29.託されたこと
文字数 1,494文字
耳元でコポコポと心地よい音が聞こえる。
リリーは大きなクッションの上に仰向けに横たわっていた。僅かに顎を上げる角度で、後頭部から額の生え際までを、温かな薬湯の中に浸していた。
透き通る薄緑色の薬湯は、宝石質のペリドットをそのまま液状に溶かしたような美しい輝きを帯びている。器の底に繋げられた管からは、一定の間隔で気泡が送られていた。コポコポという心地良い音は、気泡を生み出す際に聞こえてくるのだ。
リリーの長い髪は、薬湯の中をまるで黄金の海藻のように漂っていた。
「そろそろ終わるよ」
微睡みの渦の中から意識を手繰り寄せるのは、一苦労だ。リリーはためらいのない、大欠伸をした。
頭のすぐ隣から、笑い声が聞こえる。
「また寝ちゃった。いびきかいてなかった?」
「今日は大丈夫だったね」
「よかったー」
器から薬湯がひいていくのが分かる。
濡れた髪と頭の重みを感じるのとほぼ同時に、リリーの頭は側に立っていた人物の手で支えられた。
そのままふわりと身体が浮上して、重力を感じないままに、革張りのバーバーチェアの上まで運ばれていた。
「お疲れさまでした」
美容師のミカとは、もう長い付き合いだった。
元々リリーと彼女は学生時代の同級生で、実家の美容院を彼女が継ぐ前から、リリーの髪の手入れをしてくれている。
タオルを取った濡れ髪は、一瞬で水分が取り払われ、柔らかな温風とともに、はらりと頬にかかる。元々のクリーム色の髪束の一部に、淡い草色が混ざっていた。ミントの香りが鼻孔をくすぐる。
「いい感じ! 絶妙な色加減」
鏡の向こうの新しいヘアカラーを施された自分に向かって、満面の笑みをリリーは浮かべた。
「うん。イメージ通りに色が入ってる。いつもありがとうね。実験体になってくれて」
長い髪を一束手に取り、入念にチェックしながら、ミカは頷く。
染色とヘアケア、頭皮ケアまで施せる薬湯。それがこの店の売りでもあり、店を受け継いだ彼女の、腕の見せどころでもある。
この世界では、魔法によって自分の好みに髪型や髪色を自在に変える人が多い。しかし複数の色を緻密に染め分けたり、色艶を調節する技術を使いこなすことができるのは、専門的な技術を習得した美容師たちだけである。
ミカはただヘアカットや髪染めを手掛けるだけではなく、薬草や薬品を組み合わせた、薬湯開発も行っていた。
元々は趣味の一環だったのだが、友人や常連客たちから好評になり、今では店の看板メニューとなっている。季節や流行に合わせ、新しいレシピを開発している。それを楽しみに来店する客も多い。
今日は新しいレシピの試作に、リリーに協力してもらっていたのだった。
「髪色新しくしたいと思っていたから、丁度よかったの。ありがとう。香りもいいわね」
「季節的には、ちょっと合わないけどね。本当はシナモンとか香辛料系の香りか、樹木の香りがいいかなと思ったんだけど。他の店との差別化狙ってみた。でもやっぱり、ミントは夏だよね」
「冬にもチョコミント食べたくなるわよ。また試したくなったら、いつでも呼んで。ミカのお店、変身館から近いから仕事前に寄りやすいし」
身支度を整え、時計を確認する。
今日のステージまでまだ時間があった。何か差し入れでも買っていこうかと、リリーは思いつく。
今日はユウキと侑子も来るはずだ。
「それじゃあ、またね」
「ありがとう!」
店を出て通りに出る。
冷たい風が、頬を切るようにして吹き抜けていって、リリーはぶるりと身震いした。
頭皮がスーッと痺れるような冷たさを感じて、やはりこれからの季節にミントはよしたほうがいいだろうと、思い直す。ミカには後ほど連絡しよう。
リリーは大きなクッションの上に仰向けに横たわっていた。僅かに顎を上げる角度で、後頭部から額の生え際までを、温かな薬湯の中に浸していた。
透き通る薄緑色の薬湯は、宝石質のペリドットをそのまま液状に溶かしたような美しい輝きを帯びている。器の底に繋げられた管からは、一定の間隔で気泡が送られていた。コポコポという心地良い音は、気泡を生み出す際に聞こえてくるのだ。
リリーの長い髪は、薬湯の中をまるで黄金の海藻のように漂っていた。
「そろそろ終わるよ」
微睡みの渦の中から意識を手繰り寄せるのは、一苦労だ。リリーはためらいのない、大欠伸をした。
頭のすぐ隣から、笑い声が聞こえる。
「また寝ちゃった。いびきかいてなかった?」
「今日は大丈夫だったね」
「よかったー」
器から薬湯がひいていくのが分かる。
濡れた髪と頭の重みを感じるのとほぼ同時に、リリーの頭は側に立っていた人物の手で支えられた。
そのままふわりと身体が浮上して、重力を感じないままに、革張りのバーバーチェアの上まで運ばれていた。
「お疲れさまでした」
美容師のミカとは、もう長い付き合いだった。
元々リリーと彼女は学生時代の同級生で、実家の美容院を彼女が継ぐ前から、リリーの髪の手入れをしてくれている。
タオルを取った濡れ髪は、一瞬で水分が取り払われ、柔らかな温風とともに、はらりと頬にかかる。元々のクリーム色の髪束の一部に、淡い草色が混ざっていた。ミントの香りが鼻孔をくすぐる。
「いい感じ! 絶妙な色加減」
鏡の向こうの新しいヘアカラーを施された自分に向かって、満面の笑みをリリーは浮かべた。
「うん。イメージ通りに色が入ってる。いつもありがとうね。実験体になってくれて」
長い髪を一束手に取り、入念にチェックしながら、ミカは頷く。
染色とヘアケア、頭皮ケアまで施せる薬湯。それがこの店の売りでもあり、店を受け継いだ彼女の、腕の見せどころでもある。
この世界では、魔法によって自分の好みに髪型や髪色を自在に変える人が多い。しかし複数の色を緻密に染め分けたり、色艶を調節する技術を使いこなすことができるのは、専門的な技術を習得した美容師たちだけである。
ミカはただヘアカットや髪染めを手掛けるだけではなく、薬草や薬品を組み合わせた、薬湯開発も行っていた。
元々は趣味の一環だったのだが、友人や常連客たちから好評になり、今では店の看板メニューとなっている。季節や流行に合わせ、新しいレシピを開発している。それを楽しみに来店する客も多い。
今日は新しいレシピの試作に、リリーに協力してもらっていたのだった。
「髪色新しくしたいと思っていたから、丁度よかったの。ありがとう。香りもいいわね」
「季節的には、ちょっと合わないけどね。本当はシナモンとか香辛料系の香りか、樹木の香りがいいかなと思ったんだけど。他の店との差別化狙ってみた。でもやっぱり、ミントは夏だよね」
「冬にもチョコミント食べたくなるわよ。また試したくなったら、いつでも呼んで。ミカのお店、変身館から近いから仕事前に寄りやすいし」
身支度を整え、時計を確認する。
今日のステージまでまだ時間があった。何か差し入れでも買っていこうかと、リリーは思いつく。
今日はユウキと侑子も来るはずだ。
「それじゃあ、またね」
「ありがとう!」
店を出て通りに出る。
冷たい風が、頬を切るようにして吹き抜けていって、リリーはぶるりと身震いした。
頭皮がスーッと痺れるような冷たさを感じて、やはりこれからの季節にミントはよしたほうがいいだろうと、思い直す。ミカには後ほど連絡しよう。