38.毒草

文字数 2,747文字

 新年を迎えた瞬間、空席になっている二つの席を見つめながら彼女はため息をついた。

 政治家である夫が普段から多忙なのはよく理解している。

休日に二人で寛いでいる横で透証にはひっきりなしに何らかの通知が届くし、会話の最中に断れない呼び出しがかかることにも、すっかり慣れてしまった。

 しかし一年の中で最も家族との時間を最優先させることが許されるはずのこの時ですら、我慢しなければいけない。

流石にため息の一つくらい出る。しかも今日は息子までだ。

 既に席を立ってから二時間以上が経過していた。取り分けておいてやった料理も、すっかり冷めてしまっている。

 彼女の身につけた上品なロングドレスは、冬の日の吹雪の空のような色に染まってしまっていた。

「外に出ていったわけではないから、そのうち戻ってくるわよ」

 大判のストールが肩にふわりとかけられた。

華やかな色合いの花柄だった。励ますような調子の声は娘のものだった。

「お父さんもエイマンも、もう少し仕事セーブすればいいのにね」

「いいのよ。二人とも国のためにやっているのだから、私が文句を言うものじゃないわ。そんなふうに働いている父さんを見るのも、そんな父さんを尊敬してくれる息子を見るのも、誇らしいものですもの」

 ストールの賑やかな色を見ていると、気持ちが上向きになってくる。

本来自分が好きな色が曇り空の色ではなく、こういう艶やかな花の色だと思い直して、彼女は椅子から立ち上がった。

「さあ、ちょっと料理を温めなおしましょ。きっともうすぐ戻ってくるわね」



***



「ダチュラ・ロパン。そんな名前の党員はいない」

 ラウトは息子から手渡されたメモに目を走らせて、すぐに言い放った。
そのメモ用紙に記された名をもう一度読み上げて、首を振る。

「平彩党の党員と偽った輩か。もしくは偽名を使った党員か。どちらにしても悪趣味だな。ダチュラか……白い花を咲かせる毒草の名だ」

「ジロウさんとノマさんに、顔写真付きの党員名簿を確認してもらいましょう。念のため」

 必要な名簿を手際良く準備する息子を横目に、ラウトは眉間に皺を寄せた。

机の上に置いたままになっていた小さな冊子が目に入る。少し前に息子に貸した、大切な思い出の品だった。

開いたページに、古い友の笑顔を見つけた。

「ユーコさんと言ったか。女の子の方は、半年前からこの国に住んでいる。厳密に出自を隠してきたわけではないそうだし、彼女が来訪者であることが広く知られていたとしても無理はないだろう。しかし問題は少年の方。彼はこちらにきて間もないね。それに発見された街から王都までの移動以外は、ジロウさんの屋敷からあまり出ていないそうじゃないか」

「ツムグくんですね。彼は確かに、こちらにやってきてから一月も経ってない。王都に来てからは、ジロウさんの家から外出することもないそうですし、あの屋敷に今寝泊まりしている人以外との接触はないはずですよ」

「なぜそんな彼のことまで、ダチュラとかいう男は知っていた様子だったのか」

 訝しむ父の横で、エイマンも押し黙る。透証で聞いたジロウの説明では、『お人的にお会いしたい()()』とダチュラは話していたという。
侑子や紡久のことを名指しにしたわけではないが、二人のことを暗に示していたとしても不思議ではない。それ程怪しい人物なのだった。

「見張るのは気が引けるが……」

 ラウトは写真の中の友人を苦い思いで見つめながら、息子に指示した。

「来訪者の二人の側に、私達が信用できる人間を常に置いておくべきだ。透証の位置情報だけを過信することはできない。二十年前とは時代も変わったのだから」

 あの頃よりも恐ろしい展開がこの先の未来に待ち構えている気がして、ラウトは思わず目を閉じた。

 政争は終わっても、秩序が完全に戻ったわけではない。形を変えたものの中には、失われて永遠に戻らないものもあるのだ。

 気づくと時計の針は、既に新しい年に変わったことを静かに示している。新年早々感じた不吉な予感に抗うように、彼は息子の背中を軽く叩いた。

「ジロウさんに名簿を送信したら、すぐに居間に戻ろう。母さんたちが気をもんでいるだろう」


***



「ユーコちゃんとツムグくんを、なるべく一人にしない方がいいのね」

 ジロウの説明を聞いたその三人の中で、一番始めに反応を示したのはリリーだった。

 年が明けて六時間もすると、欠伸を噛み殺せなくなってきた人が一人、また一人と部屋へと帰っていく。大広間に転がってそのまま眠ってしまう人もいて、宴が自然とお開きの空気となった頃、リリーとユウキ、そしてアミの三人は、ジロウに彼の自室に呼び出されていた。

「ダチュラ・ロパン。何度見ても名簿に載ってない。平彩党の党員ってのも、嘘だったんだ」

 ジロウの透証から浮かび上がる党員名簿を確認していたユウキが、そこから顔を上げた。

名簿には一人一人の顔写真も載っていたが、ジロウとノマの二人が数時間前に目にした人物の顔は見当たらなかった。

「本当にあの二人が目当てだったのか、確証はないけどな」

「いや、二人が目的でしょう」

 ジロウの言葉をすぐに否定したのはアミだった。

きっぱりした言葉に反して、彼の表情はこの部屋にいる人間の中で一番普段と変わらない。

「どう考えても怪しすぎる。ジロウさん、年が明けたら部屋探しをするつもりでしたけど、やっぱりこちらで下宿を続けてもいいですか?」

「もちろんかまわないけど」

「来訪者を狙う一派がいても、不思議ではないですよ。あの襲撃事件以来全く見かけなくなってしまった来訪者のことを、神格化する集団もいるらしい。国に幸福をもたらす存在。そんな風に呼ばれる対象ですからね、ユーコちゃんとツムグくんは」

 淡々と繰り出されるアミの言葉に、リリーは眉間に皺を寄せた。

「なによその怪しい話。変な新興宗教?」

「不安定になった社会では、ありがちな話です。弱った心の拠り所を求める」

 部屋の壁に掛けられた仕掛け時計から、場違いに陽気な旋律が聞こえてきた。
文字盤についた小さなドアが観音開きに開き、中から飛び出した木彫りの小鳥が、きっかり八つ鳴き声を響かせる。
そして再び時計は何事もなかったように秒針が走る音だけを、四人の耳に届けるのだった。

「二人には、この話は伏せておいたほうがいいのよね」

 ここに呼ばなかったということは、そういうことだろう。

「そうしてもらえるか。ユーコちゃんとツムグくんが、なるべく一人にならないように気を配ってやってくれ。俺も、うっかりユーコちゃんに雑用頼みすぎないように気をつけるからさ」

 ジロウの言葉で締めくくられ、三人は部屋を後にした。

 冷え冷えとした廊下を歩きながら、三人とも無言だった。眠気でぼんやりしていた頭が、すっかり冴えてしまっていた。
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