焔求肥【竜】

文字数 3,805文字

 異国情緒漂う屋敷の中、苦しそうな声が聞こえる。その声は徐々にか細くなっていき、しまいには苦悶に歪み声という声は聞こえなくなっていた。
「……っふ……っふ……あぁ……」
 獅子のたてがみのような真っ赤な長髪を麻紐で結わい、まるで頑固おやじをそのまま表したかのような強面に筋骨隆々のコンボ、おまけに職業は呪術師という意外な組み合わせを持つ人物─玄壱。ぱっと見た同じ界隈の人からも「え? 物理担当じゃなくて呪符使えるの? え?」と聞き直されることなど日常茶飯事で、言われる度に豪快に笑いながらその人の肩をばしんと叩く。叩かれた方は肺の中にある空気を強制的に吐き出されたような声を発しながら、しばらくその場にうずくまるという光景を何度も見てきた。
 そんな玄壱は今、肉体改造の真っ最中だった。額から大粒の汗をぼたぼたと垂らしながら既に割れている腹筋を追い込んでいる。ただひたすらに追い込んでいる玄壱は、意識をそこに集中しているためか、誰が入ってきてもそうそう気が付くことはない。むしろいても肉体改造の方が大事だと言わんばかりに更に自身を追い込んでいる。だが、今回はそうもいかなかった。
「玄壱さぁああん!! 大変です!! 大変なんです~!!」
 館の中でも一、二位を争う位に声が大きい職員に意識を持っていかれ、数えていた数をかきけされてしまった。
「だぁああーーーー! てめぇ! ちったぁ静かに入ることできねぇのか!」
 追い込みも好調のときに邪魔が入ってしまい、せっかく積み上げていたものが崩れていくのがわかってしまい、玄壱は怒気を含んだ声と同時に邪魔をされてしまったことへのうっぷん晴らしとして入ってきた人物を構いなしに引っ叩いた。
「玄壱さ……ばぶっ!!」
「なぁに間抜けな声だしてやがんだ!」
 体中から溢れている汗を手拭いでふき取りながら玄壱は更に怒鳴った。引っ叩かれた方はというと、ぴくぴくと体を痙攣させながら意識はここにあらずの状態だった。玄壱はずかずかと歩み寄り、更にもう一発とばかりに手を振り上げると意識を取り戻し玄壱と目が合うと首を大きく横に振った。
「大丈夫です大丈夫です大丈夫です! これ以上叩かれたらここに帰ってくる自信ありません!!」
「んだよ、で? 要件はなんだよ」
 意識を取り戻したならいいかと玄壱は手を下ろし、要件を聞いた。すると、この館の近くで怨霊が暴れまわってるという。それも数が多く、玄壱の住んでる町にいる呪術師だけでは事を収めることが難しいとのことだった。
「そんで、わしの出番ということか」
「はぁ……そういうことになりますね」
「そうかそうか……ならば、行こうか」
「え? 行くって……ここに地図があるので玄壱さんだけで……」
「なぁに寝ぼけたこといっとるんだ。お前もくるんだ」
 玄壱はそう言い、職員をひょいと担ぎ駆け出した。その速さはものの数秒で最高速度へ達し風を切る音が聞こえるほどだった。
「そ……そんんなぁああああああぁぁああ」
 職員の情けない声が街道に響くと、玄壱はその声を聴きながら豪快に笑った。

「さて、現地に着いたはいいが……」
「はぁ……はぁ……怖かった……はぁ……はぁ……」
 玄壱と職員が現地に到着すると、そこは激戦を物語った痕跡しか残っていなかった。壊れた屋根、外壁にべったりとついた血糊。そしてその外壁に寄りかかるようにぐったりしている生を成していたもの。血と腐敗臭が混じり、辺り一帯には淀んだ空気が漂っていた。玄壱は平気なのだが職員は我慢できなかったのか、口元を抑えながらどこかへ走り嗚咽を漏らした。
「これは……さすがにひでぇな。怨霊だけとはいえねぇという印象だな」
「はぁ……はぁ……そう……です……ね……うっぷ」
「おい、大丈夫か。ちょっと待ってろ」
 そうして玄壱は懐から呪符を取り出し、詠唱を始めた。やがて意思を持ったかのように呪符は職員の周りをくるくると回り光を放った。光が消えると職員の周りには薄い膜のようなものが張られていた。触っても特に変わった様子に驚く職員に玄壱が一言。
「それは対怨霊用の壁だ。お前の近くに怨霊が近づけば強烈な光が出るってやつだ」
「ほう……それにしても……玄壱さんって、見かけによらず字がきれいなんですね」
「あ? よく言われるぜ。がっはっは」
 玄壱はこう見えて達筆者として有名である。書道が趣味という職員のいう通り見かけによらないものではあるが、呪符を作成する上では非常に重要なものである。呪符に文字を書き込むときは字が美しければ美しいほど、その強度が増すと言われている。攻撃系統なら一撃が重く、防御系統なら破れにくいという具合だ。そして玄壱は、呪符を展開してからその呪符を操って戦うという少し変わった戦法をとっている。それも呪符に込めた文字を巧みに操り、自分の腕を延長させているかのように自由に動かして戦っている様は圧巻と言われている。
「まぁ、とりあえずこの呪符がある限りお前は安全だ。ここから動くなよ」
「え……それってつまり」
「わし一人で見てくる」
「そんな……無茶です!」
「ならお前がいれば違うのか? わしの町にいた呪術師たちは皆優秀だったのはお前も知っているだろ」
「……そ、それは……」
「そんな呪術師たちの命を奪ったやつだ。そうなるとお前を守りながら戦うのはちと難しい。だから、悪いが少しの間そこで待っててくれ。こりゃあ、わしの予想より状況が悪いわい」
「……」
 職員が唇を強く噛みしめながら下を向いていた。確かに何もできない。何かできることがあるのではないかと必死に頭を働かせても結局何も浮かばず、代わりに虚無感だけが沸々と湧き上がっていた。体を震わせている職員を見ながら、玄壱は頭をがりがりと掻きながら自分の読みの甘さを痛感していた。
「わしが無理やり連れてしまったことは詫びよう。すまない」
「……いえ。玄壱さんは悪くないです」
「そう言ってくれるか。……そろそろ行ってくる」
 玄壱はふうと息を吐き、自身に気合を入れ倒壊した町へと足を踏み入れた。

 町の中は既に荒れ果てており、まるで人の気配を感じることができなかった。できるのは、ただの静寂だけだった。その静寂の中、聞こえるのは自分の呼吸音と心臓の音だけだった。やがてその音すらも煩いと感じるようになり、次いで背中に冷たい視線を感じるようになった。違和感を感じながらも玄壱はふと足を止め、視線の先に映る建物に意識を研ぎ澄ませた。
「何かおかしいのう」
 玄壱は呪符を取り出し不自然に歪んでいる建物の先に向かって投げつけると、強烈な火花とともに怨霊の凄まじい悲鳴が耳を突いた。悲鳴が消えると、そこにあった気配はなくなり背中を這っていた違和感も消え失せていた。
「なるほどなぁ」
 一人納得している玄壱の頭上にひと際暗い影が現れると、その影はじわじわと大きくなり玄壱を押しつぶそうとしていた。もう少しで玄壱とぶつかる刹那、影が爆ぜた。
「なんじゃあ? わしが気が付いていないとでも思ったか? たわけが」
 不敵に笑う玄壱とは対照的に、影はなにか悔しそうにくぐもった音を発すると再び玄壱に覆いかぶさろうと体を大きくさせた。
「甘いっ!」
 玄壱が呪符を放つと、その呪符は影の口だと思われる箇所に貼りついた。貼りついた呪符は影の妖気を吸い込んでいった。しばらくして呪符が影より大きくなると、呪符は剥がれ玄壱の元へと戻ってきた。呪符を手にした玄壱はその妖気を自身へ転化させ、さらなる呪力を得た。今度はその得た呪力を攻撃呪符へと流し込み、影へと放った。
「これでもくらえやーーーっ!」
 呪力をぱんぱんに吸収した呪符は影へと吸い込まれると、再度爆ぜた。これで怨霊はいなくなるかと思ったとき、影の一部がぐるぐると渦巻きながら玄壱へと突進してきた。呪符を取り出そうにもその隙にやられてしまうかもしれない……そこで玄壱はにやりと笑いながら吠えた。
「あめぇんだよ! 出直してこいや!」
 玄壱は呪符の代わりに肉体鍛錬で得た巨大なつぶてのような拳を振り上げ、渦巻きへと振り下ろした。おやじの拳骨がきれいに入ると、渦巻きはさらさらと砂状に変化しながら消えていった。渦巻きが完全になくなる頃には、町を覆っていた淀んだ空気は浄化され今は心地よい風が駆け抜けていた。これで終わったのだが、失ったものも多いと思った玄壱は何かを思いながら空を仰いだ。その空は心の中とは真逆に雲一つなく澄み渡っていた。

 あれからすぐに職員を回収し、町へと戻った玄壱は空いている部屋を改装し何かを始めようとしていた。なんだなんだと町の人は中を覗き込むと、中では玄壱が汗水垂らしながら建物の改装を行っていた。数日の改装を終え、建物の入り口には達筆な字で「呪術師育成道場」と書かれていた。
「よっしゃぁ! 今日からわしが講師になってびしびし鍛えていくぞ! 気になる者はどんどん入ってこい」
 覇気のある声に興味を持った町の人は、次々と道場の扉を叩ていった。老若男女問わずに誰に対しても丁寧に指導している姿は、がんこ親父とは違いどこか父性を感じる温かさがあった。
「呪術師になるには知恵はもちろん、体も大事だ! 午前は知恵の修行、午後は体の鍛錬!」
 こうして玄壱は呪術師の講師となり、町を守りながら新たな呪術を育成する道を歩み始めた。今日も道場の中には玄壱の笑い声と拳骨の音が聞こえている。
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