★双極氷菓 抹茶とオレンジのソース【魔】

文字数 6,512文字

 東の国にて闇夜、洋国の井出達の者二人が肩を並べて港にて談笑していた。
「で、なんで私たちがこんな夜に釣りなんかしてるんだっけ」
「ま、まぁ……そうだな……その……」
「でもま、こういうのも悪くないからいいけど(ジークと二人っきりだし)」
「? 何か言ったか?」
「ううん。何でもない」
 豊かな銀色の髪に真っ赤に燃えるような赤い瞳、ネーデルランドという国の王子─ジークフリートと、その隣で鼻歌を歌っているジークフリートの妃─クリムヒルト。栗色の髪に透き通るような肌、貴族でありながらも剣術の腕に長けた彼女はドレスよりも動きやすい軽装備を好み、今も上部は胸当てで下部は動きやすさ重視のミュールを履いている。腰には愛用の剣を差し、いつでも戦闘態勢に入る準備はできている。そんな彼女が今、手にしているのは愛用の剣の代わりに一本の木の棒の先に細い糸がついたもの。それを闇の鼓動を表しているかのような水面へと垂らし、ただひたすらに待ち続けている。潮騒と二人の声しか聞こえないこの港に来たのにはもちろん訳がある。その訳をジークフリートは順番に記憶の糸を手繰っていった。

 ことの発端は、ネーデルランドの王妃でありジークフリートの母親でもあるジークリンデからの依頼だった。急用ではないが手すきなら手伝って欲しいと言われ、すぐに王妃のいる部屋へと赴く二人。そこには静かに佇む王妃─ジークリンデが玉座に深く腰掛けていた。膝をつき要件を伺う二人にジークリンデはからからと笑いながら休んでほしいと一言。
「そんな大層なものではいのだけど、今後のことを思うとやっておいたほうがいいかもしれない案件なの。引き受けてくれるかしら」
「もちろんです。それで、どのような内容で」
「この近辺の貿易に関しては網羅をしているつもりなのだけど、まだ関わりのない箇所があるの。それは、東の国。こことは随分と文化が違うということしかわかっていないじゃない? だから、あなたたち二人が現地に赴いて肌で感じてきてほしいの。それと、もし可能であれば東の国のものを持って帰ってきてくれたら有難いかなぁって……どうかしら?」
「ふむ……確かに東の国については知らないことが多すぎる……これは重大な任務かと……」
「わたしもそう思います。なので、その任務、引き受けさせていただきます」
「あら、助かるわ。じゃあ、お願いするわ。それと……はい。乗船手続きの証明書」
「ありがとうございます。では、早速……」
「あ、待って。ジークったらぁ!!」
 クリムヒルトを置き去りにし、ジークフリートはそそくさと船着き場へと向かって行ってしまった。慌てて追いかけるクリムヒルトを見て、母親の顔を覗かせたジークリンデはくすりと笑った。
「もう……我が子ながら本当に鈍感よね。でもまぁ、そういうところも似てるのかな……

に」
 静かになった部屋でジークリンデは、ふいによぎったあの人の顔を思い浮かべながら目を細めた。

 海上の揺りかごに揺られ数時間。国を出たときは昼間だったのだが、目的地の東の国へと到着したころにはすっかり暗くなってしまっていた。等間隔で灯る明かりで足元を確認し、下船し簡単な手続きを終えて二人はようやく人心地着いた。
「はぁ……ちょっと時間がかかっちゃったわねぇ……。早く宿を見つけて休みましょ」
「そうだな。こうも暗いと動くのには不向きだ。すみません、ちょっとお尋ねしたいことが……」
 そう言ってジークフリートは船員に宿屋の場所を聞いている間、クリムヒルトは闇に浮かぶ何かを見てしまった。ひっと小さな悲鳴を上げ、助けを求めようとジークフリートを見るも、当の本人は宿屋の場所を確認中。必死に頭を振って違う違うと繰り返し、一つの答えを導き出した。
「ま……まさか……ね。そうよ。船旅で疲れてるだけよ」
 確かに青白い何かを見たような気もしたのだが、それは慣れない船旅のせいだと何度も自分に言い聞かせ、意を決してさっきと同じ場所を見た。
「……うん。何もない。よかったぁ……」
「宿屋の場所がわかったぞ。……? どうかしたのか?」
 地図を握りしめながら戻ってきたジークフリートの声にはっとしたクリムヒルトは、何でもないといいジークフリートから地図を奪い、一人そそくさと印のついている方へと歩いて行った。
「……? いったいどうしたのだ?」
 考えても仕方がないと判断したジークフリートは、何かから逃げるように歩くクリムヒルトの後を追いかけた。

 もう間もなく案内された宿屋に到着するはずなのだが……なんだかおかしい。なんというか、空気が重いというか呼吸がしにくいというか……この港町に来たときは感じられなかったがいざ町中へと入ると雰囲気はがらりと変わり重苦しい感じが二人の周りを離してくれなかった。
「ね……ねぇ、ジーク。気が付いてるとは思うけど……」
「あぁ……そうだな」
 湿気を多く含んだ霧の中にいるような感覚に、二人は振り返らず小声でその気配についてやりとりをした。いざとなれば二人は剣を抜き、その原因となっているものを処理する覚悟はできている。やがて二人だけの足音だけになりしばらくして二人は一気に振り返りながら剣を抜き、身構えた。剣の切っ先には両手を挙げて降参を示す仕草をする一人の青年が立っていた。
「貴様、何者だ」
「そこから一歩でも動いてみなさい。たたっ切るわよ!」
 覇気の籠る切っ先を向けられても、その青年は怯みもせずただ大き目な溜息を吐いた。
「面白そうだからついてきてみれば……まぁ、こうなるよね……はぁ……」
「な……なんなのよあんた! わたしたちの後ろにいて何をしようと企んでたのよ!」
「企んでるだなんて心外だな。でもま、仕方ないよね。この重苦しい場を展開してるのがぼくなんだから……」
「それなら好都合だ。さっさとこの気持ちの悪い空気をどうにかしろ。さもないと……」
 ジークフリートは剣に闘気を込め、刃の表面に薄い金色の膜を張る。耳を澄ますと何かが唸っているような音が聞こえた青年は、ちょっと待ってと言い両手を高々と上げた。
「わかったよ。解除はするけども。ちょっとだけ、ぼくに付き合ってくれない? 生憎、力で殴り合うのは好きじゃないんだ。信じてもらえないかもしれないけど」
「どうする? ジーク」
「そうだな……戦う意思はなさそうだ。それに、この空気をどうにかしてもらい多というのが先だ。この男に付き合うしかないだろう」
 剣をしまい、警戒を解いた二人は簡単な自己紹介をした。そして、ここにきた理由を説明するとその青年は少し悩んだ末、小さく頷きながら答えた。
「なるほどね。じゃあさ、こうしよう。もし、ぼくに付き合ってくれたら何かあげるよ。わがままに付き合ってくれてタダじゃ……なんか失礼だしね」
「ほ……本当か。かたじけない」
「いいって。じゃあ、ついてきて。とっておきの場所を教えてあげるから」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 名前くらい教えてくれてもいいじゃない」
「ああ。これはうっかりしてたよ。ぼくの名前はぬらりひょん。よろしくね」
 ぬらりひょんと名乗った青年は夜風に揺られるようにふらりふらりと港の方へと歩いて行った。ジークフリートとクリムヒルトは互いの顔を見合わせ、大事なことを聞いていないことに気付き、ジークフリートが声を荒げながら尋ねた。
「待て。その遊びとやらは一体なんだ……?」
 ジークフリートの質問に、口の端を少しだけ持ち上げて笑うぬらりひょんは、心の底から楽しんでいるように見えたクリムヒルト。なんだか嫌な予感がすると思いながらも、二人はぬらりひょんの後をついて歩く。


「やぁ、君も宝石を掴みに来たのかい?」
「……夜行か。なんとまぁ、タイミングがいいというか悪いというか……」
 桔梗色の髪に尖った耳、鬼のような手を空に伸ばし何かを掴もうとしている青年─夜行は、見知った顔を見るやにこりと笑いかける。しかし、その背後ではこの町に漂う重苦しい何かと似た気を感じ、二人は立ち止まる。この世のものではないものを連れている様子は、かつて博物館なのでしか見たことがない「妖怪」という存在だった。その妖怪という存在が目の前にいる……その事実がクリムヒルトの視線を固定させ、凝視する。しかし、凝視をすると夜行の背後から漂う怪しい気配が濃さを増していく。そして、そのあまりの濃さに耐えられなくなったクリムヒルトは思わず顔を背け、ぜぇぜぇとむせた。
「おや。知らない人だなぁ。君の友達かい?」
「……まぁ、そんなところだ。これからあの遊びをしようと思うのだが……」
「わぁ、ボクあの遊び大好き!! ねぇ、ぼくも一緒に遊びたいよ!!」
「わかったわかった。その前にちょっと準備をするからそこで待っててくれないか」
「うん!!」
 無邪気に応える夜行は、まるで幼い少年のようにあどけなかったが決して油断してはいけないとジークフリートは肌でそれを感じていた。さっきからジークフリートの背後にいる竜がそれを知らせてくれているのか、全身にびりびりとしたものが走っていた。
「すまない。君たちにはこれを使ってもらう」
 ぬらりひょんから手渡されたのは、一本の木の枝に細くて丈夫な糸がついた簡素な道具だった。風になびく糸に触れたり、木の枝のしなり具合をみたりとしている間、けほけほとむせながら戻ってきたクリムヒルトはまだ少し気分が悪いのか、表情が冴えていなかった。もしかしたら、夜行という人物から放たれる何かにあてられたのかもしれない。なんだか悔しいという気持ちが表れたクリムヒルトは唇を端をきゅっと噛みしめながら、夜行を睨んだ。
「おまたせ。君もこれを使って遊びに参加してくれ」
 まるでクリムヒルトの視界から夜行を遮るようにぬらりひょんが現れ、クリムヒルトにジークフリートと同じ木の枝を手渡す。手渡された物を凝視している二人にぬらりひょんが簡単な説明を始めた。
「じゃあ、これを使って釣りをしてもらおうかな。そんな難しいことじゃないさ。ただ、これを水面に浮かべて待つ。それだけだよ。時間内にどれだけ釣れたかを競う遊びだよ」
 さっきまで嫌な予感がしていたクリムヒルトは、若干の肩透かしを食らった気持になり愕然とする。しかし、元々戦うことが苦手といっていたからそういうものではないけど……まさか、釣りをするだなんて予想はできなかった。
「そういえば……前にやったことがある。任せてくれ」
「ちょっとジーク。わ、私やったことないんだけど……その……」
「大丈夫だ。あとで教える」
「時間は……そうだな。あそこに灯台が見えるだろ。あの灯台の真上に月が上がるまでにしよう。せっかくこうして出会えたんだ。楽しもうよ」
 異質な雰囲気を持っているとはいえ、ここまで争いを好まないというのも珍しい。ジークフリートとクリムヒルトは頷きあい、どこで釣りをするか相談を始めた。
「おい夜行。君はどうする。遊ぶのかい」
「あ、もういいの? 遊ぶ遊ぶ!」
「ぼくたちはあっちへ行こう。きっといいものが釣れると思うよ」
「うん、わかった」
 ジークフリートとクリムヒルトは南側、ぬらりひょんと夜行は反対側の北側へと向かい釣りを始めた。

 そして今。二人は木の枝を闇が揺蕩う水面へと垂らしているというわけだ。釣りというのは天気の良い日にするものだと思っていたが、これはこれで趣があっていいとジークフリートは思った。
「ねぇ、ジーク。前に釣りをしたって言ってたけど、何が釣れたの?」
「ん? そうだな……うまく説明ができないが……金色のフグのような魚が釣れた」
「金色のフグなんているの? 今度見てみたいかも」
「また機会があったら今度は天気の良い日に行こう」
「……うん。って、ジーク!! わたしの釣り竿がっ!!」
 クリムヒルトは持つ釣り竿が突然暴れだし、ジークフリートは自分の釣り竿を投げ捨てクリムヒルトのサポートへと回った。
「いいか。絶対手を離すなよ」
「う……うんっ!」
 暴れる釣り竿をしっかりと握りしめるクリムヒルトは、いったい何が釣れるのだろうというワクワク感と背後にいるジークフリートの存在にドキドキしながら必死に釣りあげようと堪える。
しかし、ひっかかった方も簡単に釣られてたまるかとばかりに抵抗を続けている。
「んー!! もうちょっと……!!」
「仕方ない。力を借りるぞ……竜闘気、解放っ!!」
「ちょっとジーク?? え、えええ?! きゃあああああっ!!!」
 ジークフリートから放たれる凄まじい闘気は太陽の様な温もりがありつつも、猛々しいものだった。次第に釣り竿を握っている手に力が漲ってきたのがわかったクリムヒルトはジークフリートに合図を送り、息を合わせて一気に釣り竿を引き上げた。
「1・2・3っ!!」

 ザアアアアアアアアアアッ

「な……なになになになに??? き……きゃあああああああっ!!!」
 引き上げたものを見たクリムヒルトは声の限り叫び、気絶した。

「……ーい。おーい。大丈夫かい?」
 ぬらりひょんの声に反応したクリムヒルトが低く唸りながらゆっくりと目を開けた。意識が戻ったことに安堵したジークフリートはやれやれと言いながら肩をすくめた。
「あれ……わたし。なんで……?」
「ああ。君が釣ったもの、とんでもなくすごかったよ」
「え。わたし、何を釣ったのですか?」
「見るかい? おーい、出てきていいよ」
 ぬらりひょんが声をかけると、待ってましたとばかりに勢いよく水面が跳ね上がりクリムヒルトが釣り上げたものが出てきた。
「い……いやああああああああっ!! な……な……な……なぁにあれええ???」
 クリムヒルトの目の前に現れたのは、ぶよぶよとし巨大な肉の塊だった。その塊は嬉しいのか、水面で巨体をぶるんぶるんと揺らしていた。
「あれは海坊主。ぼくの友達だよ。まさか君たちが釣り上げてくれるとは思わなかったよ」
「え……え……え……??」
 状況が呑み込めないクリムヒルトは、ジークフリートとぬらりひょんを交互に見ながら震えている。色々と聞きたいことがあるのだが、ようやく出た言葉がなんとも情けなかった。
「な……え? 釣りって……魚じゃないの??」
「え? ぼくは一言も魚を釣ってとは言ってないよ?」
「そ……そんな……」
「でも、探していたぼくの友達を釣ってくれたことには変わりないね。本当にありがとう」
「ボクからもお礼を言わせて。君、いい子だね。また遊びたいよ」
「ジークは……この話……」
「ああ。お前が気を失っているときに聞いた。なに、そんな目で俺を見るな」
 クリムヒルトからの湿気を帯びた視線を受けながら、ジークフリートはぬらりひょんとすっかり意気投合しまた機会があったら誘ってくれとまで言い出した。それにぬらりひょんはうんと頷きながら、何やら印を結び始めた。最後に両手をぱんと叩くと、さっきまで体中にまとわりついていた嫌な気配はきれいに消え去り、体が軽く感じられるほどだった。
「約束通り。この町に展開していた気配は解除したよ。あぁ、忘れるところだった。これ、約束のもの。君たちの国が発展することを祈っているよ」
「すまない。またどこかで会ったときは……」
「そうだね。そのときは君がこの前釣ったものの話でもゆっくり聞かせてよ。誰にも邪魔されないように工夫しておくから。それと、ぼくの遊びに付き合ってくれてありがとね。楽しかったよ」
「ああ。では、俺たちはこれで」
「ばいばーい! また君たちと遊べたらボクも嬉しいな。ね、君もそう思うでしょ?」
 子供のような笑顔で手を振る夜行の背後から、紙で作られた明りの化け物がすいと現れ小刻みに揺れた。その様子を嬉しそうに見ていた夜行はジークフリートとクリムヒルトに手を振りながら闇に紛れて消えていった。それに続くようにぬらりひょんも闇の渦を作りその中へと消えていった。
 しんと静まり返った港町に、虫たちの合唱が響く。さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら、二人はぬらりひょんがくれた小箱を開いてみた。
「おお」
「……きれい」
 そこにはジークフリートの国にはない、異国情緒溢れる布が折り重なって入っていた。
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