小さな果実マシュマロ【神】

文字数 3,100文字

「ふう。ちょっと休憩」
 山盛りの書類を片付け、自室のデスクに腰を下ろす天使イヤスサエル。いつもなら不審者などの討伐などがあるのだが、ここ最近はそういった案件が見られなくなった代わりに書類整理の仕事が多く入るようになった。その量は膨大で、一人で処理をするには相当な時間を要するものばかりで休み休み行わないと酸欠を起こしてしまいそうなほどだった。数ある書類の山を崩し終えたイヤスサエルは既にぬるくなったドリンクを口に含み、ふうと一息。ふとデスクに視線を移すと、まだそこには書類の山が築かれていて終わるのはいつだろうだなんて思っていた。
「……そろそろ再開しますか」
 本当はまだまだ休んでいたのだが、休んでいても書類は消えることはない。仕方がないと思いながら腰を持ち上げ残りの書類の山を崩しにかかった。

 あれから数日経過した。イヤスサエルのデスクの上を陣取っていた書類の山は見事なくなっていた。休日も休憩もできる限り犠牲にし、ようやく切り崩すことができたことにイヤスサエルは何度も大きなため息を吐いた。
「はぁ……終わりました……」
 もうこれ以上は増やさないでと心の中で何度も叫びながらデスクの上でぐったりしていると、こんこんとドアをノックする音が聞こえた。すぐに背筋を正し、返事をすると一枚の書類を持った司書が入ってきた。
「イヤスサエル様。お休みのところ失礼します」
 落ち着いた声で近づく司書。一体何事かと目を白黒させながら待っていると、司書はイヤスサエルの目の前に書類を見せた。
「これは……休暇申請書……ですか?」
「はい。書類整理が思っていた以上に早く片付いたので、皆さんにということです」
「はわぁ……いいのですか?」
「もちろんです。必要事項を記入していただければこのまま申請しますので、よろしければ」
「わかりました」
 そういってイヤスサエルはペンをとり、薄く丸がついている箇所を記入していき書き漏れがないかを確認してから司書に手渡した。
「はい。では、お願いします」
「……漏れはないですね。畏まりました。明朝までには結果をお伝えできると思いますので、お待ちくださいませ」
 深々と頭を下げ、部屋を出て行った司書。誰もいなくなった部屋にはイヤスサエルの安堵の声が木霊した。まさか休暇をいただけるとは……思ってもみなかったご褒美に思わずにやけてしまうイヤスサエルは、本棚にしまってある雑誌をぱらぱらとめくり、とあるページで手を止めた。
「これ……してみようかな」
 そのページに描かれていたのは、異国での夏の過ごし方が可愛らしいイラストと写真で彩られたものだった。前から気になっていたイヤスサエルは早速仲良しの天使たちを誘い、異国で夏を過ごす計画を立て始めた。

 イヤスサエルが休暇を利用してやってきた異国の夏。そこにはイヤスサエルが体験したことがないたくさんの刺激で溢れていた。イヤスサエルもそうだが、友達の天使たちも普段来ている服とは違った模様の入った服に興味津々で、一着選ぶのにかなりの時間をかけていた。
「こっちのお花、すっごく綺麗!」
「こっちの模様も見てみて!」
「この色合いも素敵なの!」
 わいわいしながら選んだ異国の夏の装い─浴衣に着替え、散策を始めたイヤスサエルたち。気候は少し湿気は多いがそこまで気になるものではなく、比較的過ごしやすかった。近くの神社でお祭りがあるという情報を聞いたイヤスサエルたちは「なんだろうなんだろう」と声を弾ませ慣れない下駄を鳴らしながら会場である神社へと向かっていった。そこでは心地の良い笛の音色と、体の中から振動を感じる不思議な楽器が奏でられイヤスサエルたちの気分は最高潮に達した。
「うわぁー! 素敵ぃー! 異国ってこんなにも煌びやかなのね!」
「あ、あそこで食べ物売ってるー!」
「こんなことならもっと早く来ればよかったー!」
 などなど思い思いを口にしながら各自、気になった個所へと向かっていった。イヤスサエルは香ばしい香りのする店の前に立ち、お腹をきゅうと鳴らした。
「お嬢ちゃんいらっしゃい! 出来立てのやきそばはどうかな?」
「やき……そば? いただけますか?」
「あいよ! 熱いから気を付けてな!」
 茶色い麺に種類豊富な野菜がたっぷりと盛られた器を手にしたイヤスサエルは、熱がりながらもなんとか落とさずに運ぶことに成功し木製のテーブルの上に置き香ばしい香りに目を細めた。
「では……いただきます!」
 木で出来た棒のようなものを縦に割り、それをうまく使いながら口へと運ぶと野菜の甘味と黒い液体のうま味が口いっぱいに広がり、イヤスサエルの顔は一瞬にして緩んだ。
「はぅう……天界にはない美味しさですね……はふっ!」
 手が止まらない美味しさについつい無言になりながら食事を済ませると、イヤスサエルの口の周りは黒い液体で汚れていた。それをお祭りに参加していた人に言われ気が付いたイヤスサエルは、慌てて口元を紙で拭い、何度も確認をした。「うん。OK!」と言われ、ほっとしたイヤスサエルは教えてくれた人にお礼を言った。
「ついつい……夢中になってしまいました。そーすやきそば……恐るべしです」
 天界にはない異国の美味しさに気が付いてしまったイヤスサエルは、もっとほかの食べ物も食べてみたいという気持ちに駆られ、目に映るすべての食べ物を片っ端から注文していった。

 お祭り会場から少し離れた場所で、イヤスサエルとその友達はみんな満足そうな笑顔で空を見上げていた。天界でも見たことのある同じ星々の瞬きでも、異国の空となれば話は別でなんともいえない宝石の数々に思わずため息が何度も出てしまう。
「はぁ~、楽しかったわねぇ」
「ほんとほんと。おっきなりんごとか、しゅわしゅわする飲み物とか……」
「でももう……そろそろ帰らないとね」
 突然やってくる現実に、みんながしょげていると、イヤスサエルの友達の一人が「あっ」と言いながら小さな包みを取り出しみんなの前で開いた。
「そういえば、しゅわしゅわする飲み物をくれた人がこれをくれたんだ」
「これは……なぁに? なんか紐みたいにみえるけど……」
 友達の一人が開いた包みには、細い紐の先端がぷっくりとした小さな黒い塊がついていた。何をするかなんて検討もつかない天使たちが唸っていると、受け取ったイヤスサエルの友達が「確か……こうするんだったような……」といい、黒い塊に狙いを定めて魔法を詠唱した。小さな火球が塊に命中すると、ぱちぱちと音を出しながら火花が舞った。
「ひゃっ! びっくりした!」
「でも……きれいね。これ」
「優しい光ね。まるでこの季節の終わりを表しているみたい」
 ぱちぱちと音を立てて舞う火花は、最初こそ勢いよく燃えていたのだが次第に勢いがなくなり火種がぽとりと地面へと落ちた。勢いのある火花を見たあとだとなんとも哀愁を感じてしまったイヤスサエルとその友達はその儚さに目を細めた。
「儚い……けれど、美しいわね。いや、美しいから儚いのかしら」
「どっちでもいいですけど、わたしも遊んでみたいですわ」
「やりましょやりましょ」
 順番に点火し、燃えて儚く散るその遊びにイヤスサエルたちは無言でその火種を見つめていた。寂しさもあるなか、どこかこれでいいと思ってしまうのはこの遊びのせいなのか。紐のようなものが全てなくなったあと、誰もなにも言わずに天界へ戻る魔法陣を展開し、順番に乗っていった。最後にイヤスサエルが魔法陣に乗ると、イヤスサエルは「また来るね」と自分にだけ聞こえる声で再来を約束するのと同時に魔法陣の光は一点を突き刺すように光ると、その後静かに消えていった。
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