ぶちチョコクッキー【魔】♓

文字数 3,617文字

ひんやりした風に頬を叩かれ、ぼくは目が覚めた。するとぼくの目に映るのは、色鮮やかな魚たちが優雅に泳いでいる光景だった。ほかにもくらげや海藻が気持ちよく揺蕩っている光景だった。あれ、おかしいな。ぼくは確か、ギルドからの依頼をこなして少し昼寝をしようと思ってベッドに横になったはずなのに……今、ぼくが立っているのはレンガ造りのギルドではなく、海中にいた。天井から差し込む白い光の筋は屈折しながらも、薄暗い海中を優しく照らしてくれていた。深海と思わせる深い青と空から差し込む白い光のコントラストに、ほんの少し緊張が解けたぼくはここがどこかを確認しないことには始まらないと思い、カバンの紐をぎゅっと握りながら一歩を踏み出した。
 歩き進めていると、天井は純度の高いガラスのようなもので作られているのか、外からの光をしっかりと取り込む造りになっていて波が作るゆらゆらした動きに合わせて景色も一緒になってゆらゆら揺れているのが、今までに見たことのない景色だったから新鮮だった。そういえば、目の前で魚たちが横切るのもそうだったな。さっき、目の前を優雅に泳いでいった魚たちを思い浮かべぼくは小さく笑いながら足を動かしていると、あることに気が付いた。

 水の中なのに呼吸ができてる

 本当に今更という感じだったけど、普通に呼吸ができていることに驚き何度も確かめた。間違いなく、普段通りの呼吸ができてるし苦しくもない。むしろ丁度よい心地にどうなっているのかと頭が混乱した。これまでも変わった場所へ行ったことはあるけど、水中は初めてだった。と、とりあえず呼吸に関しては安心していいと自分に言い聞かせ、更に奥へと進んでいくと丸い窓枠に変わった模様が描かれている部屋へ到着した。その窓枠の前にはゆったりした椅子があり、大人一人が座っても少し余裕のあるちょっと豪華な椅子に見えた。そして椅子の前には作業机があり、雑多に書類がおかれていた。書類の横には無造作に置かれた本もいくつか散見。部屋の中を見回し、誰もいないことを確認したぼくは好奇心に負けてその本を開こうと部屋へと足を踏み入れると、突然背後から声がした。
「おっと。お客人かい」
 その声にぼくの心臓は勢いよく跳ね、それと同時に変な声が出た。ぼくは慌てて声のした方へ向き直り深く頭を下げて謝った。すると声の主はからからと笑いながら段々ぼくに近付き頭に手を載せた。
「そんなに驚くとは思わなかったな。驚かせてごめんね」
 悪いのはぼくのはずなのに、逆に声の主がぼくを驚かせてしまったことに対して謝罪がきた。ぼくはすぐに顔をあげてそれを否定。悪いのはもちろんぼくだし、勝手に部屋へ入ったのだから、怒られて当然だ。だけど、その人は首を横に振った。
「散らかしながら部屋を空けたのはぼくだ。不用心だったね。もうそんなに恐縮しなくていいよ。中で話でもしようか。おいで」
 その人は微笑みながらぼくを部屋に招き入れてくれた。ゆっくりとした足取りについていくと、そこは仕事部屋とはまた違った少し開けた部屋だった。円形の机に椅子がきれいに並べられていて、さながら会議でもできそうな部屋だった。ぼくは数を数えてみると、椅子は全部で十二あった。この数に何か意味があるのかはわからないけど、その人は静かに椅子を引き、ぼくを座らせてくれた。ゆったりとした座り心地の椅子は、それだけで安心感があり思わず小さく息が漏れた。
「申し遅れたね。ぼくは双魚宮の皇子─フェルグ。よろしくね」
 あわあわしててしっかり見てなかったけど、フェルグさんは銀色の髪に青色が強いサングラスをかけていて、すらりとした体躯に胸元には変わった形のネックレスをしていた。肩からくるぶしにかけて青みの強いマントをかけていて、その背後からはなにやらうねうねとしたものが伸びていた。
「人の子がここに来るなんてどのくらいぶりだろうな。今日は時間の許す限り、お話ができたら嬉しいな」
 フェルグさんは穏やかな笑みを浮かべながらぼくの向かいに座ると、軽く頬杖を突きながら指を鳴らした。すると奥の扉から給仕らしき人(?)がやってきて、ぼくとフェルグさんの前にお茶を運んできてくれた。ふわりと甘い香りがするお茶を一口含むと、すっきりと甘い香味が口の中に広がり同時に気分がじわじわっと解れていくのがわかった。
「気に入ってくれたかい?」
 ぼくは頷くと、フェルグさんはにこっと笑い「嬉しいね。お土産に持って帰るかい?」と準備をし始めた。そんなそこまでしてくれなくてもと言いかけたところで、フェルグさんは「これくらはさせておくれ。滅多にないからさ。お互いに……ね」
 お互いにという言葉に少しひっかかりを感じたけど、ぼくは頭の片隅に追いやりお茶を含んだ。ある程度落ち着いたところで、ぼくはフェルグさんに気になっていたことを聞いてみた。

 ぼくはなぜここにいるのか

 するとさっきまで穏やかだったフェルグさんの目が一瞬、鋭くなったような気がした。ぼくは聞いちゃいけなかったかなと思いながらも、フェルグさんからの返答を待った。しばらく待っているとフェルグさんはゆっくりと口を開いた。
「もちろん、理由がないわけじゃない。だけど、その理由も確固たる根拠がないことを許しておくれ」
 鋭かった視線から一変、申し訳なさそうに眉をひそめたフェルグさん。一体どういうことなのだろうとぼくが首を傾げていると、フェルグさんはお茶の入ったカップを両手で囲うように持った。
「双魚宮……つまり、ぼくは黄道十二星座のひとつである、うお座を司っているんだ。そして、これ」
 そういうとフェルグさんはどこにしまっていたかわからない槍を取り出し、ぼくに見せてくれた。いわゆるトライデントと呼ばれる刺し口が三つに分かれているタイプの槍で、刺し口が丸い宝玉のようなものから伸びているのがわかった。そして、その宝玉には変わった模様が刻まれていた。
「これがうお座を示すサインなんだ。あまり見慣れないかもしれないけどね。あはは」
 苦笑いをしながら説明をしてくれるフェルグさん。すごく落ち着いていて口調も穏やかで、まるで海のような存在だなと感じたぼくはその槍は何のためにあるのか尋ねると、フェルグさんの顔が一瞬曇った。
「これはね、みんなを守るためと……とある使命のため……とだけ言っておこうか。ここまでしか言えないのも、さっき話した確固たる根拠がないからなんだ。ごめんね」
 深い話までは難しい様子だった。だけど、ぼくは首を横に振った。きっとフェルグさん自身もどう話していいかわからない中、ぼくに話してくれたのだから無理強いはできない。
「ありがとう。お前さんのような人の子に会えたことは幸運だ。また話せるタイミングが来たらお話をするということでいいかい?」
 もちろんと返すと、ほっとしたように頬を緩ませたフェルグさん。ぼくもまたフェルグさんとお話しできるのを楽しみにしていることを告げると、フェルグさんは声をあげて笑った。
「あっはっは。そう言ってくれるかい。いやあ、嬉しいね。こりゃあ、頑張らないとな」
 また少し意味深な発言だったけど、今回はあえて聞かないことにした。きっとまたフェルグさんから話をしてくれるまで待てばいいのだからね。それからぼくとフェルグさんはしばしの間、ぼくは地上の話を、フェルグは海中の話をしながら時を過ごした。

 どのくらい話をしたかな。気が付けば明るかった海中は暗くなっていた。それに伴ってか、まぶたが今にも落ちそうなほどに眠たかった。ぼくが目をこすっていると、フェルグさんは「おやおや。もう時間かな」といいながら、さっき作ってくれたお茶のお土産をぼくに手渡した。

お礼を言わないと……でも……もう……眠たい。

 ぼくが微睡の中藻掻いていると、フェルグさんの声が聞こえた……ような気がした。
「お前さんはこの先、十一人の当主と会うことになる。もし、ほかの当主に会ったらよろしく伝えておいておくれ」
 最後の方は何を言っているのか理解ができないままでいると、ぼくは抗うことのできない睡魔に引きずり込まれた。

 次に目が覚めた先は、ぼくの自室だった。ゆっくりと体を起こして辺りを見回すとレンガ造りの壁にほっぽり出したままのデッキ、それと散らばった駒。それらを見て、ようやく自分は陸の上にいるんだと実感した。うんと体を伸ばし、体の中にある空気を交換していると何かが床にぽとりと落ちた。何かと思い視線を移すと、それは夢か現かわからない空間でお土産にくれたお茶の葉っぱだった。それを拾い上げた瞬間、ぼくはあれは幻想ではないとわかった。

 フェルグさん……

 幻想にしてはすごい作りこまれているし、人の名前まで憶えていることは数少ないのにはっきりと覚えている。だけど、憶えているのは名前だけじゃなくって、フェルグさんのあの穏やかな笑みもしっかりと脳裏に焼き付いていた。
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