バラ香るフランボワーズムース クリームチーズを添えて

文字数 6,585文字

 貴族たちが暮らす屋敷街。一般の者は入ることや中の様子をうかがうことも叶わない豪邸ばかりが立ち並ぶ一角がある。貿易商や交易商はもちろん、親の代から引き継がれてきた伝統や財産を湯水のように使う人ばかりがいるとの噂も絶えない。その中でも、皆が口を揃えて「あそこだけは違う」と言う屋敷があった。
 その屋敷の格式はトップクラスでありながらも、一般の人に対しても分け隔てなく接してくれると評判で気さくに声をかけてくれるので非常に好感度が高い。屋敷の主も身内だけではなく、屋敷で働いてくれている人に対しても優しいとどこからか入った情報で、いつかはあのお屋敷で働いてみたいという女性が後を絶たない。しかし残念ながら募集をしていないとのことに肩を落とすも、それでも一度見たら忘れられないくらいのあの笑顔はそれに十分匹敵するくらいの嬉しさがあった。
 そして今日。その屋敷で盛大なバースデーイベントが開催されようとしていた。そのためか、人の出入りが非常に多く、知らない住人からすれば何事かと疑ってしまう程の規模だった。見慣れている人ですらもその人の多さは少し違和感を覚えつつも、今日は何かイベントがあるんだなという認識で済ませた。

「んー! いい天気ね」
 リリティエは大きく伸びをしながらカーテンを開ける。眩い太陽の光がリリティエをやさしく包み込む。そのぬくもりを感じながら、なにやら人の出入りが多いことに気が付く。何事かと考えていると、ああと納得しカレンダーを見た。
「そっか。今日は私の誕生日だったんだ……。忘れてた」
 ここ最近、忙しかったためかそのことすらも忘れていたリリティエはえへへと小さく笑った。しかし、ここまで人の出入りが頻繁になるほどのものかなと思いながらも用意された衣服に袖を通す。ラズベリー色のジャケット、ドレープがついたスカート、そして紫色のヒール。どこか怪しげな雰囲気がありつつも気品があるコーディネートにリリティエはメイドに心の中で拍手をした。普段はあまり仲が良くないのだが、こういった服のコーディネートに関しては任せられるというなんとも複雑な関係だった。
(服のセンスだけはいいんだから。……やぁね。私ももっと大人にならないと)
 心の中で呟きながら、メインホールへと続く階段を降りると靴音で気が付いた屋敷の主の顔がぱっと明るくなり、リリティエに優しくハグをした。
「おお。我が最愛の娘よ。今日は誕生日おめでとう」
「ちょっと……パパ。やめてよ。恥ずかしいよ……」
「いいじゃないか。今日はお前の誕生日なんだ。これくらいはいいだろう」
 頭をぽんぽんされながら、ハグを中々辞めない父親を軽く突っぱねるようにしたリリティエはなんでここまで人の出入りが頻繁なのかを尋ねた。
「そりゃあ決まってるだろう。お前の誕生日を祝うための準備だ」
「……にしては、ちょっと大げさすぎない? きっと周りの人も驚いてるわよ」
 リリティエの指摘に父親はああと嘆くような表情をすると、端末を取り出して何やら指示を出していた。やがて指示を出し終えた父親はこれで大丈夫だと満足そうにほほ笑むと、またリリティエをハグした。
「ちょっともう……パパ……」
「いいじゃないか。父さんは嬉しいんだ。お前がここまで大きくなってくれたことが……な」
「……ありがと」
「うんうん。準備ができたら呼ぶから、それまでもう少し待っててくれ」
「わかった」
 そう言って、リリティエはメインホールを後にした。まだ時間がかかる……か。にしても、どこまで盛大にすれば気が済むのかと内心思ってしまったがそれは敢えて口にしないでおき、暇つぶしも兼ねて屋敷の中の様子を見て回ることにした。メインホールの真正面は会場設営で右往左往しているメイドたちでいっぱいだった。あっちではテーブル足りないだのこっちではクロスが足りないだのと半ば戦場に近い様子だったので、関わらない方が身のためかもしれないと思ったリリティエは立ち寄らずに去った。
 次に見て回ったのは会場設営しているホールから見て東側にある部屋。ここは様々な備品を扱っているようで、奥までいかなくても扉付近にぶら下がっていた在庫表を見ればすべての備品が網羅された表を見れば済むようになっていた。
「……細かいところまでしっかりしてるわ……」
 表を見ただけでわかるようにしたこのアイデアは、メイド長のもので少しでも効率が良くなればと思い、メイド長一人で完成させたものだった。それを今の副メイド長にもしっかりと引き継ぎ絶やさないようにときつく言われていたとリリティエ専属のメイドが零していたのを思い出した。
「これのおかげってことよね……」
 中に入って転んだりしたら大変だと思い、リリティエは備品が入った部屋の扉を静かに閉めて次の部屋へと向かった。次の部屋はシーツやピローケースなどのリネン類が入った部屋だった。洗い立ての清潔な匂いがリリティエの鼻をいたずらにくすぐると、ここもきれいに整理整頓されている様子に声を漏らした。シーツはシーツ、ピローはピロー、予備のベッドパッドなどが美しく並んでいるのをしばし、リリティエは眺めていた。
「あらお嬢様、どうかされましたか」
「ひゃあ!」
 背後から突然、メイドの一人が声をかけリリティエは驚きのあまり変な声が出てしまった。
「あ……あぁ。こんにちは。ちょっとあちこち見て回っていたんです……」
「そうでしたか。脅かせてしまったみたいでごめんなさい」
「い……いえ。お気になさらず」
「もう少しで準備が整うとのお話がありましたので、お待ちくださいね」
 柔らかく微笑み、そのメイドはさっき入った備品の部屋へと入っていった。まだどきどきしている胸を抑えながら、隣の部屋を覗くとそこでは休憩中のメイドたちが談笑をしていた。
「あらお嬢様。こんにちは」
「あらやだ。聞かれちゃったかしら」
「ほらほら。お嬢様も召し上がってください」
 手招きをされたリリティエは、メイドたちが口にしているお菓子を手渡された。少し固めなクッキーのようなものだが……これは何かと尋ねるとメイドたちは嬉しそうにスコーンと答えた。
「これ、実はお嬢様専属のメイド手作りなんですよ」
「え……そうなの?」
「あの人、顔に似合わずお菓子を作るの上手ですからね」
「……誰が顔に似合わずですって……?」
 けらけら笑っているメイドの後ろで腕を組みながら見下ろしているメイド……この人物こそがリリティエ専属メイドでありこのスコーンの作り手。ややきつめの印象を受ける視線、女性にしては身長は高く視線も相まってか睨まれたらかなりの迫力だ。そのメイドの怒気は収まらず、けらけら笑っていたメイドを微動だにせず睨み続けていた。
「あ……あらやだ。あたしったらリネンほっぽりっぱなしだったわ。片づけなきゃ」
 ばつが悪そうにその場から去っていくメイドを終始睨み続けるその姿は、まさに鬼の形相だった。自分もこんな風に睨まれないように気を付けようと心の中で決め、部屋から出ようとしたとき声をかけられた。
「リリティエ様」
「……はい」
「関心しませんね。無断であちこち歩きまわられては」
「……すいません」
「リリティエ様がお怪我されたらどうするのですか」
「……気を付けます」
「それと……スコーン。美味しい……ですか?」
 急いでスコーンを頬張り、むぐむぐと噛みしめながら食べてごくり……。リリティエはまっすぐに美味しいと告げると、専属メイドは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「え……なにかおかしなこといいました……??」
「い……いえ。その……美味しいと言ってくださって嬉しかっただけです」
「うん。とっても美味しい。今度、紅茶と一緒に食べたいかな」
「わかりました。最上の紅茶と一緒にお持ちしますね」
「うん。それと……ごめんなさい」
「いえ……。わたしもきつく言いすぎました。申し訳ございませんでした」
 リリティエはメイドたちの部屋を出るとき、小さく頭を下げて出て行った。そして、リリティエは専属メイドが厳しく言っている理由を考えてみた。身だしなみや生活態度、発言内容などもすべて自分のことを思ってのことだったと思うと、謝罪と感謝の気持ちでいっぱいになった。やがて胸にじゅんとした何かがこみ上げ、リリティエはそれを自分の手で抑えた。
 落ち着いたリリティエは次の部屋へと入ろうとしたのだが、廊下を入っていたメイドに準備が整ったと聞かされ、すぐにメインホールへと向かった。到着すると、そこにはさっきまで殺伐としていた雰囲気はなく、代わりにリリティエの誕生日を心から祝おうとしてくれているメイドたちでいっぱいだった。
「お嬢様。大変お待たせしました。準備が整いましたので、どうぞ中へお入りください」
 両脇にいるメイドたちの間を通ると、ぴしりと整えられたテーブルに清潔なクロスが敷かれ、その上には出来立ての料理が今か今かと出番を心待ちにしているようだった。そして会場の奥にいる父親は、娘の顔を見てまた嬉しそうにほほ笑み手招きをした。誘われるまま向かうと、またハグをし娘の頭を優しく撫でた。ハグを終えると、メイドの一人がグラスを持ってきてリリティエに差し出す。まだお酒は飲めないので中はジュースだと父親から言われ、ほっとしてまずは父親とグラスを重ねた。チンと乾いた音がなんとも心地よく、リリティエは改めて自分の誕生日を祝ってくれるみんなに対してと、自分自身に感謝をした。
「では、これより我が娘の誕生日パーティーを開催いたします。乾杯っ!」
 乾杯と同時にグラスを掲げるメイドたちや、親戚、そして遅れてやってきた母親が息を整えながらも一緒に乾杯をしてくれたことに、リリティエの目から涙が伝った。すぐに母親のもとにかけより今度は自分からハグをし、無理してきてくれた母親に感謝の意を述べた。
「ママ……忙しいのに無理言ってごめんなさい……」
「何言ってるの! 自分の娘の誕生日を祝わない親がどこにいますか! お誕生日、おめでとう! リリティエ。私の可愛い娘!」
 リリティエがハグするよりも倍近くの力でハグをする母親に、恥ずかしさもありながらもどこか嬉しそうなリリティエはしばらく抱擁を楽しんだ。
「なんだよぉ。なんで母さんだと喜ぶんだよー」
「あなたはお構いなしなんですよ。もう少し弁えなさい」
 口を尖らせて不満を漏らす父親に注意をする母親を交互に見たリリティエは、この幸福がいつまでも続くようにと願った。この時を忘れたくないという思いがそうさせたのか、リリティエは母親の体をぎゅっと抱きしめた。
「あらあら。今日は甘えたさんなのかしら。うふふふ」
「ちょ……ママったら……」
「うふふ。冗談よ。あ、そうだ。プレゼントがたくさん届いてたわよ。選んできなさい」
「え? 届いてるって……ここに?」
「そうよ。今、メイドたちが用意してるみたいだから……ほら、あそこよ」
 そういえばさっき、乾杯の挨拶をした場所の近くに個室があったのを思い出したリリティエはそこへ行ってきなさいと母親に促されるままに行ってみた。中ではいくつかのプレゼントが広げられており、手紙を添えられているものもあった。指輪やネックレス、アンクレットと小物が多いなかひと際目を引き付けたものがあった。
「なに……これ」
 ほかのものとは類を見ないほどの禍々しさではあったが、何とも言えない不思議な魅力を感じたイヤリングだった。まるでドクロのような装飾の周りに棘があり、手に持つとその棘が怪しく揺れる。メイドが個室から出ていくのを見計らってリリティエはそのイヤリングを身に着けてみた。
「痛っ! え……なにこれ……と、取れない」
 装着は至って簡単だったのだが、違和感を覚えたリリティエはそれをすぐさま外そうとするも外すことができなかった。いや、棘が邪魔をして外せないといった方が正しいだろうか。外そうとするとドクロの周りにある棘がまるで意思があるかのように伸び、リリティエの手を傷つける。イヤリングから手を放すとその棘は収縮しもとの大きさに戻るという不気味さだった。
「お嬢様。どうかされましたか」
 異変に気が付いたメイドの一人がリリティエに近づくと、棘が伸びてメイドの手を貫いた。メイドの手からはまるでワインのような液体がぼたぼたと零れ、口からは苦悶の声が漏れた。
「うっ……」
「ご……ごめんなさい。でも、これ……私じゃないの……私のせいじゃないの!」
 リリティエは必死に訴えるも、そのメイドの目は既に生気を帯びていなかった。動かなくなったメイドからなにやら白いものが浮き、迷いながらもそれはイヤリングに吸い込まれていった。
「な……なに。いやっ!」
 リリティエの耳からぶら下がっているイヤリングは少し大きくなり、近づくものを手あたり次第に傷つけていく。不用意に近づこうものならさっきのメイドのようにイヤリングから伸びた棘により生命を奪われてしまう……。
「いや……いやああああ」
 パニックになったリリティエは声の限り叫び、うずくまった。その悲鳴を聞きつけたメイドや両親、親戚がかけつけるもリリティエは近づかないでと忠告をした。
「な……なんでだい。なんで近づいたらいけないんだい」
 リリティエは個室の近くで転がっているメイドを指さす。何も言わずにこれだけを差された父親はそれで察してしまった。
「まさか……お前じゃないんだよな」
「あなたでないと信じています。誰がこのメイドを……?」
 それでも答えないリリティエに、両親の顔は真っ青になった。なんでこんなことになってしまったのかと嘆くよりも、今はリリティエの身の安全を確保する方が先だと判断しリリティエにそこから出るように促した。
「……いいけど、私に絶対に近づかないで」
「近づくなと……うぅむ。わかった」
 リリティエが個室から出てくると、リリティエの耳元で怪しく嗤うイヤリングがあった。そのイヤリングのせいなのだと両親は頷き、もう一回外してみてくれないとお願いをするも、リリティエはそれを拒んだ。なぜならリリティエの手はその棘による拒絶の跡が残っていたからだ。
「……何もできないのか」
「……あるよ。みんなを傷つけない方法なら」
 力ない声で発したリリティエは、真っすぐ玄関に向かって歩き出した。
「ど……どこへ行くんだ」
「みんなを傷つけないどこか……」
「待ちなさい!」
「来ないで!」
 父親が我慢しきれず、リリティエに近づこうとすると棘は父親の手を貫こうとした。あと一歩、あと一歩前に出ていたら生命の危険にさらされていたのかと思った父親はごくりと息を飲んだ。
「ごめんなさい。パパ、ママ……もう私に近づかないで。でも……最後に一回くらいはハグされたかったな……でも、もう叶わない……よね。ごめんなさい」
「リリティエ……パ、パパはそれでもお前を愛してる。きっとそのイヤリングも外れるから心配するな!」
「そうよ。あなたは私たちの娘であることには変わりはないんだから……だから……だから……」
「ありがとう。パパ、ママ。これを外せる人がいるかわからないけど……外れたときは……またぎゅってしてくれる?」
 二人は力強く頷き、涙を拭う姿にリリティエは別れを告げて生まれ育った屋敷を後にした。このイヤリングが外れるかなんてわからない。でも、この屋敷にいたらきっとみんなを傷つけてしまう……そんなのは嫌だ。だったら、わからないけどみんなを傷つけない方法ならこれしかない……リリティエは特に何も持たず屋敷を出ようとしたときだった。背後から大きな声が聞こえた気がしたリリティエは振り返った。
「お嬢様! お戻りの際、美味しい紅茶とスコーンを用意していますから! 必ず! 必ずイヤリングが外れたときは戻ってきてください! 私は……いつまでもあなた専属のメイドでございます!」
 普段、滅多に声を荒げないリリティエ専属のメイドは声を震わせながら叫んだ。その叫びはきっと本心なのだろう、メイドの目からは涙が溢れていた。その言葉が届いたリリティエは遠くから大きく頷いて見せた。門扉を潜り、ついにはリリティエの姿は完全に見えなくなってしまった。それでも、全員微動だにせずリリティエの背後を見守る形で立ち尽くしていた。いつ帰ってくるかもわからない、その姿を……。
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