4.世界ⅰギター

文字数 2,894文字

「軽音同好会?」

 昼下がりの賢一の家で、スイカを片手に告げられた遼の言葉を侑子は繰り返した。

「そう。俺もうすぐ引退なんだけどさ。せっかく友達と立ち上げたんだから、卒業してからも存続させたくて。ゆうちゃん興味ない?」

 テーブルを囲む姉弟と叔父叔母が、固唾を飲んで見守っているのが分かる。

「ほら、ゆうちゃん歌上手いじゃん。最近またよく歌ってるの見るしさ。やっぱ上手だよなって思うんだよ。どうかなぁ? 皆良いやつばっかりだしさ」

 どんどん強くなる勧誘口調に、望美が口をはさむ。

「ゆうちゃん、嫌だったら嫌ってきっぱり断るのよ」

「なんだよ、断る前提で横槍いれないでくれる?」

「あんたってば強引なのよ」

 望美は大きくため息をついた。

 侑子はそんな親子のやりとりに笑う。こんな光景を見るのも、久しぶりだった。戻ってきたんだなと実感が湧いてくる。

「遼くんが立ち上げたの?」

 侑子の質問に、遼は得意顔だ。

「二年の時にな! 二学期にようやく立ち上げられたんだ。必要な人数集めるのに結構苦労したんだよ。けど今は会員数五人だぞ!」

 もう少し頑張れば部活に昇格されるのも夢じゃないかも、と遼は息巻いている。

「そういえば遼くん、ギター習ってたんだよね」

 侑子が歌を遠ざけていた時期だったので、従兄弟が音楽関係の習い事を始めると聞いても、積極的に話に加わろうとはしてこなかった。

「そうそう。それでバンドやってみたいなって思ったのがきっかけだよ。ちょうど二年の頃の担任が音楽好きな先生で、後押ししてくれたのも大きかったんだ」

「佐藤先生か。面白い先生だよな」

 賢一が頷く。

「結構ギターも上達したんだよ。そうだ、折角だからゆうちゃんにも聴かせてやるよ」

 待ってて、と言って居間から小走りで走り去っていった。ギターを持ってくるつもりなのだろう。

「本当にいつも慌ただしいんだから」

 呆れ声は愛佳のものである。

「でも、私も聴いてみたいな。遼くんのギター」

 素直な侑子のつぶやきを聞いて、蓮がまじまじと顔を見つめてくる。

「やっぱりゆうちゃん、大分変わったよね」

「蓮」
 
 咎めるような口調の望美だったが、侑子の「別にいいよ」という言葉に黙り込む。これ以上どのような言葉をかけたものか、分からない様子だった。

 大人たちのこんな表情を、侑子は戻ってきてから嫌というほど目にしていた。もう慣れっこだった。


***



「え! 本当に?!」

 部屋中に響き渡る遼の大きな声を、咎める家族はいなかった。皆今の遼の言葉に同感だったのと、驚きのあまりである。

「本当に入るの?」

 いつだってポーカーフェイスで表情に動きのない蓮までも、大きく驚いているようだった。
これは珍しいものを見たと侑子が逆に驚いてしまったほどだ。

「面白そうだし。それに、皆いい人ばかりなんでしょ? 顧問の先生もいい先生だって、言ってたじゃない」

「それはもちろん。本当だよ」

 頷く遼の横で賢一が言い出しづらそうに僅かに唸ってから、侑子に問いかける。

「ゆうちゃん、無理してない? 大丈夫か?」

「無理なんてしてない」

 叔父の言葉は、侑子のことを思いやっているが故のことだ。侑子はそれをちゃんと分かってはいる。けれど、いちいち否定することにうんざりもした。

「本当に大丈夫だから。遼くん、明日活動はあるの?」

「ああ。始業式の後で集まるよ。その時皆に紹介してやろうか?」

「ありがとう。よろしくね」

 にっこり笑った侑子に、やはり叔父と叔母は困惑しているようだった。
しかし侑子は気にしないということを心に決めて、遼にもっとギターを聴かせてと頼んだのだった。



***



 兄の部屋からギターの音色と、侑子の歌声が聴こえてくる。

 未だに信じられないことだが、これは現実だ。
 侑子が歌っている。遼の演奏するギターに合わせて歌っている。

「ゆうちゃん、本当にどうしたんだと思う?」

 兄の部屋を後にした蓮は、菓子とジュースを運んできた双子の片割れに向かって問いかけた。
 突然の質問だったが、愛佳は表情を変えずに答える。

「あんたはゆうちゃんの言ってた話、信じてないの?」

「愛佳は信じられたの?」

 蓮は驚愕の表情だ。彼がここまで崩した表情を向ける相手は限られる。その限られた相手の一人が、愛佳だった。

「私はゆうちゃんの言ったことは信じるよ。そう決めてるの」

 兄の部屋から二人分の笑い声が漏れてきた。

 侑子の大きな笑い声は朗らかで明るい。この声が好きだな、と愛佳は素直に思う。

「魔法とかパラレルワールドとか、本気で信じるの?」

 重ねられた質問に、愛佳ははっきりと頷く。

「蓮だってそのうち分かるよ。ゆうちゃんは嘘なんてついてない。何となく分かるよ。それにあれだけゆうちゃんが変わったの、それなりに理由があるはずでしょう。私は今のゆうちゃん、すっごく良いと思うし」

 続けて聴こえてきた歌声に、愛佳は暫くの間無言で聞き耳を立てた。

「ゆうちゃんがやりたいって思うなら、応援するだけだよ。私も軽音入ろうかな。楽器何もできないけど、大丈夫だよね?」

 たった今思いついたという様に、ぱっと顔を輝かせた愛佳を見て、蓮ははぁとため息をついた。
 両手がふさがっている姉の代わりに、ドアを開けてやる。侑子の笑顔が目に飛び込んできた。

「確かに、今のゆうちゃんはすっごく良い」
 
 呟き声の蓮の声は、歌声とギターの音色によってかき消され、誰にも聞かれることはなかった。



***



「弾けるの?」

 スタンドに立てかけた遼のギターを、私も弾いてみていい? と侑子が持ち上げたところまでは何とも思わなかった。

 しかし慣れた様子で構え始め、コードを押さえ始めた段になって、流石の遼も仰天して声を裏返らせた。

「うん。でもずっと練習してなかったから」

 大丈夫かな、と言いつつ侑子のコードチェンジには迷いがない。
適当に弾いているわけでないと分かるのはそれだけでなく、彼女が奏でる音がきちんと音楽として成立しているからだった。

「ゆうちゃん、ギターなんて習ってたっけ……」

 そんなはずはないと確信しているのに、自分の記憶に自信がなくなってくる愛佳だった。

「こっちでは習ってなかった。今年の始めくらいから、教えてもらってたの」

 きっぱりと言い切る口調とは対象的に、侑子は三人の従兄弟たちのことを慮っているようだった。それ以上の説明をすることなく、切り替えるような笑みを浮かべると、ギターを再びスタンドに立てかけた。

「遼くんありがとう。私、ギターの練習も続けたいと思うんだけど、学校でも教えてもらえるかな」

「もちろん。皆初心者みたいなもんだし、一緒に練習しよう。もし良かったら俺が通ってるギタースクールも紹介できるよ」

 瞬間的な驚きや恐怖といった感情をひっぱらないのは、遼の長所の一つである。蓮は二つ年長の兄のことを、久々に素直に凄いと思うのだった。

「私、そろそろ帰るね。お父さんが夜の飛行機で戻っちゃうの。外食しようってことになってて」

 侑子はいとこたちに「また明日ね」と手をふると、部屋から出ていった。

 階段を降りていく彼女の足音が三人の耳に届いたが、その音はやけに軽やかだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み