あの日の色②

文字数 1,775文字

「髪の色、自分で変えてみようかな」

 侑子は両手で黒髪に触れてみた。

 今までこの世界で髪色を変えたのは、初めて変身館を訪れた時にユウキによって不意打ちをくらった時だけだった。

 それ以来髪の色を変えようという気持ちにならなかったのは、黒髪が元いた世界の象徴のように思えていたからかもしれない。

「やったことないんだけど、ちゃんとできるかな」

 魔法で初めての試みをするのはいつだって緊張する。

 後ろから侑子の両手に添えるようにユウキの手が重なった。

「大丈夫。できるよ。心の中で色をイメージして。ちゃんとその通りに染まるから」

 ユウキの手の暖かさが伝わってきて、侑子は心が落ち着いていくのを感じる。

 鏡に映る黒い髪を見つめながら、夢の風景を思い浮かべた。

―――暗い夜空。ネオンの光り、星空、街灯

 熱された飴の固まりが左右に引っ張られるように、コーヒーカップの回転が目に映るありとあらゆる光を長く長く引き伸ばしていく。

『バルブ撮影っていうんだよ』

朔也の声が耳元で聞こえた気がして、侑子は僅かに視線を上げた。

 光の粒はきっと発生したのだと思う。

 しかし目線を上げて正面を見ていたはずの侑子は、魔法が生じた証拠のその現象を覚えていなかった。

 鏡の中の自分の髪は、あの夢の中のコーヒーカップの上で半魚人の背後に見た色そのままに染まっていたのだった。

「わ。すごいな。これどうやったの?」

 ユウキは驚いていた。

 手に一束すくい取った侑子の髪は、彼が見たことのない複雑な色に染め分けられていた。

 黒く見えるのは正確には元の侑子の黒髪ではなく、何種類もの黒だった。

キラキラと芯の方から発光する不思議な髪もあった。金銀、橙、水色に瑠璃色。無数の色がその一束に存在した。

こんな風に染めるには、ヘアサロンに行かないと難しいだろう。

「あまり変わってないかな」

「いやいや、よく見てみなよ。全然違うから」

 ぱっと見て黒いので、侑子はそんな風に言ったのだろうか。
ユウキに促されて鏡に近づき髪色を確かめた侑子はほっとしたように頷いた。

「良かった。ちゃんと考えていたのに近いかも。あのね、夢の中で乗ったコーヒーカップあるでしょう? あれに乗っている時に見える景色を想像したの」

 侑子は自分の使った魔法の凄さには思いも及んでいないらしい。

 ユウキはそれもそうか、と思い直しつつ彼女の説明を聞いて微笑んだ。

「そうかなと思ったよ。見覚えのある色だったから」

「あの夢がもう見れなくなっちゃったの、残念だよね」

「うん。だけど夢の中でユーコちゃんとまた会っても、結局いつもと同じことをするだけだろうなとも思うよ。一緒に散歩して、一緒に歌って」

 侑子は笑った。

 顔半分を僅かに覆う鱗が煌めく。立ち上がった彼女は、そうだ! と何を思いついたのか、楽しそうに二つの手のひらをユウキの前に広げて見せた。

 白い光が飛び散った侑子の指の間には、見覚えのある薄い膜が張り付いていた。

水かきだった。

半透明のその膜は、かつて夢の中ではユウキの手に生えていたものだった。

「ユウキちゃんはギター弾くからダメだよね。私は歌うだけだから」

 にっこり笑いながら水かきのついた手を高く掲げている。

 そんな彼女の仕草にも覚えがあった。照明の光りを半透明の膜越しに眺めているのだろう。

「それどうやってくっつけたの?」

 水かきを指さしながらユウキは訊いた。侑子は膜を指先でなぞりながらふふ、と笑った。

「接着剤かな。できるだけ人体には無害なものでお願いしますって念じたけど、以外と粘着力強いみたい」

「じゃあ俺が出したこの顔の鱗と同じだね」

 ユウキが侑子の頬の鱗をつついた。

「外す時も魔法でやった方がいいよ。そうだユーコちゃん、早着替え一緒にやろうよ。ステージの上でさ。折角だったら全員で」

 ちょうどそこで、リリーの声が廊下から聞こえてきた。

ドアを開けて四人が入ってくる。全員ステージ衣装を着用済みである。今日はもれなく全員が硝子の鱗を身に着けていた。

「わあ。顔にも鱗が生えてる」

 ミユキは侑子の顔を見て目を丸くした。

「素敵ね。神秘的」

「皆もやる?」

 祭りの前の高揚感がそうさせたのか、いつの間にか全員で顔に鱗をつけた奇妙な化粧を施していた。

 全員で鏡を見つめながら笑い合った。

「行こう」

 侑子たちの出番が迫っていた。
新年を迎える二時間前だった。
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