一口蒸し羊羹

文字数 5,624文字

 今日一日の業務を終えた閻魔大王。比較的に落ち着いた一日だったため、獄卒たちを帰らせ、自分は審判の間で書類を作成していた。リズミカルに聞こえるタイプ音が心地よく響く室内。だが、突如そのタイプ音が途絶える。
 閻魔大王─地獄にて罪人の裁きを与える姿はバリバリのキャリアウーマンそのもの。どんな嘘も見抜くという鏡を所持し、その鏡に映し出される罪人の生涯を見つめ、罪人の態度などを含め最終的な審判を下す。一つの魂にかかる時間はそう長くはないのだが、その数が万や億となると話は別だ。補佐をしてくれる獄卒たちと協力し捌いているのが現状だ。疲れてなどいないというと嘘になる。ただ、読み上げをして罪状を言い渡すだけなのだから。しかし、その行為が段々と単調になってくると心なしか疲労を感じてくる。そんな時、いつも丁度いいタイミングで差し入れをしてくれる人物がいる。
「……篁」
 閻魔大王の潤んだ唇から漏れた言葉は確かにそう発せられた。小野篁(おののたかむら)。現世では主に政治などの仕事を受け持ち、夜は冥途通いの井戸という井戸を通じてこちらの補佐をしてくれる人物だ。長身黒髪、ビジネス眼鏡を愛用し、現世での疲れを感じさせない働きぶりだ。時折、審判の合間の休憩を挟んでくれたりお茶を淹れてくれたりと、まるで秘書のような手際の良さに閻魔大王ですらも驚いてしまう。
「あいつは……なぜ……」
 入力途中の書類を保存もしないまま閉じると、ふと彼がここに来た理由について閻魔大王は知らないでいた。コンピューターを端の方にやり、ふうと小さく息を吐き頬杖を突く。

 気が付けば、彼はすでに閻魔大王のそばにいた。あれは確か……とある女流作家の審判をしている時だった。名前は……紫……何だったか……。確かそのような名前だった。彼女の罪は作り話、特に大げさな話は罪が重くなる対象だった。それを一般市民へ布教した罪として大叫喚地獄へと落とすつもりでいた。それを制したのはどこからともなく現れた小野篁だった。
「失礼を承知で申し上げます。大王様、現世には嘘も方便というものがございます。嘘というのは何も悪いことばかりではなく、時にはその嘘で誰かを幸せにしたり和ませたりと色々と使い方がございます。今回の件に関しても、同じようなことが言えるのではないでしょうか。ご検討くださいませ。突然の妄言、大変失礼いたしました……」
 すっと背後に下がりながら、閻魔大王をじっと見つめる彼。その目はとても真剣な眼差して閻魔大王の瞳を捉えていた。
「……なるほど。それは一理あるな。ならば今回は無罪。あちらの出口から行くがよい」
 獄卒が手を挙げて女流作家に注意を向けると、女流作家と獄卒は閻魔大王が用意した白い渦巻きが漂う穴へと入っていった。
「……終わりましたか」
「……貴様。名を名乗らず私の前に出たことを後悔したいのか……」
「申し訳ございません。閻魔大王様。もし、彼女が地獄へ落ちてしまった場合は彼女作品が世に公開されなくなり、文学に多大な影響を与えてしまうことを危惧し急遽割り込ませていただきましたことをお許し下さい。私の名は小野篁。現世では政治を執り行っているものでございます」
 恭しくお辞儀をする彼に、あの閻魔大王ですら少し驚いているという事態が発生。よく見ると閻魔大王の顔がほんのりと赤みを帯びていた。
「な……な……な……」
「ご無礼をお許しください。それと……閻魔大王様がよろしければ特注の椅子をご用意させましょう。それと、機能的なデスクと……最新の端末を手配いたします。ご予算はおいくらがよろしいでしょうか」
「……っ!」
 一目閻魔大王の作業デスクをみるや、すぐに作業しやすい高機能のデスクとキャスター付きの椅子、さらには書類で溢れていたデータ類をすぐにまとめることができる最新の端末を手配させると、それをすぐに閻魔大王に提示する。
「して、このくらいなのですが……いかがいたしましょう」
 まだ見ず知らずの人物にここまでされる筋合いがあるのかと、閻魔大王は自分に問いかけていた。ないといえばないが、今のこの散らかったデスクでは確かに業務に支障が出る。現に、数日間はやっと整えた書類と獄卒の一人はデスクにつまずきばらまいてしまったからさぁ大変。危うく閻魔大王は妖力を開放せずには済んだのだが、その獄卒はそれ以来ここに来ることはなかった。
(ま、まぁ……見るだけならいいだろう)
 閻魔大王は彼から商品が入力された端末を受け取ると、その的確なチョイスにまた驚く。特に計測をしたわけでもなく、一目見だただけで効率的に仕事ができるようなものを瞬時に判断し、それを提示する素早さや価格にも思わずうなってしまう程だった。
「う……ううむ……まぁ、これくらいなら予算内だ」
「では、すぐに発注いたします」
 彼は迷わず発注を済ませると、今度は審判の間の掃除や閻魔大王の身の回りの世話を始めた。まるで閻魔大王の世話係だったかのようにてきぱきと効率的に整理整頓を行っていった。

「ふー。このようにいたしましたが……いかがでしょうか」
 さっきまで乱雑に置かれた書物は、彼が特急発注にて依頼した本棚に全て収め筆記具も一か所にまとめ取りやすいよう工夫。引き出しにもよく使うものがすぐに使えるようにしたりとものの数時間で仕事がしやすい環境へと変えてしまった。デスクも椅子も発注してから数分で届き全て彼一人で組み立て、紙媒体で残しておいたデータを全て届いた端末へと移行させた。全てが完璧にまで整い、新しくなった審判の間をみた閻魔大王はただ茫然としている。
「お前……」
「これで作業がしやすいのかと思ったら、私はこれくらいのことは惜しみません」
 眼鏡を軽く拭き、凛とした佇まいの彼は呼吸一つ乱さずただそこにいた。全てが完璧すぎるが故に少し怖いと思ってしまったのだが、彼にはそのような感情はなくただ「こなしている」というだけだった。それも嫌な顔ひとつせず……。
「お前は……執事なのか……」
「とんでもない……私はいたって普通の人間です……では、私はこれにて」
 そう言って彼は閻魔大王にお辞儀をし、去っていった。閻魔大王がいくら待ちなさいと言っても彼は既に地獄にはいなかった。

 あれから数日後。また何食わぬ顔で閻魔大王の補佐、世話などを完璧にこなす彼がいた。閻魔大王が欲しいなと思ったものがすぐ手元にあったり、必要書類を探しているとすぐに見つけ出したり絶妙なタイミングでお茶を淹れてくれたりと、かゆいところに手が届く存在になっていた。そしてそれが、閻魔大王にとってなくてはならない存在となるのにそう時間はかからなかった。
 それは、閻魔大王一人しかいない時だった。その日に限って数多の魂が審判の間に集まり、各々が審判を待っている状態だった。喉も乾き、声が枯れ、次第に喉に異物感を覚えた閻魔大王は咳払いを試みるも、その場凌ぎにしかならなかった。それでも罪を犯した魂たちに厳しくしているとついに声が掠れてしまい、うまく審判を伝えることができなくなってしまった。
(くそ……なんとかせねば……)
 そこで思いついたのは、紙にどこの地獄へ行くかを明記するという原始的手はあるが喉を労わるという点では最も効果的な方法だった。多少時間はかかってしまうがこの方法で次から次へと審判を下していった。
(も……もう終わり……だな)
 最後の魂に審判を下し終えたところで、筆記用の紙がちょうどなくなってしまった。それと同時に閻魔大王の体力も限界に達していた。
(くそ……まだ今日の業務が残っているというのに……)
 眠気にどうしても抗えず、閻魔大王はそのままデスクに突っ伏してしまった。

(ん……私はいつの間に……)
突っ伏したところまでは覚えているのだが、まさかそこから本当に眠ってしまうとは。軽く目を擦り、伸びをした。そのとき、肩からなにかが落ちた。音もなく落ちたものを拾おうと目をやると、落ちたそれはブランケットだった。誰かがいつの間にかけてくれていたようだ。
「このブランケット……」
 見覚えはある。なぜなら自分のだから。そして、それを持ってきてくれたのは誰かと考える……しばらく考えた後、浮かんだのはあの涼しい顔をした人物……。
「篁……なのか……」
「その通りでございます。遅くなってしまい大変申し訳ございませんでした」
「ひゃあっ!!」
 突然背後から聞こえた声に驚く閻魔大王。慌てて振り返ると、そこにはまさしく涼しい顔した彼がいた。彼は閻魔大王の悲鳴にも臆することなく、ただそこに佇んでいた。
「おっ……お前……っ! いるならいると言え!」
「先ほど入ったばかりなので……それは難しいお話でございます」
 なんとも言い返しに困った閻魔大王は、ぎりりと彼を睨むも表情一つ変えずにお茶の準備を始めた。
「だいぶお疲れのご様子でしたね。ひどくうなされておりました」
「……そ……そうか」
「……どうぞ。普通の緑茶ですが、喉を守るには十分かと」
 閻魔大王お気に入りのマグカップに熱々の緑茶を注ぐ。閻魔大王が取りやすいように差し出すと、それを無言で受け取りすする。
「……はぁ……おいしい」
「それはようございました」
 閻魔大王はしばらく、彼の淹れる緑茶に魅了されていた。ここまで優しくて温もりを感じるお茶は……どのくらいぶりだろうか。閻魔大王はついそんな事を考えながら再びマグカップに口を付ける。気持ちも心も心地よく微睡んできた閻魔大王は、前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「なぁ……篁……聞きたいことがあるんだが……」
「はい。なんでしょう」
「そ……その、気を悪くさせたらすまん……その……お前はなんでここでそんなにてきぱきと働くのだ。なにも現世だけに留めておけばよかったものを、なぜわざわざここの仕事も進んでやろうとするのだ……?」
「あぁ、そんなことですか」
 聞いてくるだろうと思っていたのか、彼は少しもぶれることなくいつもの静かな口調で答えた。
「まぁ、簡単に言ってしまえば、私は私の正しいを貫きたいんです。私が正しいと思ったことをただやっているだけです。それ以上の深い意味はないです」
「……」
「その場には何が相応しいかという風にお考え頂ければわかりやすいかもしれません。その場でできることをすぐに判断し、それを行動すればいいだけのことです。閻魔大王様の行動や仕草からそれらを分析し行動すれば、自ずと答えは出ているものです」
「わ……私の仕草で……そこまでわかるものなのか?」
「ええ。大抵のことはわかります。なので、それらが示すものを結び付ければ簡単です」
 いとも簡単にこなしてしまう彼。しかも、閻魔大王の仕草などでそれらがわかってしまうから驚きだ。そして、この涼しさを湛えたままお茶を淹れるという余裕っぷり。閻魔大王は微かに自分の胸の太鼓が脈打つのが分かった。
「篁……お前が良ければの話なのだが……ここでお前を雇いたい」
「……私を?」
「ああ。きちんと給料も支払う。お前の働きぶりならもちろん好待遇を約束する……お前の世界のこともあるのはわかる。だが……私には……お前が必要なんだ……」
「その様な申し出……大変嬉しく思います。しかし、私はあくまで好きでやっていることです。ここでの仕事は私が現世で感じているものとはまた違っていて……現世で過ごしていた人間の魂がここではどんな醜態をさらすのかを見るのもまた乙なものです……。なので、お誘いは大変ありがたいのですが、私如きの人間にはあまりにも勿体ないお言葉でございます。ただ、私は閻魔大王様に好きでお仕えしている身です。私は閻魔大王様にお仕えできるだけで幸せです」
「篁……」
「そんな顔しないでください。私は離れたりしません。この命が続く限りは……ね」
「ならば……もしお前が命を落とした時はここで正式に雇うとするかな」
「はは……それもまた一興です。お手柔らかにお願いします」
「相変わらず食えない男だ……お前は」
 彼は閻魔大王に新しいお茶を注ぎ、今度は四角く切られたものを出した。
「……なんだ……これは」
「羊羹という和菓子でございます。ぜひ、緑茶のお供にしていただけたらと思いまして」
 閻魔大王は先の尖った竹で食べやすい大きさに切り、口に運ぶ。最初の印象は甘いという単調なものだったが、それは徐々に複雑に且つ楽しい気持ちにさせてくれるものへと変化した。
「なんだこの上品な甘さは……くどくなくて……食べやすい」
「上級の商人から買い付けた一級品でございます」
 初めて口にする羊羹なる食べ物にすっかり元気になった閻魔大王を見た彼は、小さく笑った。
(私は……あなたに出会えたことにも感謝しています。ありがとうございます)
 閻魔大王に聞こえないよう小さく呟くと、彼はそろそろ現世に戻らないといけないと言い、出口へと向かっていった。羊羹を口にする寸前で彼を引き留め、今度はいつ来るかを尋ねた。
「さぁ、現世の仕事が落ち着いたときにでも来ます」
「……今度はきちんとノックしてから入るようにな?」
「閻魔大王様がお休みしていたら気付かないかもしれませんので、そのときはこっそりとお手伝いさせていただきます」
「この……」
「では、お風邪を召さないようお気を付けください」
 静かに扉を閉め、彼は現世へと帰っていった。見送った閻魔大王は、彼が持ってきてくれた羊羹と緑茶を脇に、残った仕事へと取り掛かろうとしたとき、ふと思い出したことがある。
「……今度はうたた寝しないよう気を付けないとな」
 急に恥ずかしい気持ちになった閻魔大王は、火照った顔が落ち着くまで仕事に取り掛かることができなかった。
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