理不尽②

文字数 2,242文字

 突如告げられた背筋の凍る言葉に、紡久は固まった。

「どういう意味」

 彼の言葉を手振りで遮ると、シグラはドアノブに手を掛けた。

「来たわ。ザゼル、入りなさい」

 シグラが開けたドアから入ってきたのは、小男を背負ったザゼルだった。
 紡久の顔を一瞥すると、彼は何も言わずに乱暴に男を床に落とした。硬い床に身体を強打する重たい音が響いたが、その男は反応することはない。完全に脱力しているようだ。身じろぎもしない。

 ザゼルはふーっと息を吐き出して、大きく深呼吸している。

「まだ死んでないよ」

 蒼白の紡久を見て、ザゼルが笑った。

「ツムグは会ったことあったっけ? こいつ、ダチュラっていうんだ。ここの雑用。歪んだ性癖持ちの、とんだド変態だよ」

 続けてザゼルは、ダチュラがこれまでどのような殺しの手法を用いてきたのかを、まるで世間話でもするかのように軽い調子で話しだした。

「滅多に即死させないんだ。楽に死なせるのは、見ていてつまらないからって。刃物とか拳銃とか、物理的に痛みつけることは勿論やってたけど、薬や魔法で精神的に追い詰めていくのも好きそうだったな。知ってるよね、ツァマ・ダンのこと。彼に使ったのは、毒じゃないよ。あれは護符だ。呪詛に近いものでね。ダチュラは護符を作れた。元々そういう生まれなんじゃないかなぁ」

 でね、と彼は横たわるダチュラの腰のあたりを、軽く蹴り飛ばした。
仰向けで横たわった小男の身体が回転して、うつ伏せへと変わった。

「これから粛清するとこ」

「え?」

「こいつが残ってると、手間取るんだ。この辺で消しといたほうがやりやすい。……そういうことでしょ? シグラ」

「何言ってるんだ」

「眠ってる間に殺してもらえるんだよ。随分な好対偶だと思わない? 自分は散々、他人のこと嬲り殺してきたくせにさ」

 言葉の出ない紡久を置いて、ザゼルはシグラの方を向いた。二人はしばらく無言で見つめ合い、先に口火を切ったのはザゼルだった。

「最後に確認させて。……本当なんだな。ブンノウの言ってたこと」

 シグラはゆっくり頷いた。

「録音を聞いたでしょう? あれはついさっき録ったばかりの音声よ。本当のこと。ブンノウの本意は、あの言葉通り」

「驚いたな。兵器は国のために使うんだと思ってた。世界の覇権を握るために」

「その理由は空彩党が掲げたものね。ブンノウの考えは、とっくにそこから跳躍していた」

 ザゼルは再び紡久に向いた。自嘲的な笑みと共に、乾いた声がその口から滑り出た。

「ツムグ。俺も知らなかったんだよ。兵器の開発目的が、まさか人類を丸ごと消してしまうためだったなんて。俺はさ、その目的のために作られて、目的達成の目前で、消される予定で生まれたんだね」

「ザゼル……?」

 言葉の意味が取れなくて、紡久は彼の名を呟いた。説明を求める瞳に、ザゼルは短く笑った。

「聞いたよ。最後にはお前とユーコちゃんだけが残って、二人の子供が次の世代を繋いでいく……その子供は、受精卵から機械が人工的に育てるんだろ? 俺と同じだな」

 寒さを感じて、紡久は身震いした。
ザゼルの瞳の色が、スカイブルーであることに今更気づく。碧眼はヒノクニでよく見かける瞳の色だったが、この青は、直近で見たことのある色味だった。

「お前たちの子供を育てる機械で、三十年くらい前に育ったのが俺だよ。まぁ、その頃より随分改良されてるだろうけどね。だってあの頃は、かなり成功率低かったみたいだから。そうだよね、シグラ?」

「そうね」

 頷いたシグラの顔は、いつもの無表情だ。

「ほとんど十分な大きさになる前にだめになってしまった。産声を上げさせるところまでいっても、その後大きく健康に育つまでは至らなかった者ばかり……この歳まで生きながらえているのは、この子だけ」

 『この子』と発音した時だけ、彼女の声が揺れたのが、紡久にも分かった。

「最後の兄弟が死んだのは、二年前の王都の大地震の時だったな。逃げ遅れたんだ。巨大な震災が起こることは、知っていたはずなのにね。兄弟で唯一の事故死だよ。他は大体病死か原因不明の突然死だったのに」

「ザゼルの両親は」

「お察しの通りだよ。けどさぁ」

 ザゼルの顔に浮かんだ笑顔は、そこから自嘲的な苦味が消えて、朗らかなものにかわっていた。

「両親が誰かなんて、そんなのどうでもいいんだ。受精卵だったころの記憶なんてないし、覚えていないなら気にならない。ただ、このまま消えるのは流石に虚しいって思うだけだよ」

「ザゼル」

 シグラが彼の名を呼ぶ声が、凛と響いた。

「密かに向こう側に投降なさい。最後の仕上げに夢中すぎて、今ならブンノウは気付かない」

「投降して、向こうが俺のこと無事でいさせてくれるかな」

「少なくとも殺すようなことはしないでしょう。あなたはこちらの手の内を知る、貴重な存在なのだから」

「……その前にダチュラをやるよ」

「それは私が」

「こういうの苦手でしょ」

「大丈夫よ。この男に限っては」

 シグラは笑った。そして彼女は、紡久に言った。

「見たくないなら、目を逸していなさい。すぐだから」

「ちょっと――」

 狼狽えた紡久の前に遮るように立ったシグラは、横たわるダチュラを人差し指で指し、そのままその指でゆっくりと一文字を切った。その指先はダチュラには触れずに、何もない宙を移動しただけだった。

「終わり」

 息をつくように、シグラの肩が下りる。

「さあ、次の話をしましょうか。もうあまり時間はないのよ」

 振り返った彼女の顔の片側に、瞳から降りる一筋の跡があった。
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