水鏡饅頭【魔】

文字数 2,059文字

「あ? なんだここは」
 気が付けば見知らぬ場所に立っていた妖刀─村正。普段は怪しい魅力を放つ刀の姿をしているが、時折こうして人の姿としてあちこち出歩くこともしばしば。短めの黒髪の間から除く短い角、右目を隠す眼帯は、何を物語るのか。残った左目は鋭いながらもどこか気怠げな雰囲気を放ち、気の弱い者ならばただ視線を動かしただけで恐れおののいてしまうほどの眼力だった。白い羽織に黒の袴、肩には赤く光る小さな妖がけけけと笑いながら村正を見つめていた。
「……知らねぇ場所だな。ここはどこなんだ」
 自分が祀られている村ではないことは一目瞭然だった。簡素に作られた家が並ぶ村正の村とは対照的な建物が並んでおり、目の前には大きな池のようなものが静かにちゃぷちゃぷと音をたてていた。それと遠くの方で小さな小島がぽつぽつと浮かんでおり、その多くは植物で生い茂っていた。今までに見たことのない大きさの池に村正は「……でけぇな」と呟いた。こんなに大きな池は果て無く続いているようにも思えた村正は、池の上で揺れている白い球を見てから顔を上げた。
「月……か」
 驚くほどに大きな白い月が淡い光を放ちながら、村正を見つめていた。月なんてただ浮かんでいるだけなんだという感覚しか持っていなかった村正は、これほどまでに美しい月に絶句していた。
「どこの世界にも月はあるものなのだな。それにしても、おれのいる世界の月とはまた違った感じがしたな。同じ月なのに……どこか温かいというか……はっ。らしくねぇな」
 静かに頭を振り、村正はその辺に転がっていたぼろぼろの番傘を手に取った。ほとんど骨組みしか残っていないような番傘をなぜ手に取ったのか、それは村正もわからない。だが、理由らしい理由も浮かばないことがあってもいいだろうとふっと笑いながら月夜に向かって番傘をさすと、ほんの僅かに普段とは違う自分に出会えたようなそんな気がした。
「……らしさ……か」
 番傘をさしながら、村正はぽつり。今まで村の守り神として祀られてきた村正は、改めて自分らしさとは何かを考えた。
「おれはただ、造られた存在なんだがな。それもとびきり危なっかしい刀としてな。それがどうだい。村の連中ときたら、そんな危なっかしい刀を神様だとかほざきやがる。ったく、めでたい奴らだよ本当」
 錆た椅子に腰かけ、ぼんやりとした月に語り掛けるように村正。それは独り言なのか、本当に月と対話しているのかはわからないが、少なくとも悲しいという気持ちは含まれてはいないように感じた。
「……祀られている以上、村を守らねぇとな。それが、おれにできる恩返しのようなもんだし」
 胸の辺りがむず痒く感じた村正は、それでもなお月に向かって気持ちを吐露した。
「なぁ……おれは……こんな危なっかしい刀は……本当に存在してていいのか? 誰も幸せにならねぇような代物だ。こんなのがなくったって、誰も困らねぇだろうがよ。なのに……あんであいつらは……」
 ふと脳裏に浮かんだのは、村人たちの嬉しそうな笑顔だった。たまたま村の中を巡回しているときに、妖魔に襲われた村娘を助けただけなのだが、村人たちは村正に何度も何度も頭を下げていた。
「本当に……本当にありがとうございます。村正さまがいなかったと思うと……」
「なんとお礼を申し上げればいいか……本当に助かりました」
「いや……そんな大層なことしてねぇし……」
 頭がもげそうな勢いで何度もお礼をする村人に驚きながら、村正は少したじろいでいると村人は急に顔を上げ、声を張った。
「いえ! そんなことはありません。村正さまは……人一人の命を救ってくださったのです!」
「わ、わかったって……ま、まぁそういうことにしておいてやる」
 人と妖の寿命は違う。妖は永遠の時間が流れる。それは苦痛とも呼べる程に長い長い時間を過ごす。その為なのか、村正は生命についてそれほど理解はなかった。少なくとも人はおれよりも短命なのだなという程度だった。だがそれと同時に村正は人の命がこれほど短命で儚く、そして光輝いているのかを知った。そのことに気が付いた村正は目頭が急に熱くなり、目元を抑えた。それから後を追うように肩を静かに震わせた。

「……そろそろ帰らねぇとな」
 本音を言えばまだこの景色を見ていたいという気持ちがあるのだが、こればかりは仕方がない。いない間に村の連中になにかあったらと思うと猶更である。大きな白い月に背を向け、自分が住んでいた村を脳裏に浮かべ短く詠唱を行った。すると足元が薄い紫色を放ち村正の周りを小さく囲った。あとはこのまま……のはずなのだが、村正は脳裏に浮かんだ村をかき消し後ろを振り返った。
「次はいつ見られるかわからねぇからな。……じゃあ、あばよ」
 村正は今度こそ自分の村へ戻る準備を整え、その場から姿を消した。これは、自分に対しての小さな小さな宴だったのかもしれないと思うようにした村正は、村に帰ったらまた村人たちの笑顔のため働くことを決めた。この笑顔の襷を途絶えさせてはいけない。そう強く思いながら。
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