花手毬の最中【魔】

文字数 2,715文字

 日中の暑さが夜になっても忘れてくれないそんなある日。ギルドでの仕事を終え、入浴を済ませたぼくはタオルで濡れた頭をがしがしと拭いていると、ふと窓から何かが燃えているような匂いがした。どこかで火事だろうかと思い、ぼくは窓の外を見ると遠くで色鮮やかな光が夜空で輝いていた。赤、黄、青と色を変えて輝くその光にぼくはもっと近くで見たいという衝動に駆られ、新しい衣服に着替えて光が打ちあがっている場所へと走った。入浴を済ませて汗もきれいさっぱり洗い流したばかりだというのに、ぼくの額には大粒の汗が浮かび頬を伝い落ちていった。ぽたりぽたりと流れ落ちる汗は時折ぼくの目に入り、視界をぼやけさせてくるけど構わずに走った。どうしても、あの光をもっと近くで見たいという欲求はそれほどまでに大きかったのかもしれない。
 光が打ちあがっている場所が近くなってきているのか、光が夜空を彩ってからしばらくして体を中から震わせるような振動が伝わってきた。

 どん どどん どん どどん

 体を大きく打つまるで大きな楽器のような音は、ぼくの好奇心をさらに刺激させた。早く見たい、早く見たいただその思いだけが段々強くなり、呼吸が乱れるのも忘れてぼくはただひたすらに走った。なぜ、あの光をそんなにも見たいと思うのだろうと自分に問いかけてみたけど、答えは見つからなかった。ただ、強いて言うのなら「興味」なのかもしれない。見たことのない大きな光、次いでやってくる大きな音と焦げた匂い。ちょっと臭いけど、その匂いがなんだか心地いいなと感じたぼくは、あの光が一体何なのかを知りたいと素直に思った。
 ギルドを出てどれだけ時間が経過したのかな。気が付いたときには体に纏わりつく暑さはどこかへいっていて、代わりにほんの少しだけ肌寒さがぼくの体の周りでくすくすと笑いながらくるくると円舞曲を踊っていた。汗にまみれたぼくの体はすっかり冷えてしまい、急に背筋がぶるりと震えた。このままだと風邪をひいてしまうかもしれないと思ったぼくは、とりあえず夜空に上がる光を見たらすぐにギルドへ戻ろうと決めた。今か今かと待っていると、どこかで見たことのある後ろ姿を見つけた。水色のショートヘアーから覗く小さな鋭い角が二本。いつもとは違う着物を着ていて、今は黒を基調とした着物を着ていて帯は薄紫色だった。背中にうちわを指して夜空を見上げている少女を見て、ぼくは無意識にその少女─ミヤビを呼んだ。
「あら。こんなところでお会いするなんて」
 ミヤビは少し嬉しそうに笑いながら言った。ミヤビは魔族の少女で、普段はぼくらの世界にくることは滅多にないのだけど、今日はなんだか事情があってこっちに来たのだとか。
「ええ。なんでもこっちの世界では、『はなび』という催しをしていると聞きまして。その『はなび』がどんなものなのかを知りたくて参りました」
 ああ。あれは『はなび』というのか。ぼくも知らなかったことをミヤビが知っていることに、少し驚きながらぼくはミヤビに一緒にはなびを見てもいいかと尋ねると、ミヤビは「ええ。もちろんです」とにっこりと笑って答えてくれた。からんころんと音を鳴らしながら歩くミヤビの後ろについて歩くと、途端に空は昼にでもなったかのように明るくなった。遅れて破裂音からのあの焦げた匂いがやってくると、ぼくの胸はどきどきと大きく跳ねていた。
「びっくりしましたわ。でも、そのびっくりも今はとても心地よいものです」
 うふふと笑いながら夜空を眺めているミヤビ。ぼくもその視線の先に映る色とりどりの光に心を奪われていた。いつの間にか、ぼくは光の虜になっていて、口をぽかんと開けたまま夜空を仰いでいた。こんなにきれいな光を今まで見たことがあっただろうか……いや、ないかもしれない。こんなにきれいで大きくてわくわくする光……はなび。暑くて何度も寝付けない夜が続いていて、今日も暑いのかとがっくりしていたけど……こんな素敵な体験ができたことに幸運を感じた。
「ね。もう少し見ていきませんか? それも、もっと近くで」
 ミヤビがふとぼくの右手を取ると、はなびを打ち上げている人の近くまで歩いた。近くで見て可能な距離ぎりぎりまで近付くと、さっきよりも大きな音と衝撃にびっくりしながらぼくとミヤビは互いに笑いあった。こうしてぼくとミヤビは最後まで楽しんでいると、後にやってきたのは恐ろしいほどの静寂だった。それは虚無感にも似た感覚で、もう終わりかという思いでいっぱいでいると、ミヤビは「それがまたいいのです。また見たいと思えるくらいが……ね」とうちわで口元を隠しながら笑った。なるほど、そういう考え方もあるか。なら、その考えに倣ってまた見れるかもしれないという楽しみを持つのも悪くないか。それにしても……。
「はぁ……やはりこちらに来て大正解でしたわ。あなたにも会えて……わたしはとても幸運ですわ」
 一人で見るつもりだったから猶のことと付け足したミヤビの顔は、心の底からはなびを楽しんだ様子で何よりだった。ぼくも一人で見るかもしれないと思っていたから、ミヤビを見つけたときはなんだか嬉しかった。
「今日はわたしと一緒にはなびを見てくださって、本当にありがとうございます。いい思い出ができましたわ」
 いやいや。お礼を言わないといけないのはぼくの方だというと、ミヤビは首をゆっくり横に動かしながら微笑んだ。
「いいえ。わたしは今日、あなたと会えたことが本当に幸運でした。こうしてお話できる機会も中々ないですし、今日は色々お話ができてとても有意義な時間を……ありがとうございます」
 そこまで言われると……なんだか恥ずかしいな。ぼくは何て言えば迷っていると、ミヤビはぼくの手にそっと自分の手を重ねて何やら小さく詠唱を始めた。
「さぁ、そろそろお別れのお時間です。あなたの心安らぐ場所を想像してくださいませ」
 ぼくはギルドの中にある自室を想像すると、淡い光がぼくを包んだ。強い光の中、ミヤビの姿が見えなくなるのと同時にぼくの意識は白い光が生み出す無音という騒音の中に引きずり込まれていった。

 気が付くと、昨日の夜に感じた暑さは感じなかった。代わりに心地よい風が自室に入り込みなんとも爽やかな目覚めだった。体をうんと伸ばし、ベッドから起き上がると何かが落ちた。何かと思い拾い上げると、夜空に浮かぶはなびをイメージした栞と小さな手毬だった。誰だろうと思い栞を裏返すと、そこにはとても丁寧な字でこう書かれていた。
「闇深し暑夜 咲きし光の大輪 心ほろろ」
 なんとも趣のあるものだと感じたぼくは、また夜に咲く花をどこかで見たいと思った。一人ではなく……誰かと。
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