しゃきしゃきリンゴのコンポート【竜】

文字数 4,330文字

「うん。今年もたくさん実ってるわ。嬉しい」
 町はずれにある村にて、少女─アプフェが太陽の恵みをたっぷり受けた真っ赤な果実(リンゴ)を慈しむように摘み、籠の中にひとつまたひとつと入れていく。籠の中がいっぱいになり、アプフェは一旦自宅に戻り摘んだばかりのリンゴを丁寧に磨き始めた。痛まないように優しく優しく磨き、最後の一つを磨き終え籠の中へと入れてすっくと立ちあがった。
「それじゃあお母さん、お父さん。行ってきます」
 暖炉の上に飾られた写真に向かって元気よく挨拶したアプフェは、自宅から離れた王国までリンゴを売りに出かけた。

 アプフェの両親はリンゴ農家だった。それも自宅周辺丸々という土地を持っていた。土地持ちの両親の間に生まれたアプフェは、そんな両親の背中を見てすくすくと育った。手入れをしている父の姿や、丁寧に果実を守る母の姿などいろいろな姿を見て作業を覚えいつしかアプフェにも農家の仕事を任されていった。
 はじめは苦戦することばかりだったが、両親は嫌な顔ひとつせずにアドバイスをくれた。それを活かし次は失敗しないよう努力をし続けた結果、周辺の村の人はもちろん自宅から遠く離れた王国にまで届き、その味や香りが認められた。その報告をしようと意気揚々と帰宅をしたときには、両親はこの世から旅立っていた。
 両親はアプフェに心配させまいと自分たちが抱えていた病気のことを口外していなかった。それは優しさでもあり、同時に残酷でもあった。今まで両親の教えがあったから頑張れたというのに、そんな大事な存在が急にいなくなってしまいアプフェはしばらく立ち直ることができずにいた。
 しかし、いつまでもめそめそしているわけにもいかないと思ったアプフェは両親に謝罪をし、自分が管理できる範囲の土地だけを残し、あとは住むところに困っている人たちに譲渡した。果実の手入れの合間に建築の手伝いをしたり補助をしたりとで忙しい毎日ではあったが、アプフェは自分から率先して携わっていった。
 やがて生活が落ち着いた住人からお礼と称し、野菜や果物の差し入れが届くようになった。ただもらうだけではと思ったアプフェは自分の農園で育った最高のリンゴを渡し物々交換とした。こうしてアプフェは近隣住民との交流を大事にしつつ、今までの生活を取り戻した。

 そして今日も、アプフェが自信を持ってすすめることができるリンゴを持って町へとやってきた。アプフェを見かけた人は、皆笑顔になりアプフェから美味しいリンゴを受け取ると少し名残惜しそうに去った。
「あら。もうなくなってしまったわ。今度からもう少し大きな籠に入れてこようかしら」
 籠の中が空っぽになってしまったことに気が付いたアプフェは小さく呟いた。本当はもう少し渡したかったのだけど、なくなってしまってはどうしようもない。アプフェも少し残念な色をした溜息を吐き、町を出ようとしたとき足元で何かがつんつんとつついているのに気が付いた。見るとそこには鮮やかな黄色い肌をした小さな竜人がいた。その竜人は白いエプロンをしていて何かを作っているようにも見えたアプフェはその竜人の目線に合うように屈み、挨拶をした。
「こんにちは」
「こんにちは! 今日も素敵な天気だね。あ、まだリンゴはあるかい?」
 目を輝かせながら尋ねてくる竜人に申し訳ない表情で首を横に振るアプフェ。その意味を理解した竜人は「えーー」と大きく衝撃を受けてからがっくりとうなだれた。
「ありゃ。そうなのかい。残念だなぁ。君のリンゴは美味しいって聞いていたからとっても楽しみにしていたんだ。ねぇ、次はいつ来るんだい?」
「早くて明後日かな。リンゴの状態を見ないとはっきりとしたことは言えないけど」
「明後日だね! わかった。次は間に合うように頑張るよ。あ、ボクはバヴァロアっていうんだ。この町でお菓子を作っているんだ。よかったらおいでよ」
 お菓子と聞いたアプフェは自分のお腹から鳴き声を発した。それを聞いたバヴァロアという少年はくすっと笑いながら「こっちだよ」と言い、案内してくれた。その間、アプフェの顔は太陽の恵みをたっぷり受けた果実(リンゴ)と同じくらい赤かった。

バヴァロアのお店に入ると真っ先に香ったのはカカオの香りだった。次いで柑橘系の香りがふわりと舞い、入ってくれた人たちの気持ちをわくわくどきどきとさせた。ほかにも店内にはチョコレートを使ったお菓子がずらりと並んでいて、どれも素敵な滑らかさをもった光沢を放っていた。その艶やかな宝石は食べるのがもったいないと思うくらいにひとつひとつが丁寧に作られていた。
「うわぁ……すごくきれい……これも、これも」
「気に入ってくれて嬉しいよ。よかったらおひとつどうぞ」
 そういってバヴァロアが渡してくれたのは、ころころと丸いチョコレートのボールだった。アプフェは落とさないよう慎重にチョコのボールを摘み、ぱくり。チョコのまろやかな甘みのあとに広がるベリーの酸味とチョコが絡み合い、口の中で混じりあう。
「酸味と甘みのバランスがとてもいいですね……美味しい!」
「そんなに言ってくれると嬉しいね。一番苦労した部分でもあるから嬉しさも倍増だよ」
 結局アプフェはお店の中にあるほとんどのチョコを食べ、いつしかお腹がいっぱいだということに気が付いた。だけど、これだけチョコレートを食べたというのに、口の中はさっぱりとしていて後が残らないという不思議な感覚があった。
「それでね。君の作ったリンゴとボクの作ったチョコレートを組み合わせたらどうなるのかっていうのが気になっていてね。それでさっき君に次来るのはいつって聞いたんだ」
「え……わたしのリンゴを使ったお菓子ということですか?」
 アプフェが驚いた様子で尋ねると、バヴァロアは真っすぐに「うん」と頷いた。
「ただね、リンゴの美味しさをそのまま使ったものがいいんだ。チョコレートで包んでも美味しいとは思うんだけど……やっぱり素材を生かしたものがいいなって思ってるんだ」
 素材を生かしたいというバヴァロアの意見に、アプフェは小さく唸った。何かできることがないか次に来るまでに考えておくと伝えると、バヴァロアは嬉しそうに跳ねて喜んだ。
「うん! あ、でもそんなに気負わないでね」
 両手で謝るバヴァロアにアプフェは優しく笑みながら首を横に振った。ちょっと難しそうな問題だけど、きっと解決できると信じアプフェはバヴァロアのお店を後にした。

 帰宅し、アプフェは本棚から母親から教えてもらったレシピの本を眺めていた。何かいい案は浮かばないものかなと眺めていると、とあるページに目が留まりアプフェは閃いた。
「これなら……いけそうかしら」
 アプフェはすっかり暗くなった外に飛び出し、リンゴ農園へと走った。いくつか試作で作れば明後日までには間に合うはずと思い、アプフェは母親直伝のレシピとにらめっこを始めた。
「えっと……これとこれを入れて……ゆっくり混ぜる。あとは……これを……と。よし!」
 試作品が完成したのは、朝日が昇る少し前の時間だった。ただ、これだけではなくあともう一つ大事なものが欠けている。その大事なものとは……。


「やぁ! 来てくれてありがとう!」
 町に到着してすぐ、アプフェはバヴァロアのお店を訪ねた。するとバヴァロアはぱっと顔を明るくさせながら迎えてくれた。お店に入って早速、アプフェは籠から瓶を取り出しバヴァロアに手渡した。中には黄金色に輝くものが詰まっており、蓋を開けると爽やかな香りがバヴァロアの鼻腔をくすぐった。
「あぁ……なんていい香りなんだ。思わずうっとりしちゃうよ」
「でも、それはまだ完成ではないんです」
 そういうと、アプフェはバヴァロアのお店の中にあるものを指さしてこう言った。
「このハチミツを入れて、ようやく完成なんです」
「それは……ブルピアーのハチミツ。わかった」
 ブルピアーという女王バチ(の子供たち)が集めるハチミツは希少であるが、その味は普通のハチミツでは物足りなくなるような不思議なまろやかさを持ったハチミツだ。味だけではなく、その香りも上品で商人たちの間でも高値で取引をしているんだとかという噂をどこかで聞いた。それを仕上げにひとまわしかければ完成。
 アプフェの農園で育ったリンゴをたっぷり使ったリンゴのコンポート。レシピは母親直伝のもので、味はお墨付き。それにバヴァロアのお店にあるものを加えて合作とした。
「ほんとは売り物だけど……この際いっか。えい」
 きゅぽんという心地の良い音と共に蓋を開け、小さなスプーンでハチミツをすくいコンポートの上に垂らした。黄金色のリンゴに黄金色のハチミツというなんとも贅沢な組み合わせに、バヴァロアは思わず溜息を漏らした。
「はぁ……なんて素敵な色なんだ。もう我慢できないや。いただきます!」
 黄金色の試作品を口に運んだバヴァロアの顔は、目が覚めたように覚醒した後、とろんとした表情へと変化した。
「このハチミツのまろやかさとリンゴの酸味、甘味……はぁ……クセになるぅうう」
 どんな風に転ぶか不安だったアプフェは、バヴァロアの表情を見てそれらが一気に晴れた。もし、これをほかの人にも味わってもらえるのならと考えたアプフェはバヴァロアに聞いてみた。
「バヴァロアさん。この試作品ですけど、よかったらバヴァロアさんのお店で置いてくれませんか?」
「え? ど、どういうこと??」
 一瞬、どういうことが理解が追い付かなかったバヴァロアにアプフェが説明した。なんでも、先日町に来た時にリンゴを渡すことができなかった人がまだまだ沢山いて、心残りだったということ。でも、これであればいつでも楽しむことができると思ったからと伝えると、バヴァロアは涙を流して喜んだ。
「ありがとう……ありがとう……」
「わたしに出来るのはこのくらいですけど……このコンポートを作って届けますから」
「ありがとう……。お礼は必ず。それと、無理は絶対しないでね。さっき、町の人から聞いたけど農園をしながらだって……」
「お気遣いありがとうございます。出来具合に左右されるので、安定してお渡しができないかもしれないということだけお伝えください」
 こうしてアプフェの手作りリンゴのコンポートと、バヴァロアのお店にあったブルピアーのハチミツを使ったお菓子が誕生し、それを販売してからバヴァロアのお店は急に忙しくなったとか。バヴァロアが嬉しい悲鳴の中に埋もれる日々を過ごした。


 後日。アプフェの作ったリンゴのコンポートは、瞬く間に広まり世界で大人気の商品となった。そのことを聞いたアプフェは暖炉の上で微笑む両親に報告を済ませ、今日も元気にリンゴ農園へと向かっていった。
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