☆ジューシーグレープのペーストリー【魔】

文字数 6,204文字

 なんだか暖かかった。なんだろうこう、なにかに包まれているような安心感や安らぎを得られるような……それとなんだろう。自分の呼吸と同じように規則正しく上下に動いているのは……。そこで少女はゆっくりと目を開けた。すると、そこには見たことのない小動物がすやすやと寝息を立てていた。そしてそれは一つだけでなく、少女の周りを囲っていてまるで少女で暖をとっているような形だった。本でしか読んだことないけど、確かこの生き物って……まさか……まさか。
「あら。起きたのね。ずいぶんと気持ちよさそうに眠っていたからもう少し眠っているのかとおもっていたけど」
 少女の背後から聞こえた優しい女性の声に思わず振り向いた。そこには……おとぎ話でしかみたことのない竜がいた。少女は堪えることができず、今出る声量マックスで叫んだ。
「き……きゃあああああああっ!!!!」

 少女─シアンは跳ねる自分の胸を何度も落ち着かせようと深呼吸をするも、目の前にいる竜のせいかそれが中々出来ずにいた。その様子を知ってか知らずか竜はシアンの周りにいた小動物を優しく舐めて起こすと、軽く伸びをした。
(なんで? なんで? なんで? なんで? わたしって、なんでここにいるの???)
 困惑するシアンに、竜は小さく首を傾げた。
「あら? 昨日のことは覚えていないのかしら?」
「き、昨日のこと……??」
「ええ。昨日、あなたがふらふらと歩きながら夜道を歩いていたから……」
「昨日……夜道……?」
 竜のいうことを頼りに、シアンは自分の記憶を呼び起こそうとした。

 どこか目的地がある訳でもなく、シアンはただふらふらと歩いていた。完熟ブドウのような紫色の髪に魔族特有の尖った耳。髪色と同じ瞳の先には何かに対して許さないといった雰囲気を漂わせていた。その何かとは、自分の母親だった。シアンは魔族である父と人間の母との間に生まれた子だった。魔族の父は強大な魔力の持ち主で、ありとあらゆるものを召喚したり使役したりとできる存在だった。幼い頃のシアンもそんな強大な魔力を有している父親に憧れ、大きくなったら父親のような存在になりたいと願っていた。しかし、その願いは叶わなかった。それに気が付いたのは、シアンの何度目かの誕生日でのこと。自分の中にある魔力はどの位のものなのだろうと興味を持ったシアンは、意識を集中し魔力の結晶を作ってみることにした。魔族であればきれいな結晶となって現れるのだが、今シアンの目の前にあるのは歪な形をした結晶だった。それもお世辞にもきれいとは言えない淀んだ色をしていた。
「お、おかしいわね。手順を間違えたのかしら。もう一回やってみましょう」
 何度やっても結果は同じで、現れる結晶はどれも歪になって現れた。いつも父親が出している結晶はもっときれいだというのになんで……次第にパニックになっていくシアンの頭の中に一つの可能性が浮かんだ。

           



 いくら幼いシアンでも、父親と母親の違いには気が付いていた。見比べるのは魔力もそうだが、ぱっと見てわかるのはやはり耳だった。父親の耳は尖っているのに対し、母親の耳は父親のように尖ってはおらず丸みを帯びていた。それはつまり、母親は人間─魔力を持たない者だということがわかる。そのことに気が付いてしまったシアンはショックを受けてしまい、自室に閉じこもってしまった。

       大好きな父親のような魔族になりたかったのに……。

       父親のように魔力を行使したかったのに……。

      それができないなんて……全てお母さまのせいだわ。

 それからだろうか。シアンは自分の母親を憎むことで自身の魔力を増幅させ、魔術を展開できるようになったのは。ただ、魔術を展開できるといっても、父親のように爆発や発光などの類はできず、ただ受けた攻撃を相手に返すことしかできないが時間が長くなるにつれてその数は多くなりシアンに絡んだ人間たちはその数の多さに恐れおののき逃げていくのが殆どだった。
「物好きもいるものね。こんなに興味があるなんて」
 本当につまらなさそうに溜息を吐き、髪をかきあげながら前へ進むシアンは目の前を確認しないせいで足を踏み外した。それも大きな大きな穴に飲み込まれていくように。空が段々と遠くなるのをしっかりと見ながらシアンは声も上げずにただ空に手を伸ばしていた。届かないとわかっていてもなお。
 気が付いたとき、シアンは自身に何があったかを思い出そうと頭を抱えた。確か、物好きな人間の相手をしてそれから……あ、そうだ。わたし穴に落ちたんだった。そう思い出してからゆっくりと体を起こし空を見た。深い深い穴に落ちたようで、空で瞬いていた星は見ることができなかった。絶望を感じ頭をくしゃくしゃを掻きむしり、短く叫んだ。
「……ここがどこなのかを確認しないと。……いたっ」
 確認作業をしようと足を踏み出したとき、右足首辺りに鈍い痛みが走った。どうやら落ちたときに足を痛めてしまったようだ。歩けないことはないが、歩く度に響く痛みに耐えながら進むことしかできないことに唇をきつく噛み締めた。
「なんで……なんでわたしがこんな目にあわないといけないのよ……」
 ここで恨めしいこと言っていてもしょうがないのはわかっているが、どうしても口にしないわけにはいかない。シアンの中で積もり積もる怨恨は増すばかりだった。

「だいぶ進んだけど……何もないのかしら」
 洞窟のような場所を進んでいくシアン。薄暗い中を進むのはどうかと思い考えた末、明かりは自身の魔力で作ったあの歪な形をした結晶だった。ぼわりとした薄紫色の明かりがシアンの足元を申し訳なさ程度に照らしている。痛む足と格闘しながら奥へと進んでいくと、急に開けた所に出て、シアンは安堵の息を漏らした。そこには何かが生活しているような空間が広がっていた。人間以外の……だが。からからに乾いた草、あちこちに転がる異常に大きな卵の殻。これだけを見れば何がいるかは想像をするのに容易かった。
「はぁ……まさか竜のねぐらに落ちたなんて。笑えないわね」
 やれやれと肩をすくめ、自分の不運さを嘲笑った。ここで竜の餌になるのも一興かと思い、シアンは痛む足を引きずりねぐらから少し離れたところで腰を落ち着かせた。洞窟のあちこちから漏れる光の筋を見て、なんとなくほっとしていると遠くで何かが落ちたような音が聞こえた。痛む足を庇いながらゆっくりと立ち上がり緊急事態に備えた。
「もしかしたら……帰ってきたのかもね」
 冷静に言いながらも、心臓は今にも口から飛び出しそうなほど暴れていた。いざとなれば父親から受け継いだこの魔力でと決意し、徐々に近付いてくる何者かに対して放つ準備を整えていた。ひと際大きな音と共に現れたのは、巨大な白い竜だった。そして遅れてやってきたのはその竜の子供なのだろうか、とてとてと小走りで巨大な竜の後ろをついてきていた。
「あら。見かけない子ね。どうしましたか」
「……っ!!!」
 まさか竜が話すなんて思わなかったシアンは咄嗟に魔力を開放しようと、手を広げた。だが、魔力は開放されずにそれどころかシアンの魔力は徐々に薄れていった。
「……なんで」
「どこから来たのかしら。もしかして、あの大きな穴に落ちちゃったのかしらね」
 シアンの戸惑いを他所に、竜は目の前にいる人間がどこからきたのかを必死に考えていた。しばらくして答えを導きだした竜は「きっとそうね」と言いながら、長い首をゆっくりと下ろしシアンに挨拶をした。
「申し遅れました。私はテレジアと申します。そして、この子たちは私の可愛い子供たちです」
「……な、な、なんなのよ」
 竜から敵意を感じないことになぜかイライラしているシアン。それどころかシアンを客人として迎えようと準備をしている姿を見たシアンのイライラは最高潮になり、大きな声を発した。
「なんなのよ!!!」
 その声に驚いたテレジアの子竜たちは「ぴぃ」と言いながらテレジアの背後へ一目散に駆けていった。子竜は驚いているのだが、テレジアはそれに臆することなく真っすぐにシアンを見つめていた。
「……はぁ……はぁ……さっきから、あんたなんのつもりよ」
「なんのつもりもありません。私はあなたを歓迎……」
「そんなのいらないわよ! 余計なお世話なのよ。ほら、ひと思いに食べちゃいなさいよ。さぁ!!」
 手を大きく広げ無抵抗をアピールするシアンに、テレジアは何か複雑な表情をしながらシアンにゆっくり近付いた。
「さ、さぁ。一口で食べちゃいなさいよ」
「そんなことはしません」
 テレジアは首を横に振り、シアンの周りを囲むように体を丸くした。必死にその場から逃げようとするシアンだが、捻った足が悲鳴を上げバランスを崩しテレジアのちょうど腹の辺りに体が転がるとテレジアはさらに体を丸くし、シアンに地面につかないよう体制を整えた。
「きゃっ」
「大丈夫ですか。足を怪我している様子です」
「よ……余計なお世話だってば」
「どれ……。少し熱を持っているようですが、この近くに生えてる薬草があればすぐによくなります。子供たち、あれを採ってきておくれ」
 傷口の様子を一目見たテレジアがそういうと、子竜たちは「わかった!」とばかりに短く鳴き、洞窟の外へと出て行った。その間、テレジアはシアンに何があったかを聞くことにした。だが、それで話すシアンではないことはなんとなく察していたテレジアはシアンが自分から話し始めるまでゆっくり待つことにした。きっと話したいと思ったら自分の口で、自分の言葉で話してくれるだろうと思っていると、シアンはもごもごと話し始めた。最初はたどたどしく話していたシアンも、落ち着いてきたのか自分が今感じている思いや苦しかったことを吐き出すようになった。その言葉ひとつひとつをテレジアは聞き逃さないよう、味わうかのように耳を傾けているとシアンはふうと息を吐いた。
「……ここまで話したの、初めてな気がする」
「だいぶ辛い思いをされていたのですね。時間はたっぷりありますから、まだ胸の奥でつかえているものがあるのならお聞きしますよ」
「……それじゃあ……」
 テレジアがそういうと、少し恥ずかしそうにしながらもシアンは口を開いた。その口から紡がれるのは母親への思いだった。それは恨みや呪いといったものではなく、申し訳ないという思いが強かった。だけど、何か事がある毎に母親を恨んできたというのがありずっと素直で接することができないでいたという。本当は謝りたいし感謝もしたい、だけどどうしていいかがわからなくていつも怒りに身を任せてしまうという繰り返しだと話した。最後の方は泣きながらの告白となり、テレジアはそっと身を寄せ言葉では表さない「大丈夫」を示した。
「……シアンはお母さまのこと、大好きなのですね」
「……うん。でも……でも……」
「皆まで言わなくてもいいですよ。私にはわかっていますから……」
「ありがと……ありがと……」
 まるで子供のように泣きじゃくるシアンを我が子のように接するテレジア。種族は違えど子を思うということは母親として当然。それがこうして困っている人間の子なら猶更とばかりにテレジアはシアンの頬にそっと寄り添った。
「今日はもう遅いからここで休んでいきなさい。明日になれば足の痛みもなくなるでしょう」
「……迷惑じゃないかしら」
「迷惑だなんて。むしろ歓迎するわ。それに、人間とお話をするの何万年ぶりかしら。うふふ」
「な……何万年ぶり……」
「あ、子供たちが帰ってきました。その葉を熱を持っている部分に貼っていれば治りますよ」
 子竜たちが咥えている葉を受け取ったシアンは、痛む箇所に葉を当てそれをヘアゴムで落ちないようにすると安心したのかテレジアに包まれるように眠り始めた。ただ、それでは風邪をひいてしまうと心配したテレジアは子竜たちでシアンの周りを囲み熱を逃がさないよう工夫をした。シアンが眠りに就いてしばらく。シアンの声が聞こえた。
「母様……ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい……ごめんなさい」
「……シアン」
 シアンはすすり泣きながら謝罪をしていた。

「……ということね。なるほど。合点がいったわ」
 納得しているシアンに、テレジアは一つ気になっていたことを聞いてみた。
「足の具合はどうかしら」
「足?」
 テレジアに言われて気が付き、シアンは昨日まで痛んでいた足の具合を確認した。葉のおかげかすっかり熱も痛みも引き、足首を回しても痛みが出ることはなかった。
「すごい。治ってる」
「あの葉は傷を癒す効果があるのです。よかったら少し持っていきますか?」
「……いいの?」
「もちろん」
 そう言い、テレジアは昨日使った葉の何枚かをシアンに渡すと薄く笑った。
「そ……そろそろ行かなきゃ。め……迷惑でしょ」
「いいえ。迷惑だなんて一度たりとも思ったことありませんよ。あなたが行くというのなら、私の背中に乗りなさい。あの高さを登ることは不可能ですから」
 いよいよ地上に戻れることとなったシアン。そんなシアンを見て悲しそうに泣く子竜たち。まるで「行かないで」とばかりに泣きながらシアンの足にしがみついて離れなかった。おろおろとするシアンにテレジアは優しく「離れなさい。シアンが困っていますよ」と言うと、子竜たちは渋々シアンから離れた。そんな子竜たちの頭を優しく撫で、別れを告げるとゆっくりとテレジアに乗るよう促され、素直に従うシアン。昨日より真っ直ぐな気持ちが表れていると感じたテレジアはなんとなく嬉しい気持ちで一杯だった。そして大きく羽ばたくとあっという間に地上へと戻ることができ、約一日ぶりの空と再会した。
「あ……あのさ。その、ありがとうね。色々聞いてもらっちゃって」
「いいんですよ。またいつでもおいでなさい」
「あ……うん。それとね、テレジア。わたし、今度お母さまに会ったら……謝ろうと思うの」
「まぁ、それはそれは」
「ずっとお母さまを恨んで生きてきたけど、今こうしてテレジアと話すことができるのって、お父様とお母さまのおかげなんだもんね。それを否定しちゃダメなんだよね」
「あなたの思いは、きっとお母様に届きますよ」
「……許してくれるかしら。わたし、屋敷を出るときだってきつく言っちゃったし……」
「安心なさい。あなたの思いは、あなた以上にお母様はわかっています。だから、胸を張っていきなさい」
「……うん。短い間だったけど、ありがとう」
「あなたの行く末が光で満ちるよう、細やかながらお祈りしますわ」
「ありがとうテレジア。


「いってらっしゃい。気を付けていくのですよ」
 ぐしゃぐしゃだった思いがすっかり晴れたのか、シアンは今までにない爽快感を味わっていた。これがもっと早く……屋敷を出る前に思うことができたらなと思いながらも、母親に対しての思いはきっちりと固まった。
「お母さまだけでなく、お父様にも謝らないとね……」
 

       お父様が愛したお母さまにひどいことを言ってごめんなさい。

 この一言を言うために、シアンは来た道を戻り始めた。どのくらい時間がかかるかわからない。けど、この思いを真っ直ぐに伝えたいという思いがシアンの原動力となった今、そう時間はかからないのかもしれない。
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