山盛りラズベリーのプチタルト【魔】

文字数 4,923文字

 寒空の下、もこもこのコートを着た女性が足早に歩いていた。薄目に淹れたダージリンのような淡い茶色の髪から覗く黒色の角、背中からはコウモリのような翼を生やし穴が目立つ黒いタイツを履いている。名前はアスモデウス。七罪の色欲を司る彼女は、瞳に魔力を込めればどんな相手も魅了させてしまうことができる。だが、彼女自身その力を行使したことはないという。それは、彼女の趣味と関りがあるとされている。それは、妄想。魅了させる力を使えばすぐ思い通りに動かすことは容易なのだが、そうすると彼女の中にある美徳に反するとともにそれ以上の楽しみがなくなってしまうという。だから、普段は悪魔でありながらその独特の喋り方で悪魔だけでなく人間と打ち解けるのにもそう時間はかからない。そう、妄想という爆弾にスイッチが入らなければの話だが。
 そんなアスモデウス。普段はいつもにこにこのご機嫌なのだが、今日に限ってはご機嫌斜めの様子だった。その理由は、七罪のトップである傲慢を司るルシファーについてだった。少し寒そうにしているから、何かプレゼントでもしようと自室で考えていたとき

妄想爆弾に火が着いてしまい、あれやこれやと妄想が捗ってしまった。
「ルシちゃんってばなんであんな寒そうな恰好しとん? もっとこう厚手の服とか似合いそうやねんけどなぁ。あぁ……ちょっと高めのブランドコート着たらカッコええやろうなぁ……いやいや、ここはシンプルなシャツでもええかもしれんな……あぁ決めかねるわぁあ」
 妄想が捗っているときのアスモデウスの声は(やや)大きい。その声を通り過ぎたご本人さまが聞いてしまい、アスモデウスが部屋を出るときに物凄い嫌悪感を含んだ眼差しを向けられたとか。それも無言で。
「あ……あぁ……ルシちゃ……ルシファー。おったんか……。う、うちちょっと用事思い出してん。あ、あははははは」
 逃げるようにルシファーから逃げるアスモデウスが行き着いた先は、やや雲が空を覆っていて寒々しい人間界の町だった。そこでアスモデウスは不満げに口を尖らせながら歩いていると、角を曲がったところで予期せぬ衝撃を受け、尻餅をついてしまった。
「いったたぁ……」
「あああああ……ご、ごめんなさい」
 ぶつかったのは栗色の髪をした少女だった。それも大量の紙を抱えながらだったのか、あちこちに散乱していた。
「いやいや。うちこそごめんな。しっかり前見とらんと……ん?」
 アスモデウスが一緒に少女の手から落ちた紙を拾っていると、そこには色々な考察が書かれていた。それもびっしりと。
「あ……あああ。恥ずかしい」
「あ、ごめんな。でも、こんなにびっしり書けるなんてすごいなぁ。何か書き物してるん?」
「あ、いえ。これはその……趣味というか……ご褒美というか……なんというか」
「趣味でこんなぎょうさん出るんかいな? 君、すごいなぁ。あ、うちアスモデウスっていうねん。よかったら名前教えてくれへん?」
 アスモデウスの人懐っこい笑顔に安心したのか、少女はもじもじしながら「ろ……ロッティです」と答えた。
「ロッちゃん! よろしゅうな。ところで、ロッちゃん、これから時間ある?」
「えっと……これを提出してからなら時間はあります」
 そうしてロッティは両手いっぱいに抱えた紙の束をアスモデウスに見せた。その量では前を見ることはおろか、足元すらもおぼつかない。提出する場所に行くまでどれだけの人にぶつかるかと思うと、アスモデウスは何かを思いついたように顔を光らせた。
「そんな大量の紙を一人で? よかったらうち、手伝うわ。さっきぶつかったお詫びってことで」
「え……そんな。悪いですよ」
 ロッティは首を横に振るも、アスモデウスはそんなことはお構いなしとばかりにロッティが抱えていた紙の束をごそっと奪い、歩き出した。
「あ、提出する場所? ってこっちであってるん?」
「あ、ああ。はい、あってます。って、待ってくださーーーい!」
 場所を聞き出したアスモデウスは紙の重さなど気にせず、ものすごい速さで走っていった。

「ふー。間に合ってよかったなぁ」
「ありがとうございます。アスモデウスさんに手伝って貰わなかったら……」
「ええってええって。気にせんといて。あのくらいならお任せや!」
 どうやらロッティの執筆物の提出時間がぎりぎりだったらしく、ロッティは安心からきた脱力に会場の出口でへたりこんでしまった。それをアスモデウスは近くで販売していた水を手渡すと、ロッティはようやく心から笑うことができた。
「うん! ええ笑顔や!」
「あ……そ、そんなに笑ってました?」
「うん。不安なことが全部ばーって感じ?」
 アスモデウスが体を使って説明をしていると、ロッティは「確かにそうかもしれません」」と、表情を曇らせてながら答えた。それに疑問を感じたアスモデウスは近くに喫茶店がないかを探すと、そこへロッティを連れて行った。店内はやや賑わっていてどこかに落ち着ける場所がないかアスモデウスが探していると、店の奥から笑顔のウエイターがやってきた。だが、その笑顔もロッティの雰囲気を察したのか、少しの間だけ厳しい表情をした後に「こちらへどうぞ~」と言いながら笑顔に戻った。通されたのは店内の喧騒から少し隔離された小さな個室だった。ここならロッティが抱えていることを周りに聞かれることもないだろうと思ったアスモデウスはウエイターに何度も頭を下げてお礼をすると、ウエイターは「何かあったら呼んでくださいね」と気持ちの良い笑顔で対応してくれた。
 二人は腰を下ろし、まずは運ばれた水に口をつけた。その後、ロッティは声を押し殺しながら抱えていることをアスモデウスに打ち明けた。
「出会ってすぐにこんな話をしたら……だけど、もう抱えているのが苦しいので、少しだけお話してもいいですか?」
 苦しそうに胸を抑えながら発言をしているロッティ。その様子をアスモデウスは無言で頷き、ロレットから話を切り出すのをゆっくりと待った。そしてロッティは意を決したのか、真っ直ぐとアスモデウスの瞳を見ながら口を開いた。
「あたし、妄想話を書くのが好きなんです。あの人はどんなことしてるのかなーとか、あの人にこんな服とかも似合いそうだなーとか……。さっき、持っていただいたものは、あたしが書いた創作物なんです。そして、さっき提出したものを最後にしようと思ってまして……。ずーっとこれを職場の人に内緒にしておくのも限界なのかもって感じているのも事実なんです……」
 さっきアスモデウスが軽々と抱えていたもの。それはロッティが書いた創作物だと聞かされ、アスモデウスは少し驚くも今はロッティの話を聞くのが先だと思い、静かに頷いた。
「最近、仕事が忙しくてこっちの活動に支障が出てしまっていて……締め切りもぎりぎりで出すことが増えてしまい、それがストレスになってきてしまったのです。だから、今回提出したもので最後にしようって思っていました」
 今の仕事というのは、経典などの写本を職業としている。最近は仕事量が増え、書き写す量が増えてしまい、いつもなら書き写す合間に色々考えているのだがそんな暇すらないくらいに忙しい毎日を送っているという。ただひたすらに言われるがまま書き写し、終われば新しい書き写す書物を渡され、また書き写していくを繰り返していくうち、創作意欲が徐々に欠如してしまったと涙ながらに話した。思いの全てを吐き出したロッティはさっきよりはすっきりした様子ではあるが、どこかもやもやがかかった薄曇りのような笑顔をしていた。まるで今の空模様と同じかのような少しどんよりとした表情だった。
「あー。これで開放されると思うとすっきりしちゃったな。えへへ」
「妄想話が好きって言うたな」
 アスモデウスは口調は変わらずにロッティに尋ねた。すると、ロッティは小さく頷いた。そしてロッティは鞄からいくつかのファイルを取り出し、アスモデウスに手渡した。そこには今までに書き溜めた彼女のアイデアがびっしりと書き込まれていた。
「ちょっ! ロッちゃん! なんなんこのアイデア!」
「へ?」
「あんな。うちも妄想すんの大好きやねん。いやー、同じことで話せる人とかおらんかったから、ロッちゃんと会えて嬉しいわぁあ」
 アスモデウスはロッティが書いたアイデアを見て唸ったり、感心したりと忙しく表情を変えながら眺めていた。ときどき「そういう考え方もあるかー!」と声を上げて喜んでいる様を見たロッティはおずおずと尋ねた。
「あ……あの。アスモデウスさん? アスモデウスさんもこういったお話はお好きなのですか?」
 聞くとアスモデウスは大きく頷いた。何度も何度も首を縦に動かして「だぁい好きやでぇ!」と答えるアスモデウスを見たロッティは、胸の奥がふつふつと湧き上がる何かを感じていた。
「あ、ロッちゃんに聞きたいんやけどな。うちの上司に一人寒そうにしてる人がおんねん。んでな、その人に何かあったかそうな物をあげるとしたら何がええと思う?」
「えっと、プレゼントということですか?」
「そうそう。見てるこっちが寒くなるからな、なにかそういうもんがあってもええと思ってな」
「なるほど。やっぱりこれから寒くなるのでふかふかのコートとかどうでしょう?」
「やっぱりコートええよな。んでな、その上司ったらあだ名で呼んだらすんごい目でうちを睨むねん。こーんな目しとってんで?」
 アスモデウスはその時に受けた嫌悪感に満ちたルシファーの目を再現して見せた。するとロッティはくすくすと笑い、しまいにはお腹を抱えて笑い出した。
「あははは。その上司さん、よっぽどあだ名が嫌だったんですね」
「えー。可愛い思うねんけど」
 ひとしきり笑ったロッティは涙を拭いながら、アスモデウスと一緒にどんあプレゼントがいいかを考えた結果、最初に考えたふかふかのコートに決定した。そして話題は、お互いの妄想についてだった。アスモデウスのアイデアはロッティに、またロッティのアイデアはアスモデウスの考えつかなかったようなものばかりで、互いに刺激しあっていた。
「アスモデウスさん。このアイデア、いいですね! あぁ、なんか……浮かびますぅう」
「やろやろ? でも、ロッちゃんのこのアイデアも素敵やねん!」
 こうして互いが出した妄想のキャッチボールは膨らみに膨らんで、ロッティが持ってきた紙の量では収まらないくらいとなった。それを眺めたロッティはそれを大事そうに抱きかかえ、アスモデウスに深々と頭を下げた。
「アスモデウスさん。今日、あなたに会えなかったらこんな素敵なアイデアは生まれませんでした。本当にありがとうございます」
「いやいやー。うちはなんもしとらへんよ。それに、なんやロッちゃん。ええ顔しとるやん?」
 アスモデウスの目の前にいるロッティは、何か強い意志を感じるような希望に満ちた顔をしていた。
「はい! さっきはうじうじしててすみません。でも、アスモデウスさんとこうして意見交換できて、創作意欲が湧いてきました! 今すぐには難しいですが、いつかアスモデウスさんと一緒に出したこのアイデア達を作品にしますので、待っててくれますか?」
「ええ? ほんまに? ええやんええやん! ロッちゃんの話、楽しみにしとるよー!」
「それと、またこうして意見交換してくれると嬉しいです」
「うちでええの? うちでええんならいつでもええよ♪ うちも色々話せて楽しかったし」
「ありがとうございます!!」
 こうして二人は喫茶店を後にし、ロッティは何度もアスモデウスにお礼を述べた。それに対しアスモデウスはロッティの頭を優しく撫でながら「また会おうな♪ それと、体調には気を付けるんやで!」と言うとロッティは力強く頷きアスモデウスに背を向けた。その足取りはなにか新しい道を見つけたかのような力強さを感じた。そんなロッティの背中を見送ったアスモデウスも、満足そうに微笑みながら空を仰いだ。

 後日。再び人間界に訪れたアスモデウスは、とある書店である書物を見つけ足を止めた。その書物の作者は、つい先日一緒に妄想話で盛り上がったあの女の子の名前が書かれていた。
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