ひとつでおなかいっぱい? 餡子たっぷり柏餅【竜】

文字数 4,354文字

 その少年は辺りを見回していた。自分が住んでいる世界では見たことのない建物に、その建物から延びるまっすぐな棒。風の動きに合わせてゆらゆらと漂っている巨大な魚のようなもの。その少年はただただ口を開けたままふらふらと歩いていると、肩に衝撃を受けた。
「きゃっ!」
 ぶつかった衝撃でバランスを崩したのか、ぶつかった相手は尻餅をついてしまったようだ。少年はすぐに屈んでぶつかってしまった相手に手を差し伸べた。
「あ、ありがとう。ごめんなさい。ぼーっとしてたみたい」
「……ぼくも……ごめんなさい」
 少年も辺りを見ながら歩いていて注意を怠ったことを謝ると、ぶつかった少女は「よいしょ」といいながらしゃんと立つと、少年に向かってにこっと笑った。
「あたし、スイレン。この辺りに住んでるんだけど……君は見ない顔だな。最近引っ越してきたのかな?」
「……ぼく、いくま」
 スイレンと名乗った少女は丈の短い赤い着物を着ていて、帯の真ん中には大きな花を模した飾りが施してあった。黒檀のように黒い髪はきれいに整えられ、赤い髪留めでしっかりと結われていた。そしてそのスイレンの肩には小さな狐のような生き物がちょこんと座っていた。
「この子はムームー。よろしくね」
「むー!」
 ムームーと呼ばれた生き物は元気よく挨拶をすると、いくまも小さく頭を下げて挨拶をした。いくまは紅色の髪に爽やかな柑橘色の瞳、白い装束にそれとは反対色の黒い鞘を腰につけている。鞘の大きさから見て、いくまと同じくらいかそれよりも大きな剣を携えていた。背中にこうもりのような翼を生やしていて、竜族の暮らしている世界とは少し違う翼を気にしているいくまに、スイレンはまったく気にしていない様子で近付き、いくまの手をぎゅっと握った。
「いくま君かぁ。よろしくね」
「あ……ああ。その……スイ……レンだっけ。その、ぼくの翼……怖くないの?」
 いくまは手を握っているスイレンに問うた。いくまは生まれてから、この翼が嫌いだった。理由は他のみんなと違い、どこか物々しい雰囲気を持っていることが嫌だった。頑張って翼を小さくしても、いずれは元の大きさになってしまい、それを見た子は口を揃えて「怖い」と言う。それを言われるのが怖くて怖くて、人里から離れて暮らしていた。その最中、いくまは獣に襲われ負傷してしまった。全身が言うことを聞いてくれなくなり、いよいよかと覚悟を決めたときだった。天から無数の光が表れそれが槍のように降り注ぐと目の前にいた獣を音もなく貫いた。獣は何が起こったかを理解するよりも早く絶命すると、光から少し遅れて一人の男性が姿を現した。男性の名は迦楼羅天。白銀の髪に黒色の鎧を身に着け、口元には黒い面をつけ、顔を窺うことはできない。
「危なかったな。少年」
 迦楼羅天はいくまに手を差し伸べると、いくまは緊張の糸が切れたのかそのまま意識を失ってしまった。気が付いたときには傷はすっかり癒え、いつでも体を動かすことができるまでに回復していた。
「少年。気が付いたか」
「あ……ありがとうございます」
「うむ。少年の治癒力には驚いた。薬を塗ってからそんな時間も経たない内にみるみる回復していったからな。驚いたよ。して、少年の名前は何というのかい?」
「……」
「ふむ。少し長いな。それでは呼びにくいから……そうだ。いくま……はどうかな」
「い……くま」
 いくまという名は自分を救ってくれた迦楼羅天がくれた名前だった。本当の名前は発音が難しく、長いため迦楼羅天が呼びやすいように名前をつけてくれたのだ。
「助けてもらった上に名前まで……ありがとうございます」
「いやいや。大それたことではないよ」
 にこりと微笑む迦楼羅天に何かを感じたいくまは、半ば押しかけるように弟子入りをするとめきめきと力をつけていった。自分を守るため、そして誰かの力になるため、いくまは師匠である迦楼羅天の指導を受けた。自分が師匠を助けてくれたように、自分もいつかそういう行動ができるように。
 ある日、いくまは師匠に聞きたいことがあった。それは、自分の翼のこと。ほかの人とは違う翼が嫌で仕方がないいくまは、どうしたらいいかと尋ねると師匠である迦楼羅天は迷いもなくこう答えた。
「人は違っていていいんだよ。わたしはありのままのいくまがいててくれれば、それでいい」
この一言に、いくまの心に巣くっていた闇は晴れた。違っていていいという言葉、誰からも聞いたことがなかったいくまにとって、この言葉は何物にも代えられない支えとなった。

 迦楼羅天と過ごしてから幾日が経過したある日、迦楼羅天から少し休暇をとってきなさいと言われたいくま。今までそんなのんびりしたことがなかったいくまはどうしたらいいかと迦楼羅天に尋ねると、少し悩んでから迦楼羅天は口を開いた。
「少し外の世界を見てみるといい。見聞が広がっていい勉強になると思うよ」
 そう言われ、いくまは適当に目的地を決めるとそこへと降り立った。そこで、いくまは自分の住んでいる世界にはないものを見て驚いていた。木を使って建てられた家、そしてその脇には細長い棒のようなものが伸びていて、見上げると魚のようなものがゆらゆらと揺れていた。一軒だけでなく、ほかの家も同じように細い棒のようなものがあり、大きな魚のようなものが揺れていたのだ。
 そこで、スイレンと出会った。師匠と暮らして外の世界に出て初めて会った人物でもある。師匠からは怖くないといわれたものでも、人によっては怖いと思われるかもしれないと感じたいくまは、答えを聞きたいようで聞きたくない感覚に陥った。いくまがぎゅっと目を閉じながら答えを待っていると、スイレンのくすくすと笑う声の後にふわりと太陽のような温かさを纏った答えが返ってきた。
「怖くないよ。あたしはかっこいいと思うな」
「か……っこいい……?」
 予想だにしなかった答えにぽかんとするいくま。それに対し、スイレンは何度もうんうんと頷いていた。そしていくまの手を引くと、駆けた。
「ねぇ。せっかくだし、一緒に遊びましょ!」
「え……でも……ぼく……」
「いいからいいから。ほら、こっちこっち」
 半ば強引に引かれながら町の中を探検する二人。あっちは商店街、こっちは住宅街と案内してくれるスイレン。うんうんと頷きながら話を聞いているいくまは、ふとさっきの家から延びる棒のようなものが気になり、スイレンに聞いてみた。すると、あれは「こいのぼり」という、男の子の成長を願うお祭りだということを教えてくれた。そして、この時期にしかないお菓子「かしわもち」というのがなんとも絶品なんだとか。
「あ。もうできてるかな。この近くでかしわもちが美味しい神社があるんだ」
「かしわもち……どんなものか気になるな。教えてくれる?」
「もちろん!」
 スイレンは満面の笑顔で答えると、いくまの手を引く力をほんの少し強め、かしわもちが美味しいといわれる神社へと急いだ。

 長い石階段を上り終え、頂上に着くとそこは赤を基調とした大きな神社だった。正面には社務所やお守りや破魔矢などを販売している授与所。向かって右には大きな神楽殿、左にはおみくじと、それを結びつけるための小さなご神木があった。
「おっきいなぁ……」
「でしょ? この町で一番大きな神社なんだよ。それと、ここの神主様がとっても有名なんだ」
 スイレンが「こっちだよ」といいながら走っていった先は神楽殿だった。そういえば、神楽殿に誰かいるなと思っていたいくまは、その人物が誰なのか気になっていた。
「アルメンダリス様。こんにちは」
「やあスイレンか。よく来たね。おや、そちらは……」
「友達のいくま君です!」
「ほう……いくま君ですか。ようこそおいでくださいました。わたしはこの神社の神主を務めておりますアルメンダリスと申します」
 深々とお辞儀をするアルメンダリスに、おずおずとお辞儀を返すいくま。お辞儀を終えたアルメンダリスを見たいくまは、ほんの少しぎょっとした反応を見せた。それは、片方の目が燃えるように赤かったのだ。そして、髪色も師匠と違わぬほどの銀色の髪をしていた。白い狩衣に大きな大幣(おおぬさ)を持っているその姿はまさに神とも呼べるほどなんとも神々しかった。見た目こそ少し怖そうに見えるのだが、口調はとても穏やかで不思議と心が安らぐように感じた。
「アルメンダリス様はね、竜神の力を持ってるんだよ。悪者がきても、すぐに退治しちゃうんだから」
「はは。これも竜神様の加護があってのことですよ。といっても、わたしもまだまだ修行中の身ですが……」
 とはいうものの、アルメンダリスの周りには何とも言えない聖なるオーラを発しているように感じたいくまは、そういうものなのかと勝手に納得していた。簡単に自己紹介を済ませると、スイレンがアルメンダリスに何やらごにょごにょと耳打ちをしていると、アルメンダリスは「わかりました。少しお待ちください」と言い、社務所の中へと入っていった。
「今、なんて言ったの?」
「えへへぇ。ひみつ」
 にんまりとした笑顔から察するに、もしかしたらと思ったいくまは何も言わずアルメンダリスが社務所から出てくるのを静かに待った。しばらくして、社務所から出てきたアルメンダリスは、手に何か大きな包みを抱えていた。その大きさに驚くいくまと喜ぶスイレン。中には何が入っているのかとドキドキしていると、アルメンダリスはいくまにそっと手渡した。
「スイレンと友達になってくださり、ありがとうございます。これはこの神社名物の柏餅です。どうぞお召し上がりください」
 包みをそっと開くと、そこには大人の拳大の大きさの柏餅が現れた。柏の葉に包まれた白い餅から見える、黒い餡。これも男の子の成長をお祝いするためのお菓子だとアルメンダリスが教えてくれた。ずっしりと重い柏餅を手にしたいくまは、恐る恐る柏餅を口にした。程よい塩味のある皮にしっかりとした甘さなのにしつこくない餡が絶妙に混ざり合い、いくまは衝撃を受けた。
「こんなに美味しいものがあるんだ……知らなかった……」
「えへへぇ。いくま君、ひとつ賢くなったね!」
「ほらスイレン。口の周りに餡子がついてますよ」
 神社の神楽殿に腰を下ろして食べた柏餅。その美味しさに夢中になって食べていると、いつの間にか空はすっかりオレンジ色に変わっていた。太陽が沈む様子を見ながら三人はしばし無言で佇んでいた。始めはどうなるのかと心配していたいくまだが、実際は杞憂に終わった。自分が思ってるほど、周りはそんなに重たく捉えていないということ。それと、柏餅がこんなに美味しいこと、それと夕日がこんなに美しいということを学んだいくまの顔は、外の世界に来たときよりも数倍、輝いていた。
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