星屑羊羹

文字数 2,329文字

 しゅんしゅんと薬缶の沸き立つ音で我に返ったアマツミカボシは、薬缶を下ろし緑茶を淹れた。今年の新茶は甘くて瑞々しいと行商人が教えてくれた通り、口に含んだ瞬間から茶葉の甘味が広がり、後味もすっきりとしていてとても飲みやすかった。ふと窓の外が気になり湯呑を片手に障子を開けて空の様子を伺うと、雲一つない漆黒の夜空に浮かぶ小さな光が輝いていた。今日は絶好の観測日和だと思ったアマツミカボシは、さっそく天球儀を持ち、天体観測に出かけた。
 調べものをしていて資料を読み漁っていたら、気が付いたらもう夜が更けていた。薬缶の音がなかったら多分、このまま寝ずに資料を読みふけっていただろう。この癖をなんとかしないといけないなと思いつつ、廊下を静かに歩く。まもなく玄関というところで、カタンカタンという音が聞こえ、気になったアマツミカボシはその音のする方へと向かった。カタンカタンという音の正体は織物の神─タクハダチヂヒメが織物を織っている音だった。
「あら。こんな時間に現れるなんてどうしたのかしら? それとも、機織りの音が耳に障ったかしら?」
 心配そうな顔をするも、どこか嬉しそうなタクハダチヂヒメはアマツミカボシに尋ねた。いいやと首を横に振り、簡単に事情を話すとタクハダチヂヒメはまぁと言い、手を合わせた。
「それは素敵ね。ぜひ楽しんできて! あ、でも。外はだいぶ寒くなっているわ。これ、良かったら羽織っていって」
 タクハダチヂヒメは衣紋掛けから厚手の羽織をアマツミカボシに袖を通しやすいように持つと、それを慣れた様子でかけると最後に解れがないかを確認し大きく頷いた。
「うん。これで寒さ対策はばっちりね。風邪をひかない程度に楽しんでらして」
「ああ。ありがとう。行ってくるよ」
「行ってらっしゃい!」
 タクハダチヂヒメは慈愛に満ちた笑顔でアマツミカボシを見送ると、また規則正しい音を奏で始めた。

 カタンカタン カタンカタン カタンカタン

「さて……行きますか」
 アマツミカボシは玄関の戸を引き、外へと出た。その瞬間、凛ととした寒さが頬に始まり全身を走ったのと同時に開けた空に浮かぶ幾万の星々がアマツミカボシを魅了した。思わず感嘆の息が漏れたアマツミカボシは、その魅力的に輝く星々をさらに観測するため、少し離れた丘へと向かった。その道すがら、アマツミカボシはタクハダチヂヒメから借りた羽織の有難みを噛みしめていた。その安堵の息はうっすらと白かった。
 目的地の丘まではまだあるが、ここからでも観測はできるかと試しに天球儀を取り出してみた。方角も間違っていないことを確認し、もっと注意深く観測をしようと腰を下ろしたとき、背後から突然何かが弾けるような音がした。
「……なんだ? こんな天気がいいのに雷なんて……はぁ……まさかとは思うけど……」
 アマツミカボシの考えは残念ながら当たってしまい、弾ける音がしたそのすぐ近くでは兄弟が闘気を剥き出しにしていた。
「おうおう。喧嘩売ってきたのはそっちだかんな。間違えんじゃねーぞ!」
「何を仰っているのか全く分かりませんね。さぁ、その乱暴な口もろとも整えてあげますよ」
「上等だよ! やってみろ!!」
 荒っぽい口調で雷を操っているのは雷神タケミカヅチ。事ある毎に喧嘩を吹っ掛け、暴れまわる少し困った神様でもある。一方、弟であるフツヌシは涼しい顔をしているのだが、その裏では怒りを沸々と煮えたぎらせている。フツヌシが所持している太刀からは紫色を放ちながら帯電をし、辺りに大きな虫がいるのではないかと思うくらいの音を発している。両者睨みあいが続き、緊張感が高まる中で最初に動いたのはフツヌシ。紫色に光る太刀を掲げるとゴロゴロと天が鳴り、太刀が避雷針の役割となりまっすぐにフツヌシ目掛け雷が落ちた。体に帯電をさせると、その力を太刀へと移しタケミカヅチ目掛け振った。紫電の刃はタケミカヅチへと飛んでいくと、タケミカヅチはげらげらと笑いながら片手で刃を受け止め受け流した。びりびりと電気が残る感覚を確かめたタケミカヅチの背後に冷ややかな声が聞こえた。
「こちらです」
「なっ!!」
 タケミカヅチは間一髪、フツヌシの斬撃を避けると振り向き様に裏拳を繰り出す。それをいとも簡単に避けたフツヌシは、さらに間合いを詰めてタケミカヅチに斬りかかる。
「どうしました。さきほどの威勢はどこへ行きましたか?」
「くそっ! ナメんじゃねぇ!!」
 タケミカヅチは自身の体に溜め込んだ電気を放出し、フツヌシに浴びせる。怯んだ隙にタケミカヅチも右手で雷を操り、フツヌシ目掛け放つ。
「轟け! 天雷よ!!」
「甘いです」
 軌道がすべて見えているもの程、避けるのは難しくなくフツヌシは必要最低限の歩数でタケミカヅチに近付き太刀を振るう。そういった攻防をアマツミカボシの背後で繰り返され、さすがに騒がしいと思い、すっと立ち上がり天球儀をそちらに向け、静かになることを祈り叫んだ。
「敵を穿て! 月光弓!!」
 天球儀から眩い光の筋が何本も現れ空へと昇る。その何本もの光の筋が矢の雨となり対象へと降り注ぐ。今回の対象というのは悲しいかな兄弟であるタケミカヅチとフツヌシなのだが……騒がしくしていた方が悪いと思い、躊躇なく放った。予期せぬ襲撃にあった二人は成す術もなく矢の雨を浴びた。浴びた二人の体は時折脈打ち、指先や手足の先は痙攣しているかのようにぴくぴくと動いていた。軽く伸びをしたアマツミカボシは静かになったことを確認し、再び天球儀を掲げ星の動きを観測した。目的地の丘まで行こうとしたのだが、ここからでも素敵な星の巡りを確認できたアマツミカボシは満足そうに微笑むと、寒空の下で一人天体観測を楽しんでいた。
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