ファジーネーブルとパイナップルのジューシーソルベ

文字数 10,062文字

「どういう風の吹き回しだい? 君が人をもてなすのは大好きなのは知っているが……」
「そうですね……端的に言えば遊んで欲しいという気持ちでしょうか……それと、とある客人を思い出しまして……ね」
「むっふっふっ。君のお気に入りの客人の話はいつ聞いても胸が躍るね。そういうことか」
 悪魔と吸血鬼がキッチンで何気ない会話をしている。悪魔が生地を作り、吸血鬼がそれに塗るクリームを作っている。悪魔─ラデルは一人で紅茶を楽しんでいるととある客人のことを思い出した。勇敢できらきらとしたバイタリティに溢れている少女のことを……。カップをソーサーに置いた時、ここ最近、この屋敷に誰も訪れていないということに気が付いた。それもそのはず。ここは闇の狭間にあるのだから。ここに足を踏み入れることが可能だとすればラデルの魔力を使って呼び寄せるか、あるいは客人自らが持つ魔力でここに迷い込むか……。しかし、ラデル一人のためだけに魔力をっ使って呼び寄せるというのは失礼にあたるのではないか……そこで、ラデルは永年の友人である吸血鬼─ガエタノに相談をもちかけた。
「なるほど……そういうことなら我輩も力を貸そう」
「ありがとうございます。いつもお力添えに感謝します」
「気にすることはない。君との時間はいつも楽しいからな」
 ラデルは争いを好まないのは事実。内に眠る魔力は争うためのものではなく、ここに訪れたあるいは迷い込んでしまった人に少しでも寛いでもらいという気持ちという名の魔力。しかしながら、彼が悪魔であることには変わりない。その見た目から何度も恐れられてしまい、落ち着きを取り戻して欲しいという願いから客人のいる部屋まで紅茶を持っていった時も、窓からいなくなっていたりということもしばしば。偏見を完全になくすことはできなくても、少しずつ減らすよう努めればいいのではないか……ラデルのもてなしたいという心はこれが原動力である。
「それでは、私のわがままに付き合っていただける方にこれをお送りすることにします」
「……それは思いつかなかった。さすがはラデル君だ」
 ラデルが用意したものにガエタノは思わずにっこりと微笑んだ。

「こんな胡散臭いところに呼び出すだなんて……お肌の調子が狂ったら承知しませんわよ」
「……俺はこんなところで足踏みしてる場合じゃねぇのに……」
「……私も早く診察の続きをしなくてはいけないのだけど……ここはどこなのかしら……」
 三人に共通していえるのは「封筒が届き、手紙を声に出して読んだらここだった」ということだった。それぞれ見ない顔に警戒しつつ辺りを伺う。とてもつもない赤髪縦ロールのお嬢様─ヴィクトリア、正統派王子様系男子─ローラン、ツンデレ系ドクター─サルース。まるで繋がりを感じない三人が今立っているのは暗闇の中に佇む屋敷の入り口だった。少し肌寒く、体を強張らせるサルースは未だに動きのない門扉に苛立ちを覚えた。
「今日は患者で溢れているの。早く看ないと彼らの生活に支障が出るわ」
 少しきつめな印象を受けがちなのだが、サルースは誰よりも患者思いの医者で有名だった。たとえそれが獣や人外、竜であってもみな平等に診察を行う。そんな彼女が時折見せるさり気ない微笑みは種族や性別関係なく癒されるだとか。
「私も今日は舞踏会の予定が入ってましてよ。早く戻らないとじいやが煩いったら……」
 自慢の縦ロールをいじりながらぼやくヴィクトリアに、そんなことはどうでもいいとばかりに咳払いをするローランは鞘から剣を抜き、じっと見つめる。
「グローリアス……お前は俺に何を求めてるんだ……答えてくれ」
 剣に宿る精霊─グローリアス。亡き父の意志を剣という形で引継ぎ、未だ本来の力を発揮できていない自分に苛立ちながらも父が伝えたかった何かを追い求め旅を続けている。そんな三人がぐちぐちと口を開いていると、いつの間にか門扉がキイと小さな音をたてて開いた。
「あら。開きましたね。私、こんなところに連れてきた本人に文句言ってきますわ」
 ずかずかと庭を抜け、玄関のノックチャイムをがんがんと鳴らすヴィクトリアに若干引き気味のサルースだが、ここは中に入るしか選択肢がない以上はそれに続くしかなかった。
「ちょっと! 誰かいまして? ちょっと!!」
 乱暴さが加速し、ドアチャイムが壊れてしまうのではないかと心配をしたのだがその寸前で玄関からカチリと音が聞こえた。そしてゆっくりと扉が開くと、そこには悪魔─ラデルがお辞儀をしていた。
「き……きゃああ!! あ、あく……悪魔ですわ!!」
 真っ青になったヴィクトリアが悲鳴を上げると、すぐさまローランが剣を抜き、悪魔目掛けて走る。
「なんだと! どいてろ! 成敗してやるっ!」
「ちょっと待ちなさい! まずは話をしてからでも遅くはないんじゃないかしら」
 それをサルースは右手で制し非常に落ち着いた様子でコツコツとヒールを鳴らしながら悪魔に近付き、まずは自己紹介を始めた。
「すみません。いきなり物騒なことをしてしまって……私はサルースといい、彼女はヴィクトリア、彼はローランといいます。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「こちらこそ、驚かせてしまい申し訳ございません。私はこの屋敷の主、そして、あなた方を招待したラデルと申します。本日はお集り頂き、ありがとうございます」

 招待したという言葉にひっかかった三人は一緒に首を傾げ、どういうことかとサルースは尋ねる。すると、手紙を読みましたかと問われると三人は同時に頷く。ラデルが言うには、その言葉一つ一つに魔力を込め、文面を読み終えると魔法が発動するように仕掛けたのだという。
「な……なんで私たちなのですか? それも共通するものなんかないというのに……」
「全くだ。俺は早くグローリアスの力を解放しないといけないってのに……」
「私も患者を待たせているの。なんとかならないかしら……」
 するとラデルはくすりと笑い、今、皆さまがいる世界の時間は止まっているのでご安心をと言われ更に困惑する三人を後目に、ラデルは屋敷を案内しますのでどうぞと促す。
(ど……どういうことかしら……それ……し、信じていいのかしら。じいやに怒られたら……)
(でもここにずっといるわけにもいかないだろ……今は従うしかなさそうだ)
(最初は驚いたけど、落ち着いている人だから大丈夫……だと思うわ……)
(相手は悪魔ですのよ? もしかして騙して私たちを食べようと……)
(それは考えすぎだ。とにかく、中に入ってから考えても遅くないだろう)
 ひそひそ話が終わり、ローランを先頭に中へと入る。ヴィクトリアはサルースの白衣の袖をぎゅっと握り、泣きついていた。
「ちょっと。動きにくいわ。しっかり歩いてくれるかしら」
「だって……こ、こわいんですもの……」
 すっかり怯えてしまい動くことができなくなったヴィクトリアをローランが担ぎ、中へと入る。全員が入ったことを確認すると、ラデルは玄関の扉を静かに締めた。

屋敷に入った三人は月がもたらす明かりのみで辺りを見回す。入ってすぐにある大きな額縁の絵画、そしてその両脇に二階へと続く階段があり屋敷のが更に大きいということがわかる。暗がりの中ゆっくりと進む三人はメインホールへと案内され、ここでしばらく待っているように言われた。
「中……広いのね……迷子になりそう」
「でけぇ屋敷だな……あれ、ヴィクトリアは?」
「……あそこ」
 サルースが指さした方向を見ると、大きなソファの影で涙を浮かべながらこちらをじっと見ていた。
「……ヴィクトリア。いい加減にこっちこい」
「だってぇ……ぐすっ」
「はぁ……ねぇ、ラデル。明かりをつけてもらえるかしら。彼女、怯えちゃって……」
 ワゴンを押しながらやってきたラデルは落ち着いた返事を返し指を鳴らすと、屋敷中の明かりが全て点き、中の様子が目を凝らさなくても見えるようになった。
「お待たせいたしました。お茶の準備が整いましたので、ご用意させていただきます」
 恭しくお辞儀をし、一人ずつ紅茶を淹れていく。適当なソファに腰を掛けサルース、ローラン、最後にヴィクトリアが紅茶を受け取りまずは香りを楽しむ。
「……はぁ。素敵な香りね」
「まずはダージリンをご用意致しました。お好みでミルクもご用意しておりますのでお申し付けください」
「俺はこのままでいい」
「わ……たくし……は……その……み、ミルクを……」
 まだびくびくしているヴィクトリアがミルクを指さすと、すかさずサルースがミルクピッチャーを取り、手渡す。
「はい。ヴィクトリア」
「あ……ありがとう」
 まだラデルに慣れていないのか、ラデルの顔を見ると怯えてしまうようでしばらくはサルースがラデルに代わりお世話をすることになった。ミルクを注ぎ終え、香り高い紅茶を口に含むと、ほんのわずかだがヴィクトリアの顔が明るくなった。
「……おいしい……」
 確かにそういったのを聞いたラデルは、小さくお辞儀をして今度は焼き立てのクッキーを出した。歯ざわりがよく何枚でも食べられるくらい飽きの来ない工夫に三人の顔は一気に明るくなった。特にヴィクトリアは子供のように無邪気になり、両手にクッキーを持ち美味しそうに頬張っていた。
「美味しいですわ。それにこの紅茶ともぴったり!」
「もうヴィクトリアったら。少し落ち着きなさい」
 はしゃぐヴィクトリアをなだめるサルースの横で、無心でクッキーを食べているローラン。そして、最後の一枚になったとき、三人の手が重なり気まずい雰囲気になる。
「あっ」
「あら」
「あ……」
 異口同音を発した三人だったが、ラデルは既に次のお菓子を用意していた。
「安心してください。次のをご用意しております」
 大きなバスケットの中に入っていたのは一口サイズに切られたパンをかりっと揚げ、砂糖やチョコレートでコーティングしたお菓子─ラスクだった。できたてなのか、ほのかに熱を感じるがそれもお構いなしにヴィクトリアの手がラスクに伸びる。
「いただきましてよ!」
「ちょっと! 行儀悪いわよ!」
「細かいことは気にしませんわ! おっほっほっほっほ」
 随分と調子を取り戻してきたヴィクトリアに少しほっとしながら、サルースはラスクを一枚取り、口に運ぶ。ぱりっとした音と共にやってくる甘い誘惑が口の中で解けていくのがなんとも楽しいお菓子だった。一口サイズともありあっという間に食べられるのも嬉しかった。味も複数あるため色々な味を楽しめる工夫にサルースは驚いていた。
「あなた、とてもいい腕をしているのね。どこかで勉強をしたのかしら?」
「いいえ。私は自己流でやっております。皆さまの喜ぶお顔が見れるよう作っているだけです」
 少し嬉しそうに話すラデルに、サルースはわかるようなわかならいような曖昧な返事をした。それを口の周りをチョコレートだらけのローランがそれは失礼だろと言う。
「あら、口の周りをそんな風にしているローランには言われたくないわね」
「なにっ!」
 すぐにラデルが清潔なナプキンを差し出すと、ローランは乱暴に口の周りを拭う。するとべったりとくっついていたのか、ナプキンにはチョコレートがたっぷりと付いていた。
「ほらね」
「くそっ……」
「おーっほっほっほ。ローランったら甘いですわぁ!」
 くすくすと笑うサルースにけらけらと笑うヴィクトリア。そして、悔しがるローラン。楽しそうにしている様子をなんとも嬉しそうな顔で見ているラデルの胸はじんと温かいなにかに包まれていた。
「お楽しみのところ失礼します。次は食堂にておもてなしをさせていただきます。どうぞこちらへ」
 姿勢正しく歩くラデルに続く三人は廊下に飾られている様々な絵画に声を漏らしていた。美しいものから唸ってしまうものまでとあるが、どれも興味深いものとなっていた。三人が何度目かの息を漏らし終えたとき、ラデルの歩みが止まりこちらですと食堂の扉をゆっくりと開けた。まずは暖炉の明かりが出迎えてくれた後、細長いテーブルの上にはろうそくが立てられ、さながらディナーを楽しむような設えだった。ろうそくの明かりにの下には綺麗なディッシュとぴかぴかに磨かれたシルバーだった。
「お好きな席へどうぞ。その間に料理をお持ちします」
 食堂を出るときにもお辞儀を忘れないラデルは、執事の鑑だなとローランは心の中で思った。適当に座りラデルを待っている間、ローランはヴィクトリアに声をかけた。
「もう……大丈夫なのか……?」
「なにがですの?」
予想もしてない答えに少し肩透かしをくらったが、ローランは続けた。
「あ……その、ラデルにだ」
「ええ。もう大丈夫ですわ。あの方、とっても素敵な方ですわね!」
「あんなにびくびくしてたのに……ねぇ」
「そっ!! それは……」
 否定をするかと思ったのが、そこでヴィクトリアは何か思い当たったのか急にしゅんとなった。
「……私、よく周りから世間知らずだなって言われてまして。その意味がよくわからないまま生きてきましたわ。なに不自由のない生活が当たり前だと思っていた私でしたけれど……さっき、そんな自分が恥ずかしいって思いましてよ……ほんとに……」
「ヴィクトリア……?」
「扉が開いた先に誰かがいるなんて思いもしませんでして……そしてそれが……ラデルだったなんて……それも私……大きな声で言ってしまいまして……悪魔だって……」
「……」
 感情が高ぶったヴィクトリアの気持ちは加速し、加速すればするほどヴィクトリアの目から涙が溢れていく。それを止めようと拭うも間に合わずディッシュの上にぽたりぽたりと伝う。
「ああ、こういうことなんだっていうのが……わかりました。私ったら……なんて……」
「ちょ、ちょっとヴィクトリア。どうしたの。落ち着いてちょうだい」
 サルースがヴィクトリアの背中をさすり、落ち着かせようとなだめるもヴィクトリアの涙は止まらなかった。とそこへ、料理をのせたワゴンをおしてやってきたラデルはどうかしましたかとローランに尋ねた。
「べ……別に……」
「ちょっとローラン。ラデル……その……実はね」
 ローランに代わってサルースが説明をすると、ラデルは懐かしむように唸った。
「なるほど……それはそれは」
 ラデルはヴィクトリアの席に歩み寄り、跪いてハンカチを差し出した。涙でぐしゃぐしゃになったヴィクトリアは一瞬驚いたがハンカチを受け取り涙を拭った。
「ヴィクトリア様。まず私はあなた様に謝らなければなりません」
 ラデルの口から発せられた言葉にサルースとローランは驚いた。なぜラデルが謝らなくてはならないのか……その答えはすぐにわかった。
「私は皆さまをお迎えしたい気持ちで一杯でした。それを抑えられず、あのような形で挨拶をしてしまい、結果ヴィクトリア様を驚かせてしまいました……まことに申し訳ございません。せっかくのお客人なのに……このような失態……二度とないよう努めますので……お顔をあげていだけますか?」
 ラデルの言葉になにか温かいものを感じたヴィクトリアは顔をあげ、ぴたりと泣き止んでから小さく頷いた。
「私こそ……その……外見だけで怖がってしまって……その……ごめんなさい……」
 ヴィクトリアの言葉にラデルは首を横に振り、気にしないでくださいと言い小さくお辞儀をした後、料理を配膳し始めた。
「もう……大丈夫ですの。ご心配かけましたわ」
「それなら……いいけど」
「どうしたんだ……急に……」
 今までにない状態に驚く二人だが、それでもお構いなしに次々と料理を並べていくラデル。
「お待たせいたしました。お食事の用意が整いました」
 ラデルが会釈をし終え、テーブルを見た三人は驚いた。所狭しとできたての料理が並んでいたのだ。本来は各々がマナーを守って食事をするのだが、今回はそうではないらしい。というのも、本来、前菜が並ぶはずなのだがその前菜がなくいきなりメイン並みのボリュームがある料理がいくつもあったのだ。
「今回は趣向を凝らしまして、堅苦しいことはなしにいたしました。どうぞお好きなものをお好きなだけお召し上がりください。必要なものなどがございましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」
 一瞬、手を出していいものなのだろうかと迷っているローランの横をヴィクトリアのフォークが横切る。厚めに切られたローストビーフにヴィクトリアのフォークが刺さると、そのまま口へと持っていく。
「いただきましてよ!」
「おい! 危ないだろう!」
「……そういう問題かしら。まずは最低限の挨拶をしてからだとは思うけれど……」
「まぁまぁ、お気になさらずお召し上がりください。お代わりもたくさんご用意しておりますので、お気軽にお申し付けくださいませ」
「だそうでしてよ! 遠慮したら負けですわ!!」
 いささか乱暴ではあるが、作り手がそういうのだから従おうか……というローランの言い分に無理やり納得するサルースを追い抜き、ヴィクトリアの皿には既にたくさんの料理がストックされていた。
「いっ……いつの間に!」
「あなたたちがお話している間にいただきましてよ!」
「……じゃあ、私も。えいっ!!」
 普段は畏まって食べていたサルースも今日だけはと小さく呟き、フォークでこんがり焼けたキッシュを狙った。表面はかりかり、中はとろりとしたクリームのキッシュはサルースの心にじんわりと染みわたり、思わず顔が綻ぶ。
「美味しいっ!」
 すっかり取り残されたローランも、スプーンでポテトサラダを掬い厚切りのローストビーフの上にのせて頬張る。今度はソースが口につかないよう注意をしながら……。
「んっ!! んまい!!」
「あ、それ。いいですわね。私もやろうかしら」
「あ、ちょっと。袖口気を付けて」
 三人は童心に帰ったようにラデルが作った料理を美味しそうに頬張っているのを見ていると、やはり開催してよかったとラデルは改めて思った。普段は何かに囚われてしまっている人もこういう時だけは全てを忘れみんなと食事をして話をして、盛り上がって笑って過ごして欲しい。それがラデルの今の気持ちだった。
「ちょっとラデルさん! ワインが空きましてよ!」
「畏まりました。すぐにお持ちします。それと、デザートはいかがでしょうか」
「えっ。デザートまであるの?」
「至れり尽くせりだな……もらっていいか?」
「もちろんでございます。ワインと一緒にお持ちしますので、少々お待ちください」

 しばらくして、食堂の扉をノックする音が聞こえ次にラデルが声を発した。
「お待たせしました。ここで、今日のデザートを担当した者が挨拶をしたいと申し出がありましたが……よろしいでしょうか」
「え……担当者。私は別に構わないけど……」
「私も構いませんわ」
「……いいんじゃねぇか?」
 三人の同意が得られたということで、ラデルが先に入りその後に見知らぬ男が一緒に入ってきた。
「ぬっふっふ。お邪魔するよ」
 両目は血のように紅く、ぴんと整えられた髭にぱりっと着こなしたタキシードからでもわかる鍛え抜かれた肉体。そして、可愛らしいエプロンを身に着けていたが……逆にそれを怪しいと思ったローランは席を立ち、剣を抜こうと身構えたがそれよりも先に動いたのはサルースだった。
「脅かせてすまない。我輩はラデル君との永年の友達のガエタノという者だ。今日はラデル君のパーティーに参加してくれたことに感謝を込めて、とびっきりのスイーツを楽しんでいってほしい」
 ワゴンから取り出された大皿には一口サイズのケーキが並べられていた。どれも細かい作業が必要なものだとわかるものばかりで、食べてしまうのが躊躇われてしまう程だ。動物の顔を忠実に再現したものやどこかの景色を模したもの、またはアイデアをぶつけたものまでと種類が豊富だった。その愛らしい表情の動物のケーキをみた一同は性別に関係なく魅了した。
「愛でてくれるのはとても嬉しいが、食べていただいた方が我輩はもっと嬉しいな」
 ガエタノが髭をいじりながら呟くと、勿体ないと知りつつもフォークを入れて形を崩し口へと運ぶ。爽やかな酸味から濃厚なクリームへと変化したとき、三人は全く同じ反応をしたことにガエタノは心から笑った。まさか三人とも同じ反応をするとは思わず更に声高に笑う。
「え……これってどういう仕掛けなの?」
「可愛い上に美味いいだと……反則じゃねぇか」
「ちょっとガエタノさん! これはどういうことか説明してもらわないと納得いきませんわ!」
 最初の反応は同じでも後の反応はばらばらで、またその反応に笑うガエタノにヴィクトリアは笑いながらどういうことかと説明を求めた。ガエタノは説明しようか悩んだがここは敢えてしないでむず痒くも心弾むひと時を楽しんでもらうことにした。
「やはり、ガエタノ様のスイーツは細かくて関心いたします」
「何を言うか。ラデル君のディナーはいつ見ても最高だ。今度、またディナーを楽しもうではないか」
「ぜひ。最高の料理をお作りしておもてなしさせていただきます」
 三人があれだこれだと盛り上がっている後ろで、ラデルとガエタノはディナーの話に花を咲かせていた。双方がとても楽しんでいる表情を見た二人の心は歓喜に満ち満ちていた。

 無事に食事会が済み、三人は食後の紅茶を楽しんでいた。落ち着いた香りとさっぱりとした飲み口に思わずうっとりとしていると、はっと正気に戻ったのはサルースだった。
「あ……ゆっくりしすぎちゃってる……急いで帰らないと」
 それに続くようにヴィクトリア、ローランも各自途中だったことを思い出し、ラデルにそろそろ帰らないといけない旨を伝えた。
「さようでございますか。畏まりました。では手配をいたしますので少々お待ちください」
 そういってラデルは一旦、食堂から出ていった。静かになった食堂はただ三人の紅茶を飲む音だけが聞こえている。三人が紅茶を堪能し終えたときに食堂からノック音が聞こえラデルが顔を出すと小さな包みを一人ずつに手渡した。
「本日お召し上がりになったクッキーと、紅茶をご用意させていただきました。後程お楽しみください」
「え……いいの?」
「なんか……わりぃな……何から何まで」
「あら。これはいいお土産になりそうですわね」
 各自受け取り終えると、ラデルの後に続き玄関まで移動をする。サルースはさっきああいったけど、実際はもう少しここでお話をしていたいという気持ちも強かった。しかし、患者が待っているというのも事実だったためこうするしかなかった。その気持ちは他の二人も同じでしなくてはいけないことが各自あるため、仕方なく帰るというのが正解なのだろうか。いくら時が止まっていると言われていてもそれには実感がわかないし、もし時間が流れていたのなら……それはそれで大問題になってしまう。
「それでは、お見送りはここまでとさせていただきます。この扉を開いた先は皆さまがいた時と同じ場所へ続いております」
「同じ場所……」
 行かなくてはいけないのに、足が中々動いてくれないことに苛立ち大声を出したのはヴィクトリアだった。最後の最後まで手厚いことをしてくれたことに感謝をしつつも、同時にここにもう少し留まりたいという思いをさせてしまったラデルに向けて声を発した。
「あなたは……罪ですわ!! そして卑怯ですわ!! なにより……温かかったですわ! では、皆さまごきげんよう! おーほっほっほ!!」
 高笑いをしながら扉を潜るヴィクトリア。すると、外へ出るだけのはずが潜った瞬間歪みが生じ、外へヴィクトリアが出ることはなかった。まるで静かな水面に水滴が落ちたかのように波紋が広がる。次いでローラン。
「最初は疑っちまったが……すまねぇ。俺もまだまだ未熟だ……またどこかで会おうな」
 迷いなく足を踏み出し、ローランも水面に吸い込まれ消えていく。最後に残ったサルースはラデルを見て小さくお辞儀をしてから水面へ飛び込んだ。音もなく吸い込まれ水面はただ規則正しい波紋を描いているだけだった。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 誰もいない玄関ホールに、ラデルの挨拶が響いた。

 しばらくして。各自招待状を読み上げる前の時間に戻っていること確認し、仕事や習い事、用事などを難なくこなすことができた。サルースの病院は今日も怪我をした患者で溢れ大忙し。ヴィクトリアはじいやからの厳しいダンスレッスンをこなし、ローランは一人旅を続けていた。そして三人はふとポケットに何かが入っていることに気が付く。それは、ラデルからのお土産だった。サルースは仕事の合間に、ヴィクトリアはダンスレッスンの合間に、ローランは歩きながらクッキーを食べた。ほんの少し前のできごとだったはずなのに、なぜかなつかしさを感じる味にサルースはあることを思いついた。
「今度、私もお菓子を作ってみようかしら……」
 ふとそんな気にさせてくれたのは、あの悪魔紳士─ラデルのおかげなのかもしれない。
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