き顔をのぞかせた。
「……はい」
 籠女が入っていることはわかっていたが、本当にここにいるということがわかった母親は籠女を抱き寄せた。そしてごめんなさいと謝った。
「わたしがもっと強い力であの人を止めることができたなら……あなたにこんなに悲しい思いをさせないで済んだのに……ごめんなさい」
 謝る母に首を横に振って否定し、代わりに籠女は涙ながらに訴えた。
「悪いのは……わたし……だから、お母様は何も悪くない……わたしが……わたし……」
 そこへ母親が籠女の両頬をぱちんと叩き、しっかりなさいと語気を強めた。
「籠女は何も悪くないでしょ! あなたが好きになった人を何人たりとも蔑んでいけません」
 じんわりと伝わる母親の手の温もりに段々と正気を取り戻してきた籠女は、うんと頷き男の子の様子を見てくると言って駆けた。きっと思いを伝えればわかってくれると小さな希望を抱きながら。

「おいここか! うちの娘をたぶらかした小僧がいるのは」
「何事ですか」
 代々刀鍛冶をしているその男の子の家にずかずかと上がり込み、怒鳴り散らす父親は最早町一番とは思えない醜い姿を晒していた。つばを吐き散らしながら歩き、食って掛かる店主に下品な言葉を浴びせ、しまいにはうちの娘に手を出すなと要点が定まらない一方的な展開になっていった。
「……ぼくに何か用ですか」
 暖簾の奥から顔を出したのは、籠女の思い人と言われる男の子の鹿目─かなめである。刀鍛冶の修行中だったのか顔は煤で汚れ、服も焼け跡などが目立ちお世辞にも身なりが整っているとは言えない代わりに、努力を積み重ねているというのが見て取れるのが普通なのだが籠女の父親は既に目が濁っているのかそのことを重点的に攻め立てていた。
「お前なんだ! そのみすぼらしい恰好は! お前の汚れがうちの娘に移ったらどうしてくれる」
「え……えっと……どういう……」
「それになんだ口の利き方は。親の顔が見てみたい」
「なっ……!!」
 自分のことを棚に上げた発言も甚だしい、刀鍛冶の店主であり鹿目の父親は顔を真っ赤にし怒りをぶつける。名家がそんな口の利き方ではこの先は真っ暗でしょうというと、更にも増して籠女の父親は顔を赤らめて店主を馬鹿にする。言われたら言い返すという醜い口撃に戸惑う鹿目は一旦作業を中止し、どういうことかを聞こうと籠女の父親に質問をした。すると、お前は自分のしたことがわかっていないと言い、店の中にあった適当な刀を手に取ると鹿目に向かって振り下ろす。
「えっ……」
 何が起きたかわからない鹿目は時間差で自分の身に起きたことを理解した。だが、理解をしたときはもうすでに籠女に会うことができない体になっていた。
「……か……鹿目ぇえ!!!」
 横一閃。迷いのない一太刀は鹿目の頭部と体を分断し、その場に血飛沫をまき散らした。ごとりという音とともに鹿目の頭部が床に落ち、遅れて体もばたりと倒れる。鹿目だった体にしがみつき旦那は泣き崩れている姿を見た籠女の父親はふんと鼻を鳴らし、まるで嫌なものを見るかのような眼差しを向けていた。
「うちの娘に手を出したからだ」
 血の付いた刀をそのままにして店を出ようとしたとき、何かにぶつかった父親はなんだと声を荒げた。しかし、その数秒後ぶかってきたのは自分の娘だということに気が付くと急に態度を変えた。
「お……籠女か。そんなに急いでどうしたんだ」
「か……鹿目は……鹿目はどこ? 鹿目!」
 乱れた呼吸のまま思い人の名前を呼ぶも、いつもとなにか違う様子を感じ取った籠女はふと父親が持っているものに目をやる。まだ乾いていない赤い液体が付いた刀、そして思い人の返事がない……そして、鹿目のお父さんが何かを抱きながら泣いている……まさかと思い、それを確認しようと動くと、それを見せまいと父親が行く手を阻む。
「お父様。どいてください」
「いいや。どかん。お前は何も気にすることはない。さぁ、うちへ帰ろう」
「嫌です。鹿目を確認するまでは帰りません」
 強引に突っ切った先には、見覚えのある頭部が虚ろな眼差しをしたまま床に転がっていた。そして、そのそばには鹿目の首のない体があり今も切り口からは赤い液体がびゅうびゅうと溢れていた。
「か……かな……め……?」
「おい籠女! さっさと帰るぞ」
「ねぇ鹿目! 鹿目! 鹿目ぇえええっ! 嘘だと言ってよ……鹿目……」
「お前のおやじが殺したんだ。鹿目を……あああぁぁぁっ」
「お父様が……殺した?」
 言い逃れができない状況が揃っている中、父親は弁明をするどころかこれはお前のためだと言い、正当性を主張した。わしは悪くないと父親が言った途端、籠女の中で何かが切れた音が聞こえ、次第に黒い渦が籠女を包み込んだ。それは憎しみからくるものなのかはたまた別なものなのかは定かではない。ただ、はっきりと言えるのは、籠女は何者かに憑りつかれてしまったということだ。
「あぁ……あぁ……鹿目……鹿目……怖ったよね。でも、もう大丈夫だよ。ずっと一緒だから……行きましょう」
 籠女は鹿目の頭部に優しく口づけをすると、さっきまで虚ろな視線を投げかけていた顔はなくなり頭蓋骨だけが残った。そしてそれを慈しむように撫でながらくるりと振り返る。振り返った籠女の顔を見た父親は驚き、思わず言葉を無くす。なぜなら、美しかった顔が今は醜く歪み流れる赤い液体のような眼、額には鋭い角を生やしていたからだ。けたけたと笑いながら籠女はかつての父親に近付き何かを囁いた。すると、耳障りな悲鳴とともに生気を吸われていき最後に残ったのは干からびた体だけだった。
「鹿目……もう心配することはないよ。もう……大丈夫……」
 聞こえるか聞こえないかの瀬戸際、籠女は音もたてずにその場から立ち去った。残った鹿目の父親はただただ途方に暮れていた。

 籠女は鹿目が思いを伝えてくれたあの場所にいた。薬屋と自宅の間の小道。そこには父親が握っていた刀についていたものと同じ色の花が咲いていた。しゃがみその花を摘み取り、髪に刺す。大好きだった母親のかんざしに重ねるようにつけた真っ赤な花。
「もうこれでこの世には思い残すことはないわ……」
 籠女は式札を取り出し、空へと投げた。ばらばらと散らばりやがて規則正しく整列。それが籠女を核とした結界となり一切の干渉を受け付けなくさせる。これで誰にも邪魔をされずに思い人と一緒にいられると思うと籠女は心の底から湧き上がる歓喜に胸を躍らせていた。
「さぁ、行きましょう。これからはずっとずっと一緒……さみしくないわ」
 豊穣の風が手折った真っ赤な花の茎を撫でていく。その花の名は曼殊沙華─花言葉は「哀しい思い出」
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