85.懺悔

文字数 2,397文字

 二人は、ベッドに並んで腰掛けていた。
侑子の肩を抱いたユウキのもう片方の手は、しっかりと彼女の片手を握りしめている。
 侑子の膝の上に、形状の異なる五つの物質が散らばっていた。

「中綿、ボタンの目、口と鼻の刺繍糸、ユウキちゃんがつけてくれた硝子の鱗、ノマさんからもらった綿糸」

 侑子の指が一つ一つをつまみ上げながら、名前を呼んでいく。最後に手に取った白い綿糸の片方の先端数センチは、青く染まっていた。
 一本の長い糸となった綿糸は、侑子の腕に、指に、するすると巻き付いていく。植物のツルがフェンスに巻き付く様を、タイムラプス映像で見ているようだった。

「糸一本になっても、クマベエはクマベエの意識を持ったままなんだね」

 肩を抱いていたユウキの手が、侑子の頭を撫で、宥めるような優しいその動きに、侑子の目から涙がこぼれた。すっかり顔の上に出来上がってしまった道筋を、新しい涙は迷うこと無く滑り落ちていく。

「でも、鳴かなくなっちゃった。ごめん、ごめんね……こんな姿にさせちゃって」

 侑子達を部屋へ連れてきたシグラが、退室する直前に手渡してきた紙袋の中に、解体され、バラバラにされたあみぐるみの残骸が入っていたのだ。編まれた糸は全て解かれ、何本かの長い紐になっていた。

『こんな手を使って外部と連絡を取っていたなんてね。流石にブンノウも感心していたわ』

 クマベエを使ってのヤヒコ達との交信は暴かれた。

『あなたの才は、本当に不思議ね。ぬいぐるみの外側を形成していた糸に魔法がかかっていたようだけど、その糸を更に細かく解体して分解していったら、どうなるのかしら。最終的にどの物質に魔力が付着しているのか、分かるのかしら』

 呟いたシグラは、解明してみたいと言って、動く綿糸の一部を回収して行った。

『しばらくの間、二人きりにしてあげる。邪魔はしない。明日の朝まで』

 ドアの外側から施錠音が聞こえてから、どれくらい時間が経っただろうか。侑子には時間の経過感覚が分からなかったが、掛け時計を確認する気にはならなかった。

「泣かないで」
 
 ユウキの指が、侑子の湿った目元をなぞった。

「もう一度編んだらどうだろう? 元に戻らないかな」

 涙の痕を消すように、口づけの雨が顔の上に降り注いでくる。
ユウキの声は深く響き、侑子の気持ちを宥めよう慰めようと、耳の中に穏やかに広がっていった。

「……もう何年も編み物していなかったから、作り方忘れちゃった。それに、編み針もハサミも出せないの」

 ユウキの服を、縋り付くように握った。

「魔法が使えない。きっと制御されてる……もう何もできない」

 しゃくり上げた侑子は、ゆっくりと後ろへ倒れた。ベッドに上体を投げ出すと、ぼんやり光る天井の豆電球が目に入った。

「最後に使った魔法で、とんでもない物を生み出して、それで終わり。……絶対に使うもんかって、思っていたのに」

 心配そうに見下ろしてくるユウキの首に腕を回して、彼を引き寄せた。強く抱きしめると、彼の体温と重みを感じる。
 そして侑子は、やはり自分には無理だったのだと、再び認めたのだった。

「あなたがいなくなるなんて、絶対に嫌だった。私に出来ないこと、あいつらには全部見透かされていたんだ。私はユウキちゃんを諦められない。ユウキちゃんを失うことが、他の全てがなくなることよりもずっと怖い。私はその恐怖を克服できなかった……だから、私が弱すぎたから……」

「ユーコちゃん」

 ユウキは顔を動かして、侑子の唇を封じようとした。その先の言葉を摘み取るために。
しかし、侑子は抵抗した。身じろいで唇から逃れると、その先を音にする。

「ごめんなさい……!」

 それは激しい懺悔だった。

「なんで使わずに耐えることができなかった? 私は戦争を知らない。私は、知らない……画面の向こうの、距離と時代に隔たれたものとしか、戦争も兵器も知らなかったから。知識で知っているだけでは……頭で恐ろしいことだって分かっているだけでは、不十分だったんだ! もしも私が本当の戦争を知っていたら、恐ろしさをもっと実感していたら……!」

 絶対に才を使わないなどと言っておきながら、結局は使ってしまったではないか。なんて脆弱な意思であったことか。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

――私がこの美しい国を壊すんだ。それどころか、この地球に生きる大勢の人を消すんだ

 もし自分が原爆の恐ろしさと戦争の痛ましさを体験していたら……「もう二度と繰り返してはいけない」と語る戦争体験者の言葉を、自分のものとして話すことができていたのなら。

 想像よりも経験を得ていたのならば。

――私はあの二体の兵器を、完成させることはできなかったんじゃないのか

 しかし、もう取り返しはつかない。
侑子は動かしてしまった。兵器は完成したのだ。

「私が皆を殺すんだ……っ」

 この先に待ち受ける、想像を上回る未来。それを表現するべき言葉が思い浮かばないまま、最もシンプルな懺悔の言葉を、侑子は繰り返した。

「んん……っ」

 遂に唇を塞いだユウキは、強い力で自分の舌を彼女の口内に捩じ込んだ。
硬く締まった糸の絡まりを緩めるように、強張った侑子の舌を撫でる。優しく、しかし一定より弱めることのない強さを継続させながら。

 あみぐるみを形成していた白い綿糸は、侑子の腕の上をくるくると螺旋を描くように動きながら、やがて彼女の左腕のブレスレットに絡み付いた。その場所が落ち着くとでも言うかのように自ら蝶々結びを作ると、ようやく動きを止める。

 そんな紐の動きに気付かないまま、長い長い口づけは続いていた。
 遂に力を抜いた内側を確認するように、ユウキの唇は角度を変える。彼の動きに応えるように動けば、侑子は束の間現実を忘れることができるのだと思い当たっていた。

 甘やかし、甘える関係が成立していた。その関係が続く時間が無限に続けばいいのにと、侑子は願った。
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