濃厚抹茶の巾着饅頭【魔】

文字数 3,156文字

 地獄。この言葉を聞いただけでも、その場所はこの世のものならざる場所だとなんとなくわかってしまうそんな不思議な響きを持っている。その言葉通り、地獄というのは死した罪人が行き着く終わりのない責め苦を受ける場所である。放火をしたものであれば魂を何度も燃やされたり、贅を極めたものであれば目の前に食べ物があるのに食べることができず飢餓を受け続けるものなど、様々である。
 そんな地獄で死したものの魂を裁いている人物がいる。ピンク色のロングヘアーに蔑むような冷たい眼差し、ぱりっと仕上がった白のブラウスに黒のビジネスパンツ、やや高めのヒールを履き今日も書類と魂たちとのにらみ合いをしている女性─閻魔大王。一つの魂を裁いては書類になにやら書き込み、助手である眼鏡をかけた男性─小野篁(おののたかむら)に手渡すという流れを淀みなく行っている。
「……次」
 短くそう言い、次の魂を呼び出した。魂は目の前にいる閻魔大王に恐怖しているのか、小刻みに震えながら荒く呼吸をしていた。自分はどういった裁きを受けるのだろうと不安に押しつぶされそうになっている魂を見て、閻魔大王は短く言った。
「……パス」
「へ?」
「パスと言ったんだ。お前は裁くに値しないということだ。とっとと転生の準備でもしてろ」
「あ……ありがとうございます!」
 たまに濡れ衣を着せられて死した魂も混じっているためか、こうして転生を許される場合もある。それらを見極めながら裁いていくのは決して楽ではない。魂の情報が書き込まれた書類にサインをし、篁に手渡し次の魂を裁こうと書類を出したとき、微かな違和感を感じた。
「……なんだ」
「閻魔様。何やら気配を感じました」
「ああ。だが気配は遠い。今は大丈夫かもしれんが……用心しておいてくれ」
「かしこまりました」
 気にするなというわけではないが、気にしておいた方がいいだろうという程度の気配に閻魔大王は篁に注意を促した。まぁそんなすぐに来るとは思えないがと考えながら、閻魔大王は小さく咳払いをし、魂を裁く準備を始めた。

 気配を察知してからどれだけの時間が過ぎたかはわからない。だが、今はそんなことを気にしている暇はなかった。それほどまでに魂を裁くのに時間を要しているからだ。一つの魂を裁くのにそんな時間はかからないのだが、まれに駄々をこねたり逆切れをしてきたりと厄介な魂も存在する。その度に手を止めて魂の相手をしなくてはならないし、なにより滞ってしまう。そんなことを知ってか知らずか血の気盛んな魂は閻魔大王が下した裁きを不服とし、声を張り上げている。仕方ないとばかりに溜息を吐きながら、閻魔大王はペンを置き軽く頬杖をつきながらその魂の訴えを静かに耳を傾けていた。その魂が訴えるのは、自分は悪くないだの相手が全部悪いだのと発していた。その訴えは何度も何度も繰り返し訴えられ、後ろに並んでいる魂からも「早くしろオーラ」が見て取れた。うち一つの魂は目で閻魔大王に訴えると、閻魔大王は「わかっている」とばかりに口の端を小さく動かし返事をした。
 かくしてひとつの魂の訴えは満足したのか、ようやく静かになった。それに対し閻魔大王は静かに魂の罪を映し出すと言われる鏡を取り出し、覗いた。そして小さく「ほう」と発すると、訴えた魂を一瞥しながら口を開いた。
「このわたしを欺けると思ったのか。愚か者め」
「な……なんだよ。おれがそう言ってるんだから嘘なんてねぇよ」
「そうか。では最後にこの閻魔大王の慈悲として訊ねよう。その話に嘘はないな」
「ああ。ねぇよ」
 力強く頷いた魂は真っすぐに閻魔大王を見ていると、閻魔大王の笑みが徐々に険しくなりやがて嫌悪感を露わにし始めた。
「最後のチャンスを無駄にしたな。この鏡にはお前のすべてが映し出される。お前の訴えはすべて嘘だということもな。よって、大叫喚地獄行きだ。二度と嘘が吐けないようにしてもよいのだぞ?」
 薄ら笑いを浮かべながら魂を見やる閻魔大王は、お世辞にも笑っているとはいえない。むしろ、怒りが見えてしまうほどに恐ろしかった。これほどまでに時間をとったことに腹を立てながら閻魔大王は控えていた獄卒たちに魂を大叫喚地獄へ連れていくよう命令すると、魂は必死に泣いて許しを乞うていた。
「……見苦しい。はぁ、時間をとられてしまったな。わたしも忙しいというのに」
「閻魔様。少し休憩を入れますか?」
「いや。いい。このまま続けよう」
「あまり無理をなさらぬよう……」
「それはお前もだ。篁。今日に限って忙しいだなんて予想はしなかった。付き合わせてしまって申し訳ない。その分、給料は弾んでおくから」
「……そんな滅相もない」
「いいんだ。わたしの気持ちだ。さ、再開するとしよう」
 気持ちを入れ替え、裁きの続きをしようとするとさっき感じた気配とは別の気配を察知し、閻魔大王は眉を潜めた。その気配はゆっくりではあるがこちらへと向かってきており、顔を上げるころには目の前に立っていた。その人物は年老いた男性だった。目つきはきりりとしており、何も言わなくても溢れ出ている覇気は衰えていなかった。片腕がないその男性はしっかりとした足取りで閻魔大王に近付き、出口はどこか尋ねた。すると閻魔大王は鏡を操作し宮殿の裏に小さな渦を生じさせた。その渦に飛び込めば元の世界へ帰ることができるとだけ伝えると、男性は恭しく頭を下げて宮殿裏へと向かっていった。
 今度こそ裁きの続きをしようと書類を整えていると、少し前に感じていた気配がすぐそこまできているのに気が付いた閻魔大王は、大き目な溜息を吐き頭を抱えた。
「……すっかり忘れていた」
 これでまた仕事が滞ってしまうのかと思うと気が重いが、これをこなさくては仕事に支障が出ると思い閻魔大王はその気配がやってくるのを待った。魂には一言断り、少し待ってもらうよう伝えると魂は快諾してくれた。その気配は魂たちをかき分けてやってきた生のある人間だった。それもまだ若くまだ死するには早すぎるくらいに。
「誰だ貴様は」
「お前が閻魔大王か」
「なっ!貴様。 軽々しく名前を呼ぶな!」
 深紅の髪色をし、純粋な瞳を持つ少年は閻魔大王に尋ねた。それも直球的に。その言葉に驚いた篁は普段声を荒げたりしないのだが、この時ばかりは瞬間的に怒りが沸点へと到達してしまい声を荒げた。それを閻魔大王は片手で制し少年の問いに答えた。
「如何にも。わたしが閻魔大王だ。貴様、生きてる人間だな。何用でここへ来たか話してみよ」
「閻魔様っ!」
「篁。少し休憩でもしていろ」
「……わかりました」
 閻魔大王は篁を別室へ行くよう促し、閻魔大王は少年にここへ来た理由を尋ねた。少年はひとつひとつことのあらましを話すと、閻魔大王は言葉を聞き逃さないよう真剣に耳を傾けた。
「なるほど。大方の事情は把握した。だが、ここは貴様のいる場所ではない。とっとと失せよ」
「そうしたいのは山々なんだが、出口がどこだかわからないんだ」
「出口ならあるぞ。この宮殿の裏に魔力の渦がある。そこへ飛び込めば現世へと帰ることができるだろう。だがな、その渦はいつも出ているわけではない。お前以外に生者がいてな。そいつを返そうとして開けたのが数分前。そしてその渦は徐々に小さくなりつつある。次はいつ開くか全く予想がつかないのだ。だから、急いだほうがいい」
「わかった。助かる」
「……二度と来るんじゃない」
 少年は閻魔大王に背を向け、宮殿の裏へと向かった。それを見送ると閻魔大王は「やれやれ」といいながら書類を取り出し、待っていた魂に一言謝ってから裁きを再開させた。
「さて、お前の罪を見てやろう」
 閻魔大王は鏡を取り出し、魂の罪を覗き始めた。その顔は先ほどまでの優しさは微塵も感じず、裁くものとしての威厳に溢れていた。
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