ライムミルクソーダー

文字数 6,649文字

「はい。ちょっとだけじっとしてて」
 患者を一目見ただけで、どこが悪いかを判断し診療録にすらすらとペンを走らせると、清潔な布とそれにくるまれた鋭利な刃物を取り出した。光の加減によっては眩しく映るその刃物は患者の恐怖心を煽るには十分すぎた。
「大丈夫よ。数秒の間だけ、動かないでいてくれれば終わるから……ね?」
 と言っている間に彼女─クピレーディアは鋭利な刃物を無造作に動かした。すると、その患者は驚き、痛かった部分から痛みはきれいに取り除かれていたようだ。患者は何度もクピレーディアにお礼をし、診察室を後にした。
「……わたしはただ、たくさんの人を治したいだけよ……そんなにお礼を言われると……なんだかくすぐったいわ」
 診療録に処置した方法を記載し、助手にそれを手渡すのと同時に次の患者の診療録を受け取る。次の患者もすぐに済みそうだと内心、安心したクピレーディアは大きな声で患者の名前を呼んだ。

 今日の診療も無事に終わり、ようやく一息ついたクピレーディアは助手が入れてくれたお茶を口に含んだ。ちょっと濃いめに淹れてくれた紅茶が疲れた彼女の疲れをじわりと解していく。
「先生。今日もお疲れ様でした」
「あ、お疲れ様。バタバタしちゃったけど、何とか終わったわね。それと、紅茶ありがとね」
「いえいえ。近くに美味しい紅茶専門店がオープンしたので、先生好みの紅茶を淹れてみました」
「よくわたしの好みがわかったわね。とっても美味しいわ。ありがと」
「いえ。あと、明日の遠征治療についての資料が整いましたので」
 クピレーディアは助手からきれいにまとめられた資料を手にし、ぱらぱらとめくった。なんでも明日は神界にて模擬の実践訓練があり、その治療班としてお声がかかっていたのだ。丸まる一日を使っての模擬実践はそれなりに被害が出ることを想定し、クピレーディアも準備を進めていたのだが、それの一歩……いや、二歩以上先に助手が準備を整えていた。
「メスや薬品の準備は整っています。先生」
「……あなた、相変わらず仕事が早いわね。でも、助かるわ」
「いえいえ。薬品もそこまで使用するかわかりませんが……念には念をということで」
「助かるわ。じゃ、明日はこちらも頑張りましょ」
「はい。先生」
 クピレーディアは助手に別れを告げ、一足先に自室へと帰っていった。それを助手は深々と頭を下げて見送った。

 翌日。医療品を担ぎ、現場へと赴いたクピレーディアと助手は依頼主であるゼルエルに挨拶をした。最初険しい表情をして部下たちを叱責していたが、クピレーディアの顔をみた途端、表情が緩み小さく手を振ってくれた。やがて小走りでやってくると、ゼルエルは嬉しそうな表情から「歓迎する」という気持ちを表していると、クピレーディアと助手はなんだか嬉しい気持ちになり、くすくすと笑った。
「急な依頼とはいえ、引き受けてくれたことに感謝する。こちらも人員が中々揃わなくてだな……その……」
 ぎこちない挨拶にくすくすと笑いながらクピレーディアは嬉しそうに答えた。
「いえいえ。わたしはただたくさんの患者さんを治したいという気持ちです。今日は前線で戦う方々をどんどん治療していきますので、よろしくお願いします」
「おぉ……なんと頼もしい。では、さっそくではあるが、あちらで受付を済ませたらこの地図に書かれている場所まで来てほしい」
 ゼルエルは腰から巻かれた地図を取り出し、クピレーディアに手渡した。簡略化された地図には現在地と受付、それとクピレーディアが配属される場所に丸が描かれていた。どうやら本陣の近くにある仮設テント内での治療になるとのことで、助手と交代で受付を済ませ仮設テントへと向かった。仮設テントの中へと入ると、そこは思っていたよりも広く、患者は優に二十人以上が横たわれるくらいだった。それに加え、診察台や簡単な医療棚までついていた。
「こんにちは。ここにある薬品は好きに使ってくれていいわよ。足りなくなったらいつでも言ってね」
 医療班の一人の女性がクピレーディアに微笑みながら、中を紹介してくれた。二人はさっそく荷物を下ろしいつでも診察ができる準備をすすめた。
「……こんな高級な薬が充実してるなんて……」
 クピレーディアが薬品が入っている棚を開けて呟いた。普段はお目にかかれない材料を使用し、傷をあっという間に治してしまうような薬がずらりと並んでいるのでは驚くのも無理はない。クピレーディアが持ってきた薬も効果は割と高いものなのだが、ここにあるものはそれの何倍もの上をいく上等品ばかりだった。効果も……もちろん、それにかかる材料費も……。
「あ、先生。そろそろ始まるみたいです。頑張りましょう」
「そ……そうね。やりきるわよ」
 テントの中からでも聞こえるゼルエルの宣誓が、兵士たちに鬨の声をあげさせる。そして、しばらくすると近くで戦っているような声が聞こえ始めた。
「うわぁ……近くで聞くと結構な迫力ですね……先生」
「そうね。でも、それに怯えてはだめよ。わたしたちはわたしたちにできる戦いをするのよ」
「……はい!」
 やがてクピレーディアがいるテントに負傷者が運ばれてきた。どうも足を複雑に捻ってしまったようだ。それを運ばれた瞬間に判断したクピレーディアは診察台に乗せられた負傷者に銀色に輝くメスを走らせた。
「少しピリピリするかもしれないけど、我慢してね」
 まるで絵を描いているようなメス捌きに、運んできた兵士たちも思わず口を開いたまま見入っていた。運ばれて数分も経たないうちに、最初に運ばれた兵士の足はすっかり良くなり自分で歩けるようになるまでに快復した。
「おお。歩ける! これでまた戦えるぜ!」
「ちょっと! 治ったからといって無理は禁物よ!」
「へーきへーき! 行ってきます! あ、それと治してくれてありがとっす」
 負傷した兵士は駆け足でテントから出ていくと、意気揚々と戦場へと向かっていった。それを見送るクピレーディアの表情はまるで慈母のようだった。
 最初の負傷した兵士が担ぎ込まれてから数分後、今度は複数の兵士がテントの中に運び込まれていった。今度は頭から血を流していたり切られたような傷を受けた兵士が苦しそうにうめき声をあげていた。
「さ、いくわよ」
「はい」
 クピレーディアがメスをタクトのように操り、それを見た助手は薬をいつでも使えるように準備をする。その連携をこなし、負傷者の波は収まった……と思っていた矢先に次の負傷者が運び込まれてきた。
「このくらい、どうってことないわ!」
 クピレーディアは焦るどころは、むしろ楽しそうにメスを操り次々と負傷者の傷を癒していく。だが、そう思ったのは最初だけで、模擬戦闘の時間が経つにつれて負傷者の数も増え、次第にクピレーディアだけでは手に負えなくなる事態になってしまい、彼女の額には焦りの汗が流れ始めた。さすがにこの量を二人では捌ききれないと思ったとき、テントの中に涼しい声が響いた。
「ここかしら。負傷者で溢れているテントというのは」
 突然、女性の声が聞こえたクピレーディアはその声のする方へとみると、そこには白衣を着た女性が立っていた。紫色のメガネフレームにちょっとつりあがった目、高めのヒールを履いた戦場とは無縁とも思える女性がつかつかと歩み寄り、状況を把握した。
「さ、ここは私も手伝うわ。一緒に乗り切りましょ」
「あ……あなたは……?」
「あら、ごめんなさい。私はサルース。私の前ではどんな種族もみな平等患者よ」
「サルースさん……あ、ありがとうございます」
「そんこと言っている時間があるなら、患者さんを診なさい」
「は……はい!」
 サルースの強めの言葉に気を持ち直したクピレーディアは、一人ひとりの負傷者にメスを振るい、傷を癒していった。サルースはサルースで自分で用意した薬品を用いながら負傷者を手当てしていった。各々ができる最大限の治療を施し、あれだけたくさんいた負傷者はあっという間にいなくなった。
「……よかった。全員癒すことができました」
「お疲れ様。あなた、メスの扱いが上手ね。羨ましいわ」
「あ……その、あ、ありがとうございます!」
 褒められたクピレーディアは顔を真っ赤にしながらサルースに頭を下げると、サルースはくすっと笑い腰を下ろした。ほっと息をつき使用した薬品の補充を行っていると、テントの入り口が乱暴に開かれた。
「だっ! 誰か! 誰か来てくれ! か、怪物が出た!!!」
 額から血を流しながらやってきた兵士が、声を荒げながら入ってきた。その口ぶりから現地では数多くの負傷者が出ているに違いない。そう感じたクピレーディアは助手とともにその現場へと向かおうとするも、サルースがそれを止める。
「ちょっとあなた。持ち場を離れる気?」
 確かにそう思われても仕方がない。だけど、この人は必死に助けを求めているのに……指をくわえて運ばれた人だけを治療するのは違うと思い、サルースの言葉を無視して飛び出していった。
「まったく……仕方のない子ね。あなた、その怪物が出たという場所はどこなの?」
「えっと、この道をまっすぐいったところだ。行けばすぐにわか……」
 最後まで言葉を発さず、その負傷者は意識を失ってしまった。サルースは今できる手当を施したあと、クピレーディアが向かっていったであろう場所へと向かった。
「……まったく、皮肉ね。医者が戦うなんて……ね」
 少しぬかるんだ道を自嘲しながら走るサルースの独り言は、鬱蒼とする森の中へと消えていった。

「こ……これは……」
 クピレーディアが向かったときは既に意識を失っている兵士たちばかりだった。皆傷つき、体のあちこちからは出血もみられる。幸い、骨折などの症状がみられる負傷者は見られなかったが……それでもこの数の兵士を圧倒するなんて、どんな怪物なのかと辺りを警戒していると、クピレーディアの前から甘い香りが漂っていた。まるで熟した果実のような甘い香りはこの先からだと思ったクピレーディアはその香りのする方へと足を動かすと、突然何者かに後ろに引かれた。そして、さっきまでクピレーディアが立っていたところには太い鞭のような蔦があった。
「え……え……」
「危なかったわね……あなた。もう少しであいつの餌食になるところだったのよ」
「え……?」
 身の危険を救ってくれたのはサルースだった。それも息も絶え絶えで、きっと全速力で走りクピレーディアを救ってくれたのだ。そして、そのクピレーディアを捕えようとしたのは植物の体に人間のような顔をもった怪物─キラーフレシアだった。
「え……なんで。こいつ……」
「今はそんなことよりも、みんなを守るほうが先よ」
「サルースさん、みんなをお願いしていいですか?」
「は? あたな正気なの? こんな怪物逃げるほうがいいわよ」
「いえ。わたしは……許せないんです。こいつを!」
 クピレーディアは持っていたメスをキラーフレシアに向けると、そのメスからは小さな稲光が出ていた。その様子に戸惑っていたサルースも、小さく頷き負傷者の手当てにあたった。
「いいこと? 絶対に無理しちゃだめよ」
「もちろんです。終わったら、すぐに手伝いますので、少しだけ待っててください」
 そういいながらクピレーディアは稲光を纏ったメスをキラーフレシアに投げつけると、ピンポイントで雷が落ちたかのような轟音と共に、いらーフレシアの全身に強烈な電撃を放った。
「まだまだ!」
 クピレーディアは残っていたメスを取り出し、続けざまに投げつけた。やがてぴくりとも動かなくなったキラーフレシアを見てほっと胸を撫でおろすと、すぐに気持ちを切り替えて動けなくなっている負傷者の手当てに回った。
「大丈夫。傷は浅いみたいです。これなら手持ちの薬品でなんとかなりそうです」
「あなた……戦闘もできるなんて……」
「護身用……とでもいいましょうか。いざというときのためにって感じです」
「ふふっ……頼もしいわ」
 意識を失っていた兵士たちは次々と意識を取り戻し、何があったかを二人に聞くも二人はとにかく今は傷の手当が優先だと言い、適当にそれをはぐらかした。やがて快復した兵士たちは二人にお礼を言い、また元気に戦場へと向かっていった。
「これでよかったんです。わたしは後悔してません」
「ごめんなさいね。さっき、あんな強い口調で言ったりして……」
「いえ。サルースさんのいうことは最もです。持ち場を離れる……ましてや、医療班が持ち場を離れるなんてしてはいけないことです。叱られても仕方ないです。でも、それでもあの兵士さんが傷だらけで知らせてくれた以上、わたしは何かをしなくてはいけないっていう気持ちでいっぱいでした。たとえ自身に危険が及ぼうとも、傷ついている人がいるのであれば、わたしは構わず飛び込んでしまうのかもしれません」
 クピレーディアの言葉に何も返すことができなかったサルースは、ただ聞いていることしかできなかった。それはきっと、自分もそうだから。誰かを救いたいという気持ちがあれば、それは周りに何て言われてもきっと体が動いてしまうものだから。きっと逆の立場でも同じことをしてしまうと思ったから。
「さ、もうそろそろ終わる時間みたいです。わたしたちも後片付けに戻りましょ」
 すっと立ち上がり、満足そうに微笑むクピレーディアの後をサルースは追いかけた。

 模擬実践終了の挨拶が終わり、兵士たちからの声援に応えるゼルエルの顔はどことなく淀んでいた。有意義な時間だったことに変わりはないのだが……。ゼルエルは足早に迷惑をかけてしまった人物へ謝罪をしに、とある場所へと向かった。
「クピレーディア。それに、サルース。今回は本当に……申し訳なかった。これは、依頼主であるわたしの不手際だ。どうか許してくれ」
 ほぼ直角に腰を折り曲げての謝罪に、驚くクピレーディアとサルース。慌てたクピレーディアは「頭を上げてください」と懇願するも、責任を感じているゼルエルは中々上げようとしなかった。ゼルエルは頭を上げたのはその数十分後だった。
「まさか……キラーフレシアが紛れているとは。現場をくまなくチェックしたはずなのだが……」
「なんとか対処はできたので、もうこの件は終わりにしましょ」
「だが……二人を危険な目に合わせてしまったことは事実だ。なんとお詫びすれば良いか……」
「いいわよ。もう。もし、また模擬実践をするというのであれば、そこで気を付ければいい話よ」
「サルース……」
「それに、色々といい経験ができたし。もし、またやるようならまた誘って欲しいわ」
「いいのか……また呼んでも」
「ええ。いいわよ。だけど、その際はこの子も一緒ね」
「え? わ、わたしですか??」
 サルースはクピレーディアを指さすと、指されたクピレーディアは素っ頓狂な声をあげた。
「ええ。あなたとなら、どんな患者も対応できる……そう思ったの。だから、またあなたも参加してもらえると嬉しいのだけれど……」
 サルースが嬉しそうにほほ笑むと、それにつられるように笑うと大きく首を縦に動かしながら答えた。
「わ、わたしでよければ!」
「なら決まりね。そういうことだから、ゼルエル。ほかの医療班呼んだら承知しないわよ」
「わかったわかった。また模擬実践をする際は招待状を送ろう。今度はきちんと安全を確保した状態……でな」
「お願いね。じゃあ、そろそろ私は戻るわね。診察する時間が近いから」
「ありがとう。サルース」
「それと、クピレーディア。また会いましょ」
 サルースは何もないところでノックをすると、そこから金色に輝く扉が現れゆっくりと開いた。サルースはその扉を潜り抜けると、扉は静かに閉まり音もなく消えていった。しばらくの沈黙のあと、ゼルエルは再び深くお辞儀をすると模擬実践を行った会場の後片付けをするために森の中へと消えていった。
「先生。わたしたちも帰りましょうか」
「そうね。なんだかんだ言って、わたしもいい経験ができた気がするわ」
「それはよかったです」
「またあなたも来てもらうことになるかもしれないけど……」
「もちろん。わたしは先生の助手ですから。お手伝いさせていただきます」
「……ありがとう」
 助手からの真っすぐな返答に心を打たれたクピレーディアは、わずかに声を震わせると大きくを息を吐き、荷物を持って自分の診療所へ向けて足を動かした。これもきっと今後役に立つかもしれないと思うと、クピレーディアの胸の高鳴りは止まらなかった。
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