86.感情
文字数 2,057文字
「誰もいなくなる世界……か」
ユウキはたった今彼女から聞いた話を反芻していた。
ブンノウが実現しようとしている未来。そのために開発された、二つの兵器。そして、来訪者である侑子と紡久に託されること。
「見た? あの兵器を」
「いや。俺がユーコちゃんの側に行った時にはもう、ミウネって科学者もあの部屋にいなかったから」
ユウキはブンノウの姿をまだ目にしていなかったし、声すら聞いていなかった。
「……夢の中のユウキちゃんと、そっくりな姿なんだよ。だからかな。私、全然怖くないんだ。最初見たときは怖いって咄嗟に感じたけど、よく考えたらあの感情は驚きだったんだと思う。私は最初から、怖くなかったんだ……」
人類を殲滅する恐ろしい兵器と聞いているのに、二体の半魚人と対峙する時の侑子からは、日に日に負の感情が抜けていったのだ。
「遊園地。青い半魚人。俺とユーコちゃん。今、あの夢に出てきたこと、全部揃ってるんだよなあ」
横を向けば、すぐ目の前にこげ茶の瞳があった。彼女の毛髪は華やかな桜色に染まっていて、その色だけがユウキにとって見慣れない色彩だった。
「未だに信じられないんだ。こんなに何もかもあの夢の中と同じなのに、これから破滅に向かうなんて。あんなに痛い目にあったのにも関わらず」
ダチュラの拳銃によって頭部を撃ち抜かれた兵士の顔。頭に響き渡った骨が折られる音と痛みを、思い出してみる。
吐き気がしたが、すぐにユウキはその記憶を振り払った。
「俺たちの夢は、やっぱり凶夢ではないと思う」
その確信がゆらぐことはなかった。
「子供のころ。本当の自分を母に受け入れてもらえなくて悲しかったけど、夢の中ではいつも幸せだったんだ。あんなに鱗で覆われていたのに、俺はあの夢の中で本当の自分でいられた。ユーコちゃんと歌う声は誰かの声じゃなくて自分のもので、身につけるのは君が好きでいてくれる、俺だけの身体だった」
侑子の手が、ユウキの頬にそっと触れた。ぬくもりの宿る人の肌特有の、湿っぽさと柔らかさをお互いに感じる。
「ユーコちゃんが悲しいと思う未来なら、変えてあげる」
囁き声は真剣だった。
「どうやって?」
諦めてしまえば、冗談だと笑えてしまえるのかもしれない。
けれどユウキに質問する侑子の声は震えていて、それは諦めきれない思いが表出させたものだった。
「分からない。けど、分かる気がする」
「なにそれ」
ようやくふふ、と弱く笑った侑子に、ユウキは短くキスをした。
「投げやりになってるわけじゃないよ。本当に分かる気がするんだ……凶夢を吉夢に切り替える方法が」
真剣に輝く緑の瞳に、半魚人の空虚な瞳は重ならない。それなのにあの青い半魚人の気配をそこに感じる気がして、侑子は目を細めた。
「あなたは、どうして青い半魚人だったの?」
「青は俺の好きな色だよ」
「私も。昔から青が好きだった。クレヨンも絵の具も、大抵青からなくなっていくの」
「同じだね。無意識に青を選ぶんだ。だから君に贈った指輪の宝石だって、こんなに青い」
「大好き。愛してる……私もあの夢が悪夢だったなんて、思えない」
きつく抱きしめ合いながら、侑子は繰り返し見た夢と、並行世界でユウキと出会った日のことを回想した。
「この感情は、汚い色に染まらないよ。強すぎるくらい輝いていて、他を構うこともできない程に真っ直ぐでひたむき。俺が愛だと考える感情は、そういうものだ」
目を閉じ、視覚を封じれば、残る感覚が研ぎ澄まされる。
それらを総動員して、侑子は自分がユウキへ向ける感情の正体を突き止めた。そしてその感情が、何故認められないことがあろうかと確信する。誰に認めてもらえれば正しくて、認めてもらえなければ間違ったものなのか。
そこまで考えたところで、瞼を上げた。
「あの夢は、予知夢」
侑子の言葉に、ユウキが優しく微笑んだ。
「予知夢にできたら、ブンノウの考えている未来を覆せるのかな」
「同じことを考えていたよ」
「方法は?」
褐色の長い指が、侑子の桜色の髪を一房すくい上げた。
「流れに身を任せよう。俺達が見てきた夢は、いつも鮮明だったね。大丈夫。行動を起こすべき時に、ちゃんと分かるはずだよ」
「こっちの世界では……そういうものなの?」
侑子のいぶかしむ声音に、ユウキは笑い声を上げた。
「今のユーコちゃんの台詞、なんだか懐かしいな。初めてヒノクニに迷い込んできたばかりの、十三歳の時みたいだ」
水を呼ぶ魔法に酷く驚いていた、黒髪の少女の顔を思い出す。
「こっちの世界では、きっとそいういものだよ。ねえ、ユーコちゃん」
再び侑子を腕の中に閉じ込めると、ユウキは恋人の名前を想いを込めて呼んだ。
「全部終わったら、また染めさせてね。この髪色似合ってるけど、やっぱり俺の色にしたい」
「うん。ユウキちゃんの残りの魔力は?」
「結構残ってるよ。枯渇してない。君の髪を染めるので全部使い切ったとしても、それでいい」
背を撫で、髪を撫でた。
再び深く長い口づけが始まって、二人はお互いを行き交う感情を、もう一度確認し始めたのだった。
ユウキはたった今彼女から聞いた話を反芻していた。
ブンノウが実現しようとしている未来。そのために開発された、二つの兵器。そして、来訪者である侑子と紡久に託されること。
「見た? あの兵器を」
「いや。俺がユーコちゃんの側に行った時にはもう、ミウネって科学者もあの部屋にいなかったから」
ユウキはブンノウの姿をまだ目にしていなかったし、声すら聞いていなかった。
「……夢の中のユウキちゃんと、そっくりな姿なんだよ。だからかな。私、全然怖くないんだ。最初見たときは怖いって咄嗟に感じたけど、よく考えたらあの感情は驚きだったんだと思う。私は最初から、怖くなかったんだ……」
人類を殲滅する恐ろしい兵器と聞いているのに、二体の半魚人と対峙する時の侑子からは、日に日に負の感情が抜けていったのだ。
「遊園地。青い半魚人。俺とユーコちゃん。今、あの夢に出てきたこと、全部揃ってるんだよなあ」
横を向けば、すぐ目の前にこげ茶の瞳があった。彼女の毛髪は華やかな桜色に染まっていて、その色だけがユウキにとって見慣れない色彩だった。
「未だに信じられないんだ。こんなに何もかもあの夢の中と同じなのに、これから破滅に向かうなんて。あんなに痛い目にあったのにも関わらず」
ダチュラの拳銃によって頭部を撃ち抜かれた兵士の顔。頭に響き渡った骨が折られる音と痛みを、思い出してみる。
吐き気がしたが、すぐにユウキはその記憶を振り払った。
「俺たちの夢は、やっぱり凶夢ではないと思う」
その確信がゆらぐことはなかった。
「子供のころ。本当の自分を母に受け入れてもらえなくて悲しかったけど、夢の中ではいつも幸せだったんだ。あんなに鱗で覆われていたのに、俺はあの夢の中で本当の自分でいられた。ユーコちゃんと歌う声は誰かの声じゃなくて自分のもので、身につけるのは君が好きでいてくれる、俺だけの身体だった」
侑子の手が、ユウキの頬にそっと触れた。ぬくもりの宿る人の肌特有の、湿っぽさと柔らかさをお互いに感じる。
「ユーコちゃんが悲しいと思う未来なら、変えてあげる」
囁き声は真剣だった。
「どうやって?」
諦めてしまえば、冗談だと笑えてしまえるのかもしれない。
けれどユウキに質問する侑子の声は震えていて、それは諦めきれない思いが表出させたものだった。
「分からない。けど、分かる気がする」
「なにそれ」
ようやくふふ、と弱く笑った侑子に、ユウキは短くキスをした。
「投げやりになってるわけじゃないよ。本当に分かる気がするんだ……凶夢を吉夢に切り替える方法が」
真剣に輝く緑の瞳に、半魚人の空虚な瞳は重ならない。それなのにあの青い半魚人の気配をそこに感じる気がして、侑子は目を細めた。
「あなたは、どうして青い半魚人だったの?」
「青は俺の好きな色だよ」
「私も。昔から青が好きだった。クレヨンも絵の具も、大抵青からなくなっていくの」
「同じだね。無意識に青を選ぶんだ。だから君に贈った指輪の宝石だって、こんなに青い」
「大好き。愛してる……私もあの夢が悪夢だったなんて、思えない」
きつく抱きしめ合いながら、侑子は繰り返し見た夢と、並行世界でユウキと出会った日のことを回想した。
「この感情は、汚い色に染まらないよ。強すぎるくらい輝いていて、他を構うこともできない程に真っ直ぐでひたむき。俺が愛だと考える感情は、そういうものだ」
目を閉じ、視覚を封じれば、残る感覚が研ぎ澄まされる。
それらを総動員して、侑子は自分がユウキへ向ける感情の正体を突き止めた。そしてその感情が、何故認められないことがあろうかと確信する。誰に認めてもらえれば正しくて、認めてもらえなければ間違ったものなのか。
そこまで考えたところで、瞼を上げた。
「あの夢は、予知夢」
侑子の言葉に、ユウキが優しく微笑んだ。
「予知夢にできたら、ブンノウの考えている未来を覆せるのかな」
「同じことを考えていたよ」
「方法は?」
褐色の長い指が、侑子の桜色の髪を一房すくい上げた。
「流れに身を任せよう。俺達が見てきた夢は、いつも鮮明だったね。大丈夫。行動を起こすべき時に、ちゃんと分かるはずだよ」
「こっちの世界では……そういうものなの?」
侑子のいぶかしむ声音に、ユウキは笑い声を上げた。
「今のユーコちゃんの台詞、なんだか懐かしいな。初めてヒノクニに迷い込んできたばかりの、十三歳の時みたいだ」
水を呼ぶ魔法に酷く驚いていた、黒髪の少女の顔を思い出す。
「こっちの世界では、きっとそいういものだよ。ねえ、ユーコちゃん」
再び侑子を腕の中に閉じ込めると、ユウキは恋人の名前を想いを込めて呼んだ。
「全部終わったら、また染めさせてね。この髪色似合ってるけど、やっぱり俺の色にしたい」
「うん。ユウキちゃんの残りの魔力は?」
「結構残ってるよ。枯渇してない。君の髪を染めるので全部使い切ったとしても、それでいい」
背を撫で、髪を撫でた。
再び深く長い口づけが始まって、二人はお互いを行き交う感情を、もう一度確認し始めたのだった。