クレッシェン・ド・オペラ【魔】

文字数 4,185文字

 明るく華やかな町を出てどれくらい時間が経過しただろうか。既に体は疲弊しきっており、歩くのがやっとという状態の中、少女は闇に包まれた空を仰いだ。弱々しく光る星を見て目をすっと細め「まるで今の自分みたい」と零した。
 クランベリーのような髪にヘッドトップのリボンを付け、どこかもの悲しさを感じる少女─リリティエは自身の誕生日会で開けた贈り物の中にあったイヤリングを身に着けてしまってから、彼女の周囲に近寄る人を見境なくイヤリングから延びる禍々しい茨によって傷つけてしまう。それは例え家族であっても例外ではなく、育ててくれた母や父、はたまたお手伝いさんにまでその魔の手が伸びてしまうことを恐れ、リリティエは生まれ育った屋敷を出ていくという決断をした。
 その後、吐く息が白くなるまで寒いある日。リリティエは温かな明かりがあちこちに灯る町へ立ち寄った。そこにはプレゼントボックスを模した装飾やちかちか光る電飾で彩られ、そこでリリティエは「今はクリスマスに近い日なのね」と知った。誰もいない町の中にぽつりとあった小さなクリスマスツリーを見ながら、リリティエは家族と過ごしたあの日を思い出していた。暖炉の中で薪が燃えるぱちぱちという音や、お手伝いさんが腕によりをかけて作ってくれた美味しいご馳走、母親と父親の笑い声で溢れていたあの日を。思い出しているとふいにこみ上げるものに、リリティエは漏らさないよう必死に堪え雪道を歩き町を後にした。
 しばらく何も食べていないことに気が付いたリリティエは、くうとなる自身のお腹に手を当てた。何か食べたいけど、今は何も持ち合わせてないしどうしようかと困っていると、リリティエの視線の先にぼんやりとオレンジ色の光が見えた。もしかして誰かの家かなと思い、小走りで近づくとそこは大きな屋敷だった。白を基調としたその屋敷は、見るからに豪邸でそれだけで中へ入る人を選別できてしまうほどだった。
「なんでこんなところにお屋敷が……」
 不思議に思いながらも屋敷へと近づくリリティエ。きれいに切り込まれたトピアリーや、手入れの行き届いた花壇は見ているだけで心が和んだ。ベンチやテーブルもシンプルなもので統一されており、心なしかリリティエは懐かしさを覚えていた。
「誰かいないかしら……」
 恐る恐るドアノッカーに手を伸ばし、こつこつと音をたてた。すると音もなく開いた扉の先にメイド服を着た女性が深々と頭を下げていた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「お、お嬢様……?」
 どういうことか理解が追い付いていないリリティエは、メイド服を着た女性に色々尋ねてみた。ここはどこなのか、お金の持ち合わせがないこと、それと……。あれ、おかしい。リリティエは自身で気付ける変化に戸惑っていた。
「どうかなさいましたか。お嬢様」
「あ……あ……どうして……」
 いつもならイヤリングから茨が伸びて近付いている人を攻撃しているというのに、今目の前に茨はなく普通に接することができている。どういうことなのと頭を抱えるリリティエに、メイド服を着た女性はゆっくり近付き微笑んだ。
「ご心配しなくても大丈夫です。ここは

なのです」
「そ……

?」
「はい。呪具や魔法がかかったアイテムの効果を消す特殊な効果を発しております。なので、お嬢様が思っている事態はここでは起こりません。さぁ、こちらへどうぞ」
 メイド服を着た女性の手を取り、リリティエは屋敷の中を歩いていくと大きな扉の前に到着した。女性は恭しく頭を下げ、中へ入るよう無言で訴えるとリリティエはゆっくりと扉を押して中へ入った。
「いらっしゃませお嬢様。本日は心行くまでお楽しみくださいませ」
 配給係の男性がリリティエに挨拶をし、小さなグラスを差し出した。黄金色に輝く液体の中は小さな気泡がふわふわと舞っていた。恐る恐る口に運ぶと、それはアップルソーダーだった。瑞々しいリンゴの酸味とぱちぱち弾ける気泡がとても飲み心地がよかった。ふっと安心したリリティエが部屋の中を見渡すと、そこには立食形式のスタイルがとられた部屋だった。あっちではサンドイッチなどの軽食、こっちでは肉料理、そっちではデザートなど好きなものを好きなだけ選んで食べられる。もちろん、それとは別に食事ができるスペースもあるので立食が落ち着かないという人の配慮もされていた。
「こんな豪華な食事を見たのはいつぶりかしら……」
 リリティエの他にも紫色の髪を両サイドでくくっている少女や、爽やかな黄色のスーツをびしっと着こなした男性など様々な人が食事を楽しんでいた。リリティエも空腹に負けてしまい、配給係の男性から小さ目のディッシュを受け取ると、まずは簡単に食事が摂れそうなものを選んでいった。しばらく夢中になって盛り付けをしていると、誰かとぶつかってしまったのかちょっとした衝撃がリリティエを襲った。
「きゃっ」
「おっと」
 振り返り、すぐに謝るリリティエ。そこにはさっき見た黄色のスーツを着た男性だった。男性も「悪い悪い。よそ見してたわ」と言い、何度も謝っていた。さすがにもういいと言いかけたとき男性は急に表情を明るくして聞いてきた。
「君ももしかして……」
 その先の言葉はなんとなく察しがついていたリリティエは、小さく頷くと男性はさらに一段階明るい笑顔になり「そうかそうか」と納得していた。どういうことか聞くと、どうやらこの男性もリリティエと同じ境遇らしい。更に言えば、男性と一緒に食事をしている紫色の髪の少女もそうだという。こんなめぐり合いがあるのだろうかと信じられなかったが、男性はリリティエに「一緒に話でもどうだい」と誘われ、戸惑いながらも小さく頷いた。
「え、ええ」
「よかった。おれもこういう場所があるなんて知らなかったからさ。今日はツイてるぜ」
「あら? 新しいお客さんかしら?」
 紫色の髪の少女がリリティエに気が付き、会釈をした。リリティエも会釈を返し簡単に自己紹介を始めた。
「おれはトリスタン。右腕にあるこの蛇の腕輪の呪いにかかっちまってんだ。普通にしてるだけなら問題はないんだけどな」
「あたしはリティス。この水晶の首飾りから聞こえる魔女の声に悩まされてるの。でも、ここじゃ魔女の声は全然聞こえないから驚いちゃった」
「わ……わたくしはリリティエ。このイヤリングの呪いで周囲の人を傷付けてしまうの。でも、ここは……そうならないのね」
 最初はおっかなびっくりで話していたリリティエだったが、次第にお互いの境遇を聞いているうちに心を開いていき表情も少しずつ明るくなってきていた。三人が打ち解けたときには、すっかり笑顔で溢れていた。
「いやぁ。こんなに話が盛り上がるなんて思わなったぜ。リティスちゃんにリリティエちゃん。今日は色々話してくれてありがとうな。おれも明日から頑張れるよ」
「こちらこそ。トリスタンさんのお話、とっても面白いからついつい聞き入っちゃった。リリティエさんのお屋敷もどんなところかとっても気になったわ。この呪いが解けたら遊びに行ってみたいわ」
「ええ。もちろん。皆さん、歓迎しますわ。その時は、トリスタンさんもぜひ」
「え、女性陣の中におれが入っていいのか?」
「何を仰っているのです? わたくしたちはこういう境遇だから知り合えたのです。この縁を大事にしていきたいと思っていますわ」
 リリティエはにこりと微笑むと、トリスタンは目頭を押さえながら嗚咽を飲み込んだ。リティスがハンカチを取り出しトリスタンに差し出すと、それを受け取り頬を伝う涙を拭った。
「あぁすまねえ。いい年したおっさんが泣くなんてな。というのもな、おれは最初こんな呪いがなければなんてことばかり考えてたんだ。そうすればもっといい生活があったのかとも思ったんだ。だけど、今は不思議な気持ちなんだ。この呪いがあったから素敵な女性陣にお会いできたんだからな」
 恥ずかしそうに頭を掻きながら話すその仕草に親しみを感じたリティスは、くすっと笑うとそれにつられてリリティエもくすっと笑った。こうして呪具を持った者たちの歓談は終わりを告げた。

 屋敷を出る際、メイド服を着た女性から小さな白いカードを受け取った。そこには「メンバーズカード」と書かれていた。裏には何も書いていないとてつもなくシンプルなものだった。
「これは……?」
 リティスが尋ねると、メイド服を着た女性は小さく会釈をした後、説明をした。
「不定期ではありますが、こういった集会を行いますのでその参加証といったところです。そちらをお持ちの方は裏面に日時と場所が浮かび上がる仕様となっておりますので、もしご参加を希望であれば会場までご招待致します。会費は無料です。参加資格は……皆様ならお分かりいただけるかと」
 互いに顔を見合い、「そういうこと」と納得。そしてメイド服を着た女性は深く頭を下げ「次回開催をどうぞお楽しみに。では、失礼いたします」と言い、玄関の扉を静かに閉めた。すると、さっきまであった白色を基調とした屋敷は幻だったかのように消え失せていた。一体どういう魔法なんだと驚くトリスタンに二人はただ唸ることしかできなかった。

 でも……

「これがあれば、またお話ができるんですね」
「そういうことだな。それまでにたっくさん面白い話を仕入れておかないとな」
「わたくしもなんだか元気が出てきました。また逢う日まで……ごきげんよう」
 こうして三人はそれぞれの方向に振り向かずに歩き出すと、空にはうっすらと夜明けを告げる鳥の鳴き声が聞こえていた。
「また……会えますわよね。きっと」
 リリティエも自身のイヤリングで、たくさんの人を傷つけてしまったこともあり、このイヤリングがなければなんて思ったことは数えきれないくらいにあった。だけど、今はこのイヤリングがあったから出会えた素敵な人たちもいるんだと思うと、トリスタンが言っていたようになんだか不思議な気持ちだった。そして、この不思議なメンバーズカードでまたあの人たちとお話ができるんだと思うと、悪くはないかなと思うリリティエ。
「あ、素敵な夜明けね。なにかいいことがありそう」
 きれいな夜明けを前に、リリティエも気持ちはわくわくとどきどきで満たされていた。またあの人たちに会える。それだけで苦しくても頑張れそうな気がしていた。
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