★森の恵みたっぷり♪グリーンベリーティー【神】

文字数 4,376文字

 少女は歩いていた。目的があるわけではない。ただ何かに誘われるように、誰かに呼ばれているような気がする方向へと足を動かしていた。まもなく夜の帳が下りようとしている中、目の前には鬱蒼と生い茂る森があった。中へ入れば今よりも視界は悪くなり足場も悪くなることはわかっている。だけど、少女は歩みを止めるわけにはいかなかった。何かに呼ばれているその

の正体を掴むまでは……。

「そろそろ出来上がるかしら……」
 銀色の髪に紫の花を挿した少女が、真っ赤になったオーブンの窓をのぞき込んでいた。オーブンの中には黒い鉄板の上にきれいな丸が等間隔で置かれていた。次第に焦げ目がついてきたことを目視できた少女は厚手のミトンを装着し、取っ手を手前に引いた。すると、卵とミルクの甘い香りがキッチンの中にふわりと舞い上がった。その香りに思わず頬が緩んだ少女は思わずミトンを外し、一番手前にあった円形のものに手を伸ばしそのまま口へと運んだ。
「えへへ。ちょっと味見……あちちちっ! ……うんうん。さっくさっくで美味しいわ」
 指先に軽い火傷のようなものを感じながらも、少女は満足そうに微笑むと両手にミトンを装着し落とさないよう慎重にオーブンから黒い鉄板を取り出し、予め用意しておいた厚手の布巾の上に置いた。
「お母さまが教えてくれたレシピってどれも素敵だし、美味しいわ」
 あまりの嬉しさに微笑みが止まらない少女─ラプンツェルは、丸い焼き菓子をきれいに皿に並べ終えると、お気に入りの紅茶の準備を始めた。茶葉を蒸らしている間に外にあるテーブルに皿を運びティーポットを覗いた。ラプンツェル自身が摘んだ新鮮な森の果実をふんだんに使った紅茶は母親にも好評で、これがラプンツェルの得意な紅茶にもなった。茶葉も自身でブレンドし、いつでも淹れることができるよう工夫をして大きめな瓶の中にしまってある。
「さ、真夜中のティータイムを楽しみましょう」
 優に四人前はあるであろう大きなティーポットとティーセットを鼻歌を歌いながら外へと運んだ。歩く度に揺れるその様は、まるで雪で出来た花が舞っているようだった。


「……ここは……」
 既に夜が始まり、辺りには黒色が支配している森の中。水気を含んだ土の匂いと花の匂いが混じり、少女は少しだけ鼻をしかめた。普段嗅ぎなれないものだったのか、時々少女は立ち止まりむせ返った。あの気配は確かこの森の中だったと少女は思い返し、少し進んではむせ、また少し進んではむせを繰り返しながら少女は一歩ずつ確実に森の中を進んだ。
 濃紫色の髪に尖った耳、すらりとした体躯。この場には少し相応しくないヒールを履いた少女─シアンは魔族と人間との間に生まれた云わばハーフ魔族である。強大な魔力を持っていた父、それに対し何も持っていない平凡な母。なぜ父はあんな母を愛したのだろうとシアンは考えていた。だけど、何回も何十回も何百回とも考えたがその答えは見つからず、結局はいらいらして終わるを繰り返していた。
 なぜシアンはそこまで母を憎んでいるのか。それは、シアンに受け継がれた魔力の量だった。父の魔力をもってすればある大抵のことは解決するというのに、実際にシアンも魔力を開放させようと意識を集中しても、父のようにはならず中途半端な結果に終わる。その中途半端な結果はやがてどす黒い結晶となり、シアンの周りを一時的に浮遊し霧散する。そんな結果にシアンはいつも独り言のようにこう言っている。
「お母様のせいでお父様の魔力を受け継げなかった……」
 思い通りの結果にならなかったことにいら立ち、その結晶を何度も叩き気持ちをぶつけた。いくらぶつけても結果は変わらないということは頭では理解している……つもりなのだが、それを実際に目の当たりにすると憎まずにはいられなかった。
「……お母様が……憎い……」
 唇を噛みしめながら空を仰いだ。本来であれば空には数多の星が散りばめられているのだが、今は木々がそれを遮りちかちか光る星を拝むことはできなかった。
「もう……なんでこうなるのよ……」
 思わず涙が浮かびシアンは両手で顔を覆った。止めどなく溢れる涙はシアンの感情を哀色に染め、支配した。支配されたシアンは周りのことを気にする余裕もなくその場で泣き崩れてしまった。
「……あら……」
 今までは土と花の匂いしかなかったのに、今はその中に甘い香りが混じっていた。もしかして近くに人がいるのかもしれないと思ったシアンは涙を拭い、その香りのする方へと歩き出した。


 香りを頼りに進んでいくと、森の中の一部がぽっかりと空いた空間に辿り着いた。そして不思議なことに、外は確かに夜のはずなのだがその空間は仄かな明かりがぽつぽつと灯っていた。見たことのない光景にシアンはしばらく仄かな明かりが灯っていると思われる植物を見つめていると、それに気が付いた少女が声をかけた。
「あら、あなた。ひとり?」
「え? あ……あたし?」
「ええ。よかったらお茶でもいかがかしら? 一人だと少し寂しくて」
 銀色の髪をした少女に声をかけられ、シアンは少し戸惑うもゆっくりとその少女が腰かけている椅子に深く腰をかけた。
「あらわたしったら。まだ名乗っていなかったわね。わたしはラプンツェル。あなたは?」
「あたしは……シアン」
「シアンというのね。ここでお茶ができたのも何かの縁ね。今日は楽しみましょ」
 心の底から嬉しそうに笑うラプンツェルと名乗った少女に、シアンは軽く会釈をしラプンツェルからお茶を注いでもらった。ティーカップから新緑を思わせる香りにシアンの警戒心はすっかり解れ、一口含んだ。
「どう?」
「……美味しい」
「よかったぁ!」
 すっきりとした飲み口なのに、あとからたくさんの果実の香りが追いかけてくる感覚にシアンは驚いていた。今までに飲んだことのない紅茶に嬉しくなったシアンはいつしかラプンツェルとの会話を楽しんでいた。

 ラプンツェルの焼き菓子にも舌鼓をうち、すっかり打ち解けた様子の二人。ラプンツェルも気兼ねなく話しているとき、その会話の中のたった一つの単語で雰囲気は一変してしまう。
「この焼き菓子のレシピは

が教えてくれたの」
「……おかあ……さま……」
 ラプンツェルが何気なく口走った

という一言が、シアンの気分を害すのは十分すぎるものだった。さっきまで楽しく会話をしていたシアンの表情はすっかり怒気を含んでいた。
「シアン……どうしたの?」
「おかあ……さま……お母様……っ」
 どうしたらいいかわからないラプンツェルは、とりあえず落ち着かせようと何度もシアンの名前を呼んでみた。何度かの呼びかけに気持ちが落ち着きかけたのを確認したラプンツェルは胸を撫でおろし、新しい紅茶をシアンのカップに注いだ。
「シアン……大丈夫?」
「……ええ」
 頭を抱えて肩で返事をするシアンはあまり大丈夫そうに見えないけど、ここはシアンが話始めるまで待つしかないとラプンツェルは思った。淹れたての紅茶が冷めかけたとき、シアンはゆっくりと口を開いた。
「あたしは……お母様が憎いの。お父様の魔力を受け継ぐことができなかったのも……すべてはお母様のせいなんだから」
 ティーカップには自分が今どんな顔をしているのかが映っている。それは悲しみと苦しみに満ちた顔だった。その顔を見たラプンツェルはただシアンの言葉に耳を傾けていた。シアンはラプンツェルに今まで自分の母親が憎いということを話した。それに対し、ラプンツェルは否定をすることなくただ相槌を打ち、シアンに同調するように話を聞いていた。やがてすべてを話し終えたシアンは落ち着いたのか、すっかり冷えた紅茶に手を伸ばし口に含んだ。
「そう。そんなことがあったのね……」
「あなたはこんなところに閉じ込めた母親が憎くないの?」
「ううん。全然。むしろ、わたしはお母様が大好きよ」
「……嘘よ。そんなの」
「ううん。本当よ」
 わなわなと震えるシアンにラプンツェルは静かに続けた。
「確かに自分の思い通りにならないとつまらないって感じるときもあるわ。でもね、それはそれで楽しまなくっちゃ。なんでもうまくいったらそれこそつまらくなっちゃうわ。そうしたら人って努力をしなくなっちゃうの。そうしたら……悲しいわ。だからね。わたしはここに閉じ込めたお母様の気持ちを考えてみたの。外はきっと危ないからっていう気持ちなんだと思うの。それにね」
 そう言って冷め切った紅茶の代わりに新しい紅茶をシアンのティーカップに注ぎ、シアンに向かって朗らかに笑った。
「わたしね。今のあなたが大好きよ」
「な……なっ!!」
「今はシアンのお母様が憎いっていう気持ちが先行しているのかもしれない。けど、その意味を知ったとき、シアンはもっと素敵な女性になれると思うの」
「その……意味を……?」
「すべてを受け入れるっというのはすごく難しいけど、『お母様を憎んでいるのもわたしなんだ』っていう事実を理解するだけでも違うんじゃないかな? だってシアン。わたしとお話してるとき、とっても楽しそうに笑ってたわよ?」
「あたしが……笑ってた?」
「うん! 楽しそうに笑ってたわよ。そうやって『こういうのも自分なんだ』って思うことがシアンを苦しめている鎖を解きほぐす何かのヒントになると思うの。だから、もうそうやって自分や素敵なあなたを愛してくれたお母様を否定しないであげて。ね?」
「……無理よ。何度も何度もお母様を憎んだのに……今更……あたしには……」
「できるわ。うん! 絶対! 今からでも遅くないわ。だから……少しずつでいいから、『こういうのもあたしなんだ』って受け入れてみて。ね?」
「……うん……やってみる」
 シアンは泣いて腫れた目を擦りながら答えると、ラプンツェルは喜ぶと新しい紅茶を淹れなおすと言い家の中へと入っていった。その間、シアンはさっきラプンツェルに言われた言葉を頭の中で反芻していた。
「『こういうのもあたし』……か。考えたことなかったな」
 今まではただひたすら母親のせいにしていたけど、結局それは母親に責任転嫁して逃げていたのかもしれないと感じた。確かに魔力を受け継げなかったのは母親が原因かもしれない。けど、それを受け継いだからこそ今のあたしがいるんだ……でなければ、こうしてラプンツェルとお茶をすることもなかっただろうし……そう考えるとほんの少しだけ母親を受け入れてみようかなと考えを改めることができそうだった。
「お母様。ごめんなさい。今まで事ある毎にお母様のせいにしていました。けど、これからは自分の責任で生きていこうと思います。いつか、お母様に胸を張って『今がとっても楽しい』って言えるように……」
 仄かな明かりに向かって語るシアン。明かりに照らされたその顔はどことなく嬉しそうに笑っていた。
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