重なる声③
文字数 1,437文字
変身館のホールは明るく照らされ、その中は卒業生と教員たちで賑わっていた。
既に乾杯を済ませてから時間は経ち、立食形式での飲食を楽しむ人々の会話は、途切れることなく続いている。
侑子は使用済みの食器を厨房に運び、新しい皿やグラスをホールに運ぶという仕事を、延々とこなしていた。
ジロウやスタッフたちからは、合間に食事をつついていいと度々声をかけられたが、今はこうやって無心に働いていたほうが良いのだった。
「腹へらないの?」
何度目かの往復の後、新しいグラスを綺麗に並べ終えた侑子に声をかけてきたのは、ハルカだった。
花束を渡した時には束ねていた翡翠色の髪はほどかれ、やや乱れた様子で頬にかかっている。
顔がほんのり赤くなっているので、飲酒したのだろう。
この世界では学校を卒業し、学生の身分ではなくなった日から成人とみなされ、飲酒を始めとする様々な規制が解禁されるのだ。
卒業式後の謝恩会の席で、卒業生達に酒が振る舞われるのは恒例なのだという。
「減らない」
首を振る侑子にハルカは薄く笑って、液体が満たされたグラスを持たせた。
「せめて飲み物くらい飲みな。ユウキも心配してたよ。あ、それちゃんとジュースだからね」
りんごジュースだった。
強めの炭酸だったが、侑子はほぼ一気飲みした。自覚はなかったが、喉はカラカラだったらしい。
「緊張してる?」
ハルカはいつも行動を共にすることの多い幼馴染の中で、唯一既にあ の こ と も知っている一人であった。
「怖くて仕方ない」
強がる余裕は、元からなかった。
侑子は縋るような視線をハルカに向ける。
「やっぱり駄目かな。今から、ユウキちゃん一人で……ってことには」
「無理だろうなあ」
可笑しそうに吹き出したハルカは、「往生際が悪いぞ」と珍しく侑子を嗜める言葉を放った。
「会場まで来ちゃったんだから、覚悟を決めな。こういうことはなるようになるのさ。始まってしまえば、今思っている以上にあっさり終わるよ」
普段はおちゃらけた雰囲気を放つハルカだったが、彼に家庭教師として勉強やこの世界のことを教えてもらう時間を過ごしてきた侑子は知っている。
語り聞かせる姿勢になった時、ハルカは意外と教師のような不思議な説得力のある話し方をするのだった。
「それに俺にはどうも、理解できないんだけど」
腕を組んでしばらく侑子を見つめたハルカが、疑問を口にする。
「なんでそんなに人前で歌うのが怖いんだ?」
つい数日前のことだ。
たまたまユウキに用事があって屋敷を訪ねた時、ちょうどいいからお前も聴けと、ギターを構えたユウキとその隣で固まる侑子の前に座らされたのだった。
その場にはジロウとノマの二人もいて、ハルカも加わった三人が見守る中、突然音楽は始まった。
「歌すごく上手かったじゃないか。あのユウキの横で歌ってても、全然負けてなかった。練習したんだろうけど、それだけじゃないんだろ? 元々上手かったんだ」
なのになぜ、こんなに自信なさげにするのだろう。
元々人前で怖じ気ずく経験が少ない性格のハルカには、本当に想像の及ばない心理だった。
「ありがとう。褒めてくれるのは、すごく嬉しい。だけどこんなに大勢の前で歌うなんて、初めてなんだよ……」
空になったグラスをぎゅっと両手で掴みこんで、侑子はうつむいた。
少し先の未来のことを想像すると、自然と身体が強張った。
この日、ユウキたちの謝恩会の席で、侑子は歌を披露することになっていたのだった。
なぜこんなことになったのか。それはユウキからの提案だった。
既に乾杯を済ませてから時間は経ち、立食形式での飲食を楽しむ人々の会話は、途切れることなく続いている。
侑子は使用済みの食器を厨房に運び、新しい皿やグラスをホールに運ぶという仕事を、延々とこなしていた。
ジロウやスタッフたちからは、合間に食事をつついていいと度々声をかけられたが、今はこうやって無心に働いていたほうが良いのだった。
「腹へらないの?」
何度目かの往復の後、新しいグラスを綺麗に並べ終えた侑子に声をかけてきたのは、ハルカだった。
花束を渡した時には束ねていた翡翠色の髪はほどかれ、やや乱れた様子で頬にかかっている。
顔がほんのり赤くなっているので、飲酒したのだろう。
この世界では学校を卒業し、学生の身分ではなくなった日から成人とみなされ、飲酒を始めとする様々な規制が解禁されるのだ。
卒業式後の謝恩会の席で、卒業生達に酒が振る舞われるのは恒例なのだという。
「減らない」
首を振る侑子にハルカは薄く笑って、液体が満たされたグラスを持たせた。
「せめて飲み物くらい飲みな。ユウキも心配してたよ。あ、それちゃんとジュースだからね」
りんごジュースだった。
強めの炭酸だったが、侑子はほぼ一気飲みした。自覚はなかったが、喉はカラカラだったらしい。
「緊張してる?」
ハルカはいつも行動を共にすることの多い幼馴染の中で、唯一既に
「怖くて仕方ない」
強がる余裕は、元からなかった。
侑子は縋るような視線をハルカに向ける。
「やっぱり駄目かな。今から、ユウキちゃん一人で……ってことには」
「無理だろうなあ」
可笑しそうに吹き出したハルカは、「往生際が悪いぞ」と珍しく侑子を嗜める言葉を放った。
「会場まで来ちゃったんだから、覚悟を決めな。こういうことはなるようになるのさ。始まってしまえば、今思っている以上にあっさり終わるよ」
普段はおちゃらけた雰囲気を放つハルカだったが、彼に家庭教師として勉強やこの世界のことを教えてもらう時間を過ごしてきた侑子は知っている。
語り聞かせる姿勢になった時、ハルカは意外と教師のような不思議な説得力のある話し方をするのだった。
「それに俺にはどうも、理解できないんだけど」
腕を組んでしばらく侑子を見つめたハルカが、疑問を口にする。
「なんでそんなに人前で歌うのが怖いんだ?」
つい数日前のことだ。
たまたまユウキに用事があって屋敷を訪ねた時、ちょうどいいからお前も聴けと、ギターを構えたユウキとその隣で固まる侑子の前に座らされたのだった。
その場にはジロウとノマの二人もいて、ハルカも加わった三人が見守る中、突然音楽は始まった。
「歌すごく上手かったじゃないか。あのユウキの横で歌ってても、全然負けてなかった。練習したんだろうけど、それだけじゃないんだろ? 元々上手かったんだ」
なのになぜ、こんなに自信なさげにするのだろう。
元々人前で怖じ気ずく経験が少ない性格のハルカには、本当に想像の及ばない心理だった。
「ありがとう。褒めてくれるのは、すごく嬉しい。だけどこんなに大勢の前で歌うなんて、初めてなんだよ……」
空になったグラスをぎゅっと両手で掴みこんで、侑子はうつむいた。
少し先の未来のことを想像すると、自然と身体が強張った。
この日、ユウキたちの謝恩会の席で、侑子は歌を披露することになっていたのだった。
なぜこんなことになったのか。それはユウキからの提案だった。