青い半魚人④

文字数 2,339文字

「ありがとう」

 ユウキの唇が動いたが、聞こえたのは聞き覚えのないあどけない少女の声だった。

ユウキが魔法を使ったのだ。

「これが“玉虫色の声”か」

 背後から感嘆している男性の声が聞こえた。他にもユウキの声の変化について言及している会話が、ざわざわと聞こえてくる。

「すごいな。本当に別人の声だ」

「こういう“才”は珍しいのよね」

 どうやら貴重な魔法らしい。
侑子にとっては、魔法そのものが貴重どころか見たことがないものだから、ピンとこないのだが。

「あんたたち、驚くのはこれからだぞ!」

「初めて聞いたとき、仕掛けがあるんだろうって、あちこち探しちゃったんだ。もちろんどこにもなかったけど」

 常連客が初見の観客たちに力説している。

この場にいる人々は皆、魔法が当たり前の世界に生きてきたのだろう。
そんな彼らが驚くほどということは、少し前の侑子の驚き方も、異常ではなかったということだろうか。

「お待たせしました」

 マリオネットの糸を少し縮めて短くし、ユウキは台の上に人形を立たせた。

 観客たちは口をつぐみ、じっと耳をすませるようにユウキに注目する。

侑子のものも含まれる、たくさんの視線を口許に感じながら、ユウキは歌いはじめた。


 一番始めにユウキが口ずさんだのは、侑子も知っている詩の一節だった。

 「ねんねんころりよ 木の上で」
 「風が吹いたら 揺れるのよ」
 「枝が折れたら 落ちるのよ」
 「その時あなたも 揺りかごも」 
 「みんなそろって落ちるのよ」

 ゆっくりしたテンポの、子守唄の旋律だった。

一節ずつユウキが声を変えて歌う。
セーラー服の人形が歌っている時には、先ほどの幼い少女の声になった。

 ユウキが繰り返し歌っている間、侑子はこの聞き覚えのある詩はなんだっただろうかと、思いを巡らせる。

 その疑問は、続いた二曲目の詩を耳が捉えた頃に解けることになった。

 「男の子って何でできてる?」
 「ぼろきれやカタツムリ
  子犬の尻尾
  そんなものでできてるよ」

 「女の子って何でできてる?」
 「砂糖やスパイス
  すてきなことがら
  そんなものでできてるよ」

「マザーグースだ……」

 国語の授業で紹介されたのをきっかけに、興味がわいて図書館で絵本を借りたことがあった。

イギリスの伝承童謡のはずだ。ここでそんな詩を聞くことになろうとは思わなかった。

この世界と侑子がいた世界とは、どれくらいの共通項があるのだろうか。
ふと疑問に思った。

 侑子が考えこむ中、回りの観客たちが軽くどよめいているのは、ユウキが声を変化させたからだろう。

 今度は自分の地声ではなく、声変わり前の少年の声と、先ほどの少女とは別人の少女の声だった。
 
 彼はこの詩も拍子に僅かな変化を加えながら、何度か繰り返し歌った。
その度に歌声は、年齢も性別もバラバラの別人のものへと変わっていく。

 操作棒を操る長い指が巧みに動き、紺色のスカートをひらめかせながら、人形が楽しそうに踊っている。

ユウキの指を彩るいくつもの指輪が、キラキラと光を散らしていた。



 夕日は急速に沈み、噴水広場の街灯が灯されていた。
 
 賑やかな音楽が止まり、再び場が静まる。

ユウキは人形を台の上に腰掛けさせると、まっすぐ前を見つめて、再び唇を開いた。

「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

 楽器の旋律が鳴りを潜めたまま、ユウキの声が吟詔した言葉だけが、始まりかけた夜の大気の中に吸い込まれていった。

――和歌?

 そのような旋律だった。
百人一首を知っているし、和歌の詠み方も聞いたことがあるので、それだけは分かった。

――なぜマザーグースを歌った後に、和歌なのだろう

 再び疑問に首をかしげる侑子をよそに、観客たちはパチパチと拍手を贈りだした。

その賑やかさから、彼らがユウキの曲芸に満足していることが分かる。

終わったのだろう。

ユウキを囲むように半円状に集まっていた人々の集まりが、パラパラと解散していった。

 皆去り際に人形の隣に据えられた金色の箱へ、貨幣のようなものを入れていた。

「素敵な舞台だった」「また見に来る」などと、感想を告げていく人も多い。

 侑子は立ち去る人の邪魔にならないところまで下がると、先ほどより離れた場所から、ユウキを眺めていた。

 常連客であろう顔見知りの人々と楽しげに会話を交わし、寄ってきた子供達にマリオネットを操って見せてあげている。

侑子に手を振ってきた。

相変わらず謎めいた不思議な化粧に隠されているが、目元に優しげな皺を作って笑う彼は、間違いなくユウキだった。

 けれどやはり――

 侑子はユウキに手を振り返しながら、慎重に自分の記憶を探った。

あの半魚人の姿を思い起こそうとしたのだ。

しかし目が覚めている状態で夢の記憶を呼び起こすのは、なかなか難しい。
何度も繰り返し見てきた夢だから、すぐに思い出せると思ったのに。

 こうだったはずだと確信したそばからユウキを視界にいれると、本当にこんな色だっただろうか、こんな形をしていただろうかと記憶が疑わしくなり、どんどん夢の中の半魚人の輪郭がおぼろげになっていく。

 終いにはユウキそのままの姿が、夢の中の遊園地の景色と重なる。
それがあまりにも違和感のない一致だと気づいた侑子は、それ以上考えることを止めた。

 きりがない。
考えてもこの不思議の答えは、見つからないのだろう。
むしろ考えれば考えるほど、沼の深みに沈むようにわからなくなりそうだ。


***


 常連客を見送ったユウキが、こちらへ近づいてくる。

「お待たせ。どうだった?」

 白い歯は紛れもなく人間のものだ。尖っているのは犬歯だけ。

人形を抱える指先には、透き通る水掻きもない。

侑子は思考を振りきるように、微笑んで答えた。

「とても素敵だった。まるで青い人魚みたいで」
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