9.メムの里

文字数 1,976文字

 里と呼ぶより、小規模キャンプサイトのようだというのが、侑子の感想だった。

ヤヒコとヤチヨが『メムの里』と称したその場所は、山間部の僅かな平地を切り開いたものだった。

大型テントが三つと、小型のテントが二つ。等間隔に丸く円陣を組むように設置されており、いくつかのテントの間にタープが張ってある。

「もうそろそろ移動の時期なんだよ」

 侑子を乗せた背負子を降ろしながら、ヤヒコが里を見渡していた。

「先に出立した集団が、これの二倍くらい。俺たちは大きな集団で固まって移動しないんだ。バラバラのルートで移動しながら、いくつかの拠点で落ち合う」

 ヤチヨが固定ベルトを外してくれたので、侑子はようやく身体が自由になった。

立ち上がった瞬間に豪快によろけて、ヤチヨにしがみついてしまった。
身体のあちこちが、筋肉痛のように痛かった。

 ヤヒコの笑い声が聞こえる。

「だから言っただろう。あまり力をいれてると、後で辛いって」

 笑いながらも、腕を持ってヤチヨと半分ずつ身体を支えてくれた。

二人に両側から支えられながら、侑子はテントの輪の中心まで進んでいった。

 三人の足音に気づいたのか、人の声が聞こえてくる。

侑子たちの前に出てきたのは、成人女性と小学生くらいかと思われる、数人の子供たちだった。

「おかえりなさい!」
「お父さん、おかえり」

 彼らの言葉から、子供たちの父親がヤヒコなのだと分かった。

自分とヤヒコは、そんなに年齢差がないだろうと考えていた侑子は、密かに驚いていた。
あんなに大きな子供たちのいる父親なのか。

ヤチヨも実年齢よりも随分幼く見えたので、兄であるヤヒコも実際はもっと年上なのかもしれない。

「はじめまして」

 前に進み出た痩身の女性が、切れ長の瞳を細め、笑いかけながら侑子に頭を下げた。

艷やかな黒髪を後頭部で結い上げた、小顔の女性だった。鉄琴を優しく撫でたような、可憐な声だ。

「はじめまして。五十嵐侑子といいます。ヤヒコさんとヤチヨさんに、助けて頂きました」
「まあ。そんな風に受け取ってもらえて、本当に良かった! 怖がらせているんじゃないかと、気が気じゃなかったんだから」

 女は高い声で笑うと、ヤヒコの肩を軽く叩いた。

「ほらこの人、結構怖い顔してるでしょ」

 笑う女に同調するように、ヤチヨもふふ、と笑い声を漏らしている。

そんな女たちに、ヤヒコはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「一仕事終わらせてきた夫に向かって、良いように言ってくれるじゃないか――――ユウコ、紹介する。妻のキノルだ」

 続けてヤヒコは、興味津々の眼差しを侑子に向ける、四人の子供たちを紹介した。
一番上の十歳の男児・コルを筆頭に、九歳の女児・ミサキ、七歳の双子の男児・スサとノハだった。

 里に今いる人間は、あとは長一人を除いて、これで全員とのことだった。

 大人の男がヤヒコしかいないことに、侑子は意外に感じていた。そう伝えると、キノルが頷いた。

「昨日までは、男たちもいたんだけどね。先に出発したのよ。今日にはあなたがここに到着すると連絡があったし、すぐに次の拠点で落ち会えるから」
「連絡?」

 侑子は首を傾げた。
メムの兄妹との道中、彼らが誰かと通信する姿は見なかった。透証は使えないと聞いたし、第一彼らは透証らしきものを、身に着けていなかった。

 ヤチヨが侑子の肘をつついた。

(獣に頼んだ)
「獣?」

 頷くヤチヨは、口をすぼめて、小さく、か細い口笛を鳴らした。耳を澄まさないと拾えないほどの、細い音だった。

しかし彼女がそんな音を鳴らしてすぐに、ヤチヨの肩に、一羽の野鳥が舞い降りてきたのだ。

(これは鳥だけど。昨夜ユウコが眠っている間に、獣に伝書を預けた。獣は夜目がきくから)
「俺たちの連絡手段の一つさ。メムは動物と仲良くなるのが上手いんだ」

 ヤヒコが補足する説明を聞きながら、ユウコは野鳥を目で追った。
挨拶するように一声チュンと鳴くと、野鳥は飛び立っていった。

「すごい」
「チヨちゃんはいっとう、上手いんだよ!」
「どんな凶暴な獣も、チヨちゃんの言うことは聞くよ」

 スサとノハの双子が、侑子の感嘆詞を強調した。ヤチヨは彼らの憧れの対象らしい。

「まあ、そんなわけでね。今ここには、大人の男はヤヒコしかいないってわけ。長も女だしね」
「そうなんですか」

 長老という単語の印象から、勝手に老齢の男性を想像していたのだ。

「長っていっても、流動的なものだから。メム人は市街地で生活する者も、少なくないんだよ。体力勝負の生活だからな、年寄にこの生活はキツい。メムの歴史を生身で一番長く知っていて、且つ移動生活をしている人間が、その都度『長』って呼ばれるんだ」
(長の名前、ラン。とても優しい人。会って欲しい)

 首をかしげるヤチヨに、侑子は迷いなく頷いた。

筋肉痛は相変わらずだったが、一人で姿勢を保持できるほどに、身体は慣れてきていた。
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