ドライフルーツたっぷりのしっとりマドレーヌ【魔】

文字数 4,240文字

「……まったく。なんであたしが買い物に行かなきゃいけないのよ……ついてないわね」
 ぶつぶつ言いながら紙袋を持って歩く少女。まるで影のように暗い髪、衣服、そして瞳。その下にはどれだけ寝不足を重ねればできるのかわからない位、りっぱなくまができていた。
「なによ。あたしよりかわいいからって調子にのって……いいですよ。あたしは前からそうだってわかってますから。いいですよーーだ」
 独り言はエスカレートし、次第にぐずぐずとした蠢きをまとい始めた。まだ周囲に誰もいないからいいものの、これが誰かの耳に入ってしまうときっと少女は変わった目で見られてしまうだろう。それでも、少女はあまり気にないとは思うが今度はそれを気にするとしばらくの間、見られたことに対してまた何か呟くかもしれない。
 少女の名前はレビヤタン。七罪の「嫉妬」を司り、深淵の中で暮らしている。いつもは一人で過ごしているのだが、今日に限って訪問客が現れた。黒に近い紫色のドレス、それとは対照的な眩しいピンク色のバラの飾りがドレスのあちこちに付いている。深いオリーブ色の髪から覗く深紅の瞳は一度決めたら曲げない気持ちが込められている少女─マモンというキャラクター収集が大好きな七罪の「強欲」を司る少女がレビヤタンの家の扉を叩いた。
「ねぇねぇ、レビヤタン。今日一緒に遊ばない?」
「え……え……え……えっと……」
 七罪だからといって全員と面識があるわけではなく、今日初めて二人は顔合わせをしたようなものだ。レビヤタンよりも(やや)社交的なマモンは嬉しそうに笑いながら返事を待っていたのだが、しばらくしてなんの返答もないことが肯定だととらえたマモンは弾んだ声で「お邪魔しまーす」と中へ入っていった。
「あ……ちょ……ちょ……ちょっと」
 引き留めようとしてもそれはもう遅く、マモンは腰を下ろしレビヤタンの部屋をぐるりと見まわした。見たことのない書物が無造作に入れられた本棚を見て、マモンは興味をそそられた。
「ねぇねぇ。これ、読んでもいい?」
「あ……う……あ……えぇっと……」
 どうやってコミュニケーションをとっていいかわからないレビヤタンは、どう答えていいかもごもごしている内にマモンは本棚から無作為に一冊選びぱらぱらとめくった。何枚かめくったところでさっきまで微笑んでいたマモンの表情がどんどんと曇りだし、本を閉じるときにはすっかり淀んでいた。
「あ……あぁのさぁ……こういうのは目立たないところに置いた方が……いいかなぁ……」
「そ……そんなの……あぁ……あんたが勝手に読んだのが悪いのよ……あたしのせいにしないで……!」
 どうやら読んではならないようなものだったらしく、マモンははぁと深くため息を吐くと膝を抱えて座り込んでしまった。急に元気がなくなったマモンを見て焦ったレビヤタンはどうしたらいいかわからず、またおろおろしているとマモンが小さく口を開いた。
「何か飲み物が欲しいなぁ。何かある?」
「え……の……飲み物って言われても……」
 それらしきものはどこを探してもなく、マモンはさらに深いため息を吐いた。勝手に家に上がり込んで要求してそれがないから落ち込んで……でも、このままにはできないと思ったレビヤタンは声を震わせながら言い放った。
「わわわ……わかったわよ。何か買ってくればいいんでしょ……」
「……うん。飲み物ならなんでもいいや……」
「……う……う……うん」
 こうしてなんとも言えない気持ちを抱えたまま、レビヤタンは飲み物を購入するため、深淵から地上へと向かった。

「はぁ……なんであたしってばこんななのかしら……」
 ふとレビヤタンは声を漏らした。気が付けば、目線を合わせるどころか上手く会話もできないこんなあたしがいなくたってっと思ってしまうときが多々ある。こんなあたしがいなくなって、きっと誰も困らないしわからない。嫌なことがある度にそう考えるようになり、気持ちも心もあの深淵のように深い闇に覆われてしまっていた。それが唯一、自分を守る手段だと思うようになってからその闇は加速していき、ますます口を開かなくなり誰とも関わりたくないと思考が働き誰とも接点を持たないようにしてきた。そうすれば嫌な思いをすることもないし、相手に与えることもない。お互いにいいことばかりではないか。ただ、そう思うとその場では救われた気になるのだが、少し時間が経つとなんともいえない罪悪感にかられまた一人で沈んでいくを繰り返していた。
 不安と嫌悪感がぐちゃぐちゃに混じったため息を吐いたところで、レビヤタンの頭に何か冷たいものが降ってきた。
「え……雨?」
 レビヤタンの気持ちに感化されたのか、天気は悪くなり次第に雨脚を強めて振り出した。どこかで雨宿りができる場所はないかと視線を動かしていると、人が入れそうな大きな箱のような建物に目が行きそこへ一目散に飛び込んだ。安堵の息を漏らし、中を見てみると縦に数字が並んでまたその隣には数字が並んでいた。これはいったいどういうものなのかさっぱりなレビヤタンはとにかく雨が止むまでの辛抱だと思い気にしないことにした。

 大きな箱のような建物に入ってどれくらい経っただろうか。雨は止む気配を感じさせないくらいに強くなり、外に出たら一瞬でずぶぬれになってしまう程激しく振っていた。早く自宅に帰りたいという気持ちと、外に出たらずぶ濡れになってしまうという気持ちがレビヤタンの頭の中でバトルを繰り広げていた。そんな中、キイと音をたてて誰かが中に入ってきた。レビヤタンははっと我に返り入ってきた人物を見た。長身金髪、爽やかな笑顔で竪琴を持っている男性─ケツァルコアトルだった。しかし今は大雨の影響で全身びっしょりと濡れておりよく見ると体を小刻みに震わせていた。
「ごめんね。ぼくも一緒に雨宿りさせてくれないかい」
「あわわわ……わわわわ」
「大丈夫かい? 寒いのかな」
「えああああ……あああえっと……」
「あ、ごめん。自己紹介がまだだったね。ぼくはケツァルコアトル。しがない詩人さ。君は」
「…………??!?!!」
 あまりにもきらきらした振る舞いに、ついにレビヤタンは絶えることができず声なき声で悲鳴を上げた。そのせいか、レビヤタンは倒れそうになるもすかさずケツァルコアトルが支え難を逃れた。
「おっと。危なかったね。大丈夫かい」
「……わわわ……ああぁ……あたしいぃ!!」
 今の状況に理解が追い付かず、思わず支えてくれたケツァルコアトルを突き飛ばしてしまった。次いでレビヤタンの顔は今までに感じたことがないくらいの熱を帯び、しばらく動けないでいた。

 顔の熱が収まり、ようやく落ち着いたレビヤタンはきらきら爽やかななケツァルコアトルに不器用ながら礼を言った。それに対してケツァルコアトルはにこりと笑い「無事でよかった」と本気でレビヤタンを気遣っていた。その笑顔を直視してまた視線を逸らすレビヤタンに、ケツァルコアトルは優しい声色で尋ねた。
「何か……怖い思いをしたのかい?」
 このたった一言がレビヤタンの心に小さな光を灯した。今までこんな優しく声をかけてもらってことなんてなかった……誰かとお話するなんて上手にできなかった……レビヤタンは勇気を出してケツァルコアトルに聞いてみた。
「……いいんですか? あたしなんかと喋って」
「もちろん。ぼくはきみとお話してみたいな」
 ケツァルコアトルの真っすぐな気持ちがレビヤタンの心に突き刺さり、レビヤタンは自分の過去の話を少しずつ話し始めた。人前に出るのが怖くてずっと引っ込んでいたら誰かにからかわれたこと、話そうとしても話題がなくてずっともごもごしてたこと、今もこうしてしどろもどろになってしまうことをレビヤタンの言葉で一つ一つ紡いでいった。それに対して口を挟まず聞いてくれているケツァルコアトル。すべて話し終えたときを見計らって、ケツァルコアトルは口を開いた。
「そんなに考え込まないでいいんだよ。きっときみは相手に思いやりを持って接してみようと頑張っているんじゃないかな?」
 きっと笑われるだろうと予想をしていたのだが、その考えは真逆だったことにレビヤタンは口をぽかんと開けて驚いていた。
「え……あ……あたしが……?」
「うん。きっときみは『どうやったら相手が喜んでくれるかな』って考えていたのかもしれない。それが考えるより先に行動に出てしまったという風にも考えられるかな」
「……そんなの、これっぽっちも考えていなかったです……」
「そうかな? きみの話し方からはそう思わなかったよ。人前に出るのだってそれなりに勇気が必要ことだよ。それをきみは率先してやったという事実は誰にも曲げられないよ。誰だって緊張するしどきどきだってする。それはごく普通のことだから、そんなに深く思わないで大丈夫だよ」
 ケツァルコアトルからの励ましの声に、思わず感極まってしまったのかレビヤタンは目に涙を浮かべた。泣き始めたレビヤタンの頭にそっと手を乗せたケツァルコアトルはまるで子供をあやすように「もう大丈夫だよ」と何度も繰り返し、レビヤタンの気持ちが落ち着くまで傍にいた。

「やあ。すっかり雨も上がったみたいだね」
 ケツァルコアトルの声にはっとしたレビヤタンは顔を上げた。さっきまでどんよりとしていた雲の塊は嘘のようになくなり、代わりに青空が広がっていた。こころなしか、レビアタンの気持ちもなんとなく軽くなっていることに気が付き、まさかそんなことはと思いながら立ち上がりケツァルコアトルの隣に立った。
「あ……あの……ありがとうございます」
「ぼくはなにもしていないよ。きみに笑顔が戻ってよかった」
 ケツァルコアトルは背中から竪琴を取り出し軽く爪弾くと、レビヤタンの気持ちは一気に晴れ渡りなんとも清々しい気分で一杯だった。ここしばらく味わっていなかった高揚感が、レビヤタンに新たな表情をもらたした。
「またどこかで会えるといいね。それじゃあ元気で」
「あ……!」
 ケツァルコアトルが挨拶をすると、背中から大きな翼が現れそのまま青空に吸い込まれるように飛び立っていった。レビヤタンはそんなケツァルコアトルが見えなくなるまで見送ると、なんともいえない楽しい気持ちが溢れ、この気持ちを一刻も共有したいと思ったレビヤタンは無我夢中で自宅へ向かった。上手く話せるかはわからないけど、それでも「誰かに話したい」という気持ちになったのは生まれて初めてだった。
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