心と気持ち弾けるシトラスティーソーダー【魔】

文字数 4,809文字

 膨大な頁数の書物とにらめっこをしながら、唸り声をあげている魔女がいた。その書物に書かれているレシピの通りに素材を入れ、魔力を注ぎ、仕上げに二日間寝ずに注視すれば完成するはずの薬品が、何度精製しても失敗が続いている。これで何度目かわからないため息を吐き、すっかり冷たくなったお茶を啜る。
「はぁ……前はもっと上手くできたはずなのだけれど……どうしちゃったのかしら」
 頬杖を突きながら落胆の息を漏らす魔女─ルキアは寂しげな表情で窓から見える夜空に浮かぶ星々に問いかけた。答えが返ってこないのは重々承知なのだが……それでもルキアは言葉にしないと落ち着かなかった。
 こうも失敗する前は、邪竜討伐のためだとか自分の好奇心に任せてただがむしゃらに研究を重ねて重ねて、実験して結果を残して満足していた。しかし、ルキアが永年欲してやまない秘術「封印術」は手に入らなかった。一度は諦めかけたが、それが悔しくて何度も何度も地図を見比べ現地に赴き、探したが結局見つからなかった。それさえ手に入ればもっと満足するはずなのだが……それがこうも入手が困難なものだとは夢にも思わなかった。別名「知恵の赤」と呼ばれるルキアでも、限界があり一旦休憩と称し封印術の捜索を中止した。
「……わたし、本当にどうしちゃったのかしら……」
 柄にもなく弱気な言葉を口にしたルキアの顔は、冷めたお茶の水面にはっきりと映っていた。自分でも笑いたくなるようなそんな顔をしていたルキアは、遂にはくすりと笑う。
「笑っちゃうわよね。失敗は何度もしてきたけれど……こんなに心が疲れてしまうなんて……」
 高度な知識を蓄えているルキアは、難しい錬金術などもいとも簡単にこなしてしまうのだが、なぜかここ最近は不調が続きいつもの向上心が顔を出さない。これは何か良くないことが起きる前兆なのかと心配するほどになってしまったルキアは、飲み終えたお茶を片付け今日は休むことにした。
「……ちょっと考える時間が欲しいわね。このまま続けるべきか……あるいは」
 知恵の赤から漏れたその言葉は、とても弱々しく今にも消えてしまいそうなか細いものだった。

 翌朝。近くにいる鶏の鳴き声で目が覚めたルキアは、体をぶるりと震わせながらゆっくりと起き上がった。本来ならまだ寝ている時間なのだが、なぜだか今日はこのまま起きようと思った。錬金釜に火を灯し、暖の準備をしている間に着替えようと手を伸ばしたとき、ルキアの頭の中に楽しそうに笑う妖精の声が聞こえた。
(ねぇ。たまには違う服を着てみてもいいんじゃない?)
(あたちもそう思う! きぶんてんかんっていうのかしら?)
「気分……転換……」
 ふいに漏れた言葉に、ルキアの心は小さく震えいつも手にしている服の隣にある服を手に取り身に着けた。着慣れしていないのもあるのか、ちょっとだけ胸の奥がくすぐったかった。
「……うん。悪くないわね」
 どこかおかしなところがないかを確認し、最終的に大きめな鏡の前に立ち大きく頷くと錬金釜からごぽごぽと音が聞こえはっとした。すぐに駆け付け火を弱めてからお茶の準備をし、今日はどうしようかといつもとは違う気持ちにウキウキしていた。

「いつもとは少し違った風景を見てみたいわね」
 はっきりとそう口にし、ルキアは空間転移の魔法を詠唱し魔法陣を作成した。行先は魔法陣にお任せというちょっとミステリアスな選択も自分にしては中々に大胆だと思いながら、意識は魔法陣に吸い込まれていった。
 到着した場所は広大な芝生広場に、茶色く色づいた並木が美しい公園だった。ふかふかの芝生の上に立ったルキアの眼前には、ボールを持って遊んでいる子供や見慣れない

に乗っている大人がたくさんいた。
「あら……ここは。確かに違った風景を見たいと言ったけれど……ここまで飛躍するとは」
 魔法陣の気まぐれに驚いたルキアは、まずここがどこかを確かめるべく足を動かした。枯れた葉を踏んだ時の音に季節を感じていると、遠くの方に大きな看板があり、なにやら見慣れない文字が書かれていた。ルキアは近付いて魔法でそれを解読すると、ここはどうやらルキアのいた世界ではなく異世界だということがわかった。
「……ちょっと飛躍しすぎてて理解が追い付かないけれど……なんだか楽しそうなところね」
 動揺の裏に隠れている好奇心に火が付き、ルキアは辺りの散策を始めた。数多くの人でにぎわっているのはなにやら催しものの最中らしく、あちこちに設置してある看板を解読していってわかった。なんでも「ふぇすてぃばる」と呼ばれるもので期間限定の出し物やイベントで盛り上がるものだとか。
「タイミングがよかったわね」
 ルキアの横をはしゃぎながら通り過ぎる子供たちを見て、ルキアは小さく頷いた。そして、今までこうもゆったりとした時間を過ごしたことがないことに驚いていた。
「結局、わたしはずっと研究ばっかりだったのよね……こういうものがあるのを知っていたら、わたしはもっと余裕をもてていたのかしら……」
 走っていく子供たちの背中を見ながらルキアは嘆いた。もっと視野を広くもっていれば……もっと色々なことに興味があれば……などと後悔していても過ぎ去った時は元には戻らない。できることは、今あるこの時間を大いに楽しむことだ。そのために今日は魔法陣の導きによってここにきたのだ。大いに楽しまないと。
「そういえば、さっきから子供たちが同じ方向に行っている気がするけれど……」
 子供たちの行先が気になったルキアは、案内役を走っていく子供たちに任せて歩くことにした。やがて見えてきた木造の建物に集まっていくのを見ると、ルキアの胸は大きく跳ねた。
「なにかしら……あの建物は……」
 歩きから駆け足になり、建物の近くにある看板を解読すると「迷宮」と書いてあった。その迷宮という言葉に胸がさらに一段階跳ねると、ルキアは入り口付近にいる男性に声をかけた。
「あ……あの。これってわたしも参加できるのですか?」
「はい! どなたでも参加可能ですよ! よかったら楽しんでいってください!」
「ありがとうございます!」
 そういって男性から受け取ったのは、紙とペンだった。表には何も書いていないが、裏返してみるとそこにはなにかを押すための枠が三つあった。
「この建物の中にスタンプが三つあります。それを探してながらゴールを目指してください!」
「なるほど……自分で地図を描きながら進めていけばいいのね。わたしに任せなさい!」
 ルキアは紙とペンを手に、いざ迷宮の入口へと向かっていった。そして、その後をたくさんの子供たちがついてきているというのに気が付くのは数分後のことだった。

 迷宮に入ってしばらく。ルキアが足を止めて地図を作成していると、背後からなにかがぶつかった衝撃を受けた。なにかと振り返ると、そこにはたくさんの子供たちが連なっていた。ぶつかった男の子は笑いながら「えへへ。きづかれちゃった」と手をばたつかせた。
「あら。小さな探検隊がいっぱいね。心強いわ」
「おねーちゃんもいっしょにたんけんしよー」
「みんなであそぼうー」
 無邪気な子供たちから発せられる言葉の数々に、ルキアは嬉しくなり大きく頷いた。
「ええ。一緒に遊びましょ。さぁ、こっちよ!」
「おーー!」
 ルキアが先導し、迷宮を進めていくとものの数分でスタンプが全部集まりあとはゴールへと向かうだとなった。
「おねーちゃん、すごーい!」
「もうぜんぶあつまっちゃったー」
「うふふ。ここまでは読み通りね」
 みんなでゴールを目指すのだが、ここでルキアは地図を書き間違えてしまい同じところをぐるぐると回っていた。子供たちも疑問に思ってきたのか「こことおったよねー」と口々に言いだした。まさかとは思うが、ルキアはそのまさかだと思う事象を口にした。
「わたしが……迷子??」
 今までに味わったことのない喪失感がルキアを包み、気を動転させる。ルキアは一人でぶつぶつと言いながら地図を見返していくと、一人の女の子がルキアの服をくいくいと引っ張りながら指をさしていた。
「おねーちゃん、こっちこっち」
「え? そっちは違う道に……」
「こっちこっち」
「あぁあ。ちょっと!」
 女の子はルキアの服を引っ張ると、そこにはゴールの門があった。どうやらルキアたちはゴール付近のずっとぐるぐると回っていただけのようだ。
「あら……こんな近くにゴールがあったなんて」
「わーい。ゴールだー」
「だめぇ。おねーちゃんといっしょにゴールするのぉーー」
 一人でゴールに行こうとする男の子を注意する女の子に手を握られながら、ルキアと小さな探検隊たちは無事にゴールへとたどり着くことができた。ゴールにいる男性にスタンプ三つ押してあることを確認されたルキアたちは晴れて、全員でゴールすることに成功した。
「わぁ。たのしかったー」
「みんなであそぶとたのしいね」
「おねーちゃんともっとあそびたーい」
「もういっかいいくー」
 子供たちに引っ張られながら入口へと戻ると、そこには子供たちの両親が手を振って待っていた。走って両親のところへと行くだろうと予想していたルキアは、予想外の結果に驚きを隠せなかった。両親が迎えにきてくれたことを告げると、一部の子供たちは火が付いたように泣き始めた。
「いーやーだー。もっとあそぶー!!」
「もういっかい! もういっかい!」
「おねーちゃんともういっかいあそぶのーー」
 ルキアの手をぎゅっと握ったまま離さない女の子、袖を引っ張ってまた迷宮へと行こうとする男の子、その場で遊びたいと泣きじゃくる女の子……今まで子供と接したことがないルキアはどうしていいかわからずにおろおろとしていると、子供たちの両親がそれぞれの子供をルキアから引き剥がすように抱えると、子供たちは暴れながら殊更大きな声で泣き始めた。
「やだー! やだー!! まだあそぶーーー!!」
「うわぁああ!!! おねーちゃーーんとあそぶのーーー」
「やだやだやだやだぁ!! ああぁあああぁあ!!! おねーちゃーーん!!」
 最後はルキアも泣き出した子供たちの頭を順番に撫でながら、できる限りの言葉で子供たちをなだめた。
「一緒に遊んでくれてありがとう。わたしもとっても楽しかったわ。また一緒に遊びましょう。約束……ね?」
 するとみんなぴたりと泣き止み、子供たちはこくんと頷いた。柔らかい笑みを浮かべながら子供たちの頭を優しく撫で、別れを告げた。安堵の表情に戻った両親はルキアにお礼を言い、子供たちに「お姉さんに何か言うことは……?」と言われると、子供たちは声を揃えて「ありがとう」と言った。ルキアもありがとうと返し、両親と子供たちが見えなくなるまで見送った。

 日が傾き、まもなく夜が訪れる頃。ルキアはイチョウ並木の傍で空を見上げていた。昨日まであんなに失敗して悔しい気持ちや焦っていた気持ちだったのに、今ではすっかりどこへいってしまったのやら。心の中は充実感で溢れていた。
「わたし……なんであんなに焦っていたのかしら……不思議ね」
 頭の上に落ちてきたイチョウを手の取りながら、ルキアは小さく笑った。それにふっと息を吹きかけるとくるくると舞いながら落ちていった。まさかこんなに充実感を得ることができるなんて思っていなかったルキアは、皮肉なことだけどあそこまで焦っていた自分に感謝をしていた。焦っていたからこうやって遊ぶことができたし、充実感を得ることができたのだと思うとちょっとだけ可笑しいけれど……悪くないわね。
「あの子たちとまた遊ぶ約束をしたのだもの」
 純粋で無邪気なあの子たちとまた遊べる日を楽しみにしながら、ルキアは自分の世界へと変えるため詠唱を始めた。いつもより魔法陣が完成するまで時間がかかってしまったのは、この異世界への未練なのかどうか……その答えはルキア自身にもわからなかった。
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